177、Rush


「プリンスぅぅぅううぅ!!!」
「サンジくん…っ!」
「よかった……間に合ったのね、ビビ」
「バカやってねェでさっさと鍵探せ!」

Mr.プリンスの華麗なるご登場に、ルフィとウソップは涙を流しながら歓喜し、アリエラはぱあっと華やぎ、ナミはほっと胸を撫で下ろしている。ほがらかになったムードのなか、ゾロの目にはキザな仕草がちらついて、急かすように声を荒げたがサンジの耳には届いていない。

「ナミすわぁぁんっ! 惚れたぁ? ねえ、惚れたァ??」
「ハイハイ。惚れたから鍵を探してちょうだい」
「……果てしなきバカだな、あいつ」

たこのようにくねりくねりと全身を揺らして、メロリーンを投げるその様子に、彼に感謝を抱いていたナミも呆れを浮かべながら適当に遇らう。となりでゾロも呆れの汗を浮かべるが、今回いつものように名のあがらなかった彼女をみやって、口角を持ち上げた。

「おい、アリエラ。惚れたか? だってよ」
「あっ、おいてめェゾロ!」

わざと大きめな声でアリエラに訊ねてみると、サンジはぴたりとメロリンをやめてしまった。赤くなった耳を押さえながら、慌ててゾロを止めようとするが、聞いてしまっているからもう遅い。
う…っ、と噤んだ口端に引っ掛けてるたばこからのぼる紫煙を揺らしながらサンジはすこし頬を朱に染めてアリエラに目線を向けると、ばちっと大きな瞳とぶつかって胸がうねりを上げた。

あんの、クソ剣士…ッ!余計なことを、と怒りやら緊張やら、もういろいろ入りまざった感情を弄んでいると、ふわりと彼女の目尻が弛んだ。

「うん、惚れたわ。サンジくん!」
「う、うう…っ、」
「ふうん。よかったわね、サンジ君」
「な、ナミさぁん……」
「へなちょこコック。なァに泣きそうな顔してんだ」
「う、うっせェ!! ンな顔してねェわ!」

冗談だとしても。アリエラからの返答が拒絶のものだったら、と考えるとどうも立ち直れる気がしなくって、最近臆病になってきているみたいだ。本物の意味としての“惚れた”をもらったわけではないけれど、でも返事が嬉しくって思わずレンズの奥の瞳を濡らしてしまいそうになるのを耐えていると、サンジの敬愛するナミから賛美の声をもらい、ライバルであるゾロから煽りのことばを受け、すぐに元の心持ちに戻った。


「ねえ、ビビちゃんは?」
「そうだ、おーーいビビーー!!」
「ビビーー! どこだ??」

アリエラは三人のやりとりを特に気にしていなく、ビビの姿を探していた。
くるりと見回してもどこにも王女の姿がなく、ルフィとウソップに訊ねてみると、彼らもはっとして大声を響かせる。
すると、高いところで水色の髪の毛がふわりと揺れた。さっき、彼女が命をかけてのぼった崩壊した階段の上。息を整え終えたビビは呼びかけに応えるようにそっと顔を覗かせると、ルフィたちはまた更に笑顔を咲かせた。

「ビビちゃん! よかった、無事だったのね!」
「ビビーーッ! よくやった!」
「…! うん!」

にしし、と笑いながら親指を立てるルフィにビビもいつもの明朗な笑顔を取り戻して、同じサインを送った。ドアの隙間からこぼれる光に照らされたその姿は、神々しくて、まるで砂の大地の女神のようにアリエラの瞳に映る。

だが、平穏な時間もすぐに破られてしまう。
どしん、と巨体の足音が再び鳴って、部屋には大きな揺れがまた生じた。ぐらりとバランスを崩しかけて、ナミが小さな悲鳴をあげる。揺れの元を見てみれば。やはり、さっき順番待ちしていたバナナワニが姿を見せていて、ウソップの背筋をひんやりと撫でた。

「うおおおっ、そうだっまだいたんだこいつら……あと5匹も!」
「サンジー! やれェーッ!!」

一刻も早く鍵を探して脱出しなくてはならないのに。まだまだ足止めされている状況に焦りを浮かべるけれど、檻の外のサンジは鷹揚にたばこを取り出して、のんびりとそれに火をつけた。

「何本でも房になってかかってこいよ、クソバナナ」

肺まで送ったけむりをたっぷり吐き出しながらこぼすと、応えるようにバナナワニは唸りをあげる。やはり、全員人間の言葉がわかるのだろう。それを合図に順番待ちしていたワニはのそりのそりと一匹ずつ部屋に姿を現した。

「レディーに手を出すような行儀の悪ィてめェらには片っ端からテーブルマナーを叩き込んでやる」

ふう……、と紫煙を燻らせながらサンジはそっと片脚を天に向かって持ち上げる。

「サンジ! とにかく時間がねェぞ! 秒殺で……いや、瞬殺で頼む!!」
「……今、三番目に出てきた奴を仕留めろ」

祈るようなウソップの声に次いで、地を這うような、けれどどこか穏やかさを秘めている声が続いた。誰もが驚き、彼…スモーカーを見つめる。きょとりと目を丸めたルフィが「何だ? お前分んのか?」と問うと、スモーカーは眉間のシワを深くした。

「てめェらの耳は飾りか? …今の声、鍵食ったヤツと唸り声が同じだろ」
「ヘェー!」
「すげェな、海軍はそんなことまで分んのか」

素直にぱちぱちと拍手を向けられて、スモーカーはフンと鼻を鳴らし、目を瞑った。
彼の声にサンジは半信半疑だが、どのみち全員蹴散らさなくてはならないため、そいつを標的にして狙いを定める。
ポケットに手を突っ込んだまま、バナナワニのお腹に片脚蹴りを入れると、ヤツは突き上げられるようにして簡単に宙を舞う。腹部への衝撃に唸り声とともに口から大きなまあるい物体を吐き出した。

「でたーーッ! 檻の鍵だァァあ!!」

着水に跳ね返る水飛沫を受けながら、ルフィとウソップは歓喜に喉を震わせたが……。
ころりと転がった白くて丸い物体は、カギにしてはあまりにも桁違い大きさにゾロは訝しげに眉を顰める。目を細めてそれを目視していると、みんなも異変に気がついたみたいで各々ふしぎそうな声をあげている。

「なあにあれ?」
「あんなデカかったか?」

きょとんと目を丸めていると、サンジの脚にぶつかりぴたりと止まったそれにピキっとヒビが入っていく。孵化のような現象を物珍しそうに見つめていると、中からにょきっと3の髪が飛び出てきた。

あら、とアリエラ達は目を丸める。既視感のあるそれ。もしや、と続きを待っていると。

「ドルドルボール!解除ーーッ!!」

ぐーん、と両腕を伸ばして見せた姿にはやはりよく見覚えがあった。記憶しているものよりも肌は枯れ、声もしゃがれているけれど、間違いなくリトルガーデンで相対したMr.3だ。

「オオ…、み、水…! 水だガネ…ッ奇跡だガネ!」

サンジとスモーカー除く一同は驚きの声をあげて、ビビも上段から顔を覗かせてあっ、と声を震わせた。

「おい、アイツ……」
「“3”だ! “3”!」
「Mr.3……、どうしてバナナワニの中から!」
「どうしてあんなにも干からびているのかしら」

全身しわしわのMr.3は海賊たちの声には耳を傾けずに、一目散に水の中に顔を突っ込んでごくごくと喉を鳴らした。相当喉が渇いていたみたいで、ひとしきり続けていくうち、3を象った髪型を筆頭にハリと潤いを取り戻していく。

「あーーッッ生き返った!! 死ぬかと思ったガネ……」

ぶはっと豪快に水面から顔を出して、濡れためがねを曇らせながらMr.3は不敵な笑みを浮かべ、元の太さに戻った腕を己の能力に溶かしてゆく。

「フフフフ!クロコダイルめ、私を仕留めた気でいるだろうが甘いガネ。私はコイツに食われる瞬間、最後の力を振り絞ってこの“ドルドルボール”を造り出しその中に身を隠すことでなんとこの身を守っていたのだガネ」

まわりに人がいることに気がついていないのだろう。Mr.3は、我ながら素晴らしい作品だったガネ。と上機嫌に独白をこぼし、半分に割れたドルドルボールに視線を落とすと、キラリと光るものに気がついて、メガネの奥の瞳を丸くした。

「ん? なんだガネ、この鍵……」

そろりと手を伸ばしたとき。檻の中からルフィたちの絶叫が轟いて、びくっと肩を震わせる。フイ、と目を向けると見覚えのある麦わら帽子にヤツもまた悲鳴を上げた。

「ギャーーー!! お前らは!」
「その鍵寄越せェェェ!!!」

手繰るように追憶するのはリトルガーデンでの苦い記憶。クロコダイルにあんな仕打ちをされたのも元々は、と思うとMr.3の腹のなかにはどんどん怒りがたぎってくる。
鉄格子から手を出して、鍵を取ろうとするルフィたちの姿とどんどん水嵩の増してくるこの密室された部屋に瞬時状況を把握したMr.3は、せめてもの仕返しだ。と、ふんと口角を持ちあげた。

「……てめェがMr.3か」

ふと、低い声がとなりから聞こえてMr.3は首を動かすと思いの外近くで金髪が揺れて、うわっと驚嘆を上げながら数歩後ずさる。内心を読まれたのかと思ったようだ。

「はあ、びっくりしたガネ……」
「おいてめェ。大人しく鍵を──」

水を掻き分けながらそろりと近寄るサンジに、Mr.3は血色の悪い唇で笑みを描き、くるりと背を向ける。そうして、「これでどうだ!!」と叫びながら鍵を遠投したのだった。

その行為にぎゃあー!と絶望が鳴り響き、サンジはサングラスをギラリと光らせる。

「てめェっ! くだらねェ真似しやがって!!」
「あの野郎……」
「いきなり出てきて頭いいなあ、あいつ」
「ううっあの巨大な水槽の中に落っこちちゃったかしら」
「もう時間がないわ、サンジ君!」

幸いにも、一味の中でいちばん泳ぎが得意なサンジが自由の身だ。
それを汲み、ナミが急かすように声を荒げたが、そのとなりでウソップは「いや待て!」とこの状況のなか、珍しく冷静に言った。

「どうしたの、ウソップ」
「サンジ、そいつの“ドルドルの実”の力で鍵作ってもらうんだ!」
「ドルドルの実で?」
「……あー、なァるほど」

ウソップの案に、ルフィと本人Mr.3はくるりと目を丸めた。
すぐにピンときたサンジはちゃぷりと水面を揺らしてヤツに近づき、問答無用で蹴りを入れて鍵を製作するよう脅しをかける。圧倒的な力の差にこてんぱんにされたMr.3は、へへへ、と愛想笑いを浮かべながら己の手のひらから蝋を出して、檻の口に見合った鍵を造り出すとそれをサンジに手渡した。

ガチャ、と待ち望んだ音が鳴る。解放のそれにルフィたちはほっと安堵の吐息をこぼした。

「へェ、やるもんだな。ロウソク人間」
「へ、へへへ……うぐッ、」

用済みになった蝋製の鍵をぽいっと投げ捨てながら、Mr.3に目を向けると彼は腫れ上がった顔を押さえながら、満面の笑みを浮かべた。けれど、男の愛想に誤魔化されるサンジではない。
これ以上邪魔させねェように、とお腹に何やら紙を貼り付けてからヤツを壁際まで蹴飛ばした。これでもう当分は目を醒さないだろう。

「はあ……よかったあ…。ありがとう、サンジくん」
「アリエラちゃんが無事でよかったよ。お怪我はありませんか?」
「うん、平気。ただここに閉じ込められただけだから」
「そっか、怪我がねェで何よりだ」

ルフィとゾロに続き、アリエラが檻の中から出てくるのをサンジは手を引いて手助けする。こう水に浸かっていたら力もあまり出ないみたいで、添えられた手は冷たくて、気力が感じられなかった。このままじゃフラついちまうだろうな、と思ったサンジはドキドキをひそめて、彼女のからだをそっと片腕で支えると次いでナミのエスコートに移る。

ああ、両手に花ならぬ両手に美女と僅かに表情を溶かしながらも、今は一刻を争う状況だ。すぐにそれをしまって、きゅっと眉を持ち上げる。

「さあ、急ごう。もう時間がねェ」
「ええ。ヤツらが向かった通路がきっとアルバーナ方面よ」
「でも、あの通路にはまだバナナワニがたくさん……」

ナミに頷き、顔色を蒼く変えたビビが水中トンネル風の通路に目を向けてみると、前を塞ぐように目を回したバナナワニの巨体が何体も積み上げられていて、ひっと喉を鳴らした。

「うおーーーッ! もういねェのかァ!?」
「ったく張り合いのねェヤツらだ……」

グーン、と両腕を上げて鬱憤を発散させるルフィのそばでゾロもキン、といい音を鳴らして刀を鞘に収めていた。たったの数秒でこの数をのしたその姿にナミたちもぽかんと口を開けて汗を浮かべている。

「心配ないみたいね…」
「すごいわ、ルフィくんたち」
「…っ、私が、一匹にどんだけ……っ」
「やや、おかしいのはあいつらの強さの方だから!」
「そうよビビちゃん! ビビちゃんが正常なのよ!」
「やっぱり私、あいつらが相手だと敵に同情しちゃうのよねぇ」

グズっと肩を震わせて涙を浮かべるビビにウソップとアリエラがフォローを入れていると、ぱりん、といやな高音が水の音に混じって、一同はハッと顔を持ち上げる。
かろうじて姿を保っていた窓ガラスたちは、バナナワニを蹴散らした衝撃から全て割れてしまっていて、そこからも怒涛の勢いで水が流れ込んでくる。

「アホ! やりすぎだ、てめェら!」

グングン増えていく水嵩に、サンジは怒りを向けながらも傍のアリエラをぎゅうっと抱きしめて、同じく能力者のルフィに視線を流す。

「もうこの部屋も保たねェ! 脱出するぞ!」
「サンジくん、」
「大丈夫。おれから離れないでね、アリエラちゃん」
「うん…、よろしくお願いします」

ぎゅう、ともう入らない力を最大限に込めてサンジの服を掴むと、彼はふっと優しく微笑んだ。巨大な水に飲み込まれる瞬間まで彼の温かな手を感じて、動かない冷たい水という鎖の中でもどこかほっと安堵して、大きなからだに身を委ねた。


完全に水に沈んでしまう前にドアを蹴り破ったサンジを先頭に、それぞれ泳ぎながら地上を目指す。表側にはおそらく騒ぎに駆けつけたクロコダイルが姿を見せていることだろう、と、カジノ裏側に周り、そのまま鼻先の埠頭を目指す。
これも、さっきサンジが脱出候補に仕入れていたルートのうちのひとつだった。

「アリエラちゃん、ごめん長かったな。無事かい?」
「ん……はあ、ん…、へいき…ありがとう、サンジくん」
「ううん、ならよかった。オイ、ルフィ。お前も生きてるか?」
「んあ…」

両脇にアリエラとルフィを抱えたサンジがまず顔を出し、ふたりの呼吸を確認しながら陸に乗り上がると、すぐ後ろについていたナミとウソップとビビが荒い息とともに姿を見せた。

「ウソップさんっ、しっかり!」
「もう、何やってんのよあんたはっ、っしっかり泳ぎなさいよ!」

さっきの崩壊でどうやら頭に瓦礫をぶつけてしまったらしいウソップは後頭部に大きなたんこぶを作っていて、くるりと目を回している。
二人がかりで泳ぎ運んだけど、男性一人分を水中で運ぶのは厳しくってふたりともひどく息を切らしていた。

そして、やや遅れをとってゾロが上陸を果たす。
豪快な息継ぎにふっと目を向ければ傍に白髪が映って、アリエラの介抱をしていたサンジははっと目を丸めた。

「スモーカー…! オイオイ、ゾロてめェなに敵連れてきてんだよ!」
「うるせェ不本意だよ。どうせくたばり損ないだ」
「……まあいい。とにかく先へ急がねェと。だいぶロスしちまったぞ、ビビちゃん。間に合うか?」
「わからない……」

ぼとぼとになった服をぎゅっと絞りながら、ビビはサンジの訊ねに首を振った。
それを受けたサンジはすこし考えて、今度はナミに意識を向ける。

「ナミさん。ナノハナで買った香水持ってるか?」
「え? ええ、あるけど?」
「体につけるんだ」
「こう?」

唐突だけど真剣な顔して言うから、コートのポケットからシトラスの匂いのそれを取り出して、首元にしゅっと一振りかけるとサンジはドキンと目をハートにして歓喜の声をあげた。

「ああーーっ 奈落の果てまでフォーリンラーーブ
「いやマジで逝っちまえ、お前……」

この状況で何やってんだこのアホコックは、と呆れながら刀の位置を整えていると、不意に強い殺気を感じて、ゾロは瞬時に鯉口を切る。

「ロロノア!!」
「……!」

劈くような低い声が轟き、次いで金属がぶつかり合う音があたりに満ちた。
メロリーン、と幸せな世界に旅立っていたサンジも、それぞれ身支度を整えていたナミたちも。その音にピンと背筋を伸ばして、意識を向ける。

「何故おれを助けた」

十手を刀にぶつけたまま、スモーカーはゾロに鋭く視線を尖らせた。
その瞳には海賊に助けられた己への怒りや恥が浮かんでいて、すこし刀で払い除けると簡単に彼の十手はゾロの元から離れていった。それを見つめながら、つい先程のやりとりを回顧する。
巨大な水に流される瞬間、ゾロはルフィに託されていたのだ。

「おいゾロ! アイツ助けろよ」
「ハア!? 敵だぞ、放っとけ!」
「放っといたらお前! あいつ死んじまうだろ! カナヅチなんだぞ!」
「いや…そりゃわかってるがよ…」
次の瞬間にはもうルフィは力をなくし、サンジに回収されてしまったために反論する時間もなく…あっても否応無しにそうするよう促す船長だけれど。やれやれとため息をこぼし、ゾロは力の抜けたスモーカーを肩に担ぎ、地上のひかりを目指したのだった。


「おれは船長命令を聞いただけだ。別に感謝もしなくていいと思うぜ。こいつの気まぐれさ、気にすんな」

スモーカーからは戦意が一切見受けらないため、ゾロは刀をおろしながら他意なくこぼすと、いいタイミングでルフィが意識を取り戻した。
すぐににょきっと体を持ち上げて、グーンと腕を伸ばし、「クロコダイルーーーッ!! どこだァァ!!」と叫ぶものだから、通行人の視線がちくちく刺さる。ちらりとルフィを見遣ったスモーカーは、十手を強く握りなおしてゾロたちを見据える。

「じゃあおれがここで職務を全うしようと、文句はねェわけだな?」
「ほれ見ろ、言わんこっちゃねェ。海兵なんか助けるからだ」

サンジのだらけた声にまじり紫煙が揺れる。もくもくと視界でおどる煙の先のスモーカーの瞳をじっと見つめてみても、鋭さや言葉とは裏腹に、気力が感じられずにゾロはただ刀を握ったまま相対するだけだ。

「よおーし野郎ども! アルバーナへ一目散だ!」

最後にウソップも完全に復活して、檻に捉えられていた一味全員の無事も確認できた。
うおおお!とルフィが賛同の咆哮をあげて、ふっと視線を持ち上げると。スモーカーとバッチリ目があって「あ!」と声を跳ね上げる。

「けむりっ! やんのかお前!!」
「ぐあァ! スモーカー…! おいバカやめろルフィ、逃げようぜ!」
「……」

“船長命令”と確かにゾロは言っていた。疑うこともなく、その瞳をみればそれが偽りではないことは明らかだ。だから、スモーカーは「こいつはどこまで本気なんだ」と、ルフィを呆然と見つめながら背中にしまった十手に手を伸ばし、そうしてすっと目を閉じる。

「……行け」
「ん?」
「だが、今回だけだぜ、おれがてめェらを見逃すのはな」

極めて硬派であり、何があろうと融通を利かせないように見える、海賊嫌いの大佐が紡いだことばに、全員が驚愕の表情を浮かべた。
それを受けたスモーカーはふと目を開き、対峙しているルフィの、この国の未来を照らしている黒い瞳をじっと見つめる。

「次会った時は命はねェと思え。“麦わらのルフィ”」

近くから海兵たちの足音や声が聞こえてくる。 
 ──見つけたぞ! あそこだ、麦わらの一味だ!
精鋭を引き連れてやってくる気配に、どんどん一味の空気も揺れていく。

「げっ海兵!」
「さァ、急ごうぜ。もう時間もねェ」
「え、ええ…」

スモーカーの向こう側から、剣やら銃を構えた海兵が追ってくるのが見えて、ウソップがぶるりと声を震わせたのを合図にサンジ達もくるりとスモーカーに背中を向けた。
これが、天敵としてしてやれる最大限のお返しであり、海兵として数多の命を救う最大限の最善なのだろう。

「にししっ。おれ、お前嫌いじゃねェなあ」
「……!!」
「にひひっ」
「さっさと行けッ!!」

ニカっと太陽のような混じり気のない笑顔を見せ、素直にそう吐くものだから流石のスモーカーも戸惑いのような怒りが湧いて出て、それを隠すように十手を地面に叩きつけると、ルフィはぎゃっと悲鳴をあげて逃げるようにサンジたちの元へと去っていく。
二人のやりとりを見つめていたゾロも、はは、と笑い仲間の後ろ姿を追いかけはじめたところ。海兵たちが追いついて、彼らに続くが一切動かない大佐の姿にひとりの海兵が疑問に思い足を止めた。

「大佐! 追われないんで?」
「ああ。疲れた」
「疲れた!?」
「オイ」
「はっ!」
「今追ってった奴ら無駄だから呼び止めろ、そしてここに招集。本部にも連絡を。現在アラバスタ王国周辺にいる軍の船を全てこの国に集めろ、と」
「援軍を呼ぶのですか!? …ですが、あんな少数海賊相手のために上官が船を動かしてくれるかどうか……」
「おれがいつ上の意見を聞いたんだ?」
「あ、いえ、はい! す、すぐにっ!!」

ぎろりと睨みつけるように返すと、海兵は背筋をぴんと伸ばして、スモーカーから逃げるように麦わらの一味を追っていった海兵たちを呼び止めに行く。
遠くに見える、海賊たちの後ろ姿。そこに混じる、水色の髪の毛。この国の王女の姿と脳裏に焼きついたクロコダイルの卑しい笑みを浮かべ、スモーカーは水面に沈んでいく夕陽をじっと見つめた。



TO BE CONTINUED 原作176話-109話



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