あの夏の日を忘れない
34 田辺流side
『泣くなよ……』

 そういう椎名の声も泣きそうで、これがこの双子の在り方だったのだと思い知らされる。

“少しでも傷つけてみろ。俺は椎名を許さない"

 そんなこと、あるわけないだろうに。

「許されないのは俺の方だ」

 それをあっさりと許してしまうのだから、度量が大きいというかなんというか。それが椎名の強さであり、弱さの所以なのだろうが。
 思わず苦笑が漏れた。他の教室と同じく、ここ生徒会室のスピーカーからも相変わらず双子のやりとりが流れている。

 颯爽と学園に帰ってきた桜楠は、まるで別人のように自信に満ちていた。どっしりとした構え方がそうさせるのだろう。学園を離れる以前はいつも余裕がなく追い詰められたような顔をしていたのに。

 支えなくてはと思っていた。
 目を離した隙にぽっきりと折れてしまいそうな友人を守らなくてはと。いつしか、それは恋になった。桜楠の苦しみの本質を知りもせず、守ったつもりでいた。

 ――大切な友人を傷つけてなお。

 案外大雑把だと評される俺にも、案外繊細な面があったらしい。椎名に許すと言われたものの、俺は自分を許したくないのだ。人の柔い部分を踏みつけて、たった一言で許される人間でありたくない。それをした瞬間に、俺は椎名の友人でいられなくなってしまう。
 だがまた許すなと訴えるのも、椎名が言うように『我が侭』なのだろう。

 だったら、

「俺にできることといえば、精々この程度なんだよなぁ」

 目の前の執務机に足を叩きつける。大きな音を立てて机は揺れた。目の前の面々は身を縮ませる。ただ一人、越賀羽だけは背筋をピンと伸ばしている。それでもよく見ると指先が震えているから、これは彼のせめてもの矜持なのだろう。

「さて諸君。事の責任、とってもらうぞ」
「……椎名由のことなら証拠なんてないはずッ! 第一俺らは見てただけだ!」

 問い詰めるより早く釈明する親衛隊に、越の眉毛がぴくりと跳ねる。諦めているのか口を挟まずただ前を向いている越に、哀れだなぁと思う。

二村菖から夏目に連絡が来た日。二村を除く風紀の面々と俺とで緊急会議が開かれた。そこで漆畑の仕事ぶりを間近で見たから、越の実家あたりに事情があることは知っている。実家にも見放され、非公式とはいえ親衛隊員にも見放され……。起こした事件の大きさゆえに一切の擁護はできないが、流石に気の毒に感じてしまう。

ちなみに、俺がその会議に参加できたのは単なる偶然の産物。二村の連絡が来たその瞬間に、たまたま夏目の隣にいたからだ。
 血相を変えた夏目に声をかけたのは反射だった。夏目の動揺する姿に、十中八九椎名に何かあったのだと思った。走りださんとする夏目を引き留め、俺もまぜろと持ち掛けると、訝しげではあったが結局は参加させてくれた。恐らくだが、無駄にごねられるよりはと判断したのだろう。夏休みに椎名と仲違いした俺の言葉だからか若干複雑そうではあったが。

 夏目自身は大して長所だと感じていないだろうが、俺は夏目のこういうところがすごいと思う。いくら椎名が許すと言ったところで全てを割り切れる訳ではないだろうに、あくまで外野として口を出そうとはしない。度を越せば口も出すのだろうが、黙って椎名を支えている。

 夏目の支え方を見て、気付いた。
 俺の支え方は間違っていた。桜楠を支えたいと嘯いて、その実俺は自分の恋を守りたいだけだった。そんな身勝手な思いで、桜楠を救うことなどできるはずもなかったのに。

『由、何度でも言う。お前は、お前は俺の大切な弟だ』

 必ず守るとマイクが拾った呟きは、果たして椎名に届いたのだろうか。放送室から遠く離れた俺達には知りようもないことだが、届いていたらいいと思った。
 ふと、溜息をつく。俺が迷って間違って後悔している間に、桜楠はこんなにも強くなって帰ってきた。であれば、副会長たる俺も相応に働かなくてはいけないだろう。

「で、椎名由がなんだって?」

 わざとらしく耳をかき、呆れたような表情をつくって鼻で笑う。

「だーれがそんな話したよ」
「なッ……! だって今、放送が流れて」
「うん。流れてるな? それがどうした。この放送は放送室に入った桜楠が誤って放送スイッチを押してしまったただの事故だぞ? 今頃事態に気付いた放送委員が駆けつけてる頃じゃないか?」

 実際は生徒も教師も風紀委員が押さえているからそんなことにはならないのだが。放送開始前に生徒会室に連れてこられたこいつらには周囲の異変なんて分かりやしない。かませるだけかましてやれ!
 そして心の中で笑ってこう言うのだ。

 嘘だけど、と。

「諸君らをここに呼んだのは、椎名に関することじゃない。それともなんだ。君らは椎名を傷つけたのか?」
「い、や。そんなことは」
「そうか! そうだよな。もしそんなことがあれば今度の会合でうっかり嘆いてしまうところだった。安心したよ」

 田辺の家業と彼らとは直接の契約関係にないが、田辺の契約相手は多い。そんな相手が集まる会合で悪評を流されるなんて、企業として息の根を止められるにも等しい仕打ちだ。下手したら企業が倒れかねない。

 根も葉もないと出るところに出てしまえば困るのは彼らの方。とはいえ、椎名自身も被害にあったことを隠してしまう方がメリットとしては大きい。次期後継者という肩書ではあるが、今現在の椎名グループのトップは椎名由だというのが界隈の共通認識である。そのトップに何かあったとなれば企業に不安が寄せられるのは必至。
 広まって気分のよいものでもない以上、事件を知る者は最小限に留めた方が利はあるというものだろう。

 つまるところ、今回彼らを呼び出すにあたって必要だったのは越の一派が危険視されるに至った過去の事件の究明。その証拠だ。
 椎名の誹謗中傷の背景にも彼らはいるのだろうが、これだけではよくて一週間の停学処分にしか持ち込めない。それでは意味がない。

「これなーんだ」

 手元の書類を宙へ放る。
 バサバサと音を立てながら床に落ちた紙に、彼らの顔が引き攣る。

「なんでこれを、」
「とある人物に協力してもらってね」

 こいつなら、と漆畑が名を挙げた意外な協力者。当の本人もまさか呼ばれるとは思っていないようだったが。ああも簡単に人の秘密を暴きにかかるとは。漆畑蓮、侮れない男である。

「過去の所業、今ここで返済してもらおうか」

 意地悪く、悪辣に。
 ――王様の隣に立てるように。

***

 放送を終えた桜楠が、生徒会室に入ってくる。一足早く戻っていた江坂は、ソファーに寝ころびながら桜楠を出迎えた。かく言う江坂も、実は先生方の説得に一役買っていたりする。

 ソファーから起き上がり手元のお菓子を桜楠に差し出した江坂だが、何かを思い出したらしく「あ」と声を上げる。

「そうそう! 伝え忘れてた。副かいちょー、副くんと仲直りしたよ!」
「は?」
「あ」

 顔を引きつらせた俺に江坂も失言に気付いたらしい。

「江坂、どういうことだ?」
「あっ、いやぁ〜。そうだった、かいちょー気絶してたから副くんと喧嘩してたの知らないじゃん」
「いつもの嘘だけどってやつか?」

 そうであれと圧を掛ける桜楠に、江坂の作り笑顔が崩れかける。頑張れ江坂。本当に頼む、頑張ってくれ。せめて俺の印象が悪くならないように伝えてくれって無理だな実際酷かったし。

 全てを悟った俺といえばもはや仏顔だ。
 その後の詳細は省略するが、身長の割に圧に弱い江坂は事実をぺろりと吐き、俺の腹部にはブラコンパンチが入ったことだけはここで述べておく。






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