91、祖国と約束


「ウザってェ…!」
「なんだ、こいつら!」
 
バロックワークスオフィサーエージェントのMr.5とミス・バレンタインが寸前まで、別方向に気を取られていたルフィとゾロに一瞬のうちでやられてしまったなんて。
カルーに乗ったままのビビは、再度目の当たりにした彼らの強さに疑懼を浮かべた。大きな茶色の瞳が月明かりを吸い込んで、震えている。ほう、と吐いた息も頼りなく地を撫でた。
 
「そんな……なんて強さ…。信じられない」
 
綺麗な声も、カルーのロープを持つ手も、その畏怖ゆえに微かに震えている。殴られて気を失ったMr.5とミス・バレンタインはすっかり静かになって、白目を剥いていた。
だけど、当の本人たちはビビのことも敵のこともどうでもいいみたいで、お互いがお互いに視線を向けて鋭く睨みあっていた。
 
「さてと……ケリつけるぞ、ルフィ!」
「おう!!」
 
まるで、獣だ。毛を立たせて威嚇している二人に、ビビの心臓までもが恐怖に包まれてしまう。彼らに飲まれないように、噛まれないように息を止めてぎゅっと下唇を噛み締める。カルーもその本能で危機を察知し、さっきまで怯えたなきごえをこぼしていたが、今は主人同様ぎゅっと口を結んで数歩、後退りをする。
 
ルフィは腕に、ゾロは刀を握る手に力を込めて、その本気の表れに太い血管がじわりと浮き出て筋肉の形を大きく変えた。太く膨らんだルフィの腕、太い骨と血管の浮き出るゾロの手に握られた刀はぱきっと嫌な音を立てる。
大きな黒目と灰緑の瞳は刃物のようにとんがって、赤と緑のオーラは触れるたびにばちりと音を鳴らすようだ。空気が一変する。緊迫に包まれた空気はぴりりとビビの肌を撫でた。どうしよう、逃げ出したい。そう本能が信号を点滅させたその瞬間。ルフィとゾロはやはり、獣のような唸り声をあげてお互いに拳と刀を振るったのだが──。
 
「きゃ! およしになって!」
「やめろーッ!!」
 
向こう側から駆けつけたアリエラの驚いた叫び声が上がった刹那、ナミの強烈な一発が二人の頭に落ちてこちらもまた一瞬にして地に崩れ落ちてしまった。
あれほどの能力を持つMr.5とミス・バレンタインを一瞬でやっつけた彼らを拳一つで静まらせたナミの力は、一体どれだけのものなのだろうか。ビビはハッと息をのみ、カルーは再び喉を震わせた。
 
「あんたらね! 一体何やってんの!?」
「どうして二人が戦っていたの?」
「一応あの子を守れたからよかったものの……危うく10億ベリー逃すところだったのよ!?」
 
ナミのゲンコツはそれはもう雷が落ちたかのような衝撃を与えるために、ルフィもゾロもひくりと身体を震わせて地に倒れたまま動けないでいる。そんな二人の首根っこを掴んで軽々と持ち上げたナミに、アリエラは小さな拍手を送った。
 
「ナミすごいわ」
 
その細い腕でどうやって…ルフィはともかく筋肉質なゾロを持ち上げているのか。アリエラの中でますますナミへの憧れが強まっていく。こうして牽制できるようなレディも素敵だわ、とうっとりしてしまう。
 
「分かってんの!?」
「う……、」
「ぐ…、」
 
持ち上げたままふん、と揺らすとルフィとゾロは苦しそうな声を洩らす。
 
「あ、王女さま。大丈夫!? 怪我はないかしら?」
「…あなたたち、何の話をしているの?」
 
アリエラの透明な声に呆然から引き戻されたビビは、艶めいた唇から戸惑いをこぼした。
守れた? 10億ベリー? ビビには何一つ身に覚えのない話を持ち出すものだから、何が何だか分からずにこてりと首を傾げるばかりだ。
ゾロが加勢をした瞬間から、ビビは状況をいまいち理解できないでいたのだ。
 
「どうして私を助けてくれたの?」
「そうね、その話をしなきゃね。ちょっと…私と契約しない?」
「けい…やく…?」
 
大きな目をぱちりと丸めるビビに、ナミは大きく頷く。その間気力を吹き返したルフィとゾロは、ナミに持ち上げられながらもお互いを殴り続けるものだから、アリエラもそわっと二人に視線を落とす。また殴られないかしら? そう思案を浮かべたアリエラの心を読んだかのように、ナミはにっこり笑みを浮かべたまま、二人を手から離して「暴れるな!」と強烈な一枚をお見舞いしたのだった。
静謐のなかに響き渡ったすごい音にアリエラは拳を口元に押さえて「痛そう…」と小さくつぶやく。
 
撃沈してしまった二人に、ビビは困惑する。ここじゃあれだし…とアリエラには綺麗な笑みを浮かべるナミに同調して、一行はとりあえず場所を移すことにした。
 
 
 
 
「なっはっはっはっはっはっはッ!」
 
明るい盛大な笑い声が港に響いた。
どうもまだ話を理解していないルフィに驚いたアリエラが丁寧に一部始終を告げると、第三者の証言でようやく理解をおろしたルフィがゾロに悪ィと謝って、その勘違いにけらけら笑いはじめたのだった。
月明かりに反射して輝く海が、ルフィの笑い声に反響するようにとぷりと音を立てる。その間、まるで星空を映したような輝きを持つ海をじっと見つめながら、積み上げられた丸太の上に腰を下ろしたビビは、ナミの持ち出した契約に耳を傾けている。
 
「何だよ、ゾロ! 早く言えよ〜! おれはてっきり、あの料理の中に好物がないからあいつら斬ったのかと思ったよ」
「てめェと一緒にすんなァ!」
「もう、ルフィくんったら…」
「うはははッ! まあ、気にすんな!」
「そこ! うるさい!」
 
盛り上がるルフィと怒るゾロにナミのお叱りがピシャリと入り、二人はぎゅっと口を噤む。さっき頭で受けた拳がまだじんじん疼いているのだ。
すん、と大人しくなる二人がおもしろ可愛くって、アリエラはくすくす笑い声を漏らす。ちらりとゾロに視線を流してみる。まるで、さっきの出来事は夢だったかのように彼はアリエラがそばにいても、アリエラを見つめても、一つも動じないのだ。一方、アリエラ自身はこんなにも胸がドキドキして顔が熱くなってしまいそうだというのに。やっぱり、ゾロくんはすごいわ…と感心を胸に抱く。
ナミに打ち明けて、しっかり“恋”を意識してみると、ぽぽぽっと胸に燈が灯ってしまう。変に思われないように、自然でいなくっちゃ。ビビの隣に腰をおろしていたアリエラは、すっと背筋を伸ばして話の中心にいるナミに視線を向けた。
 
「──と、まあ。そんなとこ。その報酬として10億ベリーいただきたいの」
「……」
「こいつらの強さ、見たでしょ? 悪い話じゃないと思うけど?」
 
ニヤリと好機な笑みを浮かべるナミをちらりと見上げて、ビビはすぐに自分の膝に目を落とした。そして、ゆっくり首を振る。
 
「それは無理」
「え?」
 
キッパリと強い口調でそう言ったビビに、ナミは大きな瞳を丸くする。
 
「助けてくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう」
「なんで! 王女なんでしょ!? 10億くらい…」
「…無理よ、ナミ」
 
流石に無茶な金額だわ。とアリエラが続ける前に、ビビはふっと顔を上げた。
 
「……“アラバスタ”という国を知ってる?」
 
さっきのものとは違い、優しく嫋やかに投げるとナミは「ううん」と首を振った。彼女が口にした国名にアリエラが無意識のうちに反芻すると、ビビがふいっとこちらに双眸を流す。
 
「知ってるの?」
「あ、うん…聞いたことはあるわ」
 
大きな茶色い瞳に見つめられて、アリエラはどきっとしてしまう。その凛とした顔立ちに遠い昔の記憶がふっと脳裏を駆け巡った。彼女は、覚えているだろうか。そんなはずはないわね、まだ影に隠れていたあの時代だもの。
そっと追憶を解いて、アリエラは口を開く。
 
「確か……文明大国だったわよね」
「…ええ、そう。アラバスタは有数の文明大国と称される平和な国だった…昔はね」
「え、昔は? 今は?」
 
ナミの上擦った声に、ビビは視線を上げる。
 
「内乱の真っ只中よ。ここ数年、革命の動きが乱れはじめたの。人々は暴動を起こし、国は乱れに乱れて…そんなある日、聞こえてきた組織の名が…! バロックワークス!」
 
膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめて、双眸を細める。国を乱し、人々の思いを、命を弄ぶふざけた組織への憤然にからだはかすかに震えている。
 
「その集団の工作によって、民衆が唆されていることがわかったの。でも、それ以上の情報の一切が閉ざされていて、手を出すことができないの。そこで、小さい頃から私の世話を焼いてくれたイガラムに頼んだの」
「チクワのおっさんか?」
「チク……ああ、そうよ。何とかバロックワークスに潜入できないものかと…、そうすれば黒幕の正体とその目的が見えてくるはずだから」
「随分と威勢のいい王女だな。で? 連中の目的とやらは掴めたのか?」
 
どこか楽しげに訊ねるゾロに、ビビはこくんと首肯する。
彼女が薄い唇を割る前に、腕を組んだまま立っていたナミが「理想国家の建国」とそっとこぼした。それは、バロックワークスのボスが掲げているスローガンだ。どうして彼女が…と目を瞠ると今度は隣で「イガラムさんから聞いたの」と澄んだ声が風に乗った。
 
「……あっ」
「もしかして…」
 
沈んだまま浮かないビビの表情にアリエラとナミは、察しがついてお互いに顔を見合わせた。彼女らの動揺に気づいたビビはより顔を下げて、肩を震わせる。
 
「そう…。理想国家の建国とか言ってるけど、そんなの大ウソ。真の狙いはアラバスタ王国の乗っ取りだった! 早く国に帰って真実を伝えなくちゃ……国民の暴動を抑えなきゃ…! このままでは…このままでは…うう…ッ、」
「ビビちゃん…」
 
身体を震わせる彼女の小さな背中にアリエラはそっと手のひらを乗せて、ぽんぽんと柔らかく叩いてみせた。彼女が洩らした真実に、ナミもゾロもそっと双眸を細める。
 
「なるほど……そういうことか。これでやっと話が繋がった…」
 
げんなりと肩を落とすナミは深いため息を乾いた地に落とす。
一国の王女のために10億ベリーも払えないなんて。と訝しんでいたのだが、
 
「内乱中じゃお金もない…かあ…、」
「ええ。お金どころじゃないんだわ」
 
それから少し、沈黙が流れる。耳が痛いくらいの無音に胸がざわりと疼いてしまう。こうしている間にも…と懸念を重ねるビビをじいっと見つめていたルフィは、う〜んと声を出して、おいとビビを呼んだ。
 
「…え?」
「その黒幕ってのは誰なんだ?」
 
楽しげに訊ねるルフィの大きな瞳には、好奇心が宿ってきらりと輝いている。
その核心に迫られたビビは、びくっと肩を大きく揺らして勢いよく顔を上げた。
 
「ボ、ボスの正体!? それは聞かない方がいいわ!」
「お前、知ってんだろ?」
「聞かないで! それだけは言えない! あなた達も命を狙われることになるわ!」
「まあ…バロックワークスってそこまで秘密主義なのね」
「そうよ! だからもう聞かないで!」
 
両手と首をぶんぶん振って大拒絶するビビに、ルフィとそしてゾロの好奇もより傾いてしまう。一方、ナミはけらりと笑って手を振った。
 
「あはは、命を狙われるのはごめんだわ!何たって一国を乗っ取ろうなんて考えてる奴だもん。きっととんでもなくヤバいに決まってるわ」
「あ、でもルフィくんやゾロたちなら簡単にやっつけちゃえるかも」
「おう! 任せろ!」
「そりゃあ、グランドラインの一国を狙ってるってことは相当な実力者なんだろうな」
 
愉快げに笑っている二人にナミの怒りもじわりと昇ってくる。そして、ボスを知っているビビも青白い顔でぶんぶん首を振る。
 
「とんでもないわ! いくらあなた達が強くても敵うはずがないわ! あの王下七武海の一人、クロコダイルには!!」
 
捲し立てるような勢いのある早口で告げたビビの言葉に、誰もが息を呑んで目を見張った。しーーん……と数秒、重たい沈黙が流れる。
 
「…え?」
「……誰だって?」
 
こくこくと無音の時間が流れる中、それを破ったのはアリエラとルフィだ。そこで、今口に出しちゃったかしら?と放心状態だったビビもようやく理解をして口元を両手で押さえた。
 
「ああああ…ッ!」
「……言ってんじゃねェか…」
 
刀を抱いて地に腰を下ろしているゾロが心底呆れた口調でこぼすと、ふっと二つの気配がみんなの頭上で揺れた。海に面し、建物の死角になっているこの場所は誰にも見つからないと踏んでいたのだが、どれだけ地獄耳なのだろうか。全員が顔を上げてみると、屋根の上にはビビのボス露呈を聞きつけたラッコとハゲタカちょこんと立っていた。
その顔には人間のようにサングラスをかけていて、如何にも。な人物だ。
 
 
 
next..→

 

1/2
PREV | NEXT

BACK