日はまた昇る
日はまた昇る
 歩くということはこんなにも難しいことだっただろうか。のろのろと後に続く俺に友人が同情の目を向ける。

「峰、大丈夫か」
「……あぁ」

 何が大丈夫なのか自分でもよく分からないままに返事をする。友人の姿をぼんやりと眺める。喪服を着ている友人。神妙な表情。その全てに違和感を感じる。……なぜ俺は休日に喪服を着て友人と歩いているのだろう。

 分かってはいるのだ。ただその事実が呑み込めない。消化不良を起こしたように何かが胸に重々しく腰掛けている。そのくせ半身が欠けたような虚しさと寒々しさが脊髄に蔓延して止まない。

「お前ら、仲良かったもんな」
「……あぁ」

 友人がひどく気を遣っていることが分かった。もそりと返事をするとまたも会話が途切れる。風が後ろから強く吹き付ける。彼に速く歩けと急かされているようで泣きそうになる。彼はせっかちな男だった。最後までせっかちなままだった。何もこんなに早く逝かなくてもよかっただろうに。彼はいつも俺を置き去りに先に進もうとする。

 曲がり角に設置された『奥村恭史(ヤスシ)斎場はこちら』という看板に歩みがまた一つ重くなった。

 斎場に着くと多くの人がいた。知っている人もいれば知らない人もいる。その中には外国人もいた。彼の交友範囲に広さには目を見張るものがあったがこれほどとは。25歳の若造の葬式に集まる人数ではない。奥村はJICAボランティアに参加していたからその関係の人も多いのだろう。

 ふと親族席に目をやると遺影が目に入った。日焼けした顔を破顔させ呑気にピースをしている写真に固く強張った口角が緩む。緩めた途端、一気に堪えていたものが上り詰めた。涙が止め処なく流れ、嗚咽が漏れる。力が抜け、膝から崩れ落ちる。余りにも早すぎた。もっと伝えたいことは沢山あったのに。なんでなんでなんでなんで。まだ俺は伝えてないじゃないか。

 先を歩むお前に伝えたかった言葉。眩しくて伝えるのは躊躇われて。いつか自分だけの力で身を立てれたら伝えよう。そう思いながら土木工事関係の会社に勤めていた。医者の免許を取得するなりJICAのボランティアに応募して海外を飛び回っていた奥村。一筋に道が定まっている生き方がかっこよく思えた。それだけに自分の情けなさが際立って見え、そのたびに伝えたかった言葉は逃げに埋もれた。

 ただ好きだと、その一言だけでよかったのに。

 帰り道もやはり足取りは重かった。目を充血させた友人に背を擦られながらのろのろと道を歩む。風はとうに止んでいた。ただ薄手のコートに冷たい空気だけが痛く取り抜ける。心までが冷えるようだ。

 夕日が強く差し影が伸びる。その横に奥村の影はない。あるのは友人の影だけだ。斎場で取り乱した俺を心配して付いてきてくれている友人が今ばかりは鬱陶しく思えた。この会話のない空間が奥村との別れの日に酷似しているのが息苦しさを増させる。それを裂くように友人の声が落とされた。

「お前ら付き合ってたから俺たちよりずっとしんどいよな……」

 独白のように語り掛けられた言葉に脳が揺さぶられる。付き合ってた? 俺が、奥村と?

「……なんで」
「だってあいつずっとお前のこと好きだったしお前もあいつのこと好きだったじゃん」

 何でそう思ったのか、という意味だったのだが友人は認識違いから的外れなことを返す。秘密にしてるつもりだったみたいだけどさ、と続けられた言葉は耳をすり抜けた。

 訃報を聞いた昨日の昼から何も口にしていないにも拘らず空っぽの胃から何かがせりあがってくる。

「ンぐえ゛え゛ぇぇぇ」

 酸っぱい匂いが地面に撒き散らされた。友人の声が遠くの方でした。俺はそのまま意識を失った。

 強い日差しに目が眩む。今は冬のはずで。しかも夕方のはずで。こんなにも太陽は照っていなかったはずなのに事実日光はじりじりと俺の肌を焼いている。どうやらここはどこかの屋上のようだった。

 夢だと思った。あぁそうだ確か奥村と最初に出会ったのもこんな時だった。初めて授業をサボって屋上に行った日。一生縁のないと思っていたことを一つ体験して高揚していた俺に一つの声が降ってきたのだ。

「よう、呆けた顔してどうしたんだ」

 ――声が。

 死んだ奥村の声が聞こえ体を強張らせる。瞬間、あの日と同じように声の元をたどる。そこには高校生の奥村がいた。相も変わらず呑気そうな顔をした彼に涙が零れる。夢だと思った。夢であってほしいと思った。彼の命に終わりが訪れることを俺は知ったばかりなのにこんなのあんまりではないか。

「ど、どうした一年。腹でも痛くなったか」

 焦って頓狂なことを言う奥村。お前は知らないだろう、俺は先ほどお前の骸を見送ったばかりだということを。知るはずがないのだ。これが夢だろうと現実だろうと彼は高校生の奥村なのだから。あの時、俺は何と言ったのだったか。記憶を元にセリフをなぞる。

「……峰真一(シンイチ)、二年だ」
「はっ? 二年!? 同い年じゃねぇか。体ほっそいな〜…」

 じろじろと不躾に俺を見る奥村に苦笑する。これじゃあまるっきりあの日と一緒だ。

「……なんで死んだんだ」
「何、」
「俺を置いて、何で」

 夢なら少しくらいはいいだろう。奥村の肩に顔を寄せる。夢だから。少しだけだから。奥村は戸惑いながらも俺の背を撫でる。甘い奴だ。初対面の奴に弱っているからと優しくするなんて。

「何のことかよく分からないけど、」

 そう前置きし、奥村は至極いつも通りの声で話しだす。高校生のころは語ることのなかった言葉を。

「人なんて死ぬ時は案外コロッて死ぬよ。置いていくとかそんなの関係なく。また会えるとかそいつはお前のことを想いながら死んでいったとかそんな無責任なことは言えねぇけど」

 肩に押し付けた俺の頭をやけに甘く撫でる。まるで俺のことが好きみたいに。

「俺はお前がそいつを想って泣いてること知ってるよ」

 あぁ甘い。いっそ突き放してくれればよかった。そして俺は失った彼に再び恋をする。抗えるはずもなかった。初めて会った時から眩しくて堪らないのだから。

『サボりが初めてェ!? わー、まじめだわ〜』
『親の期待が息苦しい? あったり前だろ。できないことをやってほしいって言われてんだから』
『あぁそうだな、今はできてる。無理してるからだ。無理して無理して初めてできることなんてできることだって言えねぇんだよ』
『お前がそれだけ頑張ってること、親は知らねぇんだろ。知ってても、分かってねぇんだよ。どうしても頑張るっていうならたまにここに来て目いっぱい休め。俺は、お前が頑張ってるって知ってるから』

 眩しくて、焦がれて焦がれて仕方なくて、手を伸ばすことすら躊躇われていた太陽。日が何度でも昇るように彼は俺の心を何度も照らすのだ。じりじりと恋い焦がれて止むことはない。

「じゃあ俺が誰かの死を想って泣いてたこと、覚えていてくれるか。お前が死んだ時、俺はきっと泣いてるから」
「そりゃま、そんなに言うなら覚えとくよ」

 軽い調子で請け負う奥村に笑いが零れた。絶対だぞ。絶対。音もせず繰り返した願いに奥村は浅く頷いた。

「あ、チャイム。俺、そろそろ行くわ」

 熱が離れる。

「……おう」

 屋上を出ていこうとした奥村がくるりと振り返る。

「また来いよな」

 その言葉を皮切りに、景色が一変する。気が付けば俺はまた屋上の入り口に立っていた。

「よう、呆けた顔してどうしたんだ」

 躊躇いながら声の元に目を向ける。果たして、彼はいた。

「――はじめまして」

 そして日はまた昇る。



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