傘下の太陽
初めて会った日も、雨が降っていた。
…と、思う。
「暑い…!梅雨じゃないのかよ!」
「夏が来るには早いよなー」
向こうの方で駄弁るクラスメイトの愚痴を聞きながら、窓横の席で船を漕ぐ俺。
雨上がりですらないピーカン照りは、寝ない方が失礼というもの。
「いやいやいやいや。寝ちゃ駄目だからね?」
うつらうつらとしていたら、ふと、傍らから困惑した声が聞こえた。
自責の念ではない。
「あれ?先生…なんでもういんの?」
「それはもう授業が始まったからだよ」
言われて黒板上の時計を見たら、確かにさっき授業が始まった事を示していた。
いや、うちのクラスは時計が10分ずれてるから…実際には5分の1近くの今日の社会科が終わっているのか。
こーゆー時の時間が経つのは速くていけない。
じゃあもう良いか。と開き直り机に伏せようとしたら
、周りから笑い声が響き目が覚める。
目の前で狼狽える先生は、隣のクラスまで聞こえているであろう声を静めるのに必死になっていた。
隣のクラスは今、鬼の数学教師が熱弁を振るっている筈だから、多分後で怒られる。
先生が。
「〜〜〜〜〜っ」
あくびをしながら机の中の教科書を探す俺を恨めしげに睨んで来る先生は、それ以上何も言わずにとぼとぼと教壇へと戻っていった。
ちょっと可哀想だし、残りの授業くらいは聞いてやろう。
…………
……………………
「寝るなんてヒドイよー」
放課後、部活もそこそこにひと気の無くなった教室でゴネる先生。
俺の机に突っ伏しだらける様は似合っているが教師にはあるまじき姿ではある。
いくら舐められ親しまれの教師でも、こーゆー姿は他の奴らには見せないもので。
昼とは打って変わったザーザー降りの外を眺めながら、置き傘の偉大性を感じる今日この頃。
チャイムを無視して寝過ごした俺と仕事に追われていて帰れなかった先生。
たまたま立ち往生した者同士…と、言うにはあまりにも滅茶苦茶フランクに接している。
「怒られたんだ?」
「うん」
こんな子供みたいな返答も先生が生徒には流石にしないわけで。
幼馴染み兼恋人の特権にニンマリしてしまうのを隠しつつ、頭を撫でたら嬉しそうにされた。
大人の癖に。
この大きな子供のお陰で俺はすっかり保護者気質になってしまった。と、思う。
「いや、怒られたのキミのせいだからね?」
プリントをまとめながら疲れた顔をする先生がこっちを見てくる。
いゃぁ年相応な顔。
疲れてる時に人を見る髪をかき上げる癖もカッコイイんだけど、「離れてるなぁ」て実感するのは頂けない。
こーゆー時の時間はやたらチンタラしていていけない。
まぁどんなに急いだ所で二人の年の差が縮まることは無いんだけど。
「もっと怒られろ」
「なんで!?」
身も蓋もない呪詛を吐き出して、同じ目線で話せることに安心して。
うーん、我ながら子供っぽい。
余裕の無さにいっそ笑ってしまいそうになる。
ほんの2年前、ただの幼馴染でしかなかった時には就職を素直にお祝いできたのに。
安直に幼馴染の勤め先に入学してしまったが為に、皆から慕われる姿に嬉しくなったり焦ったり。
毎日内心は今日の天気みたいにころころ変わってる。
「もーちょい待ってね」
チラ見してもわからない書類に何やら書き込んでいる先生。
真面目な表情も良いよね。
ギャップ萌えってやつだろうか。
他の奴等の中にもこんな先生を見てたら惚れるやつとか出てきそう。
…卒業しちゃえばこんなもどかしさは感じずに済むんだろうか。
「雨やまないね」
太陽が雲に遮られた向こうで、ひっそり地平線の下へ潜り込み暗くなった空からは、相変わらずの雨。
傘が無いと帰りたくないくらいにはまだ降ってる。
「免許取ろうよ」
「僕はムリ。車怖いじゃん」
「何処が」
どうせお隣さんなんだから車があれば玄関前まで悠に行けるのに。
残念。
「ドライブはキミの運転で行こう」
「…」
悪くない提案だった。
「学校泊まる?」
「バレたら僕ヤバい。セキュリティかかるし」
「あー」
どきどき肝試し。とか言ってらんないよな、教師は。
肝潰れるどころか下手したら首が飛ぶもん。
わかってた。
ちょっと憧れただけ。
「んじゃ帰ろっか」
「しょうがないね」
濡れて困る物を置いていく事にした先生が職員室へ向かう。
俺は真っ直ぐ下駄箱。
からの職員用下駄箱。
鬱だなんだとグチグチ言いながらスニーカーに履き替える先生を置いて外に出ると、窓に遮られてない雨音は結構煩かった。
「ほら、早く入って」
「え、なにそれ」
俺が傘をさして催促したらぽかんと指さして来る先生。
間抜け面。
俺、そーゆー感じ好き。
「傘、アンブレラ、雨具。知らないの?」
「なんで持ってんの?」
俺のベタベタな明後日の方向説明はスルーされた。
「折りたたみ傘はいつも鞄に入れてあんだよ」
この雨男と付き合うと自然と傘を持つ習慣が生まれるものでね。
初めて会った時も、何処かに出かけようってなった時も告白された時だって。
いつでも降ってた。
置き傘は楽だが定期的に美化委員に回収されちゃうからしてないが、持っていないとは言ってない。
正直一人で入っても鞄までガードするには心許ないサイズだが。
「入んないの?」
「ううん」
ぱぁっと笑顔を咲かせた先生が隣に寄り添う。
のしかかりまではして来ないが大型犬を彷彿とさせるな。
お互いの肩が濡れるのはご愛嬌。
この雨なら態々出歩く物好きもいないだろうし。
「そろそろ生徒タイムは終わりでいいかな?先生」
一応我慢しているのだ。
雨に隠れて名前くらいは呼んだってバチは当たらないだろう。
end
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