雨降るこの日は

「今日も雨ですねぇ」
「そうですね」

 ザァと店内にまで音が響く、滝ほどではないが傘はさしたくなるような雨の日。
 いつも少ないお客さんが更に少なくなるこの梅雨の時期は、数少ない僕の出勤日が増える頃だった。

 この喫茶店のマスターは奇特、と言うと雇ってくれているのに失礼かもしれないが変わっている人で、「雨の日限定でバイトをしたい」と言う僕の要望を聞き入れてくれた。
 他の所は大体他の人との兼ね合いもあるから難しいのだろうけど、ここはマスター一人でやっているから構わないそうだ。

 お客さんが減るのにバイトを入れる、というのも変な話だが、話し相手に事欠かないのは良いことらしい。
 僕もお金が欲しくて働くわけではないし、ここ以外で働く理由もないので有り難かった。

──カランカランカラン

「いらっしゃいませー」
「やぁ、いらっしゃい」

 扉の鈴の音が鳴って、またお客さんが一人。
 この間定年を迎えたと話していた人だ。

 この喫茶店、料理も美味しいがマスターと話すことを目的にして来る人はかなり多い。
 この人もその一人だ。
 年の頃も近いし、読む本の趣味が近くて盛り上がるんだそう。

「──読みましたか?」
「ああ、昨日丁度読み終わったよ」

 僕には分からない話で盛り上がりる二人。
 寂しい、とは思わない。マスターと話す時間は楽しいけど、この空間の流れも好きだから。

 僕は、マスターと話してみたくてここに来た。
 バイトをやっているのもそれが理由だ。

 それだけ聞いた人は、お客さん側でも良かったのではと思うかもしれない。
 しかし僕にはそれが出来ない理由があった。

 突然の告白になるが、僕は人間ではない。
 木だ。この喫茶店の店先に埋まっている、大樹。

 ご神木と呼ばれる程ではないが長年生きたせいか、いつ頃からか意識が芽生えその頃にはまだ若いマスターが営むこの店をずっと眺めていた。

 それから数十年。今から数年前に僕はこうして意識を人の姿に変え人前に立てるようになったのだ。

 とはいえこの力は、そんなに万能なものではない。
 水分をよく吸収できるせいか、雨の日にしかこの姿を作り出すことは出来ないし、お金みたいな物質を産み出すことも出来ない。
 それに喫茶店とその周辺数メートルならば動き回れるが、あまり本体の木からはなれようとすると勝手に意識が木に戻ってしまうのだ。

 だから無一文の僕がお客さんになれるわけもなく、代わりによそで使うお金も要らないから無茶な要望付きのアルバイトを申し込んだのだった。

「あの子も長いね。もう五年くらいかな?」
「ええ。後一週間で丁度五年になるんですよ」

 さっきのお客さんとマスターの話題は僕のことになっていた。

 元が木のせいか日付の感覚が薄いから気にしたことは無かったけど、五年か。そう考えたら案外長いもんだな。
 初めて来た時にランドセルを背負っていた子が、セーラー服で店の前を通り過ぎるのを見るわけだ。

「いやぁ、若いねぇ。フケ知らずで羨ましい」
「ハハハ、確かに。男の子に言うのも変かもしれないけど美人さんだしね」

 なんの基準でこの見た目になったのかは分からないが、僕は大体二十歳前後の姿をしている。少し世間知らずと言われるかもしれないが、人としての知識と鑑みると見た目はこの辺が相応かもしれない。
 木だからか実体ではないからかは分からないけど、お客さんの言う通り、この姿が成長していっている雰囲気もないんだよな。

 因みに人間の醜美については分からないが、悪くはないと思う。と言うか思いたい。
 ちゃんと剪定もしてもらっているし。
 お世辞でもマスターが誉めてくれているのが嬉しくて足取りは軽くなった。

「──と、」

 軽くなりすぎてお皿を落としそうになったけど、セーフ。良かった。

 一息ついてからふと、僕はこの店にいつまでいられるんだろう、なんて考える。

 見た目が変わらないとなると、十年も経てば流石におかしいかもしれない。
 姿を調節できたとして、マスターの時間が緩やかになるわけではない。

 彼は僕の何十分の一しか生きていないけど、半世紀より長く生きているのだから残りの時間はもっと短いに違いない。
 僕にとっては十年も彼の一生も、気にしていなければ一瞬なのだろうに。

「そういや隣の書店、代替わりしてたぜ?」
「じゃあ息子さんが?」
「そうそ。親父もだいぶガタがきてたからなぁ」

 彼等の話は近所に有るという本屋さんの話になっていた。
 ここからでも看板が少しだけ見えるけど、行ったことはない。
 雨は少しずつ強くなっているようで、今日は見えないな。
 僕がここに入ってすぐはその親父さんも来店していた筈だけど、体調が悪いのか。心配だな。

「人の時間は早いなぁ」

 いつかマスターも「ガタ」がきて、この店を続けられなくなるのだろうか。

 そうしたら息子さん…否、子供がいるって話は聞かないな。
 奥さんとか、そういえばモテたって話は学友だというお姉さんから聞いたことがあるけど、好い人が居たって話は聞いたことがないや。

「あの子養子にしちまえ。んでアンタは席座って日がな一日俺等と話してりゃいい」
「ハハハ、それは素敵だ」

 お客さんの名案に笑ってのるマスター。

「お前さんがこの店開いたのは二十六だっけか?」
「そうだね、その頃まであの子がいたら話してみようか」

 うん、なんて素敵な話だろう。
 養子に、は無理だろうけどね。

「うん、悪くない」

 マスターの小さな呟きと、僕の思い描く未来がきっと同じものだと思えば、口許は緩まずにはいられない。
 その頃には雨の日以外も出勤できるようになっていないかな、なんて。

 十数年後、二代目だという三十代程の美人店主が営む、店先の木が目印の喫茶店が街角にひっそりと──。


end

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