179、ルフィVS七武海


「フフフ…逃げられちゃったわね。ビビ王女には」
「……どの道エージェントはアルバーナに集結予定だ。すぐに連絡を取れ」

遠くで巻き上がっている砂埃を見つめながらクロコダイルは低く吐く。
引き寄せられたルフィは、ふたりの足元に転がって空を仰いでいた。飄々としたその顔にクロコダイルはそっと眉を顰め、一歩前に足を出した。

「少々…フザケが過ぎたな“麦わらのルフィ”」
「……そいつはな、弱ェくせに目に入るものみんな助けようとするんだ」
「ん…?」

むくりと体を持ち上げたルフィは帽子に巻いていた水色の布切れを外し、そっと砂の上に落とす。王女の髪色によく似たそれは、波を描いてクロコダイルの影を消した。

「何も見捨てられねェからいっつも苦しんでる。この反乱でも誰も死ななきゃいいと思ってる」
「誰も死なねェ? …よくいるな。そういう甘ったるい平和バカは……。本当の戦いを知らねェからだ。お前もそう思うだろ?」
「うん」

ビビのその心情は、まだ少ないながらも数度の壮大な戦闘を繰り広げてきたルフィにとっても“甘く”映っているため、クロコダイルの呆れたような同意にはしっかりと首を縦に振った。
けれど、そこに通ずる想いは奴と同じものではない。麦わら帽子を押さえながら、ルフィは力強く立ち上がる。

「だけど、あいつはお前がいる限り死ぬまでお前に向かっていくからおれがここで仕留めるんだ」
「クハハハ、ハハハ! くだらなすぎるぜ…。救えねェバカはてめェだな、これがいい例だ。他人と馴れ合っちまったが為に死んでいく。そういう奴らをおれはごまんと見捨ててきたぜ」
「じゃ、お前がバカじゃねェか」

ニヤリと笑みを浮かべて指の骨を鳴らすルフィに、クロコダイルは静謐に、額に怒りを浮かべた。ぴきりと浮きだった血管は太く、双眸はぎろりと獰猛に光る。
その答えにミス・オールサンデーは小さく笑うから、クロコダイルはパートナーにも憤怒の目を向けた。

「何がおかしい! …てめェも死ぬか“ニコ・ロビン”」
「その気ならばお好きに」

地を這うような低い声、まとった黒いオーラにはパートナーといえども容赦のない殺気がこめられている。けれど、ミス・オールサンデーはそれを気にも留めずに笑顔でさらりと言いのけた。そうして、彼らに背を向ける。

「それにその名は呼ばない約束では?」
「何処へ行く」
「アルバーナへ先に行ってるわ」
「……つかめねェ女だぜ」

そのままレインベースの方へと戻っていく彼女の長身の背中を見つめ、クロコダイルはフウ、と葉巻を燻らせた。その顔からは先程のような激しい怒りは消えている。
まだ時期じゃねェ。ニコ・ロビンも…女神もな。
そう低くこぼすと、懐から砂時計を取り出してルフィの足元に放り投げた。

「ん?」

砂の上に刺さったそれは、さらさらと心地のいい音を立てて時間を流してゆく。
意図が分からずにじっと見つめていると、「“3分”やろう」と、奴はいった。

「それ以上てめェの相手なんぞしてられねェ。文句でも?」
「いや。いいぞ」

夕暮れの広大な砂漠のなか。
ルフィとクロコダイルの一騎討ちがはじまったが、相手はさすが七武海。動きもこれまでの敵とは一味違っていて、まるでルフィの攻撃を瞬時に読むようにして動き、反撃を仕掛けてくるから慌てて顔を逸らして避けるとクロコダイルは「ほう…」と、わずかに感心をこぼした。
空中で体勢を整え、奴に向かって“ゴムゴムのスタンプ”を振るうが、スモーカーと同じタイプの悪魔の実を食しているクロコダイルはその身体を自由自在に砂に変えることができ、またダメージも食らわない為、顔にヒットしたのだが砂に溶け、一つの傷さえも与えられずに終わってしまった。

「一つだけ言っておくぞ、“麦わらのルフィ”。どう足掻こうとも、お前じゃあ絶対おれには……」
「“ゴムゴムのガトリング”!!」
「いいか“麦わらのルフィ”。こんな蚊のような攻撃をいつまで続けようとも決してお前はおれに…」
「“バズーカ”!! “オノォ”!!」

どれだけ攻撃を与えてもさらりと消えるだけで手応えはない。だから、がむしゃらにぶっ続けで技を仕掛けようと息継ぎなしで与えたところ、頭上に戦斧を喰らわせたと同時に、奴の大きな身体は巻き上がった砂に溶けてしまった。

ふう、と息を吐きながらあたりを見回しても奴の姿は見当たらない。

「このこのこの! 潰れたか!? この砂ワニ!!」

全身を潰すように足元の砂を踏ん付けていると、背後でふっと黒い気配が渦巻いた。

「無駄だと言ってるんだ」
「…! このヤロ…!!」

振り返ってみれば、ピンピンとしたクロコダイルがそこにいて、ルフィはぐっと拳を作った。

「貴様のようなゴム人間がどう足掻こうともこのおれには絶対に勝ぺ──…」
「ふんっ!!」

そうして、ヤツが口を開いている最中に顔面に拳を強くぶつける。実体はないとはいえ、物理を与えられると一応の弊害はあるらしく、言葉を噛みながら口を閉ざしたクロコダイルをルフィは構えを作ったまま汗を浮かべて見上げる。

「“かぺ”? お前何が言いてェんださっきから!!」
「……!!」

おちょくるようなその言葉にクロコダイルのひたいに太い血管が数本ぴきりと浮き立った。ゴオオオ、と怒りのような風が砂の大地に吹き抜ける。
さらさらと規則正しくこぼれ落ちる砂時計は、残り一分を指していた。

「…もう遊びはこの辺でよかろう。“麦わらのルフィ”」
「おれはずっと真面目にやってるぞ!」

ぎゅっと表情を固く結んでクロコダイルと対峙するけど、ルフィのこめかみには戸惑いの汗がつうっと流れている。

「まいったなーしかし…全然殴れねェやあいつ…。サラサラしやがって……」
「おれとお前では海賊の格が違うんだ」

残り55秒。いよいよクロコダイルからの攻撃がはじまって、ルフィは考えるよりも先に宙を飛び、砂の斬撃を回避する。

「…いい見極めだ。受けてりゃ“痛ェ”じゃすまなかったぜ」
「な、なんだ…!? 砂漠が割れたぞ!!」

転がり落ちた先で改めて地面をみやれば、鋭い斬撃を受けた大地はぱっくりを割れていてルフィは、はっ、と驚嘆の息をこぼした。その様子にクロコダイルは満足げに笑み、自分の顔の前にすっと出した手を砂に変えさらりと風に乗せる。

「悪魔の実の能力は使い方と訓練次第でいくらでも強い戦闘手段になる。能力だけにかまけたそこらのバカとはおれは違うぞ。鍛え上げ研ぎ澄ましてある…。このおれに楯突いたことを存分に後悔するんだな」

“砂漠の向日葵”、そうこぼしながらクロコダイルは砂を操り地表の姿を変化させる。
一瞬にして巨大な砂の穴がそこに現れ、ルフィを飲み込むように穴の中心部に向かって砂が川のようにさらさら流れていく。

「なんだなんだなんだ!? うわっうわっ、砂が地面に吸い込まれていく…!!」
「“流砂”を知らんのか。墓標のいらねェ砂漠の便利な棺桶さ」
「あ…! これ、アリエラとビビと落っこちかけたあの穴か!」
「地下の水脈に砂が引きずり込まれるんだ。その位置くらいおれは感知できる」

それを知っていたクロコダイルは、だからあえて動かずにこの場で決闘を受け入れたのだ。必死にもがき這いあがろうとするルフィの姿を捉え、嬉しそうに笑んでいる。

「砂漠の戦闘でこのおれに敵う者はこの世にいない」
「砂なんかに…っ! うえっふ、…っ、生き埋めにされてたまるかァ!!」

もう少しで飲み込まれてしまいそうなとき。ふっと閃いたルフィは空に向かって両腕を伸ばし、“ゴムゴムのバズーカ”で地に衝撃を送り、その反動で身体を宙に浮かせて流砂から脱出を謀った。
それに、対し、クロコダイルは面白くなさそうに表情を歪めて見つめている。

「殴ってきかねェんならまずとっ捕まえてやる…!!」

そのまま空中で、伸ばした両指を絡めながら、“ゴムゴムの網”をクロコダイルの体に投げかけるが。奴の生んだ砂にルフィの網は薙ぎ払われ、捕獲は失敗に終わった。

「学習できんのかてめェは。…無駄なんだよ」
「“ゴムゴムの…鞭”!!」
「まだ繰り返す気か…?」

クロコダイルの頭に放った踵落としに、奴の体は半分に割れるがやはりダメージは受けていないようだ。まどろっこしい戦闘に焦りを浮かべているルフィを睨みつけたまま、クロコダイルは右腕を砂の刃に変えてルフィの右腕を強く掠めた。

「……う…っ、!」

どさっと砂漠の上に落ちるルフィは、背中の痛みよりも攻撃を受けた右腕に感じたことのない違和感を抱き、ふいっと目を向けてみると。己の腕の有様にぎょっと目を見開かせた。

「う、うわあああ!! う、腕がっ、腕が…ッ! ミイラになったァ!」
「砂だからな。お前の腕の水分を吸収しちまったのさ。……そうやって全身の水分を絞り出して干からびて死ぬのもよかろう。砂漠の情緒があってな」
「はあ、っ…じょ、冗談じゃねェ…!!」

腕を押さえながら、ルフィはむくりと身体を持ち上げる。
卑しい笑みを浮かべているクロコダイルを睨みつけると、はっと、ある案が脳裏に浮かんで脱ぎ捨てたコートのもとへと走っていく。

「そうだ、水…!!」

水分を取られてしまったのなら補給すれば、と、ずっと大切に取っておいたトトからもらったユバの水を豪快に喉に通していく。すると、干からびた腕にみるみるハリが戻ってきて、ぼんっとムキムキな筋肉が隆起するほどまで復活した。

「……くだらん」
「くだらんことねェぞ! この水はな、ユバのカラカラのおっさんが一晩かけて作ってくれた水なんだ!」

 ルフィ君。これを持って行きなさい。
あのあたたかな笑みがルフィの脳裏にふっと過ぎる。一生懸命掘り出し、やっと湧き出た大切な水を嬉々として分けてくれたトトのやさしさの詰まった水は、ルフィの命になっているのだ。

「言ってたぞ、おっさんだって。ユバは砂なんかには敗けやしねェって!!」

彼の意志を継ぐように。ルフィは大きく息を吸い、失笑しているクロコダイルの元へと走っていく。「ゴムゴムのォ」声を張り上げて、ヤツの元へと近づくと、「まだ何かやる気か…」と呆れているその顔を大きな口でバクっとはんだ。
当然、ロギアの彼には効かず、ばうんと食んだ瞬間に口の中が砂まみれになって終わったのだが、クロコダイルを煽るには充分な攻撃だ。

「くだらねェ真似すんじゃねェ!!」
「ブホッ、!」

己の全身を砂に変え、ルフィの口からするりと脱出したクロコダイルは侮辱とも取れるこの行為に顔色をどす黒く変えて、咳き込んでいるルフィに低い声を這わせる。

「…死ね。その逞しいユバの大地と共によ…!!」
「ゲホッ…、ん、は?」
「3分を経過した。最初に言ったな? これ以上お前に付き合っているヒマはない」

起き上がったルフィに、冷静さを取り戻したクロコダイルはそう言うと、“砂嵐”を手のひらから生み出した。小さな渦巻きは手から放たれると瞬時に巨大化し、砂の豪風を巻き起こす。

「うぐ…っ」
「…いい砂の乾き具合だ」

ぐんぐん砂を取り込み大きくなっていく砂嵐は付近の町レインベースからも、アルバーナへと向かっている一味たちのいる区域からも目視できて、ずっとルフィを心配し、後ろばかりを見つめていたビビが小さく息をこぼした。

「ビビどうした?」
「レインベースの方角に砂嵐が…!」
「この距離からでも確認できるなんて…、なんて大きい砂嵐」
「ルフィ……」

ビビの声にゾロとサンジ以外のクルーが静かに反応を見せる。
キロ単位の距離があるにも関わらず、砂嵐の音までもが微かに聞こえてきて、空気はピンと重くなる。
「あいつだわ」と、小さくつぶやいたビビにゾロとサンジはルフィに背を向けたままそっと目を閉じた。



「…いいか、“麦わらのルフィ”。ここらの卓越風は常に北から南へ吹いている。もしも、砂嵐の子供が卓越風に乗って成長しながら南へ下がっていくと…デカくなった砂嵐はどこへぶつかると思う?」

立ち上る砂埃に包まれたふたり。
風の轟音のなか、やけに鷹揚とした口調でこぼしたクロコダイルの言葉にルフィは痛む肌を感じながら、瞠目する。

「南って……!!」
「ユバさ」
「何で……!」

脳裏に浮かぶのは、睡眠も取らず朝から晩までひたすら国を土地を信じ水を掘り続けていたトトの姿。ようやく湧き出たユバの水に奇跡を見出し、喜び、改めて前を向き始めたばかりだというのに、また…。

「…お前何やってんだ! やめろ!!」
「みろ。少しずつ南下し始めた」
「カラカラのおっさんには関係ねェだろうが!!」

 ユバは砂なんかに敗けないよ。

痩せほそったボロボロな体で、けれど光を信じる瞳でしっかりと力強くそう言ったトトの顔が目に浮かぶ。水筒樽一杯分の水を掘り当てるのに、一体どれほどの時間と体力を費やしただろう。それを思うと居ても立っても居られずに、ルフィはクロコダイルから意識を逸らし、南下をはじめた砂嵐を追っていく。

「コノ…止まれ!! 止まれコノヤロォ!! 止まれェ!!」

渦を巻いている巨大な砂の動きを止めようと、抱きつくように腕を伸ばすが、実態を持たないそれはルフィの腕を切り刻むようにしてすり抜けていくだけ。でも諦めずに何度もそれを続けるが、勢力を上げていく風圧に押されて、ルフィは飛ばされてしまう。

「クハハ…無駄だやめとけ。やがてあの砂嵐は風力を増し、このおれでさえ止めようのねェ風速を得る」
「ふざけんなお前…! 止めろよ、今すぐ!!」

起き上がったルフィはクロコダイルの胸ぐらを掴み、激しく揺らし、怒りをぶつけるが。爆ぜた声は貫く音が鈍く響くとともに消えてしまった。
ルフィの息遣いが荒く落ちる。生暖かなどろりとしたものが身体を這い、ぽたりと砂の上に真紅を作った。見やれば、自分の胸に奴の鉤爪が突き刺さっている。焼けつくような痛みがルフィの身体を蝕んで、いく。

「おれを誰だと思ってる。…てめェのような口先だけのルーキーなんざいくらでもいるぜ、麦わらのルフィ。この“偉大なる航路”にゃあよ…」
「う……ぐ…っ、」
「ユバは死ぬ。あの最後の砂嵐によってな…。反乱軍はまた更に怒りの火を燃やすだろう。他人への陳腐な想いがこの国を殺すんだ」

突き刺したルフィを空高く掲げながら、クロコダイルは乾いた笑みを浮かべる。
あまりの痛みに意識も朦朧としているルフィは、されるがままに揺さぶられ、力を失った首はガクンと後ろへ倒れた。

「お前も同じだ、麦わらのルフィ。つまらねェ情を捨てればもっと長生きできた。…こんな水にも恩を感じることなくな」

ぴちゃりと腕にかかるユバの水を冷たい瞳で見つめながら淡々とこぼすと、ぎゅっと熱いものを感じた。力も出ないほどの痛みと戦っているはずのルフィの手が、クロコダイルの手首を強く強く握りしめている。
メキっと、骨の軋む音が響き、クロコダイルは小さく呻き声をあげてルフィの拘束を解放した。胸から爪が離れた瞬間、血が飛沫をあげて砂を真っ赤に染める。それを愉しげに見つめながら、クロコダイルはルフィを流砂の中へと葬った。
転げ落ちていく最中にひどくうめく声が響き、クロコダイルは愉しげに笑う。

「苦しそうだな。だが直に楽になれる……ハハハ」
「ウゥ…ッ、!!」
「じゃあな」
「うブ…っ!」

さらり、さらりと美しく流れていく砂は容赦なく落ちてきたルフィを餌食とし、巨大な穴のそこへとゆったりと誘っていく。朦朧とする意識の中、ルフィはそれでもクロコダイルに挑もうと腕を伸ばすが、強大な引力に争う力もなく、その身体は砂の闇へと葬られた。


TO BE CONTINUED 原作178.179話-111話




1/1
PREV | NEXT

BACK