斯くて縁は結ばれる

「暑っつー」

 ミーンミーンとセミが鳴き狂う山を、俺はひたすら登っていた。
 脳天から降り注ぐ陽射しを雲は避けて通っているが、代わりに大量の葉が遮ってくれているから思いの外苦ではない。

 デスクワークの運動不足人間からしたら、あくまでも思いの外、だが。

 今の俺と比べると、青々とした広葉樹を何処までも続ける山の方が元気だな。

「まだあんのかよ…」

 一人登山を始めてもうすぐ一時間。
 俺は目の前の階段を前に少し後悔していた。

 この山は神社の持ち物で、つまりはこの階段さえ登れば到着に神社が待ち受けている。
 見晴らしがよく、「日本!」て感じがする風景を写真に収めるためにやって来る観光客も少なくないそうだ。

 が、俺はそんなこと知ったこっちゃない。

 たまたま近所に住んでいただけの俺からしたら、昔馴染みの古びた神社だ。
 隠れた名所だとか騒がれる前から遊び場にしていた。

 と言う話なのだが、正直よく覚えてはいない。
 昔はよく遊んでいたそうだが、ゲームという広大な世界を旅する引きこもり生活を覚えてからは疎遠になってしまった場所でもある。

 一人暮らしで都会に出て尚更忘れてしまっていたのだが、久し振りに里帰りをしてお袋の昔話に出てきたこの神社に何と無く足を向けた。
 と言うのが今回の山登りの動機。
 私的な懐かしさはあまり無い。

 運動不足が祟って時間がかかっているだけで、日々の散歩道にしているお年寄りにガンガン追い抜かれていることからも分かるように、気軽な気持ちでやって来て良い場所ではあるのだが。

 舗装されているとは言え山道。
 それを抜けた先に有ったこの階段は、俺の心を折るには充分だ。

「帰るか…いやでもな…」

 袖を捲った腕で汗を拭い、家から持ってきた冷えていたはずのペットボトルのお茶を喉に流し込む。

 どうせならタオルも持ってくるんだった。

「折角来たんだ。挨拶くらいはしておきたいよな…」

 一息ついて辛うじて見える鳥居を見上げ一人ごちる。

 逢いたい人がいるのだ。
 多分ここに。

 でも別に神社が親戚の家とか、幼馴染みの女の子の実家とかではない。

 俺は神様を見たことがある。

 と、いきなり言ったら頭の心配をされるだろう。
 だが実際に俺は、その昔に一度だけだが神様を見たことがあるのだ。

 山も神社も曖昧な記憶しか無いが、あの出逢いだけは鮮明に覚えている。

 子供の頃、山で迷子になった俺の元に神様は突然現れた。
 袴姿で、当時の俺と同じくらいの男の子の姿をした神様。

 神様は笑顔で泣きじゃくる俺の手を引いて、丁度この階段の下の道まで案内してくれた。

 それだけ聞けば同い年の子供が助けてくれたようだろう。
 だが手を繋いでいたはずの神様は、俺が空いている方の腕で涙を擦って拭いている間に姿を消してしまったのだ。

 しかもこの現代で祭でも何でもない日に袴。
 後日冷静になって神社の息子の線も考えお袋に聞いてみたが、この神社には俺よりも歳上の一人娘しかいないらしい。

 迷子のことが後ろめたくて、今日に至るまで誰にも話していないあの日の出来事。
 母親すら泣いた形跡を砂利道で転んだからだと思っている。

 この山で他に神様を見たなんて話は聞かないから、俺の特別な思い出でもあって独占したい気持ちがあった。
 きっと今後も誰かに話すことはないだろう。

 まぁ今思うと、迷子がちょっとしたトラウマで外より室内で遊ぶことが多くなった気もするが。

 流石にこの歳で迷子をトラウマと宣うつもりはなく、神社を避ける理由もない。

 この山で出逢ったのだから、祀られている場所はこの山の山頂の神社に違いないだろう。

 今更ながら、あの時言えなかったお礼をしに行くなら今だと思った。

 となれば神様に挨拶せずに帰るのはいかがなものかと思うわけで。
 俺の性格上、ここで引き返したらまた次があってもここでリタイアする可能性が高いし。

「…よしっ!」

 うすらベタつく頬を叩いて気合いを入れ直した俺は、仁王立ちで目の前のラスボスを見据える。

「気合い入ってるね」
「えぇまぁ。…?」

 いざ行かん!と意を決した瞬間、背後から水を注された。

 気さくな年寄りが往来するだけあって、すれ違い様に声をかけられやすいのは確かだ。
 だから反射的に返したのだが、その声が珍しく今までよりも若い男のものだと気が付くのは少し時間がかかった。

 俺が軟弱なせいか、相手が余裕なだけか。
 笑みを浮かべているであろうことが伺える声の主の方を振り返った俺は、言葉を失った。

「どうかした?」

 そこに神様が立っていたら、誰だって俺みたいな間抜け面くらい晒すだろう。

 あの時と同じ袴姿だが、今の俺くらいの成人男性にはなっている。
 それでも分かる。

 神様だ。

「あ、一度会った程度じゃ忘れちゃったかな?」

 俺の反応が鈍かったからか、神様は検討外れなことを言い出したので、俺は首を左右に思いきり振ってそれを否定した。

「そう?良かったー。あの後キミ、ここに一度も遊びに来なくなっちゃったでしょ?」

 折角接点ができたと思ったのに。とわざとらしく拗ねて見せる野郎など、普段だったら「キモ」の二文字で一蹴していただろう。
 しかし逢いたかったのだと言われていることに嬉しくなる自分がいる。

 人間の女だったら脈ありとガッツポーズするくらいだ。

「おっ、俺も逢いたかったですよっ、その、あの日のお礼もちゃんと言えていなかったので…」

 ちょっと緊張しながら、俺からもやっと会話らしい言葉を返す。
 さっきまでの疲れは何処へ行ってしまったのか、今は少しでも長く言葉を交わそうと必死だ。

「そう?良かったー。でも敬語は要らないよ。と言うか、僕ってそんなに老けて見える?」

 歳上と見なしたから敬語を使っていると思われたようで、神様はフランクにため口でいいと言ってきた。
 確かに見た目は同い年くらいだけど。

 神様って何百年生きたところで、仙人みたいな老人姿とは限らないよな。
 神様にとっては見た目と精神年齢が相応なのか。

 よくわからないけど神様が言うなら、ちょっと畏れ多いけどタメとして話そう。

「あ、うちの神社に向かっていたんだよね。ここで立ち話もなんだから、さっさと用を済ませちゃおっか」
「え、あ、…そうだな」

 次々自分の興味を示す話題に切り替えていく神様だが、タメ口はともかく行き先はまだ触れないでほしかった。と、ちょっと思った。
 正直まだ疲れがとれていない。

 なんなら神様に逢えたから、もう神社への用が無くなったと言ってもいい。

「そうな。行くか」

 が、見栄っ張りの悪い癖。
 断れない。

 すたすたと軽い足取りで既に何段か先に駆け上がっている神様に、大声で「行かない」と言える猛者でも無いしな。

 俺はダルい体に力を込め、階段へと足を踏み出した。

「ほらほら早く」
「おう」

 階段は一段一段がそこまで急じゃない。
 そのせいか、神様の足取りに感化されたのか、俺の階段を上るペースは案外早かった。

 ただ、視線を上げてさっきまでの会話らしい会話を続けられるほどの気力はない。

 それでもへそを曲げない神様。

 もう少しで鳥居だ。

「よしっ!着いたー!…………あれ?」

 最後の段を踏み締め、大きく一息吐いてから天を仰ぐ。

 そしたら神様から何かしらのリアクションが返ってくるかと思ったのだが無かったので、視線を目線の高さに戻せば神様はいなくなっていた。

「あらあら、元気がいいですね」

 代わりに巫女さんがホウキを持って立っている。
 この袴、色は違うけど形は神様とそっくりだ。

「あ、ども」

 状況を知らない巫女さんから、子供を見るような微笑ましい目で見られてしまった俺は少しばかり恥ずかしかった。

 丁度俺より少し上くらいの女性だったので、きっとこの人が噂の"神社の一人娘"って人だろう。

「うちの従兄弟にも貴方の元気を分けてもらいたいわ」
「従兄弟?」

 巫女さんが俺の心情を悟ったのか、元気なのは良いことだ。とフォローしてくれる。

 しかし俺はそんなことよりも、"従兄弟"と言う単語に気がいっていた。

「ええ、貴方と同い年くらいのね。健康だけど大人しい子だから。こっちに来てもいつも部屋に引きこもっているのよ」

 折角自然豊かなのにねぇ。と話す巫女さん。

 そこで俺は自分が勘違いしていたのではないかと、はたと気が付いた。

「従兄弟さんは毎年こっちへ?」
「子供の頃はよく遊びに来ていたけれど、最近は頻度も減っちゃっていたわねぇ。と言っても、つい一昨日"近くで営業があるからって"うちを宿代わりにしに来たのだけれど」

 ふふ、と朗らかに笑う巫女さん。

「貴方は里帰り?案外もう会っているかもしれないわね。あの子、楽だからって寝巻きがわりにうちの禰宜(ねぎ)の服着て過ごしているからスタッフと勘違いしているかも。あ、禰宜って言うのは私達巫女の男の人バージョンって感じかしら」

 話の止まらない巫女さんの背後に、笑う彼が見えた。

 いつの間にあんなところに。

 彼はこの巫女さんの従兄弟、人間なのだと、巫女さんと色違いの袴の禰宜の装束を眺めながら俺は一人納得をした。

 まさか巫女さんも彼自身も、俺が彼を神様だと思い込んでいただなんて夢にも思わないだろうな。

 むしろ今まで神様だと思っていた方が可笑しくないか?
 たまたま迷子の俺を助けてくれたから、子供ながらに神聖視してしまったのだろうけど。

 ふと消えたと思っていたのも、思い込みの成せるわざ。
 強いて言うならば、ただ俺が注意力に欠けていただけと言うところだろう。

 何が神様なら百年生きても、だ。
 単に本当に同い年だっただけなんじゃないか。

 突飛なこじつけ甚だしい。

「あの子、同い年の友達って少ないから。もし見かけたら、良かったら友達になってあげてちょうだい」
「あ、はい」

 お宅の神様見てます。なんてバカみたいに吹聴していなくてよかった。
 向こうで手をヒラヒラさせて笑いかけてくる彼を丁度いたからと紹介されたら俺は恥ずかしさで軽く死ねる。

「じゃ、じゃあ、丁度良いんで声かけて来ますね?」

 内心で焦くりまわっていることは表情に出てはいないだろうが、いたたまれなくなった俺は誤魔化すように巫女さんから離れようとした。
 と。

「丁度いい?」
「ええ、そこにいるんで」

 巫女さんが首をかしげるから、巫女さんからは死角になっている背後の彼を指差して言葉を続ける。

「やぁねー、従兄弟は昨日の内に帰ったわよ」
「あれ。僕のこと、ここの従兄弟だと思ってたの?正体バレてると思ってたんだけど」
「え?」

 俺の言葉を冗談だと思ったらしい巫女さんと、いつの間にか俺の横に来て肩を組んできた彼。

 確実に巫女さんの視覚の範囲内に収まる彼を、巫女さんは見えていないように無視して去ってしまった。

「縁結びの神社へのようこそ。是非お参りして僕との縁を結んで帰ってね。そうすればこれでやっと君が何処にいても僕の方から逢いに行けるようになるから」
「…え?神様は従兄弟で、え?」

 そういえば、神社を広い遊び場にしか思っていなかった子供がお参りなんてしたこと無いよな。
 とか声の困惑とは裏腹に無駄に冷静な考察をしたところで、ふわりと舞い上がり賽銭箱の元まで滑るように移動する彼の種明かしをしてくれる者はいない。

「早くおいで。お参りするまでは帰さないよ」
「…」

 神様だと信じていたくせに、露骨にそのわざを見せ付けられると目を疑ってしまう我儘な俺。

 キャパオーバーを引き起こした俺はくらり、と疲労だけではない目眩を起こして階段の一番上から身を投げ出しそうになったのに、弾き返されるように元の位置に戻ってきてしまった。
 まるで鳥居の間に見えない膜があるようだ。

 取り敢えず厄払いにお参りでもしてこようかと思う。


end

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