ひがん
俺は、地縛霊だ。
良くあるだろ?事故があって、最寄りの電信柱に花が添えられるやつ。
どんな事故だったか思い出そうとすると、迫って来るライトが頭を真っ白にするから記憶は曖昧だが、これだけは言える。
俺はこの電信柱周りから離れられない。
それに身体が透けていて誰にも見えてない。
つまるところ、俺は地縛霊なのだ。
「やっほー。遊びに来たよー」
「…またか」
楽しそうに片手を上げる相手を横目でチラと確認して、俺はげんなりした声で返した。
「遊びに来た」は、事実、俺のもとへである。
声だって俺にかけられたものだ。
こいつは霊能者…ではなく、同じ「霊」の類だった。
ただ決定的に違うのは、俺が身動きの取れない地縛霊なのに対し、こいつは浮遊霊?であること。
心霊に明るくないので詳しくは分類できないが、今、大事なことは一つ。
俺は、俺のもとに来るこいつから逃げられない。ということだ。
「今日も色々聞かせて?」
「面白いことはないぞ」
「いーからいーから」
俺の横のガードレールに腰掛け、ヘラヘラ笑っていることを声に滲ませてくる。
ただボーっと人波を眺め「人捜し」をしていた俺は、ある日その辺を通りかかったこいつに目をつけられたらしかった。
それ以来、何かの拍子に顔を出しては、俺が見ていた景色の話を求めるようになった。
正直な話、身動きの取れない俺の代わり映えしない話を聞くよりも、動き回ってるこいつの方がよっぽど面白い話を持っているんじゃないかと思うのだが。
そんなことを思いつつ、いつも適当な話をするのだ。
最初は久しぶりの話し相手に心躍った気もしないでもないが、恒例行事ともなれば話題探しなんてなかなか酷な話だ。
と、言いつつも俺の「目的」の合間に何かしら話題の種を探しているのが癖になっているのだから、俺も大概律儀だよな。
周回ルートが決まっているのか、暫くしたらこいつの来るタイミングもわかるようになってきて、話す内容が無い時は若干焦ったりもするくらいだ。
「…へー。じゃ、まだ見つかってないんだ」
「まぁな」
ひととおり話し終えて、俺の「未練」の話になった。
何度目かの訪問の際に「成仏しないのか」と問われて答えたから、こいつはその内容を知っている。
それは、俺がここに留まる「目的」であり、内容は「人捜し」だ。
自分が死んだとわかって、最初にそいつのことが頭に浮かんだ。
心配だった。自分の死よりも。
あいつがひとり取り残された事実が。
「その人の顔、まだ思い出せない?」
「…」
少しの間の後、責めるでも嘲るでもなくこいつは静かに聞いてきた。
無言は肯定。
そう、俺は探している人間の顔が思い出せないでいる。
最初は明確にわかっていたはずなんだ。
なのにここ最近は、どんな姿をしていたか、それが男か女かすらも曖昧になってしまっていた。
確かなことは、人を捜している。ということだけ。
「じゃ、実は捜されてんの俺なんじゃない?」
「それは違う」
ふざけた問いには即答で否定した。
見たら分かる。その自信はあるのだ。
根拠はない、何処からくる自信かもわからないものだけど。
「でもさー、早いところ成仏しないと消滅しちゃうよー?」
軽い調子で、でも真面目だとわかるトーンで。
ここ最近、何度か聞いた言葉を紡がれた。
記憶が曖昧になるのは、自我が薄れてきてるから。
自我が薄れれば霊なんて、自然消滅する。とか。
「次会いに来た時にいなくなってたら心臓止まるくらい驚いちゃうかも」
「もう止まってるだろ」
「だから、その前に一緒に成仏しちゃお?」
天国良いとこ!と安い謳い文句で天国の株を下げてながら勧誘される。
本当に良いところか分からんだろ。
そもそもあるかも疑わしい。
「一人で行け」
「だーかーらー」
「そもそもなんで俺に構うんだ。面白くもないだろう」
「そりゃ、一目惚れしたからさ!」
素っ気なく聞いたら即答されて、なんとなく顔が熱くなった気がした。
過去にも何度が聞いたことがある。
その度に同じ答えが帰ってきた。
変わったのは俺の心境だけ。
初めて出会った時は、話し相手ができて嬉しいと思った。
構われ過ぎてそれが普通だと思った。
最近はまた、嬉しいと思ってる。
ここにまた来てくれたことが。
今日また、会えたことが。
次は会えないかもしれない。
自分の終わりは、こいつに諭されなくとも感じていたから。 捜している人が誰だからわからない。自分のことすら、最近は曖昧だ。
でも、まだ俺はここにいる。
自我が残ってる。目的が残っている。
こいつが来る。その為に話題を集めなくてはならない。
一分一秒、少しでも話していられる為に、一つでも多く話題の種を。
そう考えると、消えそうになっていた俺がまたはっきりするんだ。
俺がまだここに居られるのは、こいつが来るから。
それでも俺は、捜している人がいる。
どんなにこいつと話していても、人波を視線で追ってしまうくらい大切だったやつが。
男か女かもわからない。
どんな関係の相手かも。
恋人だったかもわからない。
ただ、こいつではない。
生前、俺の隣りにいたのは、こいつではなかったんだ。
そんな未練たらたらの人間が、その手を取ることができるわけがない。
──未練?
誰に?もう名前もわからないくせに。
「落ち着こう、ね?ね!」
頭の中がぐるぐると渦巻き、たくさんの不安が言葉をかき消し頭が真っ白になりかけた時、隣から聞き慣れた声が焦った様子でこっちに声をかけてきたから。
「──あ」
冷や汗が流れた気がした。
実際には冷え切った透明な身体がそこにあるだけだ。
「大丈夫、まだ捜せるから!ね?」
俺がいるから!と励ましてくれる声。そしてこいつの顔が見えた。
今までどれだけちゃんと見ていただろう。
あるいは目の前のものすら忘れるようになってきたのか。
こんな顔だったか。と呑気に思った。
「あ」
その時だ。
遠くに見えた。
いた。
捜していた人が。
直感的にわかった。
やっぱりわかった。
俺より少し年上っぽい眼鏡をかけた男性が、女性と歩いていた。
あの男が、俺のずっと捜していた人だ。
二人の間には、二人の手を握って歩く女の子。
仲睦まじい、子連れの夫婦。
「そうか。あいつ、幸せになったんだなぁ…」
言葉とともに涙が零れた。
心底嬉しかった。
──ぱぱー!
そう元気に俺のことを呼んで駆け寄って来たあいつが、もう「パパ」と呼ばれる側か。
「本当に見つけたんだ…」
隣から、信じられないと言葉ににじみ出る声で呟かれ、こいつの存在を思い出した。
自覚できるほど頬の緩んだ顔をそのまま向けてしまい、慌てて反対を向く。
見られた、よな。
それが悪い感情ではない以上、隠す必要もないのだが、やっぱり少し恥ずかしい。
「凄いね。やっぱり面影とか残ってるものなのかな」
「…どうだろうな」
ただただ感心した。という声が耳に届き、視界に息子家族の姿も消え、俺の意識も少し冷静さを取り戻す。
なんでわかったか、俺でも驚くほどだ。
あんなちっちゃかった頃を最後に…最後に?
否、今のは記憶が曖昧になったのではない。寧ろ今まで混乱していたモヤモヤが晴れたまである。
だから気付いた。
幼稚園に入ったくらいだった息子が、俺の歳を追い越すくらい年月が経っている事実に。
こいつと初めて出会ったのは、まだこの電信柱に花が添えられていた頃だった事実に。
「“毎年”会いには来ていたんだけどさ、」
頻繁に来ていたと思っていたこいつに、年に一度しか会っていなかったという事実に。
「お盆しかコッチに来れないんだもん、毎日ヒヤヒヤしながら天国で過ごしてんだよ?」
どうやらこいつは、成仏できない浮遊霊ではなかったらしい。
「一緒にアッチでのんびりしよう?それで年に一回、里帰りするんだ」
天国とやらは実在するらしい。
話すことが無くなっても、一人にならない場所らしい。
「…お前のこと、好きかはわからないぞ」
「それで良いよ。まずはさ、」
僕を見ることからはじめて。
end
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