110、炎壁の中


ごうごう、ぱちぱち、音を立てながらキャンドルセットは業火に包まれてゆく。全身、オレンジに包まれたキャンドルセットはどろりと動きを見せた。溶かされた大きな真っ白がぼとっと地に飛びちると、まるでそれが合図だったかのように次々と蝋が雨のように地に降り注がれていく。

「すげェ火だなぁ! 大丈夫か? あいつら」
「クソ……っ、よくも私のキャンドルキャンサーを…っ、許さん!!」

悔しさに歯を食いしばったMr.3はゆらゆら空気を揺らす火の熱に溶けかけてきた鎧を脱いで、そそくさと森の方へと走っていってしまった。

「あ! 逃さねェぞ、この野郎ッ!!」

決闘を汚したMr.3にはたっぷりお返しをしなくては。ルフィも意気込んで上半身裸のままジャングルの奥へと走っていく。蝋の雫から逃げるように走っていたカルーもまた、ウソップの近くで止まることはなく許せないMr.3を追うために迷うことなく茂みの中へと一直線に入っていった。

あたりは激しい炎によりオレンジ色に包まれている。一体、キャンドルの中がどうなっているのか肉眼で確かめることはできなかった。スナイパーゴーグル越しだったら何か分かるだろうか…。傷だらけの腕をそっと持ち上げてみると、腰により重たい重力がかかってハッとする。そうだ、ミス・バレンタインに拘束されたままだったのだ。この興奮に忘れかけていた現実を引き戻すと同時に、右頬に強烈な刺激が走った。

「…やってくれるじゃない、あなた達!」
「ウッ、…ブッ、」

今度は左頬に。完璧に進んでいた計画が完全に失敗に転がってしまって逆上したミス・バレンタインに馬乗りにされたウソップは、抵抗もできない状態で往復ビンタを食らっていた。今、彼女は体重を自分のモノに戻している。相手は女だし腕っぷしなら無用でウソップの方が強い。なのに反抗できないのは、全身に被爆を2回も受けて彼女の一万キロプレスもまた直に食らった後で、もがく体力を持ち合わせていなからだった。

「余興はもう終わりよ!」

頭に血が昇ったミス・バレンタインは、激しく瞠目したままふわりと妖精のように宙を浮き上がって空の上で動きをピタリと止めて、上空数メートルの高さでウソップを見下ろした。

「その首の骨、粉々に砕いてあげるわ!!」

必殺1万キロプレス!怒りに満ちた色が広場に満ちていく。この状況であの技を食らったら生きていられる気がしない。だけど、逃げるだけの体力は持ち合わせていない。
やべェ…ッ、命の危機に全身の産毛が逆立って、針に刺されたような冷や汗が背中をぐっしょりと濡らす。立ちあがろう、死にたくねェ、どうにか逃げねェと──。
ぎゅうっと拳を作って、バキバキに痛む体に鞭を打った、その時。

「“ローゼトラップ”
「え──うわあッ!?」

ふわりと芳醇な匂いが鼻腔をくすぐって、誘われるように地面に視線を滑らすと金薔薇の花びらが数枚ひらりと地面に揺蕩っていた。この薔薇の花は…。理解が追いついたと同時に薔薇の花は主人の指令により弾けて金色の衝撃波を生んだ。それを受けたウソップは数メートル先まで飛ばされ、バウンドしながら地に伸びる。

「…あれは…!」

ミス・バレンタインはアリエラの能力を知らないため、突然生まれた衝撃波に気を取られてしまった。落下しながら、何あの技…と訝しんでいたから右方向に忍び寄っていた影に直前まで気がつかなかった。

「ええーいッ!」
「てやあ!」
「キャアアッ、」

炎の中からジャンプして出てきたビビの孔雀スラッシャーに身を斬られ、ナミの棒に叩き弾かれ、ミス・バレンタインは悲鳴をあげて地にスライディングし、あまりの痛みと衝撃に意識を飛ばした。

「ナミ…アリエラ、ビビ!」
「熱いわね、全く」
「ウソみたい…私たち生きているのね…」
「はあ、苦しかったわ…。この炎の方がよっぽどマシよ」
「でも熱いのには変わりないわよ。他にやり方なかったの?」

ナミとビビの隣に鞭を構えたアリエラも並び、三人はウソップにとびきりの笑顔を見せた。もう死を覚悟したのだから、こうして新鮮な空気を吸って仲間と会話できることが何よりの喜びだ。
ピンピンしている3人にウソップはホッと肩の力を抜いて、ナミに目線を滑らせる。

「贅沢言うな。助かっただけでありがたく思え」
「そうね。ありがと」
「ウソップ、本当にありがとうッ!」
「お、おい、アリエラ、!」

ててて、と走ってウソップにぎゅうっと抱きついた。ぽよんと当たる柔らかさ。え、ちょっとかなりでかくねェか、と頭がくらりとしたがコホンと咳払い。今はそんなことに思考を傾けている場合じゃないし、こんなシーン、ゾロとサンジに見つかったら…。そう思うと、超巨乳の絶世の美女エトワールに抱きつかれる喜びよりも恐怖の方が優ってしまう。ゆっくりとアリエラの体を押すと彼女はすんなりと離れてくれて、乱れた呼吸をすう…と整える。

「ゾロたちに言っちゃおうかしら」
「マジでやめてくれ、ナミ。おれ殺されちまう…! あいつらのおっかねェ顔が…ひいッ、み、Mr.5…!」

自分の体を抱きしめながら、まだ出てこないゾロの方向に顔を向けるとMr.5と目があって、ウソップは剣士達よりも怖いその表情、銃に短い悲鳴をあげた。だが、怖がっている余裕はもうない。本能に導かれるままパチンコを取り出して、ある弾を掴み装着する。

「蝋が溶けやがった…仕方ねェ。もう任務をしくじる訳にはいかねェんだよ」
「どうしましょう…ウソップ、私が…」
「いいや、下がってろ。ここはおれが受けて立つ」
「まあ、かっこいいわね!」
「巨人になりたいらしいわよ」
「巨人さんに…?」
「違ェよ! つかそんなこと話してる暇はねェ……見てろよ、Mr.5!」
「…フン、1分で始末してやる」
「“必殺 火薬星”!!」

装着した弾をMr.5目掛けて撃ちつける。ウソップの技を受け止めたMr.5はやれやれと首を振って、自ら火薬に飛びついていく。大きな口を開けて口内で受け止めると、呆れた目をサングラス越しに投げた。

「バカが。爆弾人間のおれに火薬が効くはずねェだろ。さっきも身を持って実証済みだ」
「フン、食らいついたな!」
「ん……、ッ!」
「おれは嘘つきでねェ…。そいつは火薬じゃなく“特性タバスコ星”だ!」
「ぐあ…ッ、辛──ッ!!」

ビー玉サイズのタバスコを一気に食らったMr.5はその辛さに全身から汗を吹き出させ、炎を空に向かって吐き出した。流石の爆弾人間でもタバスコの辛さには抗えないようだ。

「だーッはっはっは! 効果は身を持って立証済みだ!」
「そういえばウソップ、この前のお夕食の時あまりの辛さに転げ回っていたものね」
「この実験だったってわけね」
「ぐお…ッ、くそ…おのれ…海賊ども…ッ、ゴホッゴホ!」

立っていられずに四つん這いになって、汗と鼻水をだらだら垂らして何とか辛さに耐えると次第に口内を襲っていたビリビリは引いていく。まだ麻痺した感触は残っているし、辛いのは辛いが動けないほどではなくなった。

「よくもおれをコケにしてくれたな…全身爆破で消し去れ!」
「うえっ、!」
「骨のカケラも残さん!」
「「ウソップ!!」」

ウソップの首を引っ掴み、自分に引き寄せたMr.5にアリエラたちはハッと息を呑む。

「いやあーーッ、ゴメンナサイ!!」

ぎゅうっと掴まれる腕に力はどんどん込められていく。必死でもがくが困憊なウソップには抜け出すほどの力が出せなくて絶体絶命だ。アリエラたちも武器を構えて戦闘態勢を取るが、このままこちらも爆破させられたら呆気なく散ってしまう。無闇に動けずにジリジリ距離を縮めると、静けさを孕んでいた炎の中で呼吸が聞こえた。
獣の唸り、禍々しい気配。一筋の渦巻く炎が突き出され、ふわりと熱風が静けさを包み込んでいく。あ、と3人の声が重なった。背中に感じる熱にMr.5が振り返ってみると、炎の中で刀を構えた魔獣のような男の影を見て、全身に恐怖が走った。ゆらりとぎらめく二つの双眸、激しい呼吸、炎を纏った3本の刀。

「“煉獄鬼斬り”!!」
「ぐあ…ッ、!」
「うっ、」

ウソップを引っ掴んだMr.5を炎の刀で成敗したのは、遅れて溶かされたゾロだった。体が大きいから少し時間がいったようだ。この危機一髪な状況で駆けつけてくれて、ウソップは尻餅をついた状態で涙目を彼に向けた。

「うう…、た…助かった…っ、」
「燃える刀ってのも悪くねェ」
「ゾロくん!」
「よかった、ウソップさん」
「これで全員の無事が確認できたわね」

4人とも顔中に煤をつけている。ナミのシャツは全部焼けてしまったため上半身は下着のみだ。アリエラはナミほどではないが、胸から下のブラウスがなくなっている。ビビは上着も所々焼けただけで無事なよう。ゾロは足首あたりのズボンの布は焼けてなくなっているが上も特に問題はなかった。

ナミの言葉を受けてゾロは刀を収めながら人数を確認する。3人はピンピンしているし、ようやく全身溶けてきたブロギーも海賊の無事にニヤリと口角を上げていた。

「よお。命あって何よりだ」
「あァ」

ともに戦った中、ゾロが投げた言葉にブロギーは満足そうに頷いた。

「師匠!」

よろりとバランスを崩しながらウソップは涙目で彼の元に駆けていく。ブロギーの隣で失神したまま固められていたドリーも無事な様子でほっとする。

「ウソップ。なにはともあれ…残る敵もあと二人か…」
「あァ」

親友に一瞬悲しそうな目を向けたブロギーは、目前に来た弟子に強気の笑みを浮かべてみせた。




「鳥ーーッ! あいつを許すな! 決闘を穢す奴は男じゃねェ!」
「クエーーッ!」

ジャングルの中を全力疾走していると、ふと邪悪な気配を感じ取ってルフィは立ち止まる。それにつられてカルーも急ブレーキをかけて立ち止まった。

「クエ…?」

どうしたのだろうか。ルフィを見上げたとき、タイミングを見計ったようにMr.3の笑い声が空気を揺らした。フフフフ。フフフフフ。何人も重なった声を響かせ、呆然と前方を見つめている二人に己の姿を晒した。

「よく来た。ようこそ、ドルドルの館へ」
「何だこりゃ!」
「クエー?」

きょとりと目を丸めるルフィとカルー。Mr.3は姿を現したのだが、同時に無数の自分の蝋人形も当たりに並べたのだった。彼の蝋人形にミス・ゴールデンウイークの色を乗せたらそれは完璧な生きた姿となる。ざっと30人はいるMr.3の中でどれが本物なのか全く区別はできなかった。

「さあ、私がどこにいるのか分かるカネ? フハハハ、どうやら相手が悪かったようだね。相手はバロックワークスきっての頭脳コンビ。本能のみで動くパワータイプのキミには我々を仕留めることなど到底できん」
「クエッ、クエ!?」
「我はMr.3。与えられた任務は完璧に遂行する。さあ、足を踏み入れたまえ!」
「……」

Mr.3の話を聞いているのかいないのか、分からないがルフィは少しも反応を見せないでじいっと人形を見つめている。

「私に背を向けた瞬間、貴様の心臓を一突きにしてやるガネ」

本物のMr.3はルフィからは見えない位置に潜めていたナイフをきらりと光らせていた。
また森中に笑い声が反響する。ルフィの思考を邪魔するためだ。だけど、ルフィはそこには一切の興味を見せずにすう…と息を吸い込んで片足を後方にぐうーんと伸ばしていく。

限界まで引き伸ばし、勢いつけた「ゴムゴムのスタンプ」は中央右にひっそりと立っていたMr.3に直撃した。真正面に受けたMr.3はうめきを上げて顔を真っ赤にし、目を回してバタリと倒れ込む。他の蝋人形にはできない、人間特有の症状だ。まさか、この頭脳を一切使わない体力バカに…。痛みよりも驚愕の方が大きくて、意識も飛び飛びなのだがMr.3はゆっくり声を絞り出した。

「な…ぜ…、私が…本物だ……と…、」
「勘!」
「な……、」

とても信じられない答えだ。愚鈍に見せかけているだけでその実は頭脳派なのか。そう思考を回したが、とてもそうは見えないし、勘だと言い放ったルフィの瞳は極めて純粋なものだった。
へんな男だ──。そう思ったところでMr.3は意識を飛ばした。

一方、カルーも仕事を行っていた。
ただルフィについていったわけではないのだ。カルーだって戦うためにここに来た。残った敵は残り一人、ミス・ゴールデンウィーク。姿を探していると、茂みの奥深くが揺れた。そちらに駆け寄って覗いてみると、トランクを両手に下げ恐る恐る歩いているミス・ゴールデンウィークと目があった。小さな身体は震えていて、瞠目した目をカルーに向けている。

「ああ…っ、」
「クエーーッ!!」
「きゃーーッ!!」

敵を見つけたカルーは考える間もなくミス・ゴールデンウィークに突進した。体の小さい彼女は自分より体長の大きいカルーにぶつかって、地に投げ飛ばされそのまま気を失ってしまった…。
初めて敵を倒したカルーは喜びを噛み締め、クエーッ!と嬉しそうな声を大空に響かせた。



ところ変わり、蝋で出来た家の中にいたサンジは硬いソファに腰を下ろして優雅に紅茶を飲んでいた。この部屋に入ったとき、まだほんのりと温かい紅茶の入ったティーポットとカップが置かれていたが気味が悪いのでシンクで綺麗に洗って新しい茶葉で紅茶を出したのだ。

「ん…やっぱり午後はアールグレイに限るなあ」

香りの高い茶葉に、へえ意外にもいいの使ってるじゃねェか。と驚いた。こんな辺鄙な島に紅茶屋さんなどあるのだろうか?それとも外から誰かが売りに来るのだろうか?そんな思考をしている間にも、芳醇な香りが鼻腔をくすぐるから心地がいい。

「アリエラちゃんたちと優雅に紅茶を楽しみてェな。そういやこの前アフタヌーンティーセットを見つけたから──」

春島海域で美女とアフタヌーンティーしている自分の姿を想像したところで、今の状況を思い出した。

「おい、ちょっと待て。おれはこんなおしゃれに紅茶を飲んでる場合じゃねェぞ!」

少し乱暴にティーカップをソーサーに返してサンジはすっと立ち上がった。こうして呑気に過ごしている間に愛おしいアリエラちゃんたちが酷い目に遭ってるかもしれねェ!そう思うといてもたってもいられなくなったのだ。気持ちを落ち着かせるためにポケットから煙草を取り出して火をつける。

「…大体、なんでジャングルにくつろぎ空間があるんだよ」

やはり戻る疑惑をぷかぷか浮かべながらも知ったってどうでもいいことだろう、と踏みこの部屋をあとにしようとドアノブに手をかけたその時。
プルルルル プルルルル──。
独特な声が部屋中に響き渡った。しん。と満ちていくこれは電伝虫のものだ。なんでこんなジャングルに…。もう一度同じことを思い直して、サンジはテーブルまで引き返す。
3コールが鳴り終わったとき、サンジは受話器を上げてドカっとソファに腰をおろした。

「ヘイ、毎度。こちらクソレストラン」
『……』
「ん?」

息遣いは聞こえるが何にも返事がない。不思議に思い、きょとりと目を丸めると
『フザけてんじゃねェ。バカ野郎』空気を揺ら気迫のある低音がサンジの鼓膜を刺激した。聞いたことのない声だ。声から推測して30…いや、40代だろうか。

『てめェ、報告が遅すぎやしねェか?』
「はあ、報告? そちらどちらさんで?」
「おれだ。Mr.0だ」
「──、」

タイミング良く何となく取った電伝虫のその向こうにいる人物は、奇しくも今最も警戒しなければならない人物だった。ルフィたちとは違い、自分の正体はバレていないからとりあえずは安心できるが…この島に“追手”が来ていると踏み、サンジはすう…と綺麗な目を細めて耳を傾けた。


TO BE CONTINUED 原作126話-76話



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