164、船長VS王女


「すまんな、ビビちゃん。昨夜はとんだ醜態を見せてしまって」
「ううん。そんなこと……」

きらりと眩しい陽光がユバの町を照らしている。
時刻は午前7時。反乱軍のいるカトレアへと向かうため一行は今日も早起きをし、トトとの別れを惜しんでいた。

やさしく手を握って申し訳なさそうに笑みを浮かべるトトに、ビビは太陽のようなあたたかな表情を携えてそっと首を振った。王女の生還、そしてそのぬくもりにトトの心の傷も癒えていくようで、昨夜までのくすんだ顔は元気いっぱいに輝いていた。

「あ、そうだ。ルフィ君、これを持って行きなさい」
「ん? あ、水!」
「おおっ水だ!」

ビビからルフィに視線を移すと、トトは懐から樽型の小さな水筒を取り出して、ルフィに手渡した。受け取り、わずかに振ってみるとちゃぽりと水の揺れる音が涼しく響いてルフィとウソップはわっと笑顔を咲かせる。

「出たのか!?」
「夕べ、きみが掘りながら眠ってしまった直後に湿った地層に辿り着いたんだ。何とかそいつを蒸溜して水を絞り出した」
「おおっ! なんか難しいけどありがとう!」
「正真正銘のユバの水さ。すまんな、これだけしかなくて」
「これ、大事に飲む!」

ふっと太い眉を下げる彼にクルーは力なく首を横に振った。この大変な状況のなか、泊めてくれただけでもう十分だ。
ぎゅうっと大切そうに両手で水筒を握りしめたルフィの隣でビビは「じゃあ、そろそろ」と惜しみつつも別れを切り出し、トトに見送られながら一行は再び砂漠へと踏み出し、たどってきた道を引き返していく。


ルフィと、マツゲに乗ったナミとアリエラが先頭を行き、その隣や後ろに男性陣やビビが適当に距離を取りつつ歩いている最中。
ユバの町から数キロほど歩いたところで、ルフィは何をおもったのか。ぽつんと力強く一人で生えている椰子の木を見つけると、休憩場所でもないのにドカっと腰をおろして前進をやめてしまった。先頭の彼が突如座り込んだから、真後ろにいたナミとアリエラも、二人の隣にいたゾロとサンジも、すぐにぴたりと足を止めて不思議そうに目を丸め、船長を見つめた。

「あッオイ、ルフィ! 何休んでんだよ!」
「んん……」
「……どうしたの? ルフィさん」

次いで、最後尾のウソップとビビも気がつき不思議そうにそれぞれ声をこぼす。
ウソップの尋ねにルフィはむずかしそうな顔をして、顔いっぱいにしわを作り唸り声をあげること数秒。

「ん……やめた!」

顔全体に入れていた力を抜くと同時に、耳を疑うような言葉をぽつんと鋭く吐いた。唐突なそれにクルーは同時に「はあ??」と気の抜けた疑問を浮かべて首を傾げる。ナミとアリエラも困ったように眉を下げつつ、マツゲから降りて船長の様子を伺うことにした。

「やめたって……」
「ルフィさん、どういうこと……?」

ナミに続き、ビビは戸惑いを全面に見せながら腰を下ろしているルフィの付近に一歩近づいた。
ルフィの見せる表情や雰囲気が違うことがひしりと伝わってきて、その不透明さにアリエラは背中に一筋の汗が流れたのを感じた。

「ったくおいルフィ。こんなとこでお前の気まぐれに付き合ってるヒマはねェんだぞ?」
「そうだ、ルフィ。この来た道を辿ってカトレアって町まで行って反乱を止めなきゃお前、この国の100万人の人間が激突してえれェ事態になっちまうんだぞ!? ビビちゃんのためだ。さあ、立て。行くぞ」

ぐいっと船長の胸ぐらを掴んだサンジは、そのまま彼を強制的に立たせようとしたがルフィはお尻をあげることなく、サンジの伸ばされた腕を思いっきり払い「つまんねェ」と投げ飛ばした。
ぶへっと顔から砂にスライディングしてしまったサンジは身体を起こすと同時に「んだとコラァ!!」と怒りを爆ぜたが、ルフィの表情をみてすっと顔色を変えた。

これはいつものような“わがまま”ではない。船長のまあるい瞳は尖っていて、黒い虹彩からは静かな怒りのようなものを感じる。砂を払いながらサンジは一歩後ろに下り、ナミの横に並ぶとポケットに手を突っ込み船長とそして王女に視線を向けた。

「……ビビ」
「……、なに?」
「おれは……クロコダイルをぶっ飛ばしてェんだよ!!」
「……!」

ぎろりと向けられる刃物のように鋭い瞳を今はじめてルフィに向けられ、そして強く真意に絞り出された言葉にはっと息を飲み、ビビは小さな肩を揺らした。彼女の動揺をしっかり見つめながら、ルフィは続ける。

「反乱してる奴らを止めたらクロコダイルは止まるのか? 大体、カトレアに着いても何もすることはねェ。おれ達は海賊だからな。いねェ方がいいくらいだ」
「こいつは考えもないしにたまに核心つくよな」
「ルッフィのくせにな」
「うん……」

ちょっぴり呆れながらもつぶやいたサンジの言葉にみな同調をしてしまう。
それは、みんな胸のうちでひっそりと抱いていたことだった。けれど、ここはビビの愛する故郷であり、そう。海賊だからこそ口を挟まず、王女のやり方に従いついて行くことをそれぞれ暗黙に決めていた。
ゾロがエルマルの町で聞いた作戦に眉を寄せたのも、彼女のやり方に価値観の違いを抱いたからだ。だけれど、そこが彼女のいいところでもあり、この国の王女としてのやり方であり最善策なのだと捉え、口を挟まずにいたのだ。ルフィと全く同じ意見を持っているゾロは、腕を組み、流れをじっと見つめている。ビビはふるりとこぶしを揺らし、ちいさく動揺をこぼした。

「そ、それは……」
「……お前はこの戦いで誰も死ななきゃいいと思ってんだ。国の奴らも、おれ達も、みんな。七武海の海賊が相手でもう100万人も暴れ出してる戦いなのにみんな無事でいいと思ってんだ」

俯き加減に隠された帽子のなか、船長の表情は伺えないが淡々とした口調にぴりりとした緊張が一帯をつつみこむ。

「──甘ェんじゃねェのか?」
「ちょっとルフィ! あんた少しはビビの気持ちを、」
「ナミさん待った」
「でも─……」

ゆっくり顔を持ち上げて、ビビを責めるように低く口にしたルフィに対し、ナミも黙っていられなく一歩前に出て口を割ったが、ビビの様子に気がついたサンジが彼女の前にすっと腕を伸ばしストップをかけた。いつもなら一緒に止めてくれるアリエラも真剣にビビのことを見つめていて、ナミは目を泳がせ胸の前で作っていたこぶしをそっと解き、力を抜いた。

ナミとは反対に、ビビはつよくつよく握り拳を作っていて怒りにその細い身体をワナワナ震わせている。くっと下唇を噛み勢いよく顔を持ち上げたビビは、向けられている視線に負けぬような気迫を彼にぶつける。

「何がいけないの!? 人が死ななきゃいいと思って何が悪いの!?」
「人は死ぬぞ」
「──ッ!」

じいっと下から挑発するようにみつめるルフィの瞳はどこまでも黒く、けれど、光に満ちていた。それを見たら。その言葉が無性にビビの腹の底の怒りを掻き立たせ、ひどく震えていた手のひらをかまわずにルフィの頬にぶつけた。あまりの怒りに力は大きく働き、ルフィの体は吹っ飛ばされて砂の上に横たわる。

「やめてよそんなこと言うの! 今度言ったら許さないわッ!!」

う、とうめきをこぼした彼を憤怒に光らせた双眸でぎろりと睨め付け、否定を現すよう強く首を振り、ビビは震えた声を絞り出した。

「……今、それを止めようとしているんじゃない! 反乱軍も、国王軍も…、この国の人々は何も悪くないのに何故誰かが死ななきゃならないの!? 悪いのは全部クロコダイルなのに……!」

息を荒げながらもビビは胸の奥に溜まっていたものをぶつけるように、ルフィに声を向けるがそれはすぐに彼による拳に押さえつけられてしまった。高い悲鳴が薄く開いた口からこぼれ、気がつけば砂の上に倒れていた。

「じゃあ……なんでお前は命賭けてんだ!!」

口の中にじんわりと血が滲んでいくのを感じる。ズキズキ頭が痛み、目も眩むけれど、ビビの胸には悔しさと怒りがただひたすら渦巻いていて、それをバネにゆっくりと身体を起こす。
ルフィを非難するウソップとサンジとアリエラの声がどこか遠くで聞こえるようだ。
流石に殴られるとは思っていなかったビビだったが、けれどおかげで火がついた。向けられた声に少し動揺したが、それはもう2年前、全てのはじまりの日に最初で最後の賭け事をバロックワークス社に対し、この国に対し仕掛けていたものだった。
その決意を、人々の命を軽く見られたことに対して、ビビは腹の底を抉られるような激しい怒りを抱きながらすっと身体を起こす。

私は温室で育ったお姫様じゃない。ぐっと歯を食いしばり、もう一度ルフィを殴ると今度は反撃されないように彼の上に馬乗りになって体重をかけ身体を拘束した。
けれど、彼は全身力を抜いていて反抗するつもりはないようだ。それがビビの怒りにまた触れて、組み敷いた先にある顔を睨みつける。傷ができた顔は組み敷かれても飄々としていて、そして瞳は全て真実を語っていた。

「この国を見て一番にやらなきゃいけねェことくらい……」
「っ、何よ!!」
「おれだって分かるぞ!!」

高く持ち上げた右手で拳を作り、ルフィの言葉を遮るようにビビは左頬に、右頬に、両手を使い絶え間なく往復ビンタをぶつけていく。脳裏に浮かぶのは救えなかったラサの顔、トトの痩せたやさしい顔。この国に生きるやさしく逞しい人々の顔。こぶしに抱くのは救いきれない思い。
うめくルフィからはそれでも尚、激しい炎が伝わってくる。クロコダイルをぶっ飛ばしたいという、強い思いが伝わってくる。
麦わらの一味の人々は海賊だけれど、大切な仲間だ。出会ったばかりの私にこんなにも尽くしてくれる、本当に尊敬できる人たちだ。そんな尊い人たちをこの国の戦争に巻き込みたくないと、手を伸ばした今でも胸のうちにひっそりと抱いていた。

コーザ、リーダーを説得して白い旗をあげてもらう。そして国王軍に反乱軍から、王女の私から、全ての真実を告げて、無駄な血を出さないように食い止めて反乱軍国王軍と共に勢力を上げクロコダイルを──。けれど、その全ての前線に立つのはたった一人、私だけ。
麦わらの一味をアラバスタの人々をクロコダイルから遠ざけ、より多くの人の命を救う方法はもうこれしか残ってないの──。これが私の、アラバスタ王国の最善策なの。なのに、なのに。

「おまえなんかの、命一個でっ、足りるもんか!!」
「っ、じゃあッ! 一体……、一体……っ、何を賭けたらいいの!? 」

あっさりも胸の内を見破られて打ち捨てられて、ビビの怒りの炎は次第に勢いを失っていく。
殴る力も弱まり、次第に震えをみせるこぶしをもう一度強く握りしめ、当てのない怒りをルフィにぶつけようとすると今度は容易く両手首を拘束されてしまった。
強く握られた手のひらは、信じられないほど熱くって、これが彼の怒りなのだとビビはどこか冷静に思う。

「……他に賭けられるものなんて…、何も……っ」

ああ、口にしたらおしまいだ。これまで必死に、……気付かないふりをしてきたけれど、必死に、必死に涙も弱音も耐えてきた。弱音というものは脆くて、なんて強い力を持っているのだろう。一度口にしてしまったらもうおしまいなのだ。全てが崩れもう立ち直れなくなってしまう。
……本当はわかっていた。王女たった一人の命は七武海に君臨した海賊の前では無惨に散ってしまうだろうと。だけど、本当にこれ以上かけて戦えるものなんて、私には──。

項垂れたビビの頭をルフィはそっと見つめ、上に乗る彼女の身体を乱暴に引き剥がした。

「おれたちの命くらい一緒に賭けてみろ! 仲間だろうが!!」

立ち上がり天に仰いだルフィのことばは、ビビの擦り切れた胸の奥を強く貫き光となって弾けた。視界がぐらりと揺れて、喉の奥から熱いものが込み上げてくる。鼻の奥がつんと痛み、口を塞いだ手のひらに生暖かいものがぽろぽろこぼれ落ちてきた。
からだは震え、悲しさと怒りと憎しみとそして嬉しさと。あらゆる感情が全身を駆け抜け、数年ぶりにこぼした涙は乾き切った砂漠に潤いを与えていく。

「なんだ、出るじゃねェか。そういう涙」

ふっと笑みを浮かべたルフィは嬉しそうな表情で泣き崩れるビビを見つめた。
これまでの想いを全てこぼすように、吐き出すように泣きじゃくる彼女をナミとアリエラがそっと抱きしめ安堵を与える。クルーも彼女のことをずっとずっと見抜いていたのだ。最初は気づかなかったが、アラバスタに上陸してからはもう隠しきれないほどに心がすり減っていくのを心の目で見つめていた。早く、腕を伸ばして欲しい。そう思っていたのだが、

小さな身体は小刻みに震えていて、こんなにもか細く儚い16歳の女の子がこの国の全てを、海賊の命さえをも背負っていたこと。吐露したことに改めてナミとアリエラは痛々しさを感じてぎゅうっと目を瞑り、慈しむようにビビを包み込む。こんなにも心優しい女の子を、大切な仲間を絶対に死なせてたまるか。瞳の奥にじわりと新たな決意が揺らぐのをそれぞれひっしりと感じていた。


一人で抱え込んでいたビビは脆くて頼りなかったが、涙をこぼし、頷いて仲間に誓いをかけた彼女はもう決して弱くなんかない。優しいが故に人に甘すぎるビビにとって、他人の命を一緒にかけるということにどれほどの勇気は言ったことだろう。そして、それを今までずっと渋っていた彼女に対し腕を伸ばさせることができたルフィという男の器の大きさを改めて思い知らされる。

一皮剥けて強くなった王女にクルーは心からの笑みを浮かべている。

「教えろよ。クロコダイルの居場所!」

そんな彼らのなか、ひとりだけ険しい顔をしたままルフィはもう一度力強く“仲間”に問うた。


TO BE CONTINUED 原作166話-104話



1/1
PREV | NEXT

BACK