163、砂漠の女神


「いやあっ諸君! 今日はお疲れ! とりあえず今日は少し寝よう。明日のために体力回復だ!おやすみーー!」

揚々と明朗な声を響かせたウソップは、ベッドにどさりと寝転んで鼻提灯を膨らませた。ぷうぷう音が鳴るそれは、「ちょっと待て!」と低い声が室内につん裂くとともにぱちんと弾けてしまった。

「お前は今まで寝てただろ!」

飛んできた枕が顔にヒットしたウソップは、それを投げた主であるゾロにぎろりと鋭い双眸を向ける。

「こ、このやろお……ッ、お前らバケモノと一緒に、すんじゃねェ!!」

ヒリヒリする赤い顔を押さえつつ、枕を持って起き上がったウソップは問答無用でそれをゾロの顔に投げ返した。さすがは狙撃手。ど真ん中にヒットした枕は、しばらくゾロの顔に張り付き、ぽとりと地面に落ちていく。

「やったなウソップ……!」
「ひっ、! や、それにだ! 今日のへこたれた大賞はお前だろ、青っ鼻!」
「ぶッ……いってェな! おれは、暑いのが苦手なんだッ!」

二段ベッドの上に登っていたチョッパーの元に流れてきた枕の弾とともに、彼はどてんと床に尻餅をついてしまった。ヒートアップしていく三人の間で枕投げ大会が開催され、ぽいぽいと枕が宙を舞う中、サンジはビビのベッドに横たわり掛け布団をめくって彼女の侵入を待っていた。

「サンジさん、そこ私の……」
「ああ。今日は一人で寝るの辛いだろうと思って…さあ、ビビちゃん。遠慮なくおれの隣に゛ッ」
「で、お前はそこでなにやってんだ?」
「……おう。いい度胸してんじゃねェか……どっちだ? 今おれにふっかけてきやがったのは」

サンジのとろけた甘い声にふと意識を向けたウソップとチョッパーは、コックも巻き添えにしちゃおうと顔にぼふんと一発枕をぶつけたら、やっぱりすぐにノってくれて二人はニンマリと笑みを描いた。

サンジがベッドから降りたことでビビのベッドスペースは戻ったが、あたりは危険度を増していっている。あちらこちら飛び交う様々な枕にナミもアリエラも睡眠から引き戻されて、むっすり柳眉を寄せてベッドの柵から下に顔を覗かせる。
二人とも隣同士に並んでいる二段ベッドの上段をもらい先に眠っていたのだ。

「ふわああ元気ねえ、みんな」
「あんたらね! 仮眠の意味わかってんの!?」

けれど、覗かせてしまったのが仇となった。方向なんて気にせずに飛んでくるからナミとアリエラの顔にも綺麗にヒットして、ぶっと潰れたような声を出してしまった。
ヒリヒリした顔にイラッとしつつ、ナミは枕を投げ返し、アリエラもウソップに狙いを定めてえいと楽しそうに放り投げる。
今おれに当てやがったの誰だ!? おめェがよそ見してるからだ! おいコック、腕力ねェな。あんだとォ!? おれァ日々重てェフライパンを振るコックだぞ。腕力には自信しかねェんだクソ剣士!
わいわい賑やかな声が室内に響き渡っている。自分のベッドの前に立って、しばらくぼうっと彼らの元気な姿を眺めていたビビの顔にもついに当たってしまい、うっ、と短く悲鳴をこぼしたが浮かべた表情は柔らかく微笑んでいて、上段からビビの様子を眺めていたナミとアリエラはふたり顔を見合わせて微笑み合った。


   ◇ ◇ ◇


「なおっさん、でねェぞ水。おれも喉カラカラだ。よくこんなとこに住んでんなァ」
「水は出るさ。ユバオアシスはまだ生きてる。ユバはね、砂なんかには負けないよ。何度でも掘り返してみせる……ここは私が国王様から預かった大事な土地なんだ」
「ふーん……」

宿の中に姿のなかったルフィは、水を飲みたくて外に出ていたのだが、相変わらずオアシスを掘り続けているトトの姿を見つけて彼のそばで腰を下ろしてその作業を目視していた。
時たま指で土をいじってみるけれど、カラカラに乾いているために硬くて、踏ん張らなければとてもではないが掘ることができなかった。
トトにはスコップがあるとはいえ、その細い腕では少し掘り進めるだけでも酷く体力を消耗してしまっているだろう。

大きな満月に照らされたトトの顔は薄汚れているけれど、希望に満ちているような輝きを瞳から感じ取れる。この状況でも折れずに前向きに生きている姿を見て、ルフィは「よし」と声を弾ませた。

「じゃあおれも掘ろう!」

思い立ったらすぐに行動を起こすルフィは、土から腰を浮かせてしゃがみこむと、両手で土を掻き分けて穴を掘っていく。

「あっコラ、ちょっと待て! 私の掘った穴に砂を入れるな!」
「ん?」

彼の持つ体力とパワーは生身の人間とは桁違いなためにあっという間に自身の肩まで埋まるほど穴を掘り進めていて、振り返ったトトは驚愕を見せたが、けれどここまで必死に掘ってきた自分の穴を埋められてしまったことを叱責するがルフィは不思議そうに目をくるりと丸めた。

「穴を、埋める気かと聞いているんだ」
「ん?いや? 掘ってるよ、おれは」
「そうじゃなくて、君が掘り返した砂が私の掘った穴に入るから私が穴を掘る意味がなくなるだろうと言っているんだよ」
「はあん……あッ! 不思議穴か!」
「う、違うわ」

頭の中で解けない疑問には“不思議〇〇”と名付けて納得してしまう節のあるルフィは、ぽん、と手を叩き一人で勝手に頷くとおかしそうに笑い声をあげてまたもや掘り返していくから、トトは呆れ半分にぼそっとこぼした。

怒っても仕方ないとふみ、背中で穴を守る態勢を取ってしばらく掘り続けていると、おや、と異変に気がついてトトは手を止め、腰を伸ばした。

「そういや、砂が降ってこんようになったな……」

あれだけひっきりなしに降ってきたというのに、今や穴を掘る音すらも静寂のなかぴたりと止んでいる。スコップを地面に置き、ルフィの様子を確認しようと振り返ったとき。目に飛び込んできた大きな穴に、トトはおどろいて息を飲み込んだ。

「わずかの間でこんなに……、長旅で疲れておろうに」

覗き込まなくてはならないほど深い場所まで掘られた穴の下、ルフィは力尽きたみたいで丸まって眠っていた。すやすや寝息を立てて眠る顔はまだ熟れていなく、トトの気持ちを柔らかくさせる。ビビちゃんには、頼もしい仲間ができたんだな。

ルフィをなんとか担ぎ上げて、宿のベッドに運んだその頃にはもう灯りも消えてみんなの寝息が重なり響きわたっていた。こうして眺めてみると、自分の息子とそこまで変わらないだろう彼らの若い寝顔にトトは救われた気持ちになって、布団をかけ直してあげたり、ベッドから落ちてしまっている足を戻してあげたりしていく。

「今夜はしばしの休息を……。おやすみ」

やさしくこぼし、トトは眠りの邪魔をしないように再び外へと出ていった。


カーテンのない剥き出しの窓からしろいろの柔らかなひかりが差し込み、アリエラは目を覚ました。まぶたがじんわりと熱くなって、目を開けた頃にはまどろみも消えてスッキリとした目覚めを久しぶりに味わった。
メリー号は船底に女部屋があるし、数日間のテント暮らしでも、こうして光に誘われて目を覚ますことはあれほどに当たり前のことだったのに今では新鮮な感じがする。

ん、と息を抜きながら伸びをしてベッドから辺りを覗いてみると、みんなの愛おしい寝顔が並んでいてくすりと笑みがこぼれた。ルフィとウソップはベッドから上半身がずり落ちてしまっているし、チョッパーも床の上で転がって眠っている。ゾロは自分の腕で枕を作り壁側を向いていて、サンジも大きな口を開けてすやすやといびきを響かせている。
こうして男性陣と同じ場所で眠ることはこれまでほとんどなかったことだから不思議な感じだ。

隣のベッドのナミもいつものように可愛い寝顔をしていて、起こさないようにすこしずれていた布団をかけ直し、そろりと階段を降りて床の上に立つと同じベッドの下段で寝ていたはずのビビの姿がなくて心臓がひんやりと冷えていく。
まだサンジも起きていないほどの早朝だ。蘇るのは昨日のビビの小さな背中。あのとき、みんなそれぞれ胸に何かしらを抱いていたのがアリエラも、きっとみんなもお互いに感じ取っていた。だから、忽ち不安が脳裏を駆け巡ってしまう。

彼女が寝ていたはずのベッドにそっと手を当ててみると、シーツにはまだ温もりが残っていた。まだきっと遠くには。そう思い、サンダルを引っ掛けて外に出てみるとまぶしい朝日が瞼をじんと突き刺し、思わずぎゅうっと目を瞑り立ち尽くしてしまう。
砂漠の、特にオアシスとして名高いこのユバの朝はとても明るいのだ。
けれど朝日に眩んでいる暇などなく、目を開けて一歩足を町へと踏み出すと、「あら、アリエラさん」と凛とした声が右隣から聞こえてきて、求めていた声にはっと足を止めた。

「ビビちゃん!」
「え、え、?」
「ああっ、よかった……!」
「アリエラさん……? どうしたの?」

ふいっと顔を向けた先にはお馴染みの紺色のローブを身を纏ったビビがいて、アリエラはその安堵から思わず彼女に飛びつく形で抱きついてしまった。
ああ、本当によかったわ。わたしはてっきりビビちゃんが一人で……。
そう、言いかけたけれどぐっと口を噤み、そっと柔らかな体から自分の身を剥がす。

「ごめんね、朝っぱらからこんな猛烈に抱きついちゃって。ちょっと、うんと、怖い夢をみたの」
「怖い夢? ……ふふふっ、アリエラさんったらあまりにも怖い顔をしていたから何か中であったのかと思ったわ。そう、ふふ。怖い夢、それは飛び起きちゃうわね」

口元をやわらかく握りしめたこぶしを当てて、くすくす綺麗な笑い声を響かせるビビの姿には朝陽特有のほんのりとしたひかりが溶け込んでいて、まるで女神のような美しさを放っていた。

「きれい……、」
「え?」
「あ、ううん。えへへ、ビビちゃんどうして外に?」

見惚れてしまっていたことを悟られては恥ずかしいため、ごまかしの笑みを弾ませ、ようやく疑問を問うた。受けた彼女は特に違和感を抱くことなく、先方に見える小さな家を指差して薄い綺麗な唇をひらいた。

「トトおじさんを運んでいたの。気になっちゃって……夜通しで穴を掘っていたみたい。私が出てきた時、あの木にもたれかかるようにして眠っていたから」
「そうだったの。トトおじ様、一人でここに残りずっと戦ってきていたなんて…とても強くて素敵な人ね」
「ええ、本当に。だから一刻も早くカトレアに行って反乱軍を説得しなくちゃ」
「……」

ふわりと運ばれてきた新鮮な風がふたりの間を通り抜けた。
なびく水色の髪の毛を押さえながら、遠くの方を見つめるビビの顔をアリエラはじいっと見つめ、そして心の中で重たくため息をこぼした。

彼女は一体どこまで一人立ち向かっていくのだろう。
これじゃあまるで、わたし達はビビちゃんの兵士だ。と、おもってしまう。
大切な仲間の大切な国を救いたくってこのアラバスタに上陸し、みんなそれぞれの思いを抱いてここまで旅をしているのに、彼女はずっと一人で前線に立っているように感じられて胸がきりりと痛む。

本当はこちらにもっと手を伸ばしてほしい。もっともっと頼ってほしい、弱音も全て見せてほしい。その小さな体たったひとつで100万人もの暴動を止め、国民全員の命を救おうとしているなんて。背負っているものが重たすぎて大きすぎて、とても見ていられない。目を、背けたくなってしまう。

髪飾りやネックレスに反射し、ふわりと揺れるひかりはビビの周りで遊ぶように踊っている。
それを目で追いながらアリエラはふと考える。わたしがまだエトワールとして活躍できていたら、と。このひかりのように、ふわふわと目的の前で美貌と愛嬌を振り撒き、甘い蜜を垂らして、罠にかかったら最後。わたしはエトワールという女の子の皮を被ればきっとなんだって──。

そう思い、はっと顔を持ち上げた。これは驕りだ。恥ずかしい。海賊相手に、わたしは何て浅ましいことを考えているのだろう。
海賊になって数ヶ月経ち、何度か場数を踏んできたというのに、“エトワール”が通用すると思ってしまうことに嫌気がさしてしまう。魅入らせ、騙し、命以外の全てを奪って捨てる。そんなの一時的なしのぎであって、根本的なものは何も解決されていない。きっと、そうなのだ、わたしがやってきたことは確かにたくさんの命を救えたけれど、とても綺麗な、正しいものではなかった。

だけど、この国には“正しさ”が必要だ。ネフェルタリ家の気高さを、ビビ王女の心の前でちゃらんぽらんに、有耶無耶に消してはいけない。そしてわたし達は海賊だ。勝手にこの国で暴れまわってはならない。だから、国を救おうとしているビビちゃんを救うには──。

「大丈夫、アリエラさん! 反乱軍のリーダーはね、私の古くからの知り合いなの。きっとすぐ話をわかってもらえるわ」
「うん……」

ビビにまたから元気をさせてしまったことに胃の奥が締め付けられるような痛みをあげた。
結局アリエラには彼女を動かす力がなく、自分の非力さに目を瞑りたくなってしまった。


TO BE CONTINUED 原作165話-104話



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