日はまた昇る
しかし朝は来る
奥村視点
「もし峰がループを抜け出せたら」
***


 声がした。はじめまして、好きです、さよなら。たくさんの言葉が聞こえた。それらは靄のように揺蕩い虚しく消える。空間に溶けたように体の輪郭すら認識できない。耳があるのかどうかすら分からないにも拘らず声は確かに俺に届いた。

 俺はいったい誰なんだろうか。俺、で合っているのか。逃げの人生だった。言いたいことなど何も言えなかった。ただそれだけは覚えている。

「はじめまして」
「二年の峰真一です」
「何度目かな……」
「いっそ……」
「やっぱ好きだなぁ……やだなぁ……」

 同じ声がいくつも重なり纏わりつく。声はやがて湿り、消えた。最後のは泣いていたのだろうか。誰の声だろう。懐かしいような、寂しいような、恋しいような。

 声に呼応するように空間がボロボロと剥がれ落ちる。次第に現れた風景に呆然とする。ここは病院、だろうか。シュコー、シュコーと呼吸器が空気を送る音がする。

 目の前のベッドには横たわった青年。相変わらず細いと思い首を傾げる。彼と会ったことでもあっただろうか。まじまじと見つめてみるがやはり思いだせない。ふっ、と空気が揺らぐ。彼の目が開いた。

「……奥村?」

 先ほどの声が俺を呼んだ。あぁ、お前だったのか。名前ももう分からない。それでも彼は俺を呼んだと思った。

「あぁ」

 馬鹿みたいに声が震えた。彼の目元に手を伸ばし撫でる。泣いていた気がしたから。涙なんて浮かんでいない。それなのになぜ彼が泣いていると思ったのかは俺自身にさえよく分からなかった。

「久しぶり……で、合ってる?」
「……、合ってるよ」

 久しぶりと言っただけで彼の顔はくしゃりと歪む。その言葉を尊ぶような反応に戸惑う。今度こそ泣くかと思った。泡沫の中で聞いた時のように声が湿っていたから。

「なぁ、頼みたいことがあるんだ」
「なんだ」
「俺を連れていってくれないか」

 唐突な話に唖然とする。それ以上に唖然としたのは自分の口から零れた言葉だった。

「付いてきてくれるのか?」

 彼はほんのりはにかむ。

「やっぱ俺はお前がいいよ、奥村」
「俺は、」

 混乱する。二つの思考が交差する。俺を知っている俺の声と、俺を知らない俺の声。回路は混ざりあいそして離れた。

「お前が愛されていても愛されていなくても、俺はお前に生きてほしい。付いてきてほしいけど、付いてきてはいけないとも思う」

 ぽつりと吐くのは綺麗事であり本心のほんの一欠片。混沌とした頭の中で俺は一つのことを明確に思いだす。彼は、峰は、俺が愛した人間だと。

 それ以上のことは何も思いだせなかった。だがそれだけで十分だったのだ。恐らくそれが俺という人間の全てだったのだから。

「お前が俺を愛してくれよ」

 俺はそれがいい。彼の言葉に覚悟が決まる。言うべきことは自ずと出てきた。

「なぁ峰。付いてきてくれるか。救わせてくれるか。今度こそお前自身を」
「……もちろん」

 ずっと気が狂いそうなほどそれを待っていたんだから。

 囁かれた言葉は俺たちの体と共に靄になる。死ぬのだと分かった。不思議と怖くなかった。隣に彼がいるからだろうか。

 目を合わせると彼は笑う。疲れ切ったような気だるげの彼の表情が不自然に引きつった。長いこと待たせていたのだろう。それこそ神経が擦り切れるほどの長い、長い時間。

 気が付けば、最初の不思議な空間へと戻っていた。輪郭は解け、感覚の何もかもが麻痺した空間に。確かなことは一つだけ。彼がここにいるということ。それだけだった。ゆるり、彼の口角が緩む気配がした。そんな気がした、だけだけれど。

 空間が揺れ、揺蕩い、流れ、解ける。キラキラと光が弾けた。光は俺たちに宿り、踊った。また、声が聞こえた。

「――起きなさい!」

 バッと体を起こす。シャツに汗が染みていて気持ちが悪い。あたふたと辺りを見渡す。屋上だった。そうだ、嫌いな先生の授業を受けるのが嫌でここでサボっているうちに眠ってしまったのだった。しかしこんな真夏日によく外で眠ることができたものだと我ながら感心する。

「おい、こんなとこで寝るたァ感心しないなぁ。一年か? 寝る場所くらい選べよ。ぶっ倒れるぞ」

 軽い口調で見覚えのない男が注意を促してくる。どうやら先ほど先生のような口調で俺を起こしてきたのは彼のようだ。

「ここでサボるの、初めてなんでまさかここまで暑いとは思わなくて。以後気を付けます」

 神妙な口調で謝る。一点気になることがあるにしても彼の言うことは道理であるし脱水症状になるかもしれなかったのは事実だ。
 だとしてもこれだけは許しがたい。

「俺、二年の奥恭史って言います。初めまして、どーぞヨロシク、センパイ?」

 男は呆気にとられたように固まり、破顔する。

「ごめんごめん、悪気はなかったんだ。謝るよ」
「悪気がないってなお悪い気もするんですけど」

 素で一年だと思ったってことじゃないか。俺がぶつぶつと文句を言うと彼は一層おかしそうに笑う。ごめんと言いながら笑うので一向に気が収まらない。

「俺は峯田真一、二年」

 なんだ、同じ学年だったのか。しかし女受けしそうな顔だちなのに話を聞いたことがないのは妙だ。聞くと、いつも屋上でサボっているからと返ってくる。なんだそりゃ。

「ずっと待ってたんだ」

 何を、とは言わずに彼は微笑む。やっと、という言葉が微かに聞こえた。

「はじめまして」

 チャイムが祝福するかのように始まりを告げた。




(11/12)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -