あの夏の日を忘れない
35 夏目久志side
 ――数刻前。

 カタカタカタと軽やかなキーボード音。風紀委員の大半が出払った風紀室で奴は備品のパソコンを操っていた。

「いんやぁ〜まっさか俺が呼ばれるとは思わないよねぇ」

 俺、橙、田辺、三浦とそれから長谷川。
 風紀室にいるのは珍しい取り合わせの五人組だった。

 赤を事実から守るためには、越賀羽の過去の罪状が必要。例のごとく橙に依頼した俺だったが、頼まれた本人は数年前の学園についてならもっと適した人材がいるとかで長谷川を呼び出した。呼び出された当の長谷川がなぜか三浦を連れてきて今に至る。

 整理したところでどうにも分からない事の運びだが、俺が赤でないゆえに橙はどこまでも説明をしてくれない。仮にも中学からの仲なのだから、もう少し態度を軟化してくれてもいい頃だと思うのは俺だけか。俺だけなんだろうな、知ってるさ。
 
「でもでも? 報酬に夏目いいんちょーと元F組トップ牧田っちのラブラブ写真が貰えるとあらば喜んで参上しますとも、ムフ」
「ちょっと待て。それは聞いてない」

 長谷川の語りに思わず口を挟む。慌てた俺に橙は白けた目をこちらに向けた。

「勿体ぶるな。赤のためだ。キスの一つや二つでごちゃごちゃと」
「は?! キス!? 牧田と!?」

 とんでもない取引を勝手にしやがって。喚く俺に長谷川は手を止め、にやりと唇を緩める。

「いいんちょー、腐男子界隈でキスは通貨だよ。覚えておくといい」

 なんなら舌を絡めてくれてもオッケーです、と何食わぬ顔で付け足す奴にげんなりとする。風紀室の端の方で大人しく口をつぐんで佇む田辺も、同じような表情をしている。生徒会には別種のたちの悪さを誇る腐男子がいるからだろう、目に同情が滲んでいた。
 長谷川の話に乗せられてばかりではうまく事が進まない。俺はわざとらしく眉を顰め、口調を堅くする。

「――長谷川冬馬。これ以上ふざけたこと抜かすとお前がさっき仕込んだ盗聴器を二つほどお釈迦にするぞ」
「そりゃこっわいなぁ。大人しくお仕事しまーす」

 言葉だけは軽い調子の長谷川だが、目つきは真剣そのもの。ディスプレイに戻った途端引き締まった雰囲気に、ずっとそうしてくれればと思う。実のところ、あのテンションで絡んでくる相手なんて今までいなかったため、対応しあぐねるのだ。風紀室に呼び出された時はこちらが気圧されるほどのマシンガントークを披露した長谷川だったが、口を引き締め作業をする姿からすると、こちらの方が素に近いのかもしれない。

「……いいんちょー、見つめるなら俺じゃなくて漆畑くんにしてくれない? アッ待って。やっぱ視界の端でそんなサービスしないで。興奮して指がぶれる」
「しねぇわ」

 ……と思ったが多分気のせい。
 長谷川の素は間違いなく腐男子だ。断言する。呆れるこちらを余所に、長谷川はキーボードを猛スピードで叩きながら笑い出す。

「はッハハハハハ! あ〜〜やっぱハッキング楽しい〜〜最悪だ〜〜〜! 変わったと思ったのにマジで変わってねぇ〜〜!」

 そらよ! と魚屋のようなかけ声と共にパソコンの画面を見せられる。なにそのそのテンション怖い。内心ドン引きしている俺など意にも介さず、橙は画面を独占する。舌打ちをする橙からして、画面には越に関する有益な情報が表示されていたのだろう。自分で読んでおきながらこのリアクションをするところ、どこまでも橙らしい。

「やるじゃん。流石初代D.C.」
「ほ〜んとにその呼び方やめてツライ」

 黒歴史えぐるの良くない、とぶつくさ言いながら長谷川は隣の三浦をちらりと見やる。

「ど〜ぉ春樹。久しぶりの俺の腕前に感嘆しきりって感じでしょ。冬馬師匠って呼んでもいいのよん」
「死んでくれねぇかな」
「辛辣すぎて泣きそう」

 すんすんとクオリティーの低い嘘泣きを披露した次の瞬間、長谷川はころりと表情を一転させる。投げ出していた足が交差する。

「……ってかさ。いいんちょー達、ホントにゆかりんのお母さんの居場所、分かってないワケ?」

 至極どうでもよさそうに告げられた言葉はまさしく今の俺たちが喉から手が出るほど欲している情報で。思わず立ち上がった俺たちに、長谷川は困ったような笑みを見せる。

「さっきから何回も言ってるけどね。俺にとって情報屋D.C.だった時代は黒歴史なの。俺は安全圏で馬鹿やって笑ってたいの」

 でもさ、と言う落ち着いたトーンは長谷川に似合わなかった。諦めたように、疲れたように手で顔を覆った長谷川は、ぽつりと告げる。

「俺だって、ゆかりんが救われたらなって思うんだ」

 赤を安全圏で救うのは難しい。そのささやかな矛盾が長谷川の本心であり、友情の形なのだろう。

「春樹たちが気づくのを待ってたけど、君ら頭が固すぎだし、情報に頼りすぎ。春樹、親父さんに情報屋としての一面で勝ちたいなら一番重要なのは頭だ。情報はあくまで頭を回すための燃料。最初に教えただろ」

 さながら授業のように説いた長谷川は、「はい」と一枚のパンフレットを手渡してくる。飽きるほど見てきた建物の写真。ああそうだ。思えばヒントなんてそこら中にあったのに。

「長谷川お前、すごい奴だったんだな……」

 ぽつり、賛辞を送ると長谷川は驚いたように目を見開き、くしゃりと無防備に笑った。

「まっ、当然ですことよ! 腐男子ですからね!!」

 頭上に掲げたVサインが眩しい。助力に感謝している反面、さらりと助けられたことが悔しいなんて。そんな格好のつかないこと、口にはしないけど。隣の橙を見る限り、こと恋をする者は案外似たもの同士なのかもしれないと思った。手のひらに食い込む爪は、うっすらと三日月型の跡を刻む。
 ああそうだと軽い調子で長谷川は紙を手渡してくる。

「これ、今回のお代ね」

 居場所教えたでしょ、という言葉に誘われ紙を見る。

「は?」
「毎年文化祭でやってんだよ。知ってるでしょ?」
「知ってる。知ってるが、なんでこれがお代になるんだ」

 ふっふふふと不気味に肩を揺らした長谷川は緩みきった笑顔をこちらに向ける。

「そりゃ、腐男子ですからねっ!」

 手渡された紙には『〜ステージより愛を込めて!〜 参加票』という印字。記名欄には俺と橙を含め何人かの風紀委員の名前が連ねられている。

 ステージより愛を込めて。
 名前からおおよその推測はつくだろうが、文化祭委員主催のステージイベントの一つで、毎年多くのカップル成立の一助となっている告白企画だ。

 俺の手元を覗き込んだ三浦は、うわぁと顔をしかめる。ご愁傷様じゃねぇんだよ。お前の従兄弟だろしっかりしろ。
 対する橙はどこか余裕そうだ。はてさて、牧田と二村、加えて神谷がこれを見たらどんな反応をすることやら。

 今頃不良よろしく生徒に睨みをきかせている面々を思い浮かべ、思わずため息をつく。
 どんなに説明が億劫でも、文化祭の日はやってくる。参加票の三文字は、大きな変化の予感を運んでいた。






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