破れ鍋と綴じ蓋
「…」
「…」
「…」
「…」
静かな一部屋で、二人は面と向かってこたつに入っていた。
中心には鍋。
まだ蓋をされた状態で、コトコトと二人の食欲を刺激している。
「もー食おー」
「そやな。…。」
「ちょっと待て」
片方が待ちきれないとばかりに声を漏らすと、もう片方もすんなりと同意を返す。
が、蓋を取るものと想定していた矢先、おもむろに立ち上がった相手が電気の紐に手をかけたものだから、いくら怠惰で人任せにするつもりだった彼でも手を伸ばし制止すると言うもの。
「なにしてんの?」
「電気消すっちゅー話やないんか」
「何の話をしてんの」
鍋を食べるために取るべき行動ではない。
とは当たり前すぎて彼──丑には咄嗟に口にできなかった。
「流石になーんにも見えへんのは危ないからなぁ。ちゃんと百均で卓上ライトは買ってきてるで」
問題はそこじゃない。
とも口には出なかった。
それでも彼──子とは長い付き合いだから察してはもらえている筈だ。いや、今日出会ったばかりでも、子の突飛な行動に対する困惑は同様のものだろうが。
「ふふふ…闇鍋や闇鍋。鍋担当の俺が大人しゅうネギやら豆腐やらだけ買うて来ると思ってたんか?」
「…ちょっと」
やられた。と丑は心の中で項垂れた。
子はそう言うヤツだ。
ただ自分にその気がないから突飛な行動を予期できず、未然に防ぎきれずにいる。
今回もその一つだったのだ。
「もー。俺は子と美味しく鍋をつつきたかったの」
「安心せぇ。これかて旨いもんしか入ってないで」
これ、と指差された鍋。
まだ蓋がされていて中身は確認できない。
ただ確かに、美味しそうな匂いはしている。
闇鍋と聞いてから意識して嗅いでみると、ちょっと甘酸っぱい、鍋らしからぬ匂いがしている気はするが。
「てか子は中身知ってんでしょ?ズルくない?」
「ほなら丑もなんか入れるか?」
「いや、今から入れてもな…」
既に食べようとしている鍋だ。後入れはいただけない。
それにこういうことになれていない丑としては、何を入れていいかも考え付かなかった。
「うーん。しかし俺かて闇鍋楽しみたいしなぁ。でも確かに中身入れたんも俺やから、配置もうっすら覚えてるし…」
丑が渋っていると、子も腕を組んで唸りだす。
言われてみれば乗り気な子の方が楽しめない状況だった、と丑も納得する。
なら何故後二人くらい人を呼ばなかったんだ。
とも考えたが、それでは折角の二人きりでは無くなってしまうから、丑はその考えを口には出さないでおいた。
「そや!食べさせっこしよう!」
「…はい?」
くつくつと鍋の煮える音だけが響いていた部屋に、子の高らかな声が響く。
「お互いがお互いの食うもん選べば、俺も何を食うか分からんくなる。俺も闇鍋の体裁を守れるっちゅーわけや。どや!」
ドンッ!と効果音の付きそうな胸の張り方で丑に問う子だが、当の丑はフリーズしたままだった。
自分の闇鍋に対する不安は変わっていない。
むしろ自分で選べなくなった分、悪化している気さえしている。
しかし、
「…もー。うん、わかった、それでいいよ」
丑は頷いた。
鍋が食べ頃を過ぎて煮たってしまうのを恐れたから。
ではない。
「よっしゃ!ほなちょいとお邪魔するで」
子が移動してきて、狭いこたつの一辺に並んで座る二人。
こたつの大きさなんて知れているわけで、大の男二人で並んで入るにはキツいものがあるし、いくら冬でも暖房を効かせた室内とあっては暑苦しいこと甚だしいのだが。
「子さぁ、もーちょい痩せてよ」
「なっ!これ以上痩せたら干物と間違えられるで。俺は非常食ちゃうわ」
ぴったり横にくっついて座る子に憎まれ口を叩く丑だが、その口許はどうしてもにやけてしまう。
子がわざとらしく詰めてくるのはそれが分かってのことなのかもしれない。
「"うっしっしー、子と密着できたでぇ。計画通り"とか思っとるんやないか?このむっつりさん」
「…俺はそんな笑い方しないよ。そんなこと言うのは申辺りじゃない?」
「アイツの笑い声は"キキーッ"や。…あ、そういや申の好物も入っとるで」
「それってバナナ?それとも鶏肉?」
「後者はシャレんならんからな。酉に関しては申専用、生でお召し上がりくださいやわ」
流石にこの動きづらい状態で電気を消すのは危なかろうと、消すのはやめて大人しく蓋を開ける二人。
ブワ、と立ち上る煙の中には、トロピカルな香りがした。
鍋の表面に見えるトマトではない赤い物体に、闇鍋の主は果物だと悟る丑。
「これってデザート鍋?」
「主食や」
子の主張には納得いかなかったが、自分が危惧する程は突飛な内容ではなさそうだ。と丑はひっそり安堵した。
丑は果物は好きだ。
特に鍋の中でこっちを向いて選ばれるのを待っている兎さん型のアレとか。
飯のお供に温リンゴを求めているかはさておいて。
子は分かっていてわざわざあの形に切ってくれたのか。と思えば、丑だって子の希望である闇鍋に付き合うのも吝かではない。
「ん?アレは卯やな。全十二種の食材が入っとるで」
「卯はニンジンでいいじゃない」
しれっと子は丑の好感をかわしてしまったが、丑は気にしない。
そんなことはいつものことだから、勝手に納得すればいいことなのだ。
「これは主食…うん。じゃあデザートは別にあるってことだよね」
「デザートかいな。よぉ食うなぁ」
食べさせっこと言いつついそいそと小皿に取り分けている子を横目に、これまた比較的安全そうな食材を丑に来るようにしているな。と丑は内心苦笑する。
「ま、丑は牛なんでね。食べて寝るのが専売さ」
「そらそやな」
「でさ、酉に関しては申専用、生でお召し上がりくださいって言ってたよね」
話を続けながらも、丑は渡された小皿から皮付きのバナナらしきものを引きずり出して、皮の中から黒く変色してしまっている身を取り出す。
それを子の口元へ持っていけば、子はちょっと躊躇いながらも口を開いた。
「てことは子は丑の専用ってことだよね。デザートは生でってことでいい?」
「ブッ」
丑が自分の分を取って貰うのを待ちながら言葉を紡げば、子の噴き出す素振り。
本当に噴いてはいない。
「ほんま助平やなぁ」
「嫌いじゃないでしょ?」
待っていた、とも言う。
丑からその誘いを引き出すために、何処から計算して準備していたのかは分からない。
ただ、ホクホクしたバナナが子自身苦手だったのは計算外のようだ。
「リンゴは美味しいよ」
「あっ、こら勝手に食うんやない」
さっき実直に丑を見ていたリンゴは他の果物のエキスを吸い普通に美味しかった。
「よっしゃ!ほならデザートに向けて精の付くもん追加しよか!レバーやニンニクも…」
「ストップカオス鍋」
調子に乗った子が立ち上がるのを咄嗟に静止した丑は、内心で自分を褒めた。
折角そこそこ美味しいフルーツ鍋なのに、そんなものが入っては精が付く所か生が尽きてしまう。
計算高い子だが、そうやって暴走してしまうのはタマにキズだよな。と思いつつ、それすら愛しく見えてしまうのだから、末期だな。と丑は自嘲した。
「子はずっと俺の隣に居てくれればいい。寒いでしょ」
「夏になったら暑いで」
「寒いよ」
今だってこたつに鍋。暖房も付けているから、体感は暑いくらいと言えばそうなのだが。
「そか。ならぴーったり引っ付いてないとアカンなぁ」
「そうそう、アカンのだよ」
遠くで除夜の鐘が鳴る。
何回目の音かは聞いていなかった。
「もーそんな時間かぁ。あけましておめでとう」
「おめでとーさん。ちゅーことで、来年もその次もずぅーっとよろしゅうな」
end
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