日はまた昇る
そして日は沈む
奥村視点
***


 人肌を求めていたのかもしれない。誰も俺には関心を払わない。そんなこととうに知っていた。きっと俺が今日死んだところでみんな明日には忘れるだろう。毎日毎日朝起きてあぁ今日も死にたいと。

 母は幼い日に再婚まもなく他界した。血も繋がっていないガキを引き取って育ててくれた義父は現在他の女性と結婚している。再婚相手との間にできた一人娘がかわいくてかわいくて仕方ないという様子だ。どいつもこいつも分かりやすくて堪らない。

 愛している、愛していないの話ではない。ただひたすら関心がないのだ。愛の反対は無関心だと言ったのはマザーテレサだったか。死にたいと言いながら死ぬ勇気などない俺は今日も屋上でぼんやりと時間を潰す。太陽がじりじりと照りつける。鬱陶しい。やけに空が青々としているのをぼんやりと見ていると泣きたくなってきた。なんで俺はこんなに明るいところにいるのだろう。暗い場所にいると気が滅入るが、煌々としているところもやはり気が滅入る。

 太陽光に消毒されて死にそうだ、なんて。熱消毒される菌のようなことを思い微かに笑いを零す。虚しい。情けない。死にたい。

 死にたいという言葉を零して「死ねば?」と言われるのが怖くて、もっぱら弱気は空に吐く。空にしたらいい迷惑だろう。明るい景色を見ていると自分の惨めさが増す。こんなに爽やかな日は一層憂鬱な気持ちだ。

「やってらんねぇ」

 ぐしゃぐしゃに丸めた進路表を乱雑に広げる。端が少し破れた。夢なんてなかった。やりたいこともなかった。強いて言うなら誰も俺のことを知らない場所に行きたかった。

『瀬奈(セナ)は賢いな〜っ、将来はお医者さんかな?』

 今朝の義父の声が頭の中でリフレインする。知っていたはずなのに分かっていなかったのだ。デレデレとした義父の声を聞くたびに違和感が走る。その声を一身に受けて育つ幼い妹は想像もできないだろうが、俺はこの年になるまで義父がそんな声を出せることを知らなかった。無表情で愛想のない昆虫のような男だと思っていた彼がまるで人間のように笑うのはいささか不気味だ。それなのにその表情を一度でも俺に向けてくれていたらと思うのだから俺も大概おかしい。

 彼は医者だ。そして瀬奈の父親だ。彼が自分の背を見せたいのは瀬奈なのだ。いくら俺が勉強を頑張っても、医者を目指しても、授業をサボっても彼は何も言わない。

「未練がましいことだな」

 進路表に綴った『○○大学医学部』の文字を撫でる。俺は馬鹿だ。出来損ないだ。救いようのない大馬鹿者は、決して誰の視界にも入れないと分かっているのに性懲りもなく夢を見る。

 キィ、控えめな音を立てて屋上の扉が開いた。教師かと思い身構えるも、考え直して警戒を解く。今は授業中だ。一々俺を呼びに来るような甲斐甲斐しいやつはこの学校にはいない。

 顔を覗かせた彼は自分で開けたくせに扉が開いたことに驚いているようだった。体格は小さくひょろりとしている。一年だろうか。どこかぼんやりとした雰囲気を醸す彼に、いかにもいじめられそうだと思う。よくよく見てみると彼の四肢には痣や切り傷が沢山あった。やはりいじめられているようだ。

「よう、呆けた顔してどうしたんだ」

 声を掛けるとその目は俺のことをまっすぐ見る。瞬間、俺は確かに救われた。そんな小さなことで俺は彼に救いあげられてしまったのだ。他の誰でもない、彼にしかできないことだった。

 彼は自分を二年の峰真一だと名乗った。それから二人で話をした。

「お前、ここに来たの初めてだろ。いつもどこでサボってんの」
「いや……、サボり自体初めて」

 疲れ切った声が俺に答える。

「サボりが初めてェ!? わー、まじめだわ〜」
「なんか……、疲れて。いい成績とれとか……そんな期待が重くて逃げてきたとこ」

 ぎくりとした。
 俺とはまるで正反対の悩み。期待をされる者がそんな気持ちになることがあるなんて思いもしなかった。

「期待されると息苦しいんだ」

 ぽつりと落とされる波紋に瀬奈を想う。例えば彼女が大きくなったらそんなことを思う日が来るんだろうか。期待が痛いのだと。期待に応えられないのだと泣く日が来るのだろうか。

「親の期待が息苦しい? あったり前だろ」

 できないことをやってほしいって言われてんだから。そう続けると峰は目を見開く。期待されないことは悲しい。期待されることも悲しいことだ。そう素直に思えるのは彼のお陰だろう。

「……できるさ。俺の努力が足りないんだ」
「あぁそうだな、今はできてる。無理してるからだ。無理して無理して初めてできることなんてできることだって言えねぇんだよ」

 知ったかぶり。知ったような口。いけしゃあしゃあとそれっぽいことを紡ぐ。なぁ瀬奈、悲しいな。俺は多分かわいそうな奴だ。お前は愛された子だ。だがお前はきっと愛ゆえに苦しむんだな。

 初めて瀬奈をかわいそうだと思った。これから来る日に苦しみを抱くかもしれない彼女の存在に初めて気づいたのだ。まだ5歳の彼女には余計なお世話だろうがそれでも俺は気の毒だと思った。憐みのような、同情のような、親近感のような甚だ迷惑であろう感情に俺は少し安心する。青々とした空が少し愛おしく思えた。

「お前がそれだけ頑張ってること、親は知らねぇんだろ。知ってても、分かってねぇんだよ。どうしても頑張るっていうならたまにここに来て目いっぱい休め。俺は、お前が頑張ってるって知ってるから」

 だから、と小声で続けた言葉はチャイムにかき消された。

 だから、俺が死んだ時には俺を想って泣いてくれ。俺を宿り木にして構わないから俺に期待する存在であってくれ。

「あ、チャイム。俺、そろそろ行くわ」
「……おう」
「また来いよな」

 それから彼と俺は毎日屋上で話した。大抵はつまらないささやかなことだったがそれでも俺は峰に会うことで救われていた。いつしか屋上は死ぬための場所でなく彼と会うための場所に変わっていた。

 高校の卒業式の後。俺と峰は相も変わらず屋上にいた。ぽつりぽつりと言葉を交わしては沈黙する。互いの間に微かなぎこちなさがあるのを感じた。

 結局大学は医学部に通うことになった。義父は何も言わなかった。あぁ窮屈だ。彼がいなくなった毎日を生きるのかと思うだけで堪えがたい恐怖に襲われる。

 医師免許を取得したら何でもいいから海外へ行きたいと思った。親も誰もいないところへ逃げたかった。付いてきてくれと頼んだら峰は何と言うだろう。はにかみながら了承するだろうか。戸惑った顔をして茶を濁すだろうか。

 断られたらと思うと恐ろしくて喉が詰まる。やはり俺は出来損ないだ。肝心な時に言いたいことが何一つとして言えないのだから。

「それじゃ」

 出たのは、別れの言葉だった。

「…おう」

 いつものように峰の声がそれに答える。お互いが何かを言おうとして言えなかった。それきり互いに連絡を取ることもなく月日は流れた。

 医師免許を取った俺はJICAに医師として参加した。慣れない気候に見知らぬ人たち。環境の変化は大きく大変だったが充実していた。俺はやっと誰も俺を知らないところにたどり着けたのだ。

 短期に応募したために翌年には帰国する運びとなった。いよいよ帰国する日。リーダーに長期での応募もまた考えてみてくれと言われた。兎にも角にも短期用にビザを取得したので一時帰国せねばなるまい。長期で再度応募するかはそれから考えよう。

 などと考えながら実家の最寄り駅から帰路をゆく。ふと、聞き覚えのある声が耳を掠めた。

 瀬奈だ。どうやら友達と遊んだ帰りらしい。幼かった彼女の面影はなく、すらりとした面持ちへと成長している。

 そりゃそうだ。家を出てからもう7年も経ったのだ。来年には中学生だ。大人びる訳である。

 異変が起きたのはその直後。轟音、悲鳴、暴走する車。立ち尽くす瀬奈とその友達。

 足が勝手に動いた。

 救わねばという意志があったかすら定かではない。気が付けば彼女らを突き飛ばし自らの体を暴走車の前に晒していた。

 助けたかったのだと宙に投げ出されながら思う。俺はただ、峰と同じ境遇に置かれる彼女を救うことで間接的に峰を救った気になりたかったのだ。

 好きだという言葉はついぞ言うことはなかった。それでも、そうだな。もし、お前ともう一度はじめましてができるなら、今度こそ伝えるんだ。

 小声ではなく大声で。

 俺のために泣いてくれと。




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