165、戦線へ


「ううっ…、みんな……」

ぽたりとこぼれ落ちた涙は、どんどん砂を濡らしていく。まるで、砂漠に雨を降らすように。
嗚咽まじりにビビは一言、思いの丈をそこに乗せた。
震えている小さな肩は、力を希望を宿していてキツく結んでいたクルーの表情はふっと和らいでいく。ばちっと合った王女の瞳はもう迷いなんてものはない。心を、覚悟を決めた顔でルフィを見つめこくりと頷いた。

「……ルフィさんの言葉通り。私、覚悟を決めるわ。クロコダイルのいるところに行きましょう」
「ああ」

手の甲で涙を拭い、あらゆる想いをひとまとめに。一緒に天秤にかけてくれたビビはようやく正真正銘の仲間だと認めてくれたようで、それぞれの胸にぽっとひだまりが宿される。
やっと本当に掴んでくれた手をぎゅうっと胸のうちで繋ぎ直し、ルフィは彼女へと視線を下げた。

「確かにそれが一番の近道のようね」
「めんどくせェ回り道はもうしねェでいいってわけだ」
「でも、おかげでビビちゃんは大切なことに気付けたんだから無駄ではなかったわ」
「さっすがアリエラちゃん。いいこと言うぜ」

彼女にでれりと目尻を垂らしたサンジだけどその面持ちをすぐにしまい、ビビに優しく声を落とす。

「……で、どこにいるんだ? ビビちゃん。クソクロコダイルは」

サンジの穏やかな低音は心をほっとさせる効果があるようだ。ビビは鼻をすすり、出し切った涙をハンカチで拭うと、コートに収めていたアラバスタ全土の地図を砂の上に広げた。
地図右側に位置する“アルバーナ”と記された地を指差し、ビビは続ける。

「ここが父の治める都“アルバーナ”。反乱軍は今ここ“カトレア”にいて……、国王と国王軍のいるアルバーナを攻めようとしているわ」

カトレアはアルバーナから見て真っ直ぐ北の方に位置している。ビビの細い指が示す場所を眺めながらサンジはたばこに火をつけ、口を開いた。

「その前にクロコダイルをやっつけちまえばいいってわけか……」
「クロコダイルがいるのはここ、“レインベース”。ここから北に進んでいけば一日で着くわ」

アラバスタはちょうど国の全土のど真ん中に渡っている巨大なサンドラ河により東部と西部で大きく分かれる地形となっている。現在地のユバから見て、旧目的地のカトレアはサンドラ河を渡って西部に行かなければならないが、クロコダイルのいるレインベースはユバの上部に位置するため今一味は絶妙な場所にいるのだ。


   ◇ ◇ ◇


「あッ、」
「うああああぢィッ、」

レインベースに向けて砂漠の旅をはじめた一味は今日もまた焼け付く太陽を体にジリジリ感じながら歩いていた。やっぱり慣れないこの気候にルフィとウソップは杖をつきながら、大きく舌を出してずっと喘いでいる。
その調子が延々と続くものだから、マツゲの後部席に座っていたナミはむっと眉を釣り上げてふたりを見下ろした。

「ああもう! そのあーあー言うのやめてって言ったでしょ!?」
「何だよ、ラクダに乗ってるくせに!」
「そうだぞ、ナミ!」
「このラクダ女!」
「ナミ楽だ!」
「やだルフィくん」

ぎゃいぎゃい騒ぐ二人にナミは呆れつつも、その元気があるなら黙って歩きなさいよ。とスルーを決め込み、手綱を握っているビビの方に姿勢を戻した。
ルフィが投げつけたギャグに隣を歩いていたアリエラが困ったようにくすくす笑い、その後ろではトナカイに変化したチョッパーが踏みしめるように砂漠をしっかりと歩き進めている。

「チョッパー、お前今日は倒れねェんだな」
「うん。おれ、頑張るんだ」

チョッパーを真ん中にして左右にゾロとサンジがついている。
頑張る姿からビビへの信頼や絆を強く感じたのか、仲間になったばかりの彼の成長も垣間見えてサンジは低く笑い声をこぼした。
そして、前方に視線を向ける。全身フードに包まれた小さな身体を瞳にうつすと、自然と胸が高鳴り全身にエネルギーが染み渡る。この子から得られる栄養ってのは、またすんげェだろうな。きっとこいつにとっても──。
と、恋のライバルであるゾロに目線を投げると彼もまた彼女のことを見つめていたらしく、やっぱりな。と、どうしてか笑えてしまった。

「アリエラちゃん、疲れてないかい」
「うん? うん、平気」
「そっか、よかった。もし疲れた時はおれに言ってくれ、いかなる時でもいくらでも抱っこいたします
「わあ、ふふ。頼りにしてるわ、サンジくん」
「ええ、いつでもお任せを
「……ハッ、おいアリエラ。そいつ貧相だから体預けるのはやめといた方がいいぜ。おれに任せな」
「ああ? 貧相だァ? オイ、てめェ誰に向かって言ってやがんだ。おれァな、脱いだらすげェんだぞ」
「へえ、とてもそうは見えねェが」
「着痩せってやつだよ。コックってのは腕力ねェと務まらねェ仕事だし、何より! こんなにも麗しく美しいアリエラちゃんの体重はおれにとっちゃあ羽根のような軽さだよ」
「じゃあ、おれにとっちゃァ空気だな」
「おい知ってっか、空気っつーのはな大体一リットルで一番ちいせェ硬貨ほどの重さがあるんだぞ。羽根の方が軽ィだろ」
「じゃあアリエラは一リットル未満だ」
「おいおいそりゃズルってもんじゃねェか? ゾロくんよォ」
「あァ? ズルだ?」

怒りの空気を体に纏わせお互いにぶつけるから、挟まれているチョッパーは気まずそうに暑そうに首を低く落としている。やいやい聞こえてくる二人の声にナミは再びこちらに顔を向けて、「あんたらはあんたらで何の喧嘩してんのよ」と深くため息を吐き、「この子も大変な奴らに惚れられちゃったものね」と、お兄様方の喧嘩を無視し、汗を拭いているアリエラに同情に似た感情を送った。


「なあ、ビビ。レインベースには水はあるのかな?」
「ええ。あそこは反乱とはほとんど無縁のギャンブルの町だから」
「いやあんっギャンブル??」
「オイオイ、てめェ……何考えてんだ」

チョッパーの質問に対し、ナミはビビの返答にキラーンと目をベリーに輝かせて生き生きとした声を上げた。チリーンとスロットの音さえ聞こえてきそうな彼女のオーラに、お返しと言わんばかりにゾロが今度は呆れを見せている。

「同じアラバスタでも呑気な町があるもんだなァ」
「すごい、ギャンブルまであるのねアラバスタは」

サンジとアリエラがへえ、とお互い違う感心をみせていると「“ゴムゴムのダメだ!”」とルフィの荒い声が響いて、はっとそちらに顔を向ける。さっきまでサンジたちの前を歩いていたのに、いつの間にかルフィとウソップは列から右側に外れ、足を止めていた。

むっと表情を顰めているルフィと何か言いたげな様子のウソップに、一同は不思議そうに目を丸める。

「いいじゃねェか少しくらい! せっかくもらったんだしよ」
「ダメだ! これはカラカラのおっさんが一晩中かけて掘ってくれた水だ、無駄に飲んだらダメな水だ!」

見れば、ルフィは大事そうに樽水筒を握りしめ、ウソップに威嚇をしていた。鋭い瞳に充てられたウソップは何だよぉ、と唇を尖らせている。その様子にナミは心底感心した眼差しを、欲望のままに生きる船長に向けていた。

「へえ、あんたも時には我慢もできるものなのね、ルフィ」
「できるぞ! お前失敬だな!」

ナミにずいっと顔を近づけてもう一度「お前失敬だな!」と眉を持ち上げるルフィに、ナミははいはい、と軽くあしらった。未だ大事に抱いている水筒に希望を見出せず、ウソップは渇き切った舌をだらんと伸ばし、「はあ…水、」と項垂れてサンジに乞いをすると、「たらふく飲んだ後だろうがったく…口に含む程度だぞ」とやさしいコックさんから少量のお水を分けてもらえ少しだけ元気を取り戻したようだ。

「……で、ビビ。レインベースってのはまだ着かねェのか?」

飲みたいけれど手を出せないユバの水をちゃぽりと揺らしながら、高い場所にある王女に視線を持ち上げたルフィのその強い瞳を見つめ、ビビはマツゲから降りて地に足をつけた。

「ルフィさん」
「ん?」
「ありがとう。私じゃとてもこんな決断下せなかった…」
「メシ」
「え?」
「クロコダイルをぶっ飛ばしたら死ぬほどメシ、食わせろよ」
「うんっ、約束する!」

お腹に手を当ててそう口にしたルフィにビビは一瞬理解が追いつかずにたじろいだが、もう長い旅の中で知ってきた彼のその性格を思い出し、彼らしさにくすりと笑みがこぼれてまた心が軽くなっていく。大きく頷くと、ルフィも満足そうに笑って、場の空気がもっと明るくなっていく。

本当にすごい人だ、とアリエラは彼の背中を見つめながらひっそりとこぼす。

早朝。言えなかった言葉を彼はさらりとビビにこぼし、背中を真っ直ぐに押して手を差し伸べた。恐れることなく、遠慮もないからこそ、胸の奥にまで届いた光。それは紛れもなくアラバスタを照らす太陽に変化するもの。
包み隠さない鋭い言葉はビビの胸を刺したが、それは傷ではなく勲章として彼女の中で輝きを放っている。そこから生まれたこの決断は、ビビの計画していた案よりもずっと手短で見易いなためにより多くの人々を救えるだろう。

マツゲに乗り上げ、手綱を握ったビビの後ろ姿を見つめながら、アリエラは船長に声を投げた。

「……ルフィくん」
「ん?」
「ルフィくんって太陽みたい」
「たいよ??」
「うん。すごい力を持ってるわ、ルフィくんは」

突然そう言われて不思議そうに首をかしげるルフィだけど、太陽、太陽。何度か呟きほぐれてきた脳裏に収めると「ああ、おれ太陽って好きだ」と、またニカっと象徴するような燦々とした笑みを浮かべた。


それからしばらく歩き続け、お日様もてっぺんに昇った頃。

「見えてきた……」

先頭のビビが前方にぼんやりと浮かぶ町影を発見した。
彼女の小さな声にクルーは顔を持ち上げて、それを目視する。汗ばんでいる表情にそれぞれ笑みが浮かんでくる。

「あれがレインベースか……」
「うおおおっ!!」

ほっとしたようなチョッパーのすぐ後ろでルフィとウソップの歓喜が湧いた。その元気さに背中を押され、アリエラは楽しそうに笑い声をこぼす。

「よおしっ、クロコダイルをぶっ飛ばすぞ!!」
「(クロコダイル……ッ)」

明朗なルフィが叫んだその名は、ビビも同時に心の中で憎悪とともに絞り出していて、ぎゅうっと下唇を噛み締めていた。手にも憤激による力が入っていて、手綱がかすかに震えている。それを後ろで見つめていたナミも目を細めて、この先にいるビビを、国を苦しめる悪の権化を睨みつけた。

「ところでよ、バロックワークス社はおれ達がこの国にいることに気付いてんのか?」
「おそらくね。Mr.2にも会ってしまったし、まず知られていると考えて間違いないと思うわ」
「それがどうした」
「サンジ以外顔が割れてんだ! レインベースじゃやたらと行動できねェだろ」
「なんでだよ!」

そうだ。敵はおそらくこちらがアラバスタに上陸していることを知っているだろう。ナミの答えにビビも同調し、マツゲの上でこっくりと頷いているが、ルフィだけはいまいちその事態を把握しきれていなく(そもそも把握しようとしていないのか)難しい顔をしてゾロとナミを見やったからウソップが呆れつつ分かりやすく伝えると、むっとした顔を見せたから一同は深々とため息をこぼしてしまう。

「おれ達が先に見つかってしまえばクロコダイルにはいくらでも手の打ちようがあるだろ」
「暗殺は奴らの得意分野だからな」
「ああ」

ゾロとサンジの低い声にぴりりとした緊張感が走る。
アラバスタに上陸している、ということは認知しているはずだが現在地はきっと未だ不明のままだ。上陸してからほとんどの時間を砂漠の旅に使用しているし、道中でそれらしき人物に出会った気配はない。だから、これからが正念場。
ナノハナでのことを思うに、きっと海兵たちも派遣されている。カジノの町となれば尚更だ。バロックワークス社と海軍から雲隠れしつつ、ボスに接近しなければならない。
ドキドキと緊迫にアリエラは心臓を高鳴らせて、ごくりと喉を鳴らした。

けれど。

「出てこいクロコダイルーーーーッ!!!」
「聞いてんのかよてめェ!!」

ルフィは相変わらずむっすりと不可解そうな顔をしたまま、腕をグーンと高く伸ばして叫ぶものだからウソップにぽかりと後頭部を殴られている。この調子じゃ何を言い聞かせてもルフィは目的へとまっすぐ突っ走るだろう。見えて仕方ない未来にやれやれなゾロの後ろで、サンジはふっと笑みを作り、きらりと顔を輝かせる。

「とにかく、誰が出ようとレディーはこのおれが守るぜ。プリンスって呼んでくれますね? 三人とも
「プリンス」

えへへ、と女子三人に近づいて自分を指さしたサンジにお望みの呼称を返したのはゾロだった。女の子のホワンと高い声ではなく、男の中の男であるゾロの低い声に呼ばれたことにサンジはブルリと背筋に悪寒を走らせ、「ぶっ飛ばすぞてめェッ!!!」と声を荒げる。
おれの耳が汚れるわ!と牙を立てるが、ゾロはすっと指で耳栓するから効果はないようだ。

「プリンス
「おれも、水ッ!!」
「うるせェな、お前ら」
「うう、わたしもいっぱいお水飲みたぁい

へろりへろりと気の抜けた声でサンジを呼んだウソップとチョッパーにゾロからの叱責が入ったが、二人は臆することなく水、水。とうめいている。それを聞いてアリエラもより欲求が増してきたのだろう。リュックの紐をぎゅっと握りしめて、寝言のように頼りなく呟いた。

「アリエラちゃ、──」
「アリエラ、喉カラカラなのか?」
「うん。カラッカラ」
「よし、じゃあ行こう!」
「え?」

ニッカリ笑みを浮かべたルフィにきょとりと目を丸めていると、ぐいっと手首を掴まれた。
後ろでは「おれを遮るんじゃねェ! つーか、おい! 何アリエラ様の手握ってんだ、てめェ!」とサンジの荒声が熱く爆ぜているからゾロは再び耳栓を指で作っている。

「水だ水!!」
「何より優先されるべきこと、ソレは水だ!」

きらりと目を輝かせたルフィの思考をウソップも読み取ったみたいで、同じように丸い目にハイライトを入れている。ふたりこっくり頷き合うと、アリエラを引き連れてレインベースの町へと走り出してしまった。

「ちょっとアリエラまで連れて……ってか! お金持っていきなさいよーッ!!」

猛スピードに引っ張られ理解が追いついていないアリエラのきゃあーっ、と高い悲鳴が響き「おのれぇぇぇクソゴム引き返せ! アリエラ様に何やっとんじゃあ!!」とサンジがすぐさま怒りを爆発させたが、ナミの呼びかけ同様、それはもう目の前の欲望に眩んだ彼らの耳には届かなかった。


TO BE CONTINUED 原作168話-105話



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