112.1、戀の悩み知る君は


「ナミさん、アリエラさん。お先でした」
「うん、ゆっくりつかれた?」
「ええ」
「ビビちゃん、私のヘアオイルやボディミルクよかったら使って」
「ありがとう、アリエラさん」

ほかほかの湯気を連れて女子部屋に戻ってきたビビは、二人のベッドの隣に敷いた布団の上で綺麗に乾かした髪の毛にアリエラのオイルをつけていく。甲板では、ルフィたちが大の字になっていびきや寝言を響かせ眠っていた。この部屋の空間だけ異次元のように静かで整頓されていて、百合の香りのルームフレグランスがどこか懐かしさを醸し出していた。

「アリエラ、あんた先に入ってきなさい」
「わあ、いいの? 昨日も私が先だったけど」
「ええ。私、ちょっとしたいことがあるから先に入ってくれた方が嬉しい」
「うん、じゃあお言葉に甘えて」
「一応バスタブにお湯を張ってきたわ」
「ありがとう、ビビちゃん」

クローゼットからバスグッズを取り出して、二人ににこりと微笑んでアリエラは女子部屋を後にした。その姿を見送って、ビビはヘアオイルを棚に戻した。

「アリエラさんってとても嫌味のない人ね」
「え? 急にどうして?」
「エトワールって高貴な故にもっと。冷たくクールな存在だと思っていたから…もちろんいい意味で穏やかな人でなんか安心したの」
「ああ、そうね。私もちょっとびっくりしたことはあるわ。あの子、本当に無垢だから。色んな面でね」
「いろんな面?」
「そ。ビビ、あんたも気がついてるんでしょ? うちの恋愛事情」
「え…!? い、いや私は…何も、知りません!」
「嘘くさ…」
「う…っ、」

ナミの言葉にすぐにゾロの顔が頭に浮かんだが、勝手に人の色恋を口にするのは気が引けてむぐっと口を閉ざしてナミから目を逸らすとじっとり睨まれてしまった。
ま、いいけど。と背筋を伸ばし、ナミはベッドから立ち上がる。

「あんたが思い描いた奴に加えてもう一人…いるみたいなのよねえ」
「ええっ?」
「じゃ、私はちょっと用があるから。あとでドリンク持ってきてあげるわ」
「え、ありがとう…?」

驚愕しているビビの横を通り抜けて、ナミはスリッパを引っ掛けて階段を登っていく。このとき、何か体に違和感を覚えたが疲れてんのかしら?と特に気に留めずに女子部屋を後にした。


もう船はいかりを下ろされ、メリー号もしばしの休息時間を楽しんでいる。この風なら問題ないわね。肌で気候や気圧を読み取って、ナミはラウンジへと足を向ける。女子部屋は一度倉庫を経由しなければ外には出られない。耳でアリエラが入浴しているのを確認して、口角を持ち上げたのだ。

「蒸し暑いわね
「んナミすわん

ぱたぱた手で顔を仰ぎながら入ってきたナミにサンジはすぐに振り返ってメロリンとハートを飛ばした。すごい反射神経だとナミは呆れ笑いを浮かべる。サンジは朝食の仕込みをしつつ、お皿を片付けている最中のようだ。手には白い布巾が握られていた。

「ドリンクはいかが? ナミさん!」
「うん、ありがとう」
「はあい!」

すぐにお皿を拭く手を止めて了解を取ると、サンジは野菜室から冷えたみかんとオレンジを数個取り出した。無農薬だが、綺麗に洗って皮を剥いていく。
「ナミさん、出来るまで腰かけといてくれ」穏やかに言われて、ナミは頷き食卓椅子に座って長い足を組んだ。

彼はどこまでも女の子が大好きなのだろう。自分にはもちろん、ビビにもそうだ。最近まではアリエラにもどこまでもメロリンだった。彼女に対する変化を見せはじめたのは本当につい先日から。その中身はもちろん察しがつくけど…聞くのは野暮よねえ…。なんて短い髪の毛を指でいじりながらナミは「ねえ、」と綺麗な背中に声を伸ばす。

「はい!」
「サンジ君ってさ……恋したことある?」
「え……?」

丁寧にオレンジの皮を剥いていたサンジは、肩を揺らして驚いた瞳をナミに向けた。
綺麗な蒼はゆらりと揺れている。きっと脳に浮かんだのは同じ青の瞳と金色を持つの少女。珍しく動揺を見せたけれど、すぐにポーカーフェイスにしまわれてしまった。

「もっちろんありますよ、ナミさん おれは世界中のレディーを愛する男だ、みんなに恋してるぜ。もちろん、ナミさんにも」
「はいはい、ありがと」
「でも、どうしてそんなこと…? まさかナミさん…っ、こ、こ…恋をしてるんじゃ…ッ!?」

ギョッとしてオレンジをまな板の上に置き、ぐずぐず涙を浮かべるサンジにナミは慌てて違うわよ!そんなわけないでしょ!と訂正を入れた。このまま、どこのどいつだ、その世界一幸せな野郎はァアアァア!と叫ばれてしまいそうだったから。

「私じゃないわよ、落ち着いて!」
「え、私じゃない…って?」
「あ、いや…」

この男は頭が切れるし察しがいい。よかった、と胸に手を当ててため息をこぼした次の瞬間、思わず漏らしてしまった言葉に食いつかれてしまった。そう捉えられてしまったか…。

「…ナミさんじゃないってことは……その、アリエラちゃん、かな?」
「え、」

その子の話題を彼に出そうか迷っていたから、動きを止めてしまう。想像の展開ではなかったけれど目を見開かせてしまった。彼女の名を口にした瞬間、束の間だが悲痛そうに眉を下げたから。言葉にしなくても、それで分かってしまった…確信を持ってしまった。
ああ、サンジくん。本当にアリエラに恋してるんだ…。って。

「う、ううん…。アリエラでもビビでもないわ。ほら、恋してたらアリエラも何かしら変化を見せるはずでしょ?」
「…あァ。そ、そうだねナミさん。変なこと聞いちまって申し訳ねェ」

何を考えて何を思ったのだろう。サンジはひどく胸を痛めた顔をしたが、はっとしてすぐに笑顔を取り繕った。おそらく、アリエラがゾロに抱いている感情は恋ではなく憧れだ。きっとアリエラにとって光り輝く憧れの男性なのだろう。そう、恋ではなく憧憬。その証拠に、アリエラは「彼と恋人にはなりたくない」とキッパリ口にしたのだ。

そんなことを勝手に口にできるわけもなく、だけどサンジにそんな表情をさせてしまったこと。胸を痛めてしまったことに罪悪感と申し訳なさを抱いて、あはは…とこぼして続ける。

「違うのよ、サンジ君。アリエラは本当に誰にも恋なんてしてないのよ、だってエトワールだっていうのにあんなにも無垢なのよ? そんなの恋したことないからに決まってるじゃない」
「……」
「だから変な心配させちゃって……ごめんね」
「…あ…、」
「え?」

何も意味を含まない低い声が床を撫でて、ナミはそっと顔を持ち上げる。目の前のサンジは顔を赤くして、いやあ…と困ったような笑みを浮かべていた。そこでしまった…、と気づく。彼は彼なりにアリエラへの気持ちを抑えていて、聞くのは野暮だと飲み込んだことを結局遠回しに言ってしまったようなものだった。

「ナミさんはさすが聡明だなぁ」
「え、な…なんのことかしら?」
「あと、ナミさんは意外にも誤魔化しが下手だ。そこもクソ可愛いぜ

今の今まで照れて笑っていたのに、急にメロリンモードになったものだからナミは拍子抜けしてしまう。この男の起伏がよくわかんないわ…とじっとりした目を見せたが、ふと目がいった耳は真っ赤なことに気がついて。ああ、これは照れ隠しなんだ、と分かってふっと微笑んだ。その表情の変化に彼も気がついて、急に大人しくなり、ああ…と頭をかく。

「えっと…聞くのすっげェ恥ずかしいんだけどさ、ナミさんいつから気づいてたの?」
「…そうねえ、なんとなあくサンジ君はアリエラにだけ態度がちょっと違うなあって思ったのは先日。その意味に気がついたのは今日って感じかしら」
「う…わあ…ッ、おれそんな隠し切れてねェ?」

手を洗ってジュース作りに取り掛かったサンジはまたもや赤面しながら作業を行なっている。
何が世界中のレディーに恋してるよ。とナミは笑ってしまう。あんなにもハートを振り撒くくせに、本気の本気な女の子には可哀想なくらいにウブで照れてしまっている。

「うん…どうかしら。ビビは気付いてないみたいだけど、多分あんたが察してる通りゾロは気付いてると思う」

ウソップも何か引っかかってるみたいよ…と続けようとしたけれど、真っ赤になって倒れてしまいそうだからそこは伏せておいた。当然、ルフィは何にも気付いていないし、アリエラは…どうかしら?そりゃあ、メロリンの違いを受けるのは自分だからそこに違和感は覚えているでしょうね。

「あ、ああ…そっか。まあゾロには対抗心からか、ついそういう素振りを見せつけちまって。でも、うわ…ナミさんに気付かれていたのはクソ恥ずいな」
「どうしてよ」
「おれもまだ正直気持ちの整理がついてなくってさ…。世の女性を平等に愛するという信条を持っているから、正直彼女に落ちてしまったことに罪悪感みてェな感情を抱いちまって」
「…でも、好きになったんでしょ?」
「…ああ」
「だったらその気持ちに正直でいいじゃない。あんたのその信条も悪いとは言わないけど、人はカッコつけて“信念”や“信条”があるから恋はしないって口にするのよ。だけど、恋はするものじゃなくって落ちるものっていうでしょ? そんな理屈を盾にするのは傷つくのが怖い人間がすることよ。サンジ君はそうじゃないでしょ? もう好きだと思ったら止まれないし、その想いを大切にして価値を見出すことが私は大切だと思うけど。だって相手はあのアリエラなんだもの。女のセンスとってもいいわよ、サンジ君」
「ナミさん……」
「…あ、ごめん。恋もしてない私がこんなこと言うのなんか変よね…」
「ううん…すげェよ。ナミさんはカッコいいな…って。自分の気持ちに嘘なんかつきたくねェもんな…そっか…。ごめん、すげェ感動しちまって上手く言葉が見つからねェ…」
「…よかった。サンジ君なんか苦しそうな顔してたから」

言葉を噛み砕いて、そっかあ。と笑みをこぼしているサンジにナミも自然と柔らかい表情で彼を見つめていた。仲間の辛そうな顔なんて見たくない。ただ単にそういった思いから生まれたものだったのだが、「ナミさんがおれの心配を…っ!?」と目をハートにして近寄ってくるものだから「いいから早くジュースを作ってちょうだい」とぴしゃりと返した。

「…だけど、ありがとう。ナミさん。おれ、ずっと誰かに聞いてもらいたかったんだと思う。胸の周りのモヤモヤがなくなってスッキリしたよ」
「そう。なら良かった。アリエラは私の大切な人だから…また聞いてあげるわよ」
「ありがとう、ナミさん

ミキサーにかけた果実をコップに移して、ふちにオレンジを刺してナミの前に丁寧に差し出した。
「うわあ、美味しそ!」キラキラに輝いて見えるジュースにナミは素直に歓声を上げた。喜ぶナミさんもかんわいいなあ でれでれ、鼻の下を伸ばしてナミを見つめていたが、ハッとして表情を変えた。

「え、なに」

まさか、敵襲?と嫌な焦りが背中を走ったが、サンジの表情はすぐに穏やかな愛おしいものになり、なぁるほど…。と瞳を細めた。全然気がつかなかったが、倉庫の扉がサンジの耳に届いたらしい。それから、ラウンジに続く階段を上ってくる足音。ドアの前でそれが止まると、丁寧にドアが開かれる。

「お風呂気持ちよかった。あ、ナミ!」
「アリエラ、」
「お先でした。…ナミがしたいことってジュース飲むことだったの?」
「え? あ、うん。そんなとこ」
「へえ…? サンジくん、お水いただけるかしら
「もちろん! ハーブティーも用意するから、少し待っててくれねェか?」
「うん。ありがとう」

冷蔵庫から冷えたお水を取り出し、コップに注いだり、茶葉を用意するサンジの表情はこちらからは見えないが心底嬉しそうに弛んでいるだろう。そんなことを思いながらナミは空になったグラスをもったままそっと立ち上がった。

「じゃあ、私もお風呂に入ってこようかしら
「いってらっしゃい」

代わりに腰を下ろしたアリエラに気づかれないように、ナミはシンクにグラスを置きながらサンジにごゆっくりと囁いた。彼の綺麗な顔は困ったように笑っていて、指先がかすかに震えていることに気がついた。そんなにもアリエラのことが…。彼の優しい愛が何だか嬉しくって、ゆるゆるになった笑みを浮かべてドアへと向かっていく。不思議そうな顔をしたアリエラが「ナミご機嫌ね」とお水を渡してくれたサンジにこぼすと、彼もまた「おれもご機嫌なんだ」と穏やかにそう返した。





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