あの夏の日を忘れない
30
 注がれた紅茶を口に含む。紅茶特有の深みがほんのりとした甘みを包み込む。湯気に混じりほぅ、と息を吐きだす。はわ、と隊員の声が聞こえた。

 カップから顔を上げると、淹れてくれた子がドキドキとこちらを見ているのに気づく。おいしいよと微笑むと、きゃぁ、と小さく歓声を上げ、顔を伏せられる。こういうのを見ると、彼らが親衛隊だと実感するよなぁ。

「……そういえば椎名さま、その手に持たれているのは新聞部の記事ですか?」

 横内先輩の言葉にああと頷く。見る? と差しだすと隊員たちはわっと新聞に群がった。きゃいきゃいと嬉しそうに記事を読み進めていた隊員たちはしかし、徐々に雰囲気を硬くする。どうせ掲示板に張り出されるからいいかなと思って読ませてしまったのだが、やはりあの記事はまずかっただろうか。

 和やかな空気が静まり返る。重々しい雰囲気を引き裂くように、横内先輩はため息を落とした。

「……吉衛は気に喰いませんが応援しますよ」

 僕らが諦める理由にはなりませんし。
 隊員たちは先輩の言葉に深く頷く。不愉快そうに顔を歪めた隊員は、新聞を指さし口を開いた。

「大体、会長さまも無神経です。応援するよってなんですか。吉衛が好きなのはあんたじゃないですか」

 そうだそうだと隊員たちは声を上げる。思わず目を見開き見返す。円が、非難されている? もしかして、円に対しての苛立ちであんなに重い空気になったのか? ポカンと呆気にとられた顔をしているのが面白かったのか、先輩はくすりと笑んだ。

「言ったでしょう。ここはあなたを慕う者が入る組織だと」

 誰が桜楠さま越しにあなたを見させるものですか。

 当たり前のように言い放つ先輩に、言葉が詰まる。眉を寄せると、橙が眦を優しく撫でる。

「泣いてねぇからやめろ」
「うん。でも、泣いてるように見えたから」

 俺の言葉を意に介すことなく、橙の指が柔く、柔く目の下を温めていく。慣れることのない優しさに腰を引く俺を、隊員も、橙も、微笑ましそうに見つめる。

「いずれ、好意に慣れてもらいますよ」

 ……なんて。無理じゃないだろうか。





「今日は、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ。楽しかったです」

 お茶会も終わり、横内先輩は俺と橙を寮の方まで見送ってくれた。頭を下げ礼を言う先輩に、慌てて俺も頭を下げる。

 親衛隊相手に頭を下げる親衛対象なんてそうそういませんよ。

 困ったように苦笑いする先輩に、したいから別にいいんですと開きなおる。

「優しい人に礼を尽くさずして誰に礼を尽くすんです」
「……、僕は、優しいだけの男じゃありませんよ?」

 見返りを求めるかも。ひっそりと声を潜め言う先輩。橙が何かリアクションするかと思われたが、意外なことに何の反応を返すことなくただ一瞥しただけ。そういえば俺が隊員と話し込んでいる間、先輩と真剣な顔で話しこんでいる場面があったな。その時に何か関係性が変化するようなことがあったのかもしれない。

 ちらり、橙を見ると、笑顔でひらひらと手を振られる。うん、分からん。
 それじゃあ、と別れを切り出そうとし、胸ポケットに入れた物の存在を思い出す。先輩、と橙に見えないよう呼び寄せ、手渡す。

「これは……」
「遠足の時に、作ったものです。一緒に回れなかったのでせめてと思って」

 和紙を手渡すと、先輩は食い入るようにそれを見つめる。

「──、ゼラニウム」

 花言葉は、尊敬、信頼。

「最高の、お土産ですね」
「他の子には内緒ですよ? 先輩の分しか用意してないんです」

 にやりと悪戯っぽく笑んで見せる。はい、と目元を緩ませ泣き笑いのような顔をした先輩に、見たことがあると感じたのはきっと。きっと俺の気のせいだ。





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