178、約束はアルバーナ


「急げ急げーーッ!!」

オレンジ色に染まっていくレインベースの裏町を、一味はひたすらに駆け抜けていた。
町の中央に位置するレインディナーズからはキロ単位の距離があり、まだクロコダイルの追ってくる気配はない。

「お、おい! まさかこのまま走ってアルバーナに向かうわけじゃねェだろうな!?」
「そうだ、マツゲ! マツゲはどこいったの!?」
「そういえば、この町に馬小屋があったぞ! そこで馬をもらおう!」
「でも、町にはもう海兵たちがいっぱいよ。それにきっと馬は反乱軍が……」

消えてしまったマツゲを探しているナミの後ろで、ルフィは愉しそうに提案したがビビが首を振る。
このあたりは貸し馬もやっているのだが、その嘶きが聞こえてこない。アルバーナへ向かうため、おそらく反乱軍が持ち出してしまったのだろう。

「ビビちゃん、ここからアルバーナまで大体何キロくらいなの?」
「えっと、レインベースからだと……」
「ご安心あれ。前を見な」

不安そうに表情を曇らせてビビに目を向けるアリエラの声を聞き、サンジは黄色いレンズをきらりと光らせた。
彼の声につられて、ふいと前を向く。路地の軒並みもそろそろ開けてきたころ、向こう側には広大な砂漠がふわりと現れて、茜色に照らされたそこに、巨大な影が蠢いているのが見えた。

「えっなあにあれ!」
「うおーっでっけェ!」

目測3メートルはありそうな体長でなお横にも立派なそれは砂埃を巻き上げて、レインベースに向かってきている。その上から、「おい!」と聞き慣れた可愛らしい声が届いた。サンジはにやりと口角を持ち上げ、ルフィたちはおお、と驚いている。

「トニーくーーんっ!無事だったのね!!」
「何だよ、あのデカさは」

ひさしぶりに再会したチョッパーの姿にきゃあっと歓喜を見せるアリエラのとなりでゾロは、彼の乗る大きな生き物に汗を浮かべている。
近づいてくるうちに、巨大な生き物の正体が見えてきた。横歩きのそれは、真っ赤な体をしたカニだ。通常では考えられないサイズ感だが、ここは偉大なる航路に位置する国だからこういうこともあり得るのだろう。メリー号よりも大きな猫やトカゲもいたくらいだ。

「うおおッカニ…っ、デカすぎだろ!」
「わあすごい。こんなにも大きなカニさんがいるのね」
「これは、“ヒッコシクラブ”!」
「うまそ!」
「あんたねえ」

町と砂漠の境界線で立ち止まり、夕日の向こうからやってくる仲間の姿を待ちながら各々感想をこぼすなか、ルフィはよだれをぼとぼと砂の上にこぼしながら目を輝かせるからナミはじっとり呆れている。

驚く仲間たちにチョッパーはえっえと笑い、「乗ってくれよ!」といった。

「おおー! 乗れんのかァ!? すげェ!」

一番乗り、とグーンと腕を伸ばしたルフィは三日月型に撓んでいるカニの瞳にぐるりと腕を巻き付けて甲羅の上に飛び乗った。伸びた腕にカニはびっくりしたようだが、「よろしくな!」と頭をぽんぽんされるとすぐににへら、とした笑みを浮かべて、ハサミをちょきちょきと動かした。

「なんか顔がやらしいわよ、こいつ」
「ほんとだ。サンジくんみたいね」
「えッ、お、おれ、!?」

目の形が弛んでいるからか、そう見える顔にナミがぼそっとこぼすとアリエラも同調して名をあげるからサンジはびくっと肩を揺らしてアリエラとカニを交互みる。
え、おれってこんな顔してんのか? いやこんな風に見られてんのか、アリエラちゃんに!?
本命にそう言われたことにずーんとショックを受けるけれど、たしかに、日頃からメーロリンを炸裂しているから否定はできない。うう、なんかすげェやだ。と影を背負うと後ろから、「ほれ見ろエロコック」と低くこぼされて、ぶちっと怒りを上らせたところ。

「ふふ、冗談よ。サンジくん」
「じょ、冗談……?」
「うん。サンジくんのお顔はいやらしくないもの、とってもかっこいいわ」
「えッ、かっ、か……っ、こ、いい……」

たまにあのカニさんみたいにえっちな顔してる時があるけれど。と付け加えられたが、落とされた後一気に向けられた華やかなことばに今度は舞い上がってしまって届いていないようだ。

「サンジ君ってほんっと分かりやすい」
「こいつ隠す気あんのかよ」

ぱああっと背後にお花が咲き、でもすごく照れているサンジの様子にナミもゾロも呆れて彼のまあるい金髪を見つめている。
ふふふ、と笑って素直に褒めるアリエラと見つめ合う状況が照れ臭いサンジは、赤い顔して愛想笑いを浮かべると狼狽えたまま大袈裟にチョッパーを見上げた。

「ま、またすげェの連れてきたな、チョッパー!」
「うん、マツゲの友達なんだこいつ!」
「へえ、あいつの」
「マツゲはこの町出身だからここにはたくさん友達がいるんだってさ。ちょっとエロいけど、でもいい奴だよ」

手綱を握りしめて、な?とカニに問いかけると、三日月の目をより撓ませてこっくりと頷いた。その真っ赤な大きいカニを見上げて、ビビは感嘆の息をこぼす。

「ヒッコシクラブはいつも砂の中に潜ってるからほとんど幻のカニなのに手懐けたなんて……」
「こいつ結構速ェんじゃねェのか?」
「よかったぁ。こいつがいりゃあアルバーナまで楽ちんだな!」

乗せてもらおうとゾロたちもカニに近づくと、ご丁寧に手を下ろしてくれた。ここに乗れということなのだろう。全員が両手に乗り上げると、ひょいっと甲羅の上に案内してくれた。
8人乗ってもスペースはまだまだ余っていて、本当に大きなカニなのだと改めて感心する。

「よし、いくぞ。しゅっぱーつ!」

全員が乗っていることを確認すると、チョッパーは手綱をぱちんと鳴らした。
くるっ、と横向きに直り、カニらしく横走りで動きはじめる。案外速く、ビュンと切る風が心地いい。

なびく髪の毛を押さえて先に覗いている大きな夕陽を見つめていたビビは、ふと腹部に重たいような違和感を抱いた。え、と目線を下げた瞬間には体が宙を浮き、悲鳴が上がる。

「あっ、」
「な…っ、!」

短く上がった悲鳴にナミ達は瞬時に反応し彼女を見やれば、レインベースから伸びる黒い影が揺らいで誰もがはっと息を止めた。ビビのお腹は金色の鉤爪に拘束されていて、その先には黒いコートを揺らした男が立っているのがうっすらとわかる。

「止めろ、チョッパー!」

ゾロの声にチョッパーも肩を震わせて手綱を打った。
のぼった砂埃によく見えないが、この手が誰のものなのかは明白だ。ニヤリと不敵に笑う表情すらしっかりとまぶたの裡に浮かぶ。

「アイツ…!!」

ぐっと歯を食いしばったルフィは立ち上がり、引っ張られるように遠ざかっていくビビを掴んでいる鉤爪に腕を伸ばた。飛んだ反動でビビをするりと爪から抜き、甲羅の上に向かって投げると代わりに自分が囮になる。

「おいルフィ!」
「あのバカ…ッ」

王女が抜けてもクロコダイルはお構いなしにルフィをこちらへと引っ張っている。遠のいていく船長の姿にゾロとサンジは奥歯を噛み締め、ビビもナミとアリエラに支えられながら勢いよく体を起こした。

「ルフィさん!!」
「お前ら先に行け! おれ一人で十分だ!!」
「あ……」
「ちゃんと送り届けろよ、ビビをうちまでちゃんと!!」
「ルフィくん…っ」

笑顔の船長命令に一同は真剣な表情でそれを受け取るが、誰もが胸に煩慮を抱いている。
けれど、にかっと笑う船長がもう一度「ちゃんとな!」と声を響かせると、ゾロが汗を浮かべながら笑みを描いた。

「バカ野郎……。行けチョッパー! このままアルバーナへ!」
「…うんっ、わかった!」

ゾロの急かすような低い声にチョッパーもこっくりと頷いて、瞳を光らせながらぎゅうっと手綱を握り、カニを走らせる。
ぐらりと揺らぎスピードを上げていくカニにビビとウソップは表情をより不安な色に染めていく。

「お、おいおいちょっとゾロ! 置いていくのか!? 冷てェぞ!」
「ルフィさん…っ!!」

相手は七武海だ。いくらルフィが強くたって、と言いたげな瞳を向けるウソップだが、これは他でもない船長命令だ。ゾロは目を瞑りルフィに背を向けている。
ビビも。ナミの腕から身を乗り出してルフィに腕を伸ばしているが、それを払うようにアリエラがぐっと通せんぼをする。

「アリエラさん、」
「ビビちゃん、ルフィくんなら大丈夫! あなたは前だけを見て」
「そうよ、ビビ。むしろ気の毒なのはアイツらの方よ! 今までルフィに狙われて無事でいられた奴は一人もいなかったんだから」

ふたりの強くまっすぐな瞳にビビは伸ばしていた腕をそっと元に戻した。
大切なのは、仲間を信じること。でも……。相手を思うとどうしても心配で悲痛に眉を歪めてしまう。そんなビビをじっと見つめていたゾロは、険しく表情を変えてうっすらと口を開いた。

「いいか、ビビ」
「え…?」
「クロコダイルはアイツが抑える。反乱軍が走り始めた瞬間にこの国のリミットは決まったんだ。国王軍と反乱軍がぶつかれば国は消える…。それを止められる唯一の希望がお前なら何が何でも生き延びろ。…この先、おれ達がどうなってもだ」
「…そ、そんな…ッ」

それは、全てのはじまりの日にイガラムと交わしていた誓いのうちのひとつだった。
頭では分かっているつもりだけれど、いざ目の前にその“もしも”がやってくると胸が痛いほどに押しつぶされる。
国民の命か、仲間の命か。どちらもビビにとってはかけがえのないもので、天秤になんてとてもかけられるものではないけれど。国がこうなってしまった以上、そんな甘えた希望は捨てなくてはならない…。覚悟決めとけ、と、射抜くように見つめるゾロに呆然としているとふとたばこの匂いが鼻腔を掠める。

「ビビちゃん、こいつは君が仕掛けた戦いだぞ。数年前、この国を飛び出して正体も知らねェこの組織に君が戦いを挑んだんだ」
「……」

いつになく厳しい物言いをするサンジにふい、と顔を持ち上げるとレンズ越しの瞳とばっちり視線がぶつかった。慰めるわけでもなく、でも突き放すわけでもない。包み込むような口調。揺れる紫煙を見つめながら、本当にその通りだとビビは改めて実感する。はじまりの火蓋を切り落としたのは、紛れもない自分なのだ。
こくりと細い喉が動くのをみて、サンジはふっといつものように優しい笑みを浮かべた。

「ただし。もうひとりで戦ってると思うなよ」
「……!」
「そ、そうだビビ! おれ様がついてる…!」

あの日、イガラムとたった二人っきりではじめたこの計画。
その先で麦わらの一味と出会い、仲間となった。これまで自分が前線に立ち、その後ろに麦わらの一味を援護としてお供をお願いしていたつもりだったが。彼らの気持ちはけしてそうではない。
ゾロの厳しいことばを聞いて、サンジの優しさに触れて、彼らとの意識の違いを痛感させられた。みれば、みんな真っ直ぐな意志をこちらに向けてくれている。
みんな王女様の援護ではなく、国を救う光としてそこにいるのだ。決して失いたくない光だからこそ、自分をもっと奮い立たせなくてはならない。心配を脱ぎ捨てたビビは、自分を呼ぶ船長の方に、今度は決心のついた顔を見せる。

「ルフィさん!! 」

立ち上がった彼女の強い声に、ルフィは宙を舞ったまますんと真面目な顔で耳を傾ける。

「アルバーナで待ってるから!!」

夕陽のなか、こだまする声は先程までの弱々しいものではなくあらゆるものを脱ぎ捨てた、気高き仲間の決意。
それを聞いたルフィは安堵したようにニッと笑みを描き、
「おーーう!!」
大きくうなずいて、約束を交わした。


TO BE CONTINUED 原作176話-110話



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