ブリキの心臓 | ナノ

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「ボーレガードが“ユニコーンの角”に異国への売買顧問契約を持ちかけたらしいな」
 またユニコーンの角かとテオドルスは睥睨した。彼の目の前に立つゼノンズ=ヘイルは、それでも機嫌を損ねない紳士だった。
 アイジーに呼び出されてから数日後、ボーレガード家で開かれたパーティーのことだ。テオドルスは、とうにギルフォード校を卒業したゼノンズと再会したのだ。
 テオドルスとゼノンズには大した面識はない。互いに貴族の子息同士だし、学校も同じ、エイーゼという共通の知り合いもいるわけだが、如何せん、二人の歳は離れている。今回のパーティーは、普段あまり交友ない貴族を中心に招いているため、このパーティーに参加している時点で、二人の関係など高が知れた。
 そんなゼノンズが話しかけてきたのだ。何用かと思ったのも束の間、最近テオドルスの周囲で一番ホットらしい話題だった。もしかすると、一部の貴族のあいだでは名の知れた銘菓なのでは、とテオドルスは勘繰った。もちろんそこまでのことではない。単にアイジーもゼノンズも、ユニコーンの角の特定の一人を認知しているだけである。
「お前も気になるかよ、ヘイル」
「お前もとは?」
「アイジーも、その件について俺に尋ねてきた」
「ああ、なるほど、アイジーか」
 妙に納得したような返答をするゼノンズには気づかず、テオドルスは「いったいなんだってんだ」とぶすくれる。
「第一、お前もあいつも聞く相手を間違えてるぞ。俺より先に、セオドルドに聞くのが正解だろ」
「ボーレガードが契約を持ちかけ回るのはいまに始まったことじゃない。俺だって慣れてるさ。だからこそ、今回セオドルド=ボーレガードに直接聞いてしまえば、まるでそれに楯突きたいかのごとくだ。いずれはヘイルを背負うものとして、妙な噂の火種になるような、身勝手な行動は取れない」
「大変だな。次期当主の人間は」
 ゼノンズが“ミスタ・ヘイル”になる日は、エイーゼが“ミスタ・シフォンドハーゲン”になる日よりも近い。そういう意味でも、テオドルスの世代よりも、ゼノンズは緊張感を持っていた。
 とはいっても、ゼノンズは、そのことに関して、大変などと思ったことはない。生まれたときから、それが当たり前であったからだ。生まれたときから――生まれる前から決まっていったことを、自分がどうこう言って変えられるわけがない。ゼノンズはあるべくして、“貴族の息子らしさ”というものを覚えた。
「背筋を伸ばし続けるのも、ずっとじゃないさ」ゼノンズは肩を竦める。「俺だって、外聞など気にせず、羽目を外すこともある」
「嘘のような話だ」
「嘘のような真の話だ」言いふらすなよ、とゼノンズは顔を寄せ、声を小さくして囁いた。「この前のパーティーで、とある外来貴族の息子に決闘を申しこまれた」
「なんだその面白い展開」
「なので、正々堂々と、その鼻っ柱に拳を突っこんでやった」
 しらっと答えてみせたゼノンズに、本当にこの男はゼノンズ=ヘイルなのかと、テオドルスは疑った。こんな面白い男がゼノンズ=ヘイルだとは、どうしても思えなかった。
 もしその様子を第三者に見られでもしていたら、野蛮だと噂を立てられるだろうに。
 しかし、実際にそんな噂は微塵も立っていないので、気にするようなことでもないのだろう。
 ゼノンズが上手く立ち回ったのか。誰かが揉み消したのか。はたまた、その外来貴族の息子とやらにもプライドがあり、波風立てないよう気を配ったのか。
「たしかに羽目を外してはいるが、まあ、お前のそれは相手からふっかけて来たんだろう? さすがはゼノンズ=ヘイル様だ。礼節というものをよくご存じで」
 ゼノンズは口角を吊り上げ、胸に手を当ててお辞儀をした。本当に、味わいのある、面白い男だとテオドルスは思った。そして、「やっぱり」と言葉を続ける。
「限度を弁えるべきはアイジーだ。あいつ、シフォンドハーゲンの名をちらつかせるようなことを言うんだぞ。信じられるか?」
「年々おてんばになっていくからな、彼女は」いや、とゼノンズは訂正する。「逆か。淑女らしく、落ち着きを身につけていく。そのうえで、これまでどおり、我を通そうとする……正直、彼女が男でなくてよかった。エイーゼの代わりに当主になるようなことがあれば、俺たちは振り回されるしかなかったろうから」
「いまでも振り回されてるとは?」
「思わない。彼女はシフォンドハーゲンの名をちらつかせる“ような”ことはしても、実際にちらつかせたわけではないんだろう?」
 なんと甘いジャッジだとテオドルスは思った。
「それよりも、ユニコーンの角についてだ……さきほどの口ぶりから察するに、お前は多くを知らないらしいが」
「俺はまだ仕事をしていないからな。ただ、セオドルドはユニコーンの角の店主ではなく、その娘に交渉を持ちかけたんだと」
「ヤレイに?」
 この“ヤレイ”が店主のほうではなく、娘のほうを指していることには、テオドルスも気づいていた。問題は、どうしてゼノンズが、アンデルセンにあるお菓子屋の娘のことをヤレイと呼ぶのか。
「なんだ、ヘイル、お前はヤレイの娘を知っているのか」
 途端、ゼノンズの顔は苦くなる。その柳眉は顰められ、彼らしからぬ表情だ。ゼノンズは「まあね」と歯切れの悪い返事をする。
「じゃあ、そのヤレイの娘が呪い持ちだったっていうのも?」
「……待て、テオドルス、どうしてお前がそこまで知っている?」
「アイジーが。どうやらアイジーは、ユニコーンの角のお菓子の大ファンらしい」
「ああ、なんだ、アイジーか」ゼノンズは一拍置いた。「まあ、ユニコーンの角に限らず、アイジーは野蛮人の知恵贔屓だからな……」
「そう言うお前も、ユニコーンの角を贔屓にしてるんじゃ? そのヤレイの娘に反応したくらいだ」
「アイジーから話を聞く程度だ。お菓子のほうは、まあ、食べたこともなくはない。実に奇妙な代物だ」
 また、なにかを隠されたことを察知する。けれど、相手は自分よりも年上だ。深くは追及しまい。テオドルスは相槌を打つにとどめた。
「しかし、わざわざあのヤレイのほうに契約を持ちかけるのは、やはり呪いを意識してのことか? だとしたら、もう解けたあとだ、遅かったと言うほかないが」
「たしかカカシの呪いだったか。俺は詳しくは知らないが、どう言う呪いなんだ?」
「能なしの呪いだ」ゼノンズは鼻で笑った。「あれは、絶望的に頭がわるい」
 なるほど、とテオドルスは納得する。たしかに、相手のおつむの出来が悪ければ、そこをついて利益を独り占めすることもできるだろう。兄の名誉にかけて、そんな詐欺のようなことはしない――と言いたいところだが、ボーレガードとて、叩けば埃が出ないわけでもない。おまけに、どういう理由かは知れないが、セオドルドが契約を持ちかけたのは、呪い持ちだった娘のユルヒェヨンカ=ヤレイなのだ。危ぶまれても致し方ない。
「だが、遺憾ながら、ただの馬鹿ではないようで……」ゼノンズの眼差しの雲行きは怪しい。「食えないやつではある。もしかすると、お前の兄は、あれに一杯食わされるかもな」
「食えないのにか? おかしな話だ」
「実際には食えずとも、食わされることはある。それが、毒というものだ」
 毒という言葉に、テオドルスは目を見開いた。話に聞いただけのユルヒェヨンカ=ヤレイという人間に、興味を持ったほどだった。
「けれど、まあ、正直、俺はアイジーのように、ユニコーンの角の懐柔を責める気はない。あの野蛮人がどうなろうと知ったことではないしな。精々稼いで捨ててやるといい」
 なかなか酷いことを言うが、これが貴族の一般的な感覚だ。アイジーが特殊なだけで、貴族の大半は庶民など気にも留めない。
「……だが、あれは一度騙されているから」
 ゼノンズの言葉に、テオドルスは首をかしげる。
「ユニコーンの角は、騙されて、破綻しかけたことがある。その原因となったのが、騙されたのが、ユルヒェヨンカ=ヤレイだ」
 ゼノンズは思い出していた。ユルヒェヨンカ=ヤレイが騙され、自分自身を責め――そして何故か、貴族であるというだけで、己とアイジーが《オズ》じゅうで責められた、癪に触る日のことを。どうしてあいつのせいで俺とアイジーまで。そう苦虫を噛み潰した、理不尽な時間を。ついでにそのときアイジーに邪険にされたことも思い出し、嫌になって回想をやめた。
「撤回だ。捨てはするな」いや、とゼノンズは首を振る。「これ以上なく丁重に扱え。俺たちに差し障る」
 どうしてお前に差し障る。そうは思ったが、ゼノンズが巧妙に「ところで、エイーゼは元気か?」と話を変えてきたので、テオドルスは途端どうでもよくなった。すぐに「元気だけど、将来的にアイジーの傀儡になる恐れがある」と返したことで、話題は完全に移ろった。
 しかし、テオドルスとて物思う人間である。二人の人間から話題としてあげられれば、気になりもする。
 というわけで、パーティーが終わったその翌日、テオドルスは、件のお菓子屋・“ユニコーンの角”へと向かうことにした。この心根こそが、お淑やかを身につけたクソガキ、遊び足りない紳士、と彼を渾名する由縁なのであった。





 アンデルセンの多彩な煉瓦の道を、テオドルスは初めて踏みしめた。それに大した感慨は抱かなかったが、どこもかしこもお伽話の魔法のようなもので溢れているのには、少なからず驚いた。さすがは“野蛮人の知恵”だ。あれは異国でも売れそうだな。そんなことを考えつつ、テオドルスはユニコーンの角の前まで来た。
 美しい薄紫に淡い黄色の星を散りばめた壁面。リラ=エーレブルーの好きそうな模様だと、テオドルスは思った。硝子窓はぴかぴかに磨かれていて、中の様子が見事に丸見えだ。だから、テーブルカウンターの前にいる、同い年くらいの赤毛の少女を、一目で見てとれた。テオドルスはドアを開ける。
「いらっしゃいまあ」
 え、いま、こいつなんてった。
 テオドルスは悪人面のまま固まった。
 赤毛の少女・ユルヒェヨンカも、テオドルスを見たまま固まっている。しかし、すぐに「ああ、ごめんなさい」と言って甘く微笑んだ。
「この前来た王子様に顔がそっくりだったの。いらっしゃいませ。ユニコーンの角は夢のようなお菓子屋さん、きっと貴方も気に入るよ」
 どうやらさっきのは、“いらっしゃいませ”を言いかけたときに“まあ”と感嘆してしまったがゆえの奇声だったらしい。にしても王子様って、と思いながら、テオドルスはユルヒェヨンカをしげしげと見つめる。
 セミロングほどの深い赤毛に、眠たげなグレーの瞳。柔らかい雰囲気のある少女だ。白いフリルのエプロンはいかにも看板娘のようで、けれどその柔らかさは、看板の華よりも、赤子をくるむブランケットのほうが近しい。毒どころか、毒気を抜かれるぬいぐるみのような、そんな愛らしい少女が、ユルヒェヨンカ=ヤレイだった。
 自分を眺める不躾な目にも苦言一つこぼさず、ユルヒェヨンカはテオドルスを見ている。
「やっぱり、貴方、王子様に似てる」
 いや、やっぱり見ていないかもしれない。テオドルスは“はあ?”と言いかけたが、ユルヒェヨンカの“やっぱり”と“王子様”というキーワードに、一つの可能性を叩きだした。
「どうも俺には不釣り合いな熱い言葉ではあるが……その王子様というのは?」
「えへ、この前ね、お店に来たの」ユルヒェヨンカは楽しそうに告げる。「貴方みたいな飴色の髪をしていたよ。立派な服を着ていて、だからきっと王子様だね、連れていこうとしてくれたのよ、海の向こうへ。おっどろき、でしょう?」
 ちなみにこの“おっどろき”とは、現在、アンデルセンやグリムなどで流行っている言葉なのだが、アイソーポスの貴族であるテオドルスにはわからなかった。
 けれど、ユルヒェヨンカの言葉に、テオドルスは自分の叩きだした可能性が、事実であることは察した。王子様とは、きっと、セオドルド=ボーレガードのことだ。
 しかし、魅力的な兄が王子様に見えるのはともかくとして、そんな王子様に自分が似ているとは。愉快か不愉快か、テオドルスは、兄のセオドルドと似ていると言われたことなど、実はこれっぽっちもなかった。兄弟だからどこかしら似ているのだろうが、そんな細かなところを見抜き、まさか指摘されるとは。そう、テオドルスがしみじみと思っていると、ユルヒェヨンカは「そうそう」と両手を重ねる。
「ということは、つまり、今日はどんなご用なの? もしかして、ミスタ・ボーレガードと同じお話かしら」
 一を聞いて十を知るというほどではないにしろ、意外にも彼女は、一を聞き、一を見ることで、三くらいは得られるような人間だった。自身の名を聞くよりも先に、背筋を正し、しかとこちらを見据えてきた少女に、テオドルスは一種の敬意を抱いた。


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