109、蝋人形


「何やってんだ、バカ野郎ッ!!」

蝋人形になってしまったゾロたち。それでも尚、レジャーシートに腰を下ろしてお茶を飲んでいるルフィの姿。あまりの現状にウソップは思考を停止してしまった。次いで、登ってきたどろりとした感情を船長に吐き出す。

「お茶が美味ェ…ッ、」

彼は身体を震わして必死にこの呪いを解こうとしていた。離れた場所からでも、小刻みに揺れる身体と悔しさに滲んでいる声が届きウソップは歯をぎゅっと噛み締めた。オロオロしているカルーを走らせると同時に、Mr.5が茂みから姿を見せる。

「クソ、もう追いつきやがったか!」
「終わったな、てめェら全員。これがおれの究極能力だ!」

弾を全部抜いて、代わりに自分の息を6回吹きかけセットする。かちゃ、と音を立ててカルーに跨っているウソップに狙いを定めた。それをウソップも黙って見てるわけもなく、握りしめていたパチンコを構えMr.5ではなくルフィに狙いを決めた。

「“必殺 火炎星”!!」
「ぐあ…っ、」

ルフィの足元で爆発したそれは辺りを真っ赤な煙で染めて燃やしてゆく。慌てて走り逃げるミス・ゴールデンウイークは無事だが、暗示がかかっているルフィは一体どうだろうか──。
ウソップが固唾を飲んで見守っていると、後ろから甲高い声が風に乗って鼓膜に届いた。

「キャハハ! 狙いを外して味方を撃ったわ!」

彼女の声に引かれてそういえば、と思う。
さっき確かに引き金を引いたのにMr.5の銃から弾は飛んでこないのだ。何故弾が飛んでこねェ…。思案を回した途端、空気がどくんと波動を打った。

「“そよ風息爆弾(ブリーズ・ブレスボム)”!」

なんだ、この熱風と圧力は…。瞠目してコンマ一秒。ウソップとカルーは激しい爆風と炎に吹かれ、セット付近の地に飛ばされ落ちた。全身から血が流れて、焦げ臭いにおいが鼻腔にこびりつくけれど痛みは見た目ほどにはなく、意識もしっかりある。指先に意思を集中させるとしっかりと動いた。

「言い忘れていたが。おれの息は被爆する」
「う…ッ、無茶苦茶だ…、弾がねェだと…ッ、? ゲホッ、」

徐に身体を持ち上げる。内臓まではやられていないようだ。ウソップが飛ばされた隣にちょうどルフィがうつ伏せになって倒れていて、その姿にとりあえずほっとする。さっきの目的はクリアだ。

「カルー、大丈夫か? ゴホッ、」
「くえ…、」
「オイ…目ェ覚めたかよ?」
「ゲホッ…ッ、あァ。覚めた!」

麦わら帽子をそっと押さえてウソップにお礼を言い、ルフィは立ち上がった。煙がほんのりと残る景色を見つめる。さっきまで退屈そうにレジャーシートに座っていた女の子は、ウソップの攻撃から逃れるために茂みの近くまで下がっていた。

「さっきの攻撃は服ごとカラーズトラップを燃やして暗示を解くためのものだったの…」
「…もう食らわねェぞ! あの絵の具! もう一人だって死なせてたまるか、怒ったぞおれは!!」

ミス・ゴールデンウイークの少し驚愕した声に続き、ルフィは腹のそこから湧き上がる怒りをどろりと空に爆ぜた。


   ◇ ◇ ◇


その頃、ずっと姿のなかったサンジはメリー号の前で難しい顔をして唸っていた。

「やっぱ変だ。クソおかしいぜ!」

変な鳥の鳴き声のみが響く中、サンジの低音につられて紫煙がふわりと揺れた。やはりまた考えて時計を見てみても、疑問は解消されない。

「こんなに待ってるのに何故誰も帰ってこねェんだ? それにナミさんとウソップもいねェ…うん。レディたちに何かあったんじゃ…だとしたらトカゲ料理なんてしてる場合じゃねェ! レディをお助けしねェと!」

試合終了のゴングが鳴ってメリー号に帰船したのはいいが、それから約1時間経ってもルフィたちどころかゾロとアリエラも帰ってこないのだからいい加減痺れを切らしてしまった。おまけに、絶対に船から降りない!と固い意志を持っていたナミとウソップもいないのだから、これは何か引っかかる。
サンジは船から飛び降りて、ジャングルに入ったところ目があったトラを蹴り手懐け、彼の背に乗って探索を再開した。

「ナミさん! ビビちゅわん!?  いたら返事してくれ好きだああ!」

目一杯叫んでみるが、こだまするだけでその言葉は虚しく消えていった。ちらりと脳裏をよぎる愛おしい金色と蒼に自然と頬が上がる。一人、名を呼べなかったレディ。

「キミにはまだ言えねェな」

綺麗な指に煙草を挟んで、ふう…と煙を吐くと澄んだ空気に真っ白が泳ぎこぼれてゆく。空は痛々しいほどに青くって、ふわりふわりのぼっていく紫煙は雲のように濃い白で、まるでアリエラみたいだとサンジは頬を弛ませた。じゃあ、青い空はおれで…。いつかこんな青空の下で二人きりお弁当でも食べれたら幸せなことだ。幸せすぎて死んでしまうんじゃないかと思うくらいに。

「…アリエラちゃん、好きだ…、」

木漏れ日のみがこもれている誰もいない静謐ななか、美しい名を呼び愛をささやく、はじめて音に出してみたら、言葉が心を持ったように熱を帯びてき、再びサンジのむねの中に返ってきた。

アリエラちゃん、好きだ…。おれはキミを──。

じんわりじんわりとした熱は心から血液に乗って愛は全身に満ちていく。この世のレディを愛する心情を持って尚、一人のレディに惚れてみてもいいではないだろうか。だって相手はあんなにも光を持っている女の子だ。レディはみんなみんな美しくって可愛くって大好きだけれど、でも彼女は違う。もちろん気を抜けば目を剥いてしまうほどに美しいのだけど、先に目が行くのはやっぱり全身を包み込んでいる内側から滲み出ているひかりだった。あの光に触れたいと心底思う。あの光の愛に包まれたいと──。

「…ん?」

口にしてまたしっかり芽生えた愛おしさにくすぐったさを抱いているうちにもトラはのしのしと歩き進めていて、いつの間にやら奥深くにきてしまっていたらしい。ぼんやりと影となって瞼にチラついた大きなものにサンジは顔を持ち上げてみると、眼前には蝋でできた真っ白な家がポツンと聳えていた。

「何だこれ。おう、ありがとな」

好奇心に唆されたサンジはトラから降りて彼に別れを告げた。時代に取り残されたこの島にポツンと存在している真新しい一軒家が気になって仕方がないのだ。人気はないけれど、一応礼儀として一声挨拶を投げて重たいドアを開けてみると、中も目がチカチカするくらいに真っ白な空間でかろうじてテーブルとソファと椅子、そして紅茶と電伝虫が置かれているだけのただの休憩部屋のようだ。とても生活していけるものは揃っていなかった。


   ◇ ◇ ◇


「ハハハ。怒ったとことでもう仲間はこの通り蝋人形になっちまったが?」

Mr.5の乾いた笑い声がルフィとウソップの鼓膜を刺激した。ムッと眉間に皺を寄せて、ルフィは一歩大きく足を踏み出した。

「まだ生きてる! アリエラがそう言ってたんだ!」
「そいつはどうかな…。確かにエトワールは芸術の教養はかなり高かったみてェだが…」
「何だ、エトワールって! アリエラはアリエラだ、エトワールじゃねェ!」
「フン、そんなこと言ってる暇はねェんじゃねェか? こいつらもう1分も息が持たねェぜ。あとはミス・ゴールデンウイークの着色が進めば立派な蝋人形になる」
「ぬうう…ッ、」
「そうだガネ!! 手遅れに更なる絶望を与えよう…」

空気を揺らした鼻にかかった声。独特な語尾。これはさっきルフィがぶっ飛ばしたMr.3のものだ。ゆっくり振り返ってみると、やはり彼がそこにいた。ただ、姿…いや服装はずいぶん変わっていて成人男性にしては小柄な体長だった彼は今やMr.5よりも背格好があった。
視線を下げてみれば、Mr.3は首以外を蝋の鎧で身を包み、まるでロボットのような格好を披露した。幅も大きく、力も強く、周りの木々は倒されていく。

「出撃! “キャンドルチャンピオン”!」
「ん? なんだ、あいつ!」
「これはかつて4200万ベリーの賞金首を仕留めたという…」
「Mr.3の最高美術…」

ルフィのきょとんとした呟きに続き、Mr.5とミス・バレンタインが瞳を揺らしながらこぼした。最高美術…と呼ぶには少々淡白だけれど強いことは確かなのだろう。

「さあ、ミス・ゴールデンウイーク! 私に塗装を施したまえ! 芸術的に頼むぞ」
「そしたら休んでいい?」
「構わんとも。むしろ手を出すな」
「うん!」

ミス・ゴールデンウイークは相方からの頼みに僅かに眉を下げたが、いい答えが返ってきてぱあっと笑顔を咲かせた。ここにきて初めて見た彼女の笑み、生き生きした表情によっぽど仕事が嫌いなのだとうかがえて、ウソップは本当にやる気のねェ女だ…とほっと胸を撫で下ろした。

「こうなったら私はもはや無敵! 鉄の高度を誇るドルドルの実のロウでまろやかに包み込んだこの鎧。今の私に敵はいない!」
「クソ…どうする、ルフィ」

逃げたい気持ちは山々なのだが、そんなことをしたら仲間と師匠はこのまま息を引き取り蝋人形にされてしまう。許せない未来にウソップは己を奮い立たせるのだが、ルフィは肩の力を抜いていた。一体どうしてしまったのか。ちらりと船長に目線を配ると、彼は勢いよく顔を上げて真っ黒な虹彩にたっぷりとした煌めきを孕めて“キャンドルチャンピオン”を映した。

「かっ……かっこいい…!!」
「見惚れてる場合かルフィ! 戦え!」

かすかに震えていた原因はそれか。ウソップはがっくしと肩を落としてすぐさまお馴染みのツッコミを入れた。ウソップだってロボは大好きだ、あれだって男のロマンだ。だけれど、今はさまざまな恐怖が喉元をぐるぐる渦巻いているため憧れの気持ちには到底傾いてくれない。

ミス・ゴールデンウィークによって着色されたチャンピオンはルフィにとって更に輝かしいものとなる。きらり、きらり、いいなあ。ほしいなあ。アリエラに作ってもらおっかなあ。
鼻の伸びたルフィの声が緊迫の中で揺蕩ったが、Mr.3が隙を狙って攻撃を仕掛けるとルフィの憧憬はしゅっと消え、瞬時に「ゴムゴムのピストル」を繰り出した。Mr.3はゆうと避け、この姿限定技「おらが畑」を繰り出した。ルフィを押し倒し、地面を抉るほどの力を叩いたのだがルフィはその打撃をものともせずに起き上がり、「ゴムゴムのスタンプ」を繰り出したが、巨大なグローブでガードされた。

「無駄だ!」
「だめだ、蝋が硬くてルフィの攻撃が効かねェ!」

逆に弾き飛ばされたルフィは、キャンドルセットの土台に着地し、隣のビビたちを横目で見ながら地に降り立った。もう蝋人形にされた今も止まることなくキャンサーは回転し続け、霧の蝋をしんしん積もらせてゆく。付近にいたウソップとカルーにもその影響は渡り、肺が苦しくなって咳き込んだ。無意識に手を口に当てて何度か咳を吐き出したとき、手のひらが所々硬いことに気がついた。なんだ? ゆっくり離して見てみると、手のひらは固まりかけのろうに侵食されていた。少しべとつく白濁を指で擦りつけてみると、ウソップの脳はあることに気がついた。

「ん…? 蝋……」

顔を持ち上げてキャンサーを見つめてみる。激しく回転をしながら炎が蝋を溶かし霧を降らせている。ドルドルの実、蝋燭、蝋、炎──。あらゆる単語が脳髄を駆け回り、希望の光がすうっと伸びた。

「そうか…! 何で気がつかなかったんだ…。霧になるってことは溶けるってことだ!」
「クエ…!」
「ルフィ! こいつの蝋は炎で溶ける! いくら硬くても蝋は蝋だ! ゾロたちや師匠を救えるんだ!」
「何!? 本当か!?」
「うん、本当よ」
「キミが白状するな! ミス・ゴールデンウイーク!」

無口なのにどうして敵のひらめきに回答を出してしまうのか。Mr.3はぎょっとして怒りを上げたが、奴らは答えがなくても試していたに違いない。それにもうどうにもならないことは証明されているからMr.3は焦りを胸の奥にしまった。

「ふん。そんなことが判ろうと関係ない、もはや持って30秒…それで心臓は完全に停止する! 今頃微かに残る意識の中で苦しみもがき、死の恐怖を味わっているのだ!」
「30秒もいらねェ! 今助ける!」

ガマ口バックからパチンコと火薬星を取り出してキャンサーに狙いを定める。

「“必殺── ”」

息を止めて確実に狙いを定めたのが悪かった…。ウソップは集中しすぎてMr.5が攻撃を仕掛けていたことに気がつかなかった。自分が被爆したのだと気づいたのは全身から焦げついたにおいがふわりと香って、激しい痛みに襲われてからだ。

「ウソップーーッ!!」

もくもくと立ち登る煙、無防備だったウソップ。あの爆弾を生身で受けたなんて息をしているのが奇跡なほどだ。ルフィは激しく瞠目をして肩で息をする。喉が裂けてしまいそうなくらいに狙撃手の名を爆ぜたが……風に吹かれて煙が揺れた中でちらりと見えたウソップの息のある姿にとりあえずほっとした。

「くそお、時間がねェ!」
「フン、やめておけ」

確認が済むとルフィは片腕をぶんぶん回し、キャンサーの蝋燭を倒そうとジャックオランタンにパンチを入れようとしたが背後の警戒を忘れてしまい、ルフィはMr.3の巨大グローブに押し潰されてしまった。

「ウ…ッ、」
「クエー…」

激しい地の揺れにウソップは飛びそうになっていた意識を取り戻し、眠ってしまわないように頭を回転させるとある考えが閃いた。辛うじて腕は動く。うつ伏せのままゴソゴソとバックを探って、ロープを掴むと心配そうに目尻を垂らしているカルーの口元に差し出した。

「クエ…?」
「いいか、カルー…。このロープをくわえろ、そして……」
「あら、楽しそうね」
「「…!!」」

こっそり指示を与えていたウソップの足元から、きゃらきゃらとおもちゃのような声が届いた。ハッとした時にはもう遅く、声の持ち主ミス・バレンタインが日傘をくるりと回しながらウソップの背中に腰を下ろした。

「何を企んでいるの? 私も混ぜてよ」
「クワアア…っ、」

ミス・バレンタインはゾロと同じ身長だ。そのため、ウソップよりは少し体重が重たいがそれでも全然背中で支えられるほどだ。この余裕はずっと続くものではない。さっき彼女の攻撃を直に受けたからその能力はもう心得ている。ゴクリと息を飲んで、乾いた口を無理やり潤わせる。

「……カルー、走れ!!」
「クエーーッ!!」

涙を流しながらカルーは大きく頷いてウソップの言葉通り、キャンサーの周りをくるくる走り始めた。長いロープは何往復をしても絶えることはなく、カルーが足をつけるたびにロープも地に顔をつけていく。

「無駄だ。何もかもな」

カルーが何を目的としているのか定かではないが、Mr.5は考えるのも無駄だとフン、と鼻を鳴らし銃を向ける。

「キャハハ…“強くなる石(クレッシェンドストーン)”! あなたは何キロまで耐えられるかしら?」
「ウ…、」
「10キロ……100キロ…200キロ……300キロ…!」
「うおおあッ、」

メキっと嫌な音が背中で鳴った。同時に激しい痛みも走ってウソップは目尻に涙を溜めて空を仰いだ。カルーは今どこまで進めただろうか。痛みに揺らぐ意識で彼を捉える。必死に鳴き声を上げながら彼は言う通りにキャンサーの上にまで登って柱にぐるぐるロープを巻きつけていた。

「クソ、あいつちょこまかと…!」

Mr.5が銃でカルーを何度も狙うが、彼の足の速さには敵わず全て外してしまう。苛立ちに舌を鳴らすと「ハハハ、諦めろ!」と鼻にかかった愉快げな声が後ろで揺れた。

「奴らは私の芸術作品になったのだ! ああ、麗しのエトワール……絶世の美女は流石に初めてだガネ…、キミの着色が愉しみだ…ハハハハッ!」
「クソ…っ、そんなもんにさせるか!! あいつらの命は……お前なんかにやらねェよ!!」
「なに…っ!」

気を抜いたのが仇となってしまった。一瞬の緩みを利用してルフィは自分を押しつぶしていたトンもあるグローブを押し上げて自分の体を脱出させた。ひゅん、とジャンプして鎧の肩に足をつけ、奴の独特な3の髪の毛をがしっと掴む。

「火で溶けるんなら……この火を使ってやる!」
「いででで…引っ張るな!」
「…、ルフィ! そんな小せェ火じゃ間に合わねェ! カルーのロープに火をつけろ!」
「鳥のロープに?」
「あァ! キャンドルセットに巻きつけたあのロープはただのロープじゃねェ…。油たっぷりのスペシャルロープだ!」
「よし、分かった! みんな起きろおお!!」
「いでででで!! おい、やめたまえ…っ」

どんどん重くなるミス・バレンタインを腰で受け止めながら必死に紡いでくれたウソップにルフィはニヤリと笑って、Mr.3を掴みながらスピードを速める。Mr.3の大拒絶が辺りに響くがもちろんルフィはお構いなしだ。仲間を救うためにためらうことなくカルーが巻いてくれた油ロープにMr.3の髪先を近づける。

「ちょっと熱ィが我慢しろよ!」
「やめ…っ」
「クワアーッ!!」

ロープの先端に点火された瞬間、油に反応してキャンドルセットは巨大な炎に包まれ凄まじいスピードで白濁を溶かしてゆく…。30秒、すぎてしまったけれどゾロたちのことだ生きているに決まっている。そう信じてルフィとウソップとカルーは激しいオレンジに包まれる山を見上げていた。


TO BE CONTINUED
原作125話-76話



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