しなせてよ

薄暗い部屋の中。私は片手に持った剃刀を、反対の手首に宛がう。後はそれを横に引くだけ。
それで私は死ねる。そう思うと、口元が僅かに弧を描いた。
なのに。

「何してんだ、お前」

彼は突然現れて。いつもの様に不機嫌な声で私に言って来た。

「…なんで、居るの?」

私は手を止めて彼の方を向いた。
ここは私の部屋だ。そして一人でただ、静かに死のうとしていた。
それだけのこと。

「お前は俺のものだろう。誰の了承を得て死のうとしてんだ」
「………」

彼は部屋に勝手に上がり込んだかと思えば、当たり前の様に仁王立ちで私を見下ろしていた。
昔から周りには主従関係だとか、私が不憫だとか散々言われて来た。それは彼のこう言った振る舞いを見ての事だろう。
それでも、私と彼はれっきとした恋人なのだ。
そして、私が死のうとする原因は正しく彼に有る。

私が生きている限り、彼は傍に居ると。繰り返し考えては、凄くツラく哀しくて。

「はっ、俺に黙りとはいいご身分だな」

彼が死のうとしている私の事を鼻で笑う。

「そんな事をする暇が有るのなら、他の奴とで付き合えば?俺はお前なんか要らないよ」
「…」

嘲る様に言い放つ彼は、私が死のうとする理由が彼に有る事も、こう言った所で所詮私は彼から離れられない事も全て分かっているのだろう。

「う…ひく、」

息がひきつり、どうしよもない感情が涙となって溢れ出る。
別に泣きたい訳じゃないのに、止められない。ただどうしよもなく苦しいのだ。

「…死なせて」
「駄目だ」

即答。
いつもの事だ。私の意見なんて聞いてはくれない。

「お前が勝手に死ぬことは許さない。分かったな」

私の手から滑り落ちた剃刀を踏みつけた彼が、目の前にしゃがみ顔を近付ける。その口から発されたのは、疑問符すら付かない絶対的な命令。
それでも私が泣いてるせいか、彼の声色は幾分か優しく感じる。

───私は彼の命令に逆らえない。

だから結局私は彼に従い、意思に反して小さく一回頷いた。
それを確認した彼の顔はうつ向いている私には確認できなかったけれど、きっと満足気に笑っているのだろう。

「イイコ」

額に一瞬彼の唇が触れた気がしたけれどきっと、気のせい。彼はそんなに優しくないから。

───嗚呼、死なせて。死なせて。ツライよ。

こんな私の態度に、私の元から数歩離れた彼は困った様に笑う。

「今度の相手は、もっとちゃんと大事にしてくれる様な奴を選べよ」
「っ………、」

似合わない言葉に、どうしよもない不安が募る。

「じゃあな。幸せになれよ」

───愛してた

そう言い残して彼は消えた。
そう。文字通り、"消えた"のだ。残されたのは死に損ないの私だけ。ずっと欲しかった言葉を今更になって言い渡された。

ねぇ、なんでいつも所構わず連れ回していたのに、今回は置いて行くの。
ねぇ、なんでそんな優しくなるの。
なんで───死んじゃったの。

それは突然の事故で。気紛れに呼び出された私が、その日彼に会う事は遂に無かった。

柄にもなく私の事なんか心配して。だけれどやっぱり自分勝手で。
死ぬな、だなんて。他の奴を見つけろ、だなんて───なんて酷い。
私は彼の命令に逆らえない。だからもう死ぬ事は許されない。
でも、もしもまた死のうとしたならば。彼はまた、止めに来てくれるのだろうか?それを何度も繰り返せば、いつかはずっと傍で監視するために消えなくなるのではないだろうか?
幸せになれなんて言っておいて、私の望みは聞き届けられない。

「私も愛してる」

幸せになって欲しいなら───貴方の隣に逝かせて。


end
BLリメイク(同題)

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