116、恋こそ罪なれ


ワポルの指揮する奇襲船の襲撃を乗り越えたメリー号は、その傷跡を残したまま宵の口を迎えた。風邪の時、日が暮れてくると熱は高くなることがある。それは今ナミがかかっている病気も同じでようで、熱をはかってみると41度を超えていた。ナミの熱は上がるばかりだ。

「ナミ…辛いわね。ごめんね、何もできなくて」
「やっぱり腹空かしてんじゃねェのか?」

タオルをしぼっておでこに乗せるとナミは少し眉間にシワを寄せた。夢の中でも苦しそうに荒い息を黄色のパジャマにこぼしている。倦怠感もあり痛みもある中、呼吸もままならないのは想像できないほどに辛いだろう。

ナミのベッドの前でしゃがみ込んでいるアリエラの後ろにビビとルフィとサンジが心配そうに眉を下げて航海士を見つめていたのだが、やっぱり船長はまだ病気が何なのか、どんな苦しみを持っているのかをイマイチ理解していないらしい。

「肉100人分ナミに食わせよう!」
「あのなァ…」
「ルフィくん、」
「なあ、ナミ。元気出してくれよ!」

必死で体を使ってナミを笑わせようとしているルフィはルフィ並みにとっても彼女を心配して気にしているのだろう。気持ちは伝わってきて、サンジと彼の隣に並んだアリエラはお互いに顔を見合わせて困ったように眉を下げた。

「……全然笑わねェ…っ、」
「あのね、ルフィくん。見ている余裕もないほど高熱に苦しんでいるのよ、ナミは」
「んんっ、熱ってそんなにも苦しいんだな…」

ひょこっと顔を覗かせてルフィに告げると、彼もこちらに目を向けて大きな黒い虹彩をくるりと丸める。むむむ、と唇を結んで何かを考える素振りを見せると、ルフィはあ、と閃きを浮かべてナミに顔を向けた。

「水とかぶっかけたら熱引かねェかな?」
「「っ、アホかァァ!!」」
「まあ、乱暴なビビちゃんも可愛いわ

とんでも発言をしたルフィは本当にやりかねなくって、サンジとビビは声を合わせて船長を蹴り殴り、入り口にふっ飛ばした。衝撃に壁にかけていたアリエラの絵が少し傾きルフィの額にごとっと落ちた。額縁の角がおでこに当たったがゴムだからそんな痛みはないのだろう。うう、と声を漏らすだけで動きを見せない。

「まいったな…。そろそろ日が沈む頃だ」
「ええ…」
「冬だから日の入りが早いわね。どうしましょう?」
「今夜もどこかでイカリを下ろしましょう。航海士のナミさんなしでの夜の航海は危険だもの」
「そうだな」

偉大なる航路の夜の海はそれはもう想像を絶するほどに過酷だ。突然、魔の海域に足を踏み入れてしまうことだってある。そういうことで、外にいるゾロとウソップに今夜の航海状況を告げて、イカリを下ろし、帆を畳んでもらった。その間も、ルフィは入り口で横たわったまま。寝てしまったようだ。


その夜、料理の匂いに目を覚ましたルフィがキッチンに飛んできて、ナミを除くクルーでサンジの特性パスタを食べたあとナミのことが気がかりなルフィとウソップとビビとカルーはすぐに女子部屋に降りていった。ラウンジに残ったのはゾロとアリエラとサンジの三人。二人ともアリエラがナミの元に駆け付けないのは珍しいな、と思いながら酒を飲み、サンジもようやく一息ついてご飯を食べている。

「…大勢で駆けつけたらナミもゆっくり眠れないんじゃないかしらって」
「…あ、そっか、そうだね」
「…ふうん、」

何故考えていることが分かったのか。二人は少し吃驚しながらも飲み、食べるペースを速めていく。そんなお兄様方にアリエラはくすりと微笑んだ。だって、気づいていないのかもしれないけれど、隣のゾロも向かいのサンジもさっきから何度もこちらをチラチラみるのだから言いたいことはわかってしまう。もっとも、二人は“何故”と言う気がかりと共に“惚れている女の子”に意識を絡め取られていたわけだけれど。

「サンジくん、ごはんはやっぱり終わった後に食べたいの?」
「ん? どうして?」
「宴の時以外は絶対に一緒にごはん食べないでしょう?」
「ああ、うん。みんなの食事中はおれの仕事中だからね。仕事に全うしたいんだ」
「ああ、そうだ。コックにはそれしかねェんだからきっちり働いてもらわねェとな」
「ったく…いつも思うがなんでてめェはそんなエラそーなんだよ。ねえ、アリエラちゃん」
「うん。ゾロってお殿様みたいな時あるわよね」
「あるある。何様なんだよ、クソ剣士」
「うるせェ、てめェよりはそりゃ偉いだろ」
「てめェ…ッ、」

けっと笑ってお酒を呷るゾロに突っ掛かりたくなったが、今は食事中でここは神聖なるラウンジだ。絶対にここでは体を使った喧嘩はしたくなく、サンジは怒りをぶつけるようにパスタを巻いていく。サンジくんはゾロよりもちょっぴり大人なのね。とアリエラもカフェインレスの紅茶を啜って、航海日誌にペンを滑らせていく。

「…アリエラちゃんって綺麗な字書くよなァ」
「ありがとう。字を書くの大好きなの」
「ああ…習字やってたっつってたな、アリエラ。確かにまあ、見事なもんだな」
「うん、習っていたの。ゾロ、よく覚えているわね」
「そりゃあ、お前のことだ。覚えてるよ」
「えへへ、嬉しい
「……」

瓶に口つけたまま優しく微笑むゾロを見て、腹のそこから湧き上がってくるどろりとした感情に吐き気がした。フォークを置いて、冷たい水を流し込むと幾分か安らぎは返ってきたが、胸のジリジリとした焦燥はどうにもできずにただ飼い慣らすだけだ。
アリエラが習字を習っていたことは知らなかった。ゾロとアリエラはサンジよりも過ごしている時間が長いから、遅れをとっている気がして心が先行くような、じっとしていられないような焦りが体の奥からじわりと溢れ出て、全身をキュッと冷たくする。

アリエラもゾロに笑みを浮かべていて、薔薇の棘で刺されたような痛みを感じながら、ゆったりとコップを置いた。ああ、早く煙草が吸いてェ…。
最後の一口を食べ終えて、ナプキンで口元をそっと拭うと大きく目を見開かせたアリエラとバチッと視線が絡まった。

「どうしたの?」
「…サンジくん、食べ方がとっても綺麗ね! 男の子とは思えないくらいに、なんて気品があるのかしら!」
「はは、そうかな? ありがとう」
「…そうか?」
「ええ、そうよ。わたしが見てきた男性の中で一番動きが綺麗なの、本当よ」

にっこりと笑みを浮かべるアリエラの、その笑みと言葉だけでどうしてか今まで飼い慣らしていた黒い感情は金色に包まれて洗礼されてゆく。胸に刺さった棘を綺麗に抜かれて、大きく息を吸うことができた。彼女は、女神だ。どうしていつもこうほしい言葉をくれるのだろう。

「アリエラちゃんに食べ方を褒めてもらえるのはお世辞とか…贔屓とか、そんなのなしに本当に嬉しい。おれさ、レストランで働いてたからいろんな人の食べ方を見てきたんだが、アリエラちゃんを見たときはそりゃ驚いたってもんじゃなかったな。上品だとか、気品だとか、そんな言葉じゃおさまらねェほどに動作が綺麗で…そう、食に対して誠意を持ってるっていうか…ぞんざいにしてねェのが心から伝わってくる、そんな食べ方でコックとしてこの上ねェほどに嬉しいこと何だぜ」
「まあ…、嬉しい…。そんなお言葉をいただいたのは初めてだわ」

頬を両手で包んで頬をピンク色に染めているアリエラに、さっきとは異なり胸にひだまりが宿るのを感じる。代わりにゾロがつまらなさそうに眉を顰めて、ぐいっとお酒を飲んだが、これでお互い様だ。サンジは笑みを描きながら、ポケットから煙草を取り出して、アリエラに煙がかからないように換気扇の前に立って火をつける。

ああ、本当に。アリエラちゃんの食事に対する姿勢におれは惹かれたんだよなぁ。過去に何があったのか分からないけれど、誰よりも誠意を感じて食に対しての価値観が近くて何だか気になり始めたのだ。そして、あとはやっぱり毎食必ずお礼を言ってくれるところだろうか。コックとして当たり前の仕事をしているだけで、サンジ自身も料理をするのが大好きで何よりの楽しみだから、ここにお礼などいらないのだが、彼女は毎日毎食律儀にこれとこれが特に美味しかったわ、ありがとう。と心からのお礼をしてくれる。これは簡単に見えて誰でもできることではないし、彼女のそのコックに対する在り方が本当に嬉しくって、それで気がついたら恋に落ちたのだと思う。
“あの人”に色味が似ているからってのは、これはもう潜在的な部分で惹かれたのだろう。

「お前はすぐ煙草だな。ニコチン中毒なんじゃねェか?」
「アル中剣士に言われたかねェ」

うんざりしたように細い瞳で紫煙を眺めるゾロに皮肉を返し、ふと思う。こいつはいつどう言った理由でアリエラちゃんに惚れたのだろうか。ライバルとして、同じ女の子を好きになった者同士として純粋に訊ねたくなった。望むなら朝まで語り尽くしたっていい。ま、こいつが頷くとは思えねェが、と肺にたっぷり送った煙を吐き出しながら食後の紅茶のためにケトルに火をかけた。
今日は不寝番だからカフェインをたっぷり取らなければ。あとで何度かナミさんの調子を伺いに言って、必要ならおかゆを作って差し上げることもできるし、おれでよかったな。今日の不寝番。今はビビちゃんが見てるから安心して用事ができる。

「アリエラちゃん、おかわりはいかがでしょう?」
「ええ、いただくわ」
「おれも酒」
「うっせェ! 酒はもうやらねェよ!」
「チッ…」
「うふふ、ゾロったら本当にサンジくんのこと言えないわよ」

何かあるごとに酒、酒とねだるゾロは咥え煙草をしているサンジに何かを言える立場ではなくアリエラはクスクス笑ってしまう。惚れた女に笑われて居た堪れない気持ちになったが、あはは、と気持ちよく笑う彼女に自然とやさぐれた心は解れていく。そして、こんな大きく口を開けて笑うのにやっぱり品があって不思議なものだとゾロは胸のうちでつぶやいた。その気持ちの良さはサンジも感じ取っているらしく、つられて楽しそうに笑っている。

そういや、この男は喜怒哀楽が激しい野郎だな。と思った。ウソップと肩組んで大笑いしてると思えば女どもを見て目ハートにしているし、つまみ食いしたルフィには怒りを見せ、ナミの病気がわかったら号泣し。ものすごくものすごく千歩ぐらい譲って言うとすれば愛嬌がある男なのだろう。ゾロはじっと換気扇の下で揺れている金色の髪を見つめて考え込んでいた。

「(…アリエラもこういったうるせェ男がいいのか…?)」

口下手で気の利いた台詞も言えなくて、喜ばせるような話もできない自分よりも──。なんて思考を回したところでストップをかける。いや、違う。何故あいつと比べなきゃならねェ!おれはおれでいいだろ、なに変なこと考えて悔しがってんだ、おれァ、なっさけねェ…!

ぎりり…と歯を食いしばってメラメラ黒いオーラを出すゾロにサンジとアリエラはどうした、なあに?と呆れて彼を見つめている。まあ…、気持ちは分かるぜ。とサンジは何となくゾロの心情を察して煙草を吸いながら沸騰したお湯をアリエラ用のポットに注いでいく。今回のは白桃とマスカットのお茶でアリエラが特にお気に入りのものだ。
そう、お互いないものをねだってもしょうがないとわかっているけれど、一度は悩まずにはいられないのだ。器用に咥えたまま煙を吐き出して、アリエラに上品なティーカップを渡すと「わあ、これ私が大好きなお茶だわ、サンジくんありがとう!」と満面の笑みでお礼を言われて「いやあっ」と微笑む。彼女には紳士にいたいから、緩みそうになった表情をぐっと堪えて、ゾロの前にも少し豪快にマグカップを置いた。

「あ?」
「酒じゃねェぞ」
「そりゃ分かってるが、なんだこれ」
「アリエラちゃんのお気に入りの茶葉だ。飲んでみろ、クソ美味ェぞ」
「ええ、とっても美味しいのよゾロ!」
「…ふぅん」

笑顔で進めてくるサンジとアリエラに、ゾロはカップを持ち上げてお茶を啜る。口いっぱいに広がる瑞々しさ、芳醇なマスカットと上品な白桃の味を少し舌で転がしてみる。ああ、これは──。

「うめェだろ? ゾロ」
「美味しい? ゾロ」
「あァ。アリエラみてェな味がする」
「え…」
「アリエラちゃんみてェな味って…てめェレディに対して何つーこと言うんだ!」
「あ?」

わなわな震えて怒りのまま指をさすサンジにゾロはごくごく飲みながらぎろっと目を向ける。何怒ってんだ、こいつ。と不思議そうに眉を上げている。サンジは変な意味にとってしまったが、ゾロはただ純粋にそう思ったから口にしただけなのだ。

「聖女アリエラ様に向かってエッチなこと言いやがって…このむっつり剣士が!」
「あァ!? エロいことなんざ言ってねェだろ、何勘違いしてんだ! てめェのがエロいこと考えてんだろ」
「うっせェ! 今はお前の話をしてんだよ!」
「話逸らすんじゃねェよ! エロいこと考えてっからそういう発想が──」

わいわいぎゃいぎゃいやり始めた二人にアリエラは困ったような笑みを浮かべた。ちらりと見上げた時計はもう23時を知らせていて、いけないまだお風呂にも入っていないのに夜更かしし過ぎちゃった…!とティーカップを持ったまま席を立つ。

「じゃあね、お兄様方。今日は覗かないでね
「あ…、、」
「う…、、」

可愛く小悪魔のようなうふな笑みを浮かべてラウンジを後にして行ったアリエラのふわふわな髪の毛が揺れる後ろ姿を脳裏焼き付けたまま、ゾロもサンジも喧嘩をぴたりと中断して、お互い同時に大きなため息をこぼした。

「…そりゃずりィって、アリエラちゃん…、クッソ可愛かった今の…! なあ、見たかよゾロ」
「…あー…つーか、バレたわけじゃねェよな」
「バレてたらおれ死ぬ。腹切って死にてェ、アリエラちゃんの衝撃波を喰らって死にてェ…いやでもあんな天使を人殺しにさせるわけにもいかねェ…から腹切って死ぬしかねェ」
「まあ、エトワールっつってもあいつはウブそうだしな、バレたとしても意味分からねェんじゃねェか?」
「ああっ、なんって無垢なんだアリエラ様…  いや、だが流石にそんな無知ではないだろ。あの子、ほわほわしてるが教養は人の倍しっかり持ってるし…いやでもアリエラ様は無垢でいて欲しい…んー…でも知ってて真っ赤になる姿もクソかわいいだろうな!」
「なァにアホなこと考えてんだよ」

ドキ、ドキ、激しく高鳴る胸を感じながら二人は椅子に腰を下ろして特にサンジは激しく頭を抱える。エロいとかそういった喧嘩をしていたから、アリエラはえろにかけてお風呂の話を出したのかと思ったが、違うのか? ラッキーすけべを食らったあと、不甲斐なさと興奮に半泣きで熱をさましたこと彼女は気がついていたのだろうか…。

「…お前、やっぱバレたくねェだろ? おれは絶対バレたくねェ。まず…まず、あんな、神聖な女神でぬ、抜いたって事実におれァ、、」
「別にバレたらバレたでおれァ、堂々としてるが」
「100こっちが悪ィのにほんっと偉そうだな、お前…。言っとくが彼女を傷つけた行為で抜くとか最低なことだからな。レディーへの冒涜だ、死んで詫びろ!」
「人のこと言えねェだろ、おめェ」
「はあ、もし彼女とその…お、お付き合いした暁にそういう行為に及んだ時、あの極上ボディにおれ出血死しちまうかもしれねェ…ああっなにまた思い出してんだ、クソコック!」
「安心しろ。アリエラはおれの女になるんだ。死ぬことはェよ、“クソコック”」
「あんだとォオ!? その自信はどっからつくんだよクソ剣士! アリエラちゃんはまだお前のこと何とも思ってねェじゃねェか!」
「だからこれから惚れさすんだよ。おめェも紳士がどうのって言ってるうちに遅れを取っちまうぞ」
「上等だ、クソ剣士。おれだってアリエラちゃんを……!」

ばちばちと火花を飛ばし合う二人。心なしか、お互いの背後に炎が湧き上がって見える。喉が渇いたからサンジに水をもらおうと駆けつけたウソップがそっと旋回窓から顔を覗かせたが、ばちばち言い争っている風景を見てそっとしゃがみ込んだ。

ああ、やっぱりサンジ君もアリエラ様にほの字だったか…何だバチバチが大変そうだぞ。頑張れ、アリエラ!

と入浴中のアリエラに、新たな恋の確信を得たウソップは心の中でエールを送ったのだった。


TO BE CONTINUED 原作132話-79話



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