98、空を映す


ブロギーの家に再び連れてこられたナミとウソップは今、巨大な恐竜の肉の前に座らされていた。こんがりと焼けたそれは、二人を合わせた体長よりもずっと大きくずっしりしている。

「さあ、食え」

対面の岩に腰を下ろしたブロギーの手にも同じサイズの骨つき肉が握られているが、巨人の彼にかかると恐ろしいほどに小さく見えるから不思議なものだ。

「うまいぞ、恐竜の肉は」

豪快な音を立ててお肉を引きちぎる巨人に、ナミもウソップも背中にじっとりとした汗を流しながらおずおずと顔を持ち上げた。

「しょ…食欲がありません」
「遠慮などするな」
「「食べたくありません」」

声を重ねて拒否を示すナミとウソップの頬にはきらりと涙が光っている。
巨人のブロギーからしてみれば、二人の涙はまさに雀の涙ほどの小ささなのだが悲しみははっきりと伝わってくる。一体どうしたのか…よっぽどジャングルの中が怖かったのだろうか。
ブロギーは「うーん…」と困った唸りをこぼして、自分の手に握られている肉を見つめる。

「うまいのになあ、恐竜の肉…」

もう一度、豪快にかぶりついて歯形を残す。その仕草にナミとウソップは自分の行く末を想像してしまって身震いをする。巨人に食べられる感触は一体どんな感じなのだろうか。やっぱり、想像を絶する痛みに襲われるのだろうか。嫌なことばかりが膨らんでいくから、ナミもウソップもすっと項垂れた。

「…まず、おれたちに恐竜の肉を食わせて…」
「少しでも太らせて…」
「おれたち食うつもりなんだろうな…」
「そうね、巨人丸出しね」
「若いのにな、おれら」
「食べ時なのかもね」

しくしくと小声で会話を交わしていると、ブロギーは咀嚼しながら「もったいねェなあ。うまいのになあ」とのんびりこぼした。鼓膜で受け止めながら、ナミは大きくまゆを下げてウソップを横目みる。

「なんとかログがたまるまで絶食を続けて太らなきゃ生き残れるかも…」
「船はどれぐらいでログがたまるんだ? 三日も食わなきゃこの肉の焼けるにおいに誘惑されてきっと食っちまう」

三大欲求のうちの一つを我慢するなんて、とても容易いものではないが命には代えられない。これ以外に生き残る術はないと察した二人はため息を大地にこぼして、再び巨人に視線を向ける。

「ブロギーさん! 一つ質問してもいいですか?」
「ん? どうした、娘」
「こ…この島のログはどのくらいでたまるんでしょうか」
「一年だ」

にいっと口角を目一杯つり上げて、どこか楽しげに告げられた。
気が遠くなるほどの時間にナミもウソップも放心状態の末に丸太椅子の上に倒れてしまった。

「だめ……一年間も絶食できるわけがない」
「おれ…絶対食っちまう…ッ」

瞳の奥から溢れ出てくる涙を抑えることは到底無理だった。突きつけられた現実はあまりにも絶望の色が濃くて、行き着く先は捕食死だ。絶食できる日数は最短10日、最長で70日と言われている。水分も取らない選択をしたらもっと過酷だ。この島の気候を考えると三日持てば良い方だろう。人間はとても燃費の悪い生き物だろうか。ここで初めてそこへの嘆きを覚えた二人であった。
そんな嘆きも絶望も知らないブロギーは、「まあ、ゆっくりしていけ」なんて朗らかな笑みを浮かべていた。


   ◇ ◇ ◇


「ゲギャギャギャギャギャ!!」
「あはーッハッハッハッハ!!」

一方、同じ巨人族のドリーに遭遇し住処に招かれたルフィとビビ&カルーはナミとウソップペアに比べて随分と楽しげである。ドリーの独特な笑い声につられてケラケラ笑うルフィの様子を、ビビとカルーは不思議そうに見つめていた。

「こりゃうめェな、おっさん!」
「おめェのこの海賊弁当もやらもイケるぜ。ちーと足りねェがな! ゲギャギャギャギャ!」
「当たり前だ! おれの海賊船のコックが作った特性弁当だ! まずいなんつったらぶっ飛ばすぞ」

ルフィは恐竜のお肉、ドリーは海賊弁当が気になったらしくお互いの食糧を交換して昼食を楽しんでいた。今度の恐竜のお肉は、ドリーの半分ほどはあるほどの大きさなのだが、ルフィはその量に大喜びでこんがり焼けたお肉の上に飛び乗って、かぶりついていっている。もう自分の体重以上はお腹に溜まったというのに、一向に苦しそうな様子は見せない。ビビはそこにも驚嘆していた。ルフィという少年のそこはかとないパワーと魅力を感じてしまうのだった。

「ギャギャ、ぶっ飛ばすだと?」
「あ…っ」
「くえーっ」

にんまりと口角を上げながら、少しこちらに首を伸ばしたドリーにビビとカルーはびくっと身体を震わせた。特に驚いたカルーは飲みかけだったドリンクを口からどぼどぼこぼしている。
これほどの巨体を持つ男に今ここで暴れられたら…。一般的な人種であるビビもカルガモにしては大きな身体を持つカルーも一瞬にして踏み潰されるだろう。当然、ルフィも同じだ。いくら強くても敵いっこないわ!と瞳を震わせるビビだが、それも杞憂に終わった。

「ゲギャギャギャギャ! 面白いチビだ」
「ところでおっさんはなんでここに一人で住んでんだ?」

お肉を引きちぎりながら、ルフィは彼に訊ねる。
その様子にビビは「めちゃくちゃ馴染んでる…」と驚かずにはいられなかった。

「村とかねェの?」
「ん? 村ならあるさ。“エルバフ”という聖地の村だ。グランドラインのどこかにな」
「ん?」
「だが、村には掟もある」
「掟?」
「例えば、村で争いをおっぱじめて互いに引けぬ場合…おれたちはエルバフの神の審判を受ける。エルバフの神は常に正しき者に加護を与え、正しい奴を生き残らせる」

大きなお肉の塊からもう一度手に余るサイズを手で引きちぎり、それを咀嚼しながらルフィは「ふん、エルバフの神」とつぶやいた。

「それでおれもひと騒動起こしちまって…今この島はおれととある男との決闘場ってわけだ。正しい方が勝負に勝ち、生き残る」

部屋である洞窟に立てかけてある長い剣と盾は、彼の誇りであり命なのだろう。
ルフィはそれを一瞥し、また大きなドリーを見上げる。楽しそうにゲギャギャと笑い、続ける。

「だが、かれこれ100年てんでケリがつかねェ! ゲギャギャギャギャギャ!」
「100年も戦ってんのか!」
「驚くほどのことじゃねェ。おれたちの寿命はてめェらの三倍はある」

また、なんでもないように…むしろ楽しそうに笑い声をあげるドリーに今度はビビが反応した。むっすりと眉をつり上げて、薄い唇を開く。

「いくら3倍あったって100年も経てば喧嘩の熱も冷めるでしょ!? まだ戦い続ける理由はあるの? 殺し合いでしょ!」

また、雄大な大地にドリーの愉快な笑い声がシンバルのように余韻を残しながら響き渡る。だが、その時。ドリーの笑い声がそれ以上の爆音にかき消されてしまった。刹那、大地が唸りをあげて振動を与える。驚きながら、ルフィとビビが震源地を瞳で探ってみると、対向した先にどっかりと腰を下ろしている山神が怒りをあげていた。

「うわ! でっけェ山の噴火だ」

裸山の頂からはもくもくと赤黒い煙が立ち上っていて、垣間見える頂の空洞からは真っ赤なマグマがふつふつ揺れているのがこの距離からでも伺えた。

「さて…じゃあ、行くかね」
「ん?」

岩に腰を下ろしていたドリーがのっそりと立ち上がった。彼が立っただけで太陽は遮られ、ふっと大きな影が生まれる。それに引かれて、ルフィは麦わら帽子を押さえながら振り向くと、遠くを見据えて鋭い瞳を光らせる彼が勇ましく映った。
思わず、あ…と感嘆をこぼしてしまうほどに今の彼は気高かった。


同じ頃、ナミとウソップはブロギーと焚き火を囲み、涙を流しながら無理やり恐竜のお肉を流し込んでいるところ噴火が起こった。

「もう…何?」
「な、なんだ…?」

涙で味のしないお肉をもぐもぐと咀嚼しながら山の方をみあげると、恐ろしいほどに怒りをあげていて身震いしてしまう。また新たな恐怖を目の当たりにした時、今までゆっくりと食事を楽しんでいたブロギーが炎の中に食べかけのお肉を放り投げて、腰をあげた。
ちりちりと音をたて、焦げ臭さを放ちながらお肉は炭へと姿を変えていく。

「ん…?」
「あ…、」

巨大な影に引かれて顔をあげてみると、ブロギーもまた勇ましく表情を変えていて、ウソップはごくりとお肉の塊を喉に通した。
「いきなり顔が引き締まっちまった…」心でこぼし、見つめているとブロギーがその視線に気がついてにんまりと口角を持ち上げた。

「悪ィな。ちょっくら行かなきゃならねェ」
「えっ、行く?」
「ああ。100年も続けた決闘の合図だ」
「決闘?」
「誰と? どんな理由で?」
「理由か……忘れたな」

思わず立ち上がったウソップの質問に首を捻ったブロギーだが、すぐに目に弧を描いて豪快な笑い声を轟かせた。勇ましく気高い巨人の心持ちに、ウソップの胸の内で先程の恐怖がみるみる払拭されてゆく…。

「いつしかお決まりになっちまった。真ん中山の噴火は決闘の合図」

数キロ離れた先にいるドリーもまた、ビビの質問にややあって答えていた。その答えは王女にとって大変信じ難いもので「そんな…」と息を呑んでしまった。

「100年も殺し合いを続けるほどの憎しみなんて…争いの理由は一体……」
「やめろ!」

捲し立てるように追及を投げるビビの口をルフィが塞ぐ。
彼女に背を向けたまま、腕だけ伸ばし、口を塞いだルフィはドリーに顔をあげて続けた。

「そんなんじゃねェよ」
「え…?」
「そう…誇りだ」

大地を揺らしながら近づいてくる巨大な影。影に包まれた人物を見据えながらドリーは剣を振るった。高貴にこぼされた一言に、ビビは大きく目を見開かせていく。
ルフィたちに一瞥も向けずに、ドリーは足を踏ん張らせて勢いを孕んだまま中央へと飛び走って行く。かまいたちのような突風が生まれ、ドリーの剣は対向であるブロギーの斧とぶつかり合った。

「「理由など…とうに忘れた!」」

轟音が轟き、島全体に衝撃波が波紋のように伝わっていく。
腹の底を抉るような気持ちの悪さは次第に消えて、あたりは静かになった。

「あ……、」
「はあ…、」
「くわっ」

巨人同士のぶつかり合いから生まれた熱は、ルフィたちを軽やかに包み込んだ。
それは巨大な意志を持って、ルフィの胸に語りかけた。ドリーとブロギーの気高い決闘。100年続いたそれの意味。言葉にすることなどできないほどに高貴で純粋なものに、自然と身体が喜びを上げていた。気がつけば、声を漏らし、見開きすぎていた瞳は痛いくらいにカラカラだ。はっとした時にはもう気力も意志に吸い取られて、ルフィは後ろから草の上に倒れ込んだ。ふわりと頭から逃げた麦わら帽子は、しっとりとした草の上に舞い降りた。

「えっ!? どうしたの!?」
「あー…参った…。でけェ!」

慌ててルフィの顔を覗き込んだビビは、彼のこぼした一言にほっとする。具合が悪くなったのだと思ったようだ。彼に同調するように、だけどやっぱり不可解そうに、ビビは剣を斧に衝突させたドリーを見上げた。



その頃、招かれた互いの住処から巨人の決闘を見上げているクルーたちと、互いに恋焦がれる女神をかけた勝負を行っているゾロたち三人以外の他にこの密林に仄白い人影が二つ、潜んでいた。

「…おい、邪魔だ。大トカゲ」
「私に任せて」

二人の目的地である密林奥深くの真っ白い蝋小屋をがしがしと噛んでいた大トカゲこと恐竜を、金髪のショートを揺らした女がジャンプして踏み潰した。“一万キロプレス”そう口にして、恐竜の上に飛び乗ったものだから、地は崩れ獲物は地面の奥深くに沈んでいく。
息絶えたことを確認して、ほこりを払いながら金髪ショートの女が腰を上げると二人は一言も言葉を交わさないで、眼前の蝋小屋の扉を開けた。

「やあ。Mr.5」
「けっ、大層な能力だな。ジャングルに即席の一軒家とは…。だが言っとくが、この任務はまだおれたちにある。あんたには手を出さねェでもらいたい」
「もう二度とあんなドジは踏まないわ」

蝋で作られたテーブルの上には可愛らしいティーカップとポットが並べられていた。ほのかに立ち上る湯気から紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。だが、待ち伏せしていたその男の優雅さは逆に二人──Mr.5とミス・バレンタインを苛立たせることになる。
それも見越していたのか、待ち伏せしていた男。Mr.3はふんと鼻を鳴らした。

「ドジ? 違うがね。君らは弱いのだ。Mr.5、ミス・バレンタイン」

3と象った髪型を少し揺らしてMr.3は紅茶を啜った。
二人は一応任務失敗という形をとったために、言い返すことができなくて彼をただ睨むことしかできない。バロックワークスは数字が若い方が実力も優っている。Mr.3とMr.5その差の事実に胃の底がキリリと痛んだ。

「まあ、そうキツイ顔をするな。これを見るがね。私はこの島に来る機会を与えてくれた君らに感謝の一つもしたい今日この頃だがねえ」

机の上にひらりと舞い置かれたのは、色褪せた手配書だ。
埃にまみれた倉庫から引っ張り出してきたのか手触りが酷く悪く、Mr.5は顔を顰めた。目を通すと、その内容異変に気がつく。通常、手配書は一人が対象なのだがこの手配書は縦半分に割り振られた二つの顔写真に二つの名が記されていた。

「巨兵海賊団の青鬼のドリーと赤鬼のブロギー…」
「昔話で聞いたことがあるわ。これ、100年前の手配書じゃない?」
「だがそいつらは今、私たちのいるこの島に生きている。当時の金額で1人額1億ベリー…2人で2億ベリー」
「2億ベリーの賞金首…。しかし、相手は巨人族だぜ」
「優れた犯罪者は優れた頭脳によって犯罪を遂行するものだがね。君らはただ私の指示に従ってくれればいい。ちょっと工夫すればどんな山でも切り崩すことはできるものだがね」

持ち上げたティーカップの湯気の向こうに浮かぶMr.3の卑しい笑み。ぎらりと輝く眼鏡の隙間から覗く瞳は、狂気に満ちた逆三角形のように歪んで見えた。


TO BE CONTINUED


原作117話-71話

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