俺の知ってるお兄さん

 少しだけ例年よりも寒いくらいの秋。
 夜には息が白くなることもあったか。
 布団から出たくないなんてごねても、呆れた顔で少しばかりの猶予くらいは貰えたかもしれない。

 そんな11月15日。
 七五三の朝。

 しかし俺が今ごねたところで、今日の予定が変わることはないのだ。
 俺は億劫な感情に蓋をし、心なし嫌な顔を引っ込めて、日課の歯磨きに向かった。

「お母さんお父さんおはよう」
「あらおはよう、よく起きられたわね」
「んあー、おはよう。パパよりしっかり者だなぁ」

 途中に通るリビングで朝食を出す母さんと、俺の内心を写し出したようなだらしなさを隠す気の無い父さんに挨拶をする。

「おはよう。お邪魔してるよ」
「あぁ、にーに。おはよう」

 それからリビングのテーブルで、家族のような顔をして座っているご近所さん。
 通称にーににも挨拶を返して洗面台へ入る。

 まだ五歳にも拘らず親にも迷惑をかけない良い子と評判高い俺であるが、タネを明かせばなんのことない。
 前世の記憶を持ったまま転生しただけのことである。

 まぁ、それだけでも充分なんのことある特殊な状態だとは思うが。

 悪目立ちしたいわけでも、だからと言って演技してまで子供らしさをアピールしたいわけでもない俺は、こうしてデキの良い子供というポジションに落ち着いたのだった。

 そしてあのにーにと呼ぶ男。
 実は前世での部下だったりする。

 前世で事故ってコロッと死んで、そこそこ早くしかもそこそこ近所で生まれ変わった俺は、こいつに出会って開口一番「新井(にーい)」と自己紹介されるでもなく彼の苗字をポロっと呼んでしまった。
 向こうはまさか初対面の子供が名前を知っているとも思っていないし、俺の子供由来の滑舌の悪さも合間って聞き間違えで「お兄さん」を差す「にーに」と呼んだのだと判断した。

 一時のことだろうとたかをくくった俺もそれに便乗した結果、共働きの両親の代わりに俺の相手をしに来ることになった彼をにーにと呼び続けることになったのだった。

「片付けはお願いできるかしら」
「ええ、ご心配なく」
「すまないなぁ、俺の方も締め切りが過ぎて、いや、迫っていて…」
「写真、いっぱい撮っておきますよ」

 慌ただしい両親に律儀に返すにーに。
 子供は七五三だが、それを祝いたい両親は多忙の身で、今日も休みは貰えなかったようだ。

 と言うか父さん、また期日までに仕事が済んでいないのか。

 にーには俺が死んでから会社を辞め、今はフリーターの身だという。
 生活が心配ではあるが、その分サラリーマン時代よりも時間の自由が利くそうで、今日も両親に代わり俺の七五三に付き合ってくれることになっている。

 …いい歳こいて七五三なんてする趣味もないのだが、それを楽しみにしていた両親すら着いてこれないのに実行する意味とは。
 と言ってもそれは三十路も過ぎた独り身のオヤジの意見。通す気はない。

 それに、前世の両親は直ぐに他界しずっと孤児院育ちだったからな。
 今世はできる限り両親の希望を叶えたいとも思っていたりもする。

「いってらっしゃーい」
「いってきます」

 両親を見送った俺とにーにも少しの休憩後、着付けの予約をしてある店に向かったのだった。


…………
……………………


「まぁ、そこそこ様にはなっているか」

 袴姿でにーにと共に境内を歩く俺は一人ごちる。

 七五三と聞けば子供のイベント感が強くて気乗りこそしなかったが、ヒーローのプリントシャツを着せられるよりかこっちの方が落ち着くな、なんて袴の裾を摘まんで感想を抱いたりもした。
 千歳飴さえ持たされなければもう少し格好がつくんだがな。

 七五三らしい写真用だ。仕方がない。

「お、チョコバナナ」
「買おっか」
「…………ん」

 だが子供だと良いこともある。

「はい」
「ありがと」

 人に物をせびれる…からではなく。
 甘い物でも素直に欲しいと言いやすい。

 前世から甘い物は好きだったが、どうしてもな。大人になればなるほど人目が気になり公共の場でそれと分かるような行為は控えがちだった。
 お陰で職場では甘い物が嫌いな辛党と思われていたが、寧ろ俺は下戸だ。

 飲み会に行かないのは酒が飲めないからだったのだが、付き合いが悪いと敬遠されるきっかけでもあったな。
 今世ではその辺のコミュニケーション能力も養いたい。

「美味しい?」
「ん」

 そう言えば、所謂ぼっちだった俺にこいつだけはよく絡んできた。

 コンビニで俺がスイーツの誘惑と葛藤している場面に出会したのを切っ掛けに、こいつだけは俺が甘党なのも、酒が飲めないのも知っていたから二人だけで飲むこともあった。

 周囲の目を気にせず菓子を買って来れるこいつに俺用の菓子を持ってきてもらい、それを肴にこいつが酒を飲んで愚痴るよくわからない宅飲みだ。
 よく分からないなりに楽しかったことは否定しない。

 今の俺が二十歳になる頃にはまた一緒に飲めるだろうか。

 今回の体は酒に強いといいが。

「どうしたのぼーっとして」
「ん?いや、考え事をしていただけだ」

 チョコバナナの棒をくわえたまま上の空になっていた俺ににーにが話しかける。
 目尻の小じわを見るに流石に少しばかり老けたか。…と俺の享年くらいの歳の相手に思ってしまったことに少し悲しくなった。

 いや、人間は歳をとるものだ。それに、今の俺は五歳。ピチピチだ。
 よし、前向きに考えよう。

「はは」
「?どうかしたのか?」

 突然笑うにーに。
 首をかしげる俺。
 面白い話をした覚えも、面白い出し物も見当たらないぞ。

「いやぁ、僕がサラリーマンをやっていた頃にね、君みたいな喋り口調の甘党上司がいたんだ」
「…」

 紙コップを持っていない方の手で目尻を拭いながらそう話すにーに。
 その涙は笑ったせいだと思いたい。

「眼鏡かけたら似てそうだなって」
「…それは無いだろう」

 今の両親は前世で親戚筋でも何でもないのだ。自分の幼少期の顔など覚えてはいないが、今の両親を見るにそこまで似るとは思えない。

「雰囲気の話だよ。そう言う真面目なところもそっくり…って、見知らぬおじさんに似てるって言われても嬉しくないか」

 俺の変な顔を不満ととったにーには少し困った顔をした。

「でも俺の尊敬する人だよ。今でもずっと大好きな…っと、」

 頬を染めて初恋でも語るように「俺」のことを話しかけたにーにが口をつぐむ。
 流石にそこまで人のことを褒めちぎるのは恥ずかしかったか。

 が、にーには気付いてなくても、目の前でそこまで褒められてる当人がいるのだ。
 俺はもっと恥ずかしいぞ。

「…喉乾いた。それちょうだい」
「あっ」

 ガラにもなく、緊張で喉が乾いた。
 照れ隠し半分に、にーにが前屈みになって届く距離にあった手元のコップを奪って中身の残りを飲み干す。

 なんだこの水。不味いな。緊張で味覚までおかしくなったか?

「それっ、お酒…大丈夫?気持ち悪くない?」

 時を経て未だに尊敬してくれている相手に別れの挨拶もなくぽっくり逝ってしまったことに若干の申し訳なさは有るが、まぁ今、悪い気はしていない。

「そもそもなぉ、折角格好も良くて人付き合いも上手くてできる奴がおっさんなんか日々構ってるもんじゃねぇんだよ」
「…え?」

 そう、俺と違って新井は「仕事だけじゃなく」できるやつだった。
 だからおべっか使う相手が居なくなったなら、とっくに俺のことなんか忘れていると思ったのに。

 こんな良い奴の好意を疑っていたなんて、前世の俺はほとほと斜に構えた阿呆だった。

 今更なりに女性職員が新井にキャーキャー言っていた意味がよく分かるな。
 こいつは本当に良いやつだ。
 今世はこんな奴になりたいものだ。

「所で新井、お前、まだ独り身だろ。勿体ねぇ。ったく、こんなおっさんいつまでも構ってねぇで、そろそろ自分の幸せ掴んだらどうなんだ」
「え?え?先輩?え?」

 大型犬みたいなナリして小型犬みたいに俺の周りをあたふたする姿は前世に見た若輩の頃そのままだ。
 上司を先輩呼ばわりする癖も変わってないのな。

 子供相手ばかり見ていたから大人になったかと感慨深かったが、新井は新井か。

「完成度高すぎるってもんじゃないでしょ。なに?これが転生ってやつ?マジで先輩?」
「クッ、ハハハ、なにキョドってんだよ。見てわかんねぇ?」
「いや、わかんないっス」

 何だか楽しくなってきた俺とは逆に深刻な新井。
 先輩の顔も忘れるとか。こりゃ重症だな。

「…先輩、酔ってますね?酔うと先輩に戻るんすか?聞きたいこといっぱいあるんすけど、取り敢えず俺、幸せ噛みしめてるっス」

 耳まで真っ赤な新井が俺を抱っこする。
 あれ?俺ってそこまで小さかったか?新井に負けたくない一心で密かに牛乳を飲み続けた努力は歳にゃ勝てなかったか。

「幸せかー。そりゃー良かった」

 どうやら俺が知らないだけで新井には良い奴が居たようだ。
 今度紹介してもらおう。

「はいっス。諦めないで良かったっス」

 おっさんに不釣り合いな敬語崩れ口調の新井は最近見ていた中で一番生き生きしていて、何となく安心した俺は眠気に任せばその体温の中眠りにつくのだった。


end

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