あの夏の日を忘れない
10
 円の部屋は、広さに対しやけに物が少なかった。濡れてるから風呂入ってこいよ、と言われるも首を振りソファの前に座り込む。円は困ったように溜息を吐くと、先に入ってくると部屋を後にした。

 ジョセルが送ってきたのは、一枚のCDだった。白いジャケットに、黒のサインペンで『mouse』と曲名が走り書きされた、そんなデザイン。eのスペルがやけに右肩上がりで、あいつらしいなと俺は笑った。CDのケースを開けると、一枚のメモが挟まれていた。

『Hey,mouse. I made your song as promised. Please listen while suffering at best.』(よぉ、臆病者。約束通りお前の歌を作った。精々苦しみながら聴きやがれ)

「Noisy.」(うるせぇ)

 厭味ったらしいメッセージを鼻で笑う。ノートを破ったかのような不格好なメモに、髪の雫が落ちる。水性ペンで書かれたそれは、涙の跡のように淡く滲んだ。

 がちゃりと、風呂場のドアが開く。上は裸、下はスウェット姿で出てきた円は、体育座りでじっとしている俺を見ると慌てて駆け寄ってくる。

「っ、おい! 濡れてるんだから頭くらい乾かせ! 風邪引くぞ」
「……じゃあ乾かして」
「俺も風呂入ったし入ってきたらどうだ? 服貸すぞ」
「やだ」
「わがまま言わずに入ってこい! ほら、これ上下の着替え!!!」
「……兄貴ぶりやがって」

 スウェット上下を押しつけ風呂へと追いやる円。兄貴だからな、という声は聞こえないフリをした。





 風呂を上がりリビングに行くと、円はCDプレイヤーの掃除をしていた。円は俺の姿を見ると、ちょっと大きかったかと笑う。言われたくなかったことを指摘され、俺は僅かに眉を歪めた。円はそんな俺の反応すら楽しそうに口元を緩める。

 薄々気付いてはいたが……。俺は円より成長が遅れているらしい。裾の余ったスウェットを折ることすら癪で、俺は黙ってそっぽを向く。

「髪乾かせって」

 ほら、こっち来い。
 ドライヤーを持ち手招きする円。舌打ちをしながらヤケクソ気味に前に座ると、円はクスクスと笑い俺の髪を乾かしはじめる。ブォォォォ、というドライヤーの風の温かさに目を細める。

「お加減はどうですか」
「暑いわ下手くそ」
「えっ、マジで。ごめん」

 真に受けドライヤーを頭からそっと離す円に肩を揺らす。

「嘘」
「はー? ったく、謝り損だ」

 このやろ、と円は無遠慮に俺の髪をかき混ぜる。かき混ぜ、手で髪を弄び、染めてるのに案外傷んでないんだなと独り言ちる。特に何をした覚えもない俺は、軽く首を傾げ円が掃除したCDプレイヤーを弄る。CDをセットすると円は音楽が聞こえるようドライヤーの風を弱めた。流れ始めた音楽に、思わず二人とも無言になる。

 This is not an old story. Yes, it's not far from the past.(これは昔の話ではない。そう、そう遠くない過去の話だ)

 The mouse was walking in the drizzle. He licks his face to his appearance in the white cloudy show window.(ねずみは、霧雨の中を歩いていた。白く曇ったショーウィンドウに映る自分の姿に、顔を顰める。)

 It looks like an idiot. Yes, I know that.(馬鹿みたいだ。そうさ、そんなこと分かってる)

 Even if you smile like you reopened, your mind is dull at any rate.(開き直ったようにそう笑ってみせても、どうせお前の心はくすんでる)

 A mouse, did you find a house? My house is back alley as ever.(ねずみ、家は見つかったかい。俺の家は相変わらず路地裏さ)

 Fucking fucker. You are the first fucking guy to call you so.(クソ野郎。そう呼ぶお前が一番クソ野郎だ)

 You are a mouse. You did not know how to cry or how to breathe. Goodbye, forget me. If you say that, you could live more easily.(お前はねずみ。泣き方も、呼吸の仕方も知らない。さよなら、俺を忘れてくれ。そう言えるお前であれたら、お前はもっと楽に生きれたのに)

 くしゃり。頭に乗せたタオルで顔を隠す。円は俺に気付くことなく、どこかぼんやりとした声でいい歌だな、と漏らした。

「声がまっすぐだ。性根がいいのか」

 性根がいい? この嫌がらせの塊のような歌が?
 タオルの中で顔を顰める。人の声音で性格を計るのはよろしくないな、という俺の反論を、円は案外分かるもんだぞ、と軽く流した。分かる訳ないだろ。お前は俺のことすら何一つとして分かっていないのに。

「この歌、気に入ったんだがどこで手に入る?」
「……は? この歌を……?」

 惨めで、愚かで、情けない、この歌を?
 オウム返しの俺の言葉を、円は静かに肯定する。

「ああ。俺はこういう寂しい雰囲気の歌、好きだな。由はどんな歌が」
「うるっせぇな」

 続こうとした言葉を乱暴に遮る。頭を覆うタオルを床に投げ捨て立ち上がる。

「知りてぇなら教えてやるよ。俺は、俺はこんな惨めったらしい歌、大っ嫌いだ! 反吐が出る……ッ!」

 何も知らないくせに。俺を置いて逃げたくせに。俺の嫌いなものを、俺の傷を好きなんてほざきやがって。

 プレイヤーからCDを取り出し、叩き割る。

「由、」
「〜〜うるさい! 全部、」

 あ。
 言ってはダメだと、何かが叫ぶ。それを言えば、全てが台無しになると。脳が、血流が、記憶が、後悔するぞと訴える。口は、止まらなかった。

「全部、忘れてるくせに!!! 今更っ、いまさら、兄貴面してんじゃねぇ!!」





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