あの夏の日を忘れない
29
 到着した青の別荘は海の近くに立地していた。バスから降り、伸びをする。磯の香りが肺をくすぐる。つきんと痛むこめかみに、眉間のシワを深く刻む。

「散策もしたいだろうが取りあえず中に入ってくれるか」

 青に促され面々は屋敷に足を踏み入れる。初老の紳士が、おかえりなさいませと頭を下げる。

「ただいま。久しぶりだな、片岡さん」
「はい。お坊ちゃんもお元気そうで何よりです」

 深々と頭を下げた片岡さんは、ご案内しますと俺たちを先導した。通されたのは、客間らしき部屋。大きなソファと観葉植物、壁には絵画が飾られている。
 
「お客様方にご用意させて頂いた部屋は二階の客室四部屋です。大きめの部屋ですので、それぞれ四人は寝起きできるかと」
 
 後はお坊ちゃん方にお任せしてよろしいですか。片岡さんの問いに青は軽く頷く。一礼し立ち去ろうとした片岡さんは、部屋を出る直前、ああそうだと足を止めた。

「本日ですが、旦那様もこちらに立ち寄られるそうですよ」
「げっ。なんで親父が来るんだ」
「さて。お坊ちゃんのお顔をご覧になりたいのでしょう」

 そんなかわいいもんじゃないと思うがなぁ、と顔をしかめる青に、片岡さんは苦笑する。それでは、と今度こそ片岡さんが立ち去ると、青は深い溜息を吐いた。

「じゃ、部屋決めをしようか」
「あっ、じゃあこれ使ってよ」

 日置がリュックから箱を取り出す。箱からはジャラ、と音がする。

「部屋割り棒だよ。赤、青、黄、緑の四種類が入ってるから順々に取ってって」

 準備がいい。
 順々に棒を引き、部屋を決める。

「決まったな」

 各々の部屋が決まったところで青が頷く。案内する、と青は俺たちを率いて二階へ行く。

「ここの部屋は、田辺と土屋兄、椎名と柴。次の部屋は桜楠と古賀、俺と神谷だ。向かいの部屋が江坂と秋山、二村と林。その隣が日置と東と土屋弟、牧田と漆畑だ。ひとまず荷物置いてきてくれ。四時から文化祭の会議だから、五分前に筆記用具を持って部屋前に集合」

 解散、という言葉で指示された部屋に入る。今は三時半だから大体二十分ってところか。
 部屋の中には四つのベッドがあった。

「どこにする?」
「私は由きゅんと同じベッドで。子守歌を歌わなくちゃいけないので」
「柴やめろ、歌わなくていい」
「ゆっきーです!」

 頭を抱えると、田辺はおかしそうに肩を揺らして笑う。こいつ、他人事だと思って。

「……田辺と土屋は? どっちがいい?」

 柴を扱いかねて、他二人に話を振る。田辺はここかなぁ、と窓際のベッドに座る。土屋は、余ったところで、と控えめに言った。俺はふむ、と頷く。

「じゃあ、俺は入り口近くのベッドにするから、土屋は俺の横、柴は田辺の隣な」
「弄ばれてる……っ! 喜んでっ!」

 一方的に場所を決めると、柴はぱぁ、と明るい表情をする。本当になんなんだろう、この生き物。風紀に加入してから定期的に顔を合わせてはいるものの未だに扱い方がよく分からない。溜息を吐き荷物を置く。

「あのぅ」

 控えめな呼びかけに、顔を上げる。隣のベッドを見ると、胸に荷物を抱き込んだ土屋が伏し目気味にこちらを見ていた。

「どうした土屋」
「あの、先輩。さっきはすみませんでした」
「さっき……」

 バスの中のことについてだろうか。気にしていないと言いかける俺に、土屋はしきりに首を振る。

「ちが、違うんです」
「……? 平気だ。土屋も気にするな」
「椎名」

 泣き出しそうな顔で必死に否定する土屋。なだめる俺に、田辺は落ち着いた様子で声をかけた。

「田辺?」
「謝らせてやって。北斗が何をしたかは知らないけど、そいつなりに後悔してる。ちゃんと全部、聞いてやって。……すぐに許すことだけが優しさじゃないよ」

 ……なるほど。
 ベッドの上でうつ伏せに寝そべりながらでなければもっとよかったのにな、と内心ぼやきつつ、土屋に向き直る。

「傷つけちゃって、ごめんなさい。先輩と仲良くしたくて、はしゃいじゃって、接し方を間違えました」

 土屋は緊張したように、すぅと息を吸い込む。相槌を打つと、目の前の肩から少し力が抜けた。

「僕らは双子で、ずっと一緒で。似てるのが当たり前で、周りもそっくりって笑ってた。それが僕たちなんだって」
「……うん」
「似てるって笑ってくれるのが嬉しくて、南斗も、僕も、相手の格好に寄せていってた」
「うん」

 震える手に手を重ねる。
 ごめんなさい。土屋が小さく謝罪する。

「……先輩たちも、きっとそうなんだって。勝手に思ってたんです」
「……」
「初めて会うから、はしゃいじゃって、僕も南斗も、先輩、」
「……うん」
「ごめんなさいぃぃぃ、嫌いにならないでぇ……っ!」

 ぼろりと零れた涙を引き金に、土屋がわんわんと泣き出す。思わずぎょっとした俺に、土屋はぎゅぅとしがみつく。

「うぇぇぇぇぇ、ごめ、せんぱ、うぇぇ」
「土屋、おい、ああもう!」

 止まる気配のない涙に、土屋を抱きしめかえす。

「北斗っ! 許す! 許すから泣くな!」

 ぽかんとし一瞬泣き止んだ北斗だったが、俺の言葉を認めるとぎゅうぎゅうと腹に顔を押しつけて泣き出した。

「北斗ぉ……? 泣くなって……」
「だって先輩がやさしいからぁぁぁ〜〜〜!」

 もうどうしたらいいか分からない。困り果て、こちらを見ていた柴に視線で助けを求める。

「由きゅん、私もゆっきーって呼んでください」
「最悪なタイミングで自己主張するのやめてくれ」

 はぁ、と深い溜息を零す。ちらりと奥のベッドを見ると、田辺がうつ伏せに眠りこけていた。この野郎。





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