あの夏の日を忘れない
23
 バーべキューの後は各班自由時間だ。俺たちは和紙漉き(スキ)体験のできる施設内の工房を訪れていた。草花を漉き込み、季節感あふれるオリジナルの和紙を作成できるのだとか。案内に従い、俺たちはまず工房の周りから草花を採取する。和紙漉き体験用に育てているものらしく、自然に群生しているものとは違い華やかだ。

「花、決めた?」
「うん。俺は決めたよ」

 花井の手元に花はなく、まだどの花にするか悩んでいるようである。

「花言葉とか、気になるよね」
「、えっ?」

 悩んでいる内容が想像と違い、気の抜けた声が出る。花言葉って。知らんぞそんなもの。

「花井は花言葉に詳しいんだ」
「うーん、まぁね。アイドルに贈り物するには花って結構いいんだよね。枯れるから貰う側も気を揉まずに済むし。何より花言葉で自分の思いを託せた気持ちになるし」
「そういうものなんだ」
「そんなもんそんなもん」

 ふぅむと考え込む。

「俺、折角だから作った和紙を人に渡そうと思ってたんだけど……」
「じゃあ、僕が一緒に花を選びなおしてあげようか?」
「お、助かる」

 この花は──、と教えてくれる一つ一つの花言葉を頭に入れる。

「この花は、エキザカムっていうんだ。花言葉は……、一番大切だと思う人に贈る和紙に入れて」
「…? 大切に思う、みたいな感じ?」
「そう」

 首肯する花井に分かった、と返事をする。受け取ると、エキザカムの青い花弁がふるりと震える。雌ずいと雄ずいの黄色が可愛らしかった。

「これでここにある花は全部教えたけど……いいものは見つけた?」
「見つけた。ありがとう、花井」
「どういたしまして」

 花井も俺に花言葉を教えてくれているうちに決めたのか、俺と一緒に花を摘んだ。


 四角い木枠の中に網が貼られた──漉きげたと呼ぶ道具に、水槽の中の液体を注ぎ込む。この液体は楮(コウゾ)の繊維とトロロアオイから抽出した粘り気を水に溶かしたものだ。繊維がよく絡まるように木枠を揺すりながら漉いた後、水分を抜いてから紙面に乾燥させたばかりの花を乗せ仕上げる。

「あとは水分を抜き乾燥させたら完成です。お疲れさまでした」

 数十分後、和紙が出来上がる。手渡された十枚の和紙は、乾燥から上がったばかりでまだ温かい。和紙の表面を嗅ぐと、草花の柔らかな匂いがした。



 和紙作りを終えた俺たちは、川辺を訪れていた。俺と三浦は川の近くに設置された足首ほどの深さのプールで鮎掴み体験、花井と委員長、平野は川でカヌー体験だ。一人一艇をぎこちない手つきで操縦する。平野は早々に手慣れたのか、優雅に旋回したりと危なげない操縦を披露していた。

「あー、花井斜めってる」
「横内、岩に当たりそう」

 そんな三人の様子を見つつ、俺と三浦は鮎を追いかけまわす。簡単そうに見えた鮎掴みだが、魚の表面がぬるりとしているためなかなかうまく行かない。

「椎名、魚に配慮するのやめろ。勢いよく行け。勢いよく」
「怪我したらかわいそうだろ」
「どうせ後で焼いて食べるんだから一緒だろ」

 言われてみれば道理である。手加減をやめると、先ほどまでの苦労は何だったのかと問いただしたくなるほど鮎はあっさりと捕まえられた。見ると三浦の籠には鮎がびちびちと跳ねまわっている。グロテスクな光景に思わず目を逸らす。三浦は「ほっ」という掛け声とともにもう一匹掴み取った。

 その時だった。あっという悲鳴が聞こえた次の瞬間、花井が体勢を崩しカヌーから転落する。花井の体は川に沈み見えなくなった。浮き具を付けていたはずの花井は、なぜかすぐに浮いてこない。ぷかり、と浮き具が水面に上がる。しかしそれを装着していたはずの花井だけが浮いてこない。慌てて川に向かって駆け寄り、飛びこもうとする。その瞬間、ぷはぁと花井が水面に顔を出した。

「はぁぁ、焦った。僕泳げないのすっかり忘れてた」
「よかった……!」

 花井の無事を喜ぶ面々を見つつ、俺はその場にへたり込む。よかった。本当に無事でよかった。立って花井に「よかった」と伝えようとするも、足に力が入らない。地面に手を付け体を起こそうとし、ようやく自身の手が震えていることに気づいた。

「椎名」

 花井は川から上がり、俺と顔を合わせるようにしゃがむ。ポタリ、水が滴り俺と花井の間に水たまりができはじめる。

「なんて顔してるの」
「……そんなひどい顔してる?」

 苦笑する俺に、花井は容赦なく「うん」と返事をする。そうかぁ、と目を瞑る。思い出すのは、あの夏の日の光景。強張る表情筋を無理やり動かし、笑みを作る。ジャージを脱ぎ、花井の肩に掛けて立ち上がる。

「ごめん、俺ちょっと日陰で休んでるね」
「うん、分かった。……ジャージ、ありがと」

 はにかむ花井に、そっと微笑む。

「花井」
「うん?」
「……無事でよかった」

 さらりと言うつもりだった言葉は、思いの外掠れた声で紡がれた。感情を押し殺したその声に、花井は珍しく困ったような目をする。

「うん」

 ごめんね。
 花井が何に謝ったのか分からないまま、うんと返事をし日陰のベンチへと避難する。三浦は鮎のつかみ取りに飽きたのか、平野、花井、委員長の三人と一緒にカヌーに乗りはじめる。再び流れ出した楽しそうな空気に、俺は遠くからほっと息を吐いた。

「懐かしい顔してるね、由」

 ひゅ、と息を呑む。全く気付けなかった。悪あがきに、わざとゆっくり振り向くと、声はくつりと嘲る。

「……甲斐」

 名前を呼ぶと、甲斐は愉快そうに口角を釣り上げた。





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