91、祖国と約束


「まあ…、」
 
アリエラも驚いて声を漏らすと、ハゲタカがラッコを背に乗せてどこかへと飛び立ってしまった。
嫌な予感が背筋を這う。ぶるりと身を震わせたナミは、怒りを爆発させてビビの服を引っ掴み彼女を激しく揺らし、詰問する。
 
「ちょっと!! 何なの!? 今の鳥とラッコはァッ!!」
「ごめんなさいごめんなさいッ!」
「ちょ、ちょっとナミ〜! 彼女もうっかり…」
「ほんとごめんなさい、つい…つい、口が滑って…」
「“つい”で済む問題かアッ!! 何で私たちまで道連れにされなきゃ何ないのよ!!」
「ごごご、ごめんなざい…ッ」
「さっきの二匹、あんたが秘密しゃべったことボスに報告に行ったんじゃないの!? ねえ、どうなのよ!!」
「ナミ、ちょっと流石に可哀想だわ」
 
アリエラに阻止されたが、もう既にが気すむまで乱暴にビビを揺さぶっていたナミは、およおよと涙を流して地に崩れ落ちた。
アリエラは放心状態のビビに「大丈夫?」と声をかけた後、席を立ってナミの隣にしゃがみ込んだ。彼女の背中に手を添えて優しく撫でるアリエラ自身はどうしてか、そこまで恐怖も戸惑いも浮かべていない様子だ。
そして、当然男子二人も。
 
「七武海だってよ!」
「悪くねェな」
「もう…二人は呑気すぎるわ」
 
構えなさすぎで笑っている様子に、アリエラはぷっくり頬を膨らませる。
ナミとは全く正反対で、こちらにもまったく困ったものだ。
 
「ああ…ッ、グランドラインに入った途端に命を狙われるなんて、あんまりよ…!」
「ナミ、大丈夫よ! これまで通り、みんなで力を合わせたらきっと何とかなるわ」
 
膝を折って座り、しくしく泣き続けるナミの柔らかな背中を撫で続けるが効果はないようだ。ナミは顔をあげるどころか、アリエラのことばに何も返事を見せない。
 
「早速会えるとは運がいいぜ」
「どんな奴なんだろうな〜!」
「黙れそこッ!!」
 
ナミの不安を畳み掛けるような発言をするゾロとルフィに、彼女はキッと反応を見せて彼らを睨みつけた。アリエラの細い腕を振り払い、ナミは腰をあげるとみんなに背を向けた。
 
「短い間でしたけど、お世話になりました!」
「え、ナミどこ行くの!」
「顔はまだバレてないもん。逃げるのよ!」
「いやよ、ナミ! ナミがいないなんて…寂しすぎるわ!」
 
アリエラもこのまま逃げてしまいそうな勢いで駆けていくから、一瞬ゾロの胸の中に焦りが浮き出た。あの女がいねェ生活なんて、もう──。ほとほと呆れてしまうくらいに惚れ込んでしまっている自身にため息をつくと、綺麗に鳴らしていた二人分のヒールの音がぴたりと止んだ。
 
海岸に沿って歩いているナミの目の前に、さっきのラッコとハゲタカが現れたのだ。
彼らはバロックワークスの社員“アンラッキーズ”。ラッコがどこからか取り出したスケッチブックにさっさと似顔絵を描いていく。
 
「あ……」
「まあ、私たちのお顔だわ」
 
素早く描いていくのは、ナミとアリエラの顔。ルフィとゾロのはもうさっき描き終えたらしく、二人の隣にもう既に並んでいた。ラッコとは思えないほどの画力に喫驚し、ナミはニコニコ笑顔を作って拍手を送った。
 
「あはは〜上手〜! ……これでどこにも逃げ場はないってことねッ!」
「ごめんなさい…!」
「やったあ おかえり、ナミ」
「ってか、アリエラは何でそんなお気楽なのよ!」
「うふふ、だってきっと大丈夫だもの」
 
ナミの腕を取ってニコニコで歩くアリエラに、ゾロは少し嫉妬を抱きながらもほっとする。その隣でルフィはおかしそうに笑い声を上げていた。
 
「おもしれェなあ、あいつ」
「そもそもどこへ逃げる気だったんだ?」
 
ここは東の海とは航海の仕方もまったく変わってくる海域だ。いくら秀でた航海士でも、記録指針が貯まらない限りは海を渡ることができないのに。それを考える間もないほどに、ナミは追手に焦っていたのだろう。アリエラとともに帰ってくると、再び膝を折って憂いを背負った。
 
「とりあえず、これでおれ達四人はバロックワークスの抹殺リストに追加されちまったわけだ」
「どうしてゾロくんはそんなにも楽しそうなの…」
「ひひひッ! ワクワクするなあ」
「ルフィくんも!」
 
この場の温度差は一体…。と彼らに驚き戸惑いながらもビビは影を背負うナミにあせあせと話しかける。
 
「私の貯金の50万ベリーでよければ……」
「ナミ、私のお気に入りのお洋服とお化粧品いつでも貸してあげるわ」
「…ハア…命がなけりゃ意味ないじゃない」
「な、ナミ〜! そんなに落ち込んじゃうなんて」
「ほんっとごめんなさい!」
 
ルフィとゾロも、何でそんな落ち込んでるんだ?と小首を傾げてナミを見つめているとみんなの背後に影が忍び寄る。ゾロが瞬時に察知してすぐ、「ご安心なされ!」と逞しい声が届いた。
振り向いた先にいたのは、巻き髪ポニーテールにコートを羽織ってキャミソールと白いショートパンツを身につけ、お化粧を施したイガラムである。両腕には四つ分のダミー人形を抱えている。
 
「イガラム…!」
「だい…ッ! ゴホッ、マーマーマ〜♪ 大丈夫! 私に策がある!」
「イガラム、その格好は?」
「あははっ、おっさん! ウケるぞソレ!」
「ビビちゃんの格好ね」
 
驚いて駆けよるビビに、立ち上がってケラケラ笑うルフィ。ナミもイガラムの姿をちらりと見やり「もう…バカばっかり」と盛大なため息を吐いた。
一体どこにイガラム用の女性服があったのだろうか。それも今ビビが着ているものとほぼ同じのものが…。色々と疑問は募るが、今はそこをツッコんでいる暇はない。
 
「ビビ様。いいですか、よく聞いてください。バロックワークスの情報網にかかれば、今すぐにでも追手はやってきます。ましてや、ボスの正体を知ったとなれば──わかりますね?」
「1000人くらいの追手が来るということね」
「ええッ!?」
 
真剣な表情で滔々と告げたビビにナミはびくっと身体を動かした。
1000人の追手なんてとんでもない。まだ航海に慣れていないなか、どうしろというのだ。ナミの中でますます苛立ちが募っていく。
 
「そこで、このように私が王女になりすまし、さらに四人のダミー人形を連れて一直線にアラバスタへと舵を取ります」
「これがおれ達か〜?」
「囮か…」

両脇に抱えている人形──ほぼ巨大なてるてる坊主──の頭部を指でつつきながら、ルフィは訝しげに眉を上げている。
 
「追手が私に気を取られている隙にビビ様はみなさんと通常航路でアラバスタへ」
「ちょっと待って!!」
 
緩やかに話が流れていくのを我慢できなかったナミは、語勢を強めて立ち上がった。
 
「王女を送っていくって誰が言ったの!? まだ契約は成立してないわよ!?」
「でも、ナミ。ここで見捨てるのも気が引けるわ」
「王女を送ってく? なんだそれ」
「ええ、ルフィくん?」
「聞いてなかったのか? このとっつぁんがこいつをうちまで送ってくれだとよ」
「ああ、そういう話だったのか。いいぞ」
「え…?」
 
今まで誰の話もきちんと聞いていなかったルフィはここでやっと、今一味が抱えている問題を知ったらしい。そのことにイガラムは驚いていたのだが、考える間もなくすぐに頷いた姿勢にビビも送ってもらう立場ながら瞠目する。
 
「クロコダイルが追ってくるっつってんでしょ!!」
「クロコダイルってそんなに強いのか?」
「奴は今は七武海の一人。合法的に認められた海賊なので、懸賞はかかってません。ですが、かつて懸けられた額は8000万ベリー…」
「まあ…!」
「ほお…」
「8000万って…! アーロンの四倍じゃないのよ!! 断んなさいッ!!」
 
しかも、その8000万というのは七武海に入る前の話だ。一体何年前に彼が政府に協力の意を示したのかは分からないが、七武海として蔓延る海賊に脅威を立てている以上、今の額は億越えであることは間違い無いだろう。
そんな奴に敵うはずがない。ナミは涙を流しながらルフィに拒否を乞う。だが、強いやつを目の前にした船長はナミの意見にうなずくはずがない。それはもう承知の上だが、とても黙ってなんていられないのだ。
 
「でも、ナミ。わたしたちはもう最大の秘密を知っちゃったから、どのみちクロコダイルに目をつけられることになるわ。だったらビビちゃんを送ってあげた方が誰も悲しまなくて済むじゃない」
「あんたね……私の味方じゃないの!?」
「ごめんね…」
「まあ、アリエラの言う事は一理あるだろ」
 
まだお前はぐずぐずしてんのか。と呆れるゾロにナミは厳しい眼光を飛ばす。ぎくりとしたゾロは、また雷を落とされてはかなわねェ…とそっと目を逸らした。
イガラムも海賊と船長の立ち位置をきちんと知っているのだろう。船長命令は絶対。ルフィの大きな瞳を見つめて、穏やかに双眸をほそめた。
 
「…行ってくださいますか?」
「あァ。楽しそうだしな」
「ハア……」
「ナミ〜…」
「感謝いたします」
 
眦を細めて、柔らかな笑みを浮かべるイガラムにルフィもニッコリ頷いた。ビビを送り届ける使命よりも、ビビを送り届けた先に鎮座するクロコダイルが気になってしょうがないのだろう。瞳には輝きさえも浮かんでいる。
 
イガラムはこの港のすぐ前につけている中型船の前まで歩むと、見送りのために後を追ってきた王女に向き直る。
 
「マーマーマ〜♪ では、私ビビはこれから行きますわ」
「ハハハッ! すげェ! おっさんそっくり!」
「…誰にだよ」
「うふふっ」
 
イガラムの精一杯の高音が閑静な岬に響き渡った。その間も、どうこうできなくなってしまった進路にナミはまだ膝を抱えて座り込んで、しくしく涙を流している。
美しい淡い月光が、穏やかな海面を照らしている。イガラムの出航をあたたかく見守るように。あたりは、闇を深い場所に隠してしまったかのように。不気味なほどに静かだ。
 
「では、“エターナルポース”を私に」
「うん…」
「…エターナルポース…?」
 
涙を流していたナミは、知らない単語が鼓膜を揺らしてふっと顔をあげた。
エターナルポース…もしかしてログポースの派生的な道具なのではないだろうか? 困惑中でも聡明なナミの脳はフル回転して、意識をとめた。
ナミの訊ねにイガラムもビビも少し目を丸くしている。
 
「ご存知ないですか? 言ってみれば、ログポースの永久保存版。ログポースが常に次の島へと船を導くのに対し、エターナルポースは一度記録させた島の磁力を決して忘れず、永久にその島のみを指し続けているのです」
 
偉大なる航路の航海士が常に腕につけているのは“記録指針”と書いてログポースと呼び、一方今ビビがイガラムに渡した砂時計のような置き型の羅針儀は、“永久指針”と書いてエターナルポースと呼ぶらしい。
また知らない知識が増えて、ナミは素直にへえ…と感心してイガラムの手の中のものを見つめる。置き型のそれも、針は球体のガラスに包まれている。木製の囲に“ARABASTA”と刻印されているそれを、イガラムは大事そうに握りしめた。
 
「では、王女をよろしくお願いします」
「あァ!」
「イガラム…」
「過酷な旅になると思いますが…道中気をつけて」
「イガラ…ッ、」
 
まだ少女なビビは、彼が身代わりになることへの強い心配と共に親同然でもあるイガラムと離れることに煢然たる気持ちを抱いたのだが、そんな甘えた事は言ってられないと泣きつきたい気持ちをグッと抑えた。
イガラムの優しい瞳が訴えかけてくる。全てのはじまりの日に交わした約束を──。
それに頷き、涙を飲み、彼を心配させないように笑顔を作って頷いた。
 
「あなたも」
「ええ」
 
そっと差し伸べたビビの手をイガラムもにこりと握り、温かな握手を交わし合う。国のために必死に自分の感情を抑えるビビにアリエラはほっと感心を抱いていた。
やっぱり、彼女はとっても強いわ──。あの頃から変わっていない芯の強さに胸がぎゅうっと締め付けられる。
 
「祖国で無事に会いましょう。あなたの手で王国を救うのです」
 
強く毛高き約束を交わすと、イガラムは海賊に一礼をして船に乗り込んだ。いかりを上げた中型船は、イガラムとダミー人形を乗せて、ゆっくりと地平線へと波をかいてゆく。
月に照らされる海は、イガラムの船が生む波紋に揺られ、いっそうきらきらと輝きを増した。
 
「行っちまったな…。最後まで面白いおっさんだったな〜!」
「…あれで結構頼りになるのよ」
「ビビちゃんはイガラムさんのことが大好きなのね。安心してね、ちゃんとあなたをアラバスタに送り届けるから」
「ええ…。本当にありがとう」
 
にっこり微笑むアリエラの笑顔を瞳に映したビビは、おや?と疑惑を抱く。イガラムも抱いたような小さな、濃霧に隠れた違和感。金髪碧眼…彼女、どこかで──
そう、思考を巡らせていると、ふっと嫌な気配があたりを包み込む。
 
「ん?」
 
その気配に意識が引かれた刹那、海が大爆発を起こした。
ちょうど、イガラムの船が浮かんでいる海域で……。目の前の光景に頭の理解が追いつかないで、ビビは瞳を揺らしながらハッとして目を凝らしてみるが、真っ赤な炎に包まれてイガラムも船も何も確認できない。
これは、海底火山の噴火? マグマを起こす海域? そんな優しい言葉がビビの脳裏を駆け巡るが、最後にふっと浮上した真っ黒な一言が根を張ってビビの脳を支配した。
 
もう、追手がきていたのだ───。
 
 
 

TO BE CONTINUED



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