162、消えゆくひかり


太陽が地平線の下に沈むとすぐに夜がやってきた。急激な温度の低下に身を震わせながらも一行はひたすらユバを目指す。この辺りには休息できるような岩場がなく、今夜はユバの宿舎で寝泊まりする予定だ。

ビビの見込みでは21時頃には到着するはずだったが、予定を狂わせるのも砂漠ではつきもの。今日の砂漠はご機嫌斜めのようで、20時を過ぎた頃から砂を巻き起こすほどの強風が吹き、それからやや強めの風が継続して空気を舞っている。

ばちばち顔に当たり粘膜を刺激するから、ゾロの肩で眠っているウソップ以外みんな鼻元をローブなどで覆って、険しい夜の砂漠を歩き詰めていた。

「──あ、あそこ……! 灯りが見える!」
「ユバか? んー、砂が舞っててよく見えねェな」

ビビが声を上げたのは、それからしばらく経った頃だった。彼女の隣を歩いていたルフィはじいっと目を細めて前方を凝視する。うっすらと町のような影はうかがえるが、靄がかっているのに加え、砂が邪魔をするからビビの言う灯りまでは確認できなかった。
ちゃんと人がいることが灯りから判断ができて、ビビはやや早足で歩き出し、それにクルーも便乗し、数分後。ユバを目視できる砂丘に到着したのだが、村の背後に渦巻く嫌な気配を感じて一行はぴたりと足を止めた。

「町の様子がおかしい……」
「なあに……? なんだか町が蠢いてるような…、」

目を細めたアリエラがひとりごちると、同じく異変に気づいていたビビもはっと勢いよく顔を持ち上げた。空を舞うのは風が残す茶色い筋。蠢く影は充てられている椰子の木や旗。やけに町全体が茶色く濁っていて、ビビの背筋にぞくりと嫌な汗が流れた。

「砂嵐……ッ、ユバの町が砂嵐に襲われてる……!!」
「早く行こう!」

絞り出すように出されたビビの声にルフィも状況を察し、強い足取りで走りはじめた。船長と王女の背中を追い、クルーも激しく足を動かし続け、ユバの町が目前になった頃にはもう砂嵐はおさまっていた。時たまぴゅうっと風が駆け抜けるが、それは砂を拐いはしない。

「──!」

眼前の光景にビビは徐々に足を動かす速度を落とし、ついにはぴたりと動きを止めて、かすかに肩を震わせた。その惨状はビビだけでなく、クルーの思考をも止めてしまった。

「……こりゃひでェ。あのエルマルって町と対して変わんねェぞ」
「ここはオアシスじゃないのかよ、ビビちゃん」

低い声がビビの鼓膜をゆさぶった。最後にユバを訪れたのはもう数年も前のこと。砂漠は厳しく予想できない環境下にあるが、それでもここまでの状態に至ることはない。たとえ旱魃が影響していてもだ。

「砂で地層が上がってしまったんだわ……。オアシスが、飲み込まれてる…っ」

左右どちらに目を向けても、飛び込んでくるのは変わり果ててしまったオアシスの地。
ビビの震えた声が乾き切った町のなかに響き渡り溶けていく。椰子の木は何度も強風に煽られたみたいで、むごたらしい姿で首を下げていて、建物のほとんどが体の半分を砂で埋め尽くしていて、傾いたり倒壊していて。白でまとめられていた壁もみんな土色に変化しているのが夜目でもわかる。
そしてこのユバのシンボルでもある、町の中心にどっかりと鎮座していた大きなオアシスは…。すっかり乾き切っていて、一滴の水さえも感じ取られない。

ただ大きな虚空の穴が中心に広がっているだけだ。確認してみようと、ビビは再びそこへと歩き出す。彼女に続き、ルフィ達も近づいていくと、コツ、コツ、と硬い物音が空洞の中から聞こえてきた。

「……旅の人かね?」

気配に気がついた瞬間、しわがれた男性の声が静かな一帯に響き、一同は穴の前で足を止めた。

「砂漠の旅は大変だっただろう。すまんが、この町は少々枯れている。だが、ゆっくりと休むといい。宿はいくらでもある。それがこの町の自慢だからな」
「……、」

深く掘られたオアシスの空洞の中にぽつんと立っていた男性は、言い終わるとくるりとこちらに顔を向けた。この国の人々はみんな王女の顔を知っているから、ビビは気づかれぬ間にすっと口元をフードで隠す。
初老の男性は口元に蓄えた白いひげを弛ませて笑みを描いた。痩せ細った体はこの町のように枯れてしまっているように見えるが、けれど、黒い瞳はオアシスを彷彿とさせるほどに澄んで輝いている。

「あの。この町には反乱軍がいると聞いてきたんですが」
「……! 反乱軍……?」

わずかに声質を変えて訊ねたビビのその言葉に、男性は砂を掘っていたスコップを止めて、ぎろりとした目をこちらに向ける。さっきの穏やかそうな様子とは打って変わり、仇でも見るような色にビビはびくっと肩を揺らした。

「反乱軍に何の用だね!? ……貴様ら、まさか反乱軍に入りたいなんて言うんじゃあるまいな!?」

一気に激昂した彼は叫びながら、問答無用にそこら辺に置いていた樽をビビたちに向けて放り投げていく。わ、わ、と慌てた声を出して避けていくルフィと腕で身を庇うようにして目を瞑っているビビは二人とも先頭に立っていたけれど、彼がわざと外してくれていたのか樽にぶつかることはなかった。負傷者はマツゲだけで、樽の攻撃はぴたりと止んだ。

一頻り怒りをぶつけ、ビビ達の在り方から加入の意志はないと汲み取ると、彼はフウ……と重たい息をこぼしてまたくるりと背を向けてしまった。
小さな背は震えていて、それでも尚、砂を掘り続けていく。

「あのバカ共ならもう……この町にはいないぞ」
「なんだとお!?」
「そんな……ッ、」

再び穏やかに開かれた口から紡がれた言葉に、一同はぎょっと目を剥いた。
驚愕を夜空に響かせたルフィに続き、ビビもわなわな肩を震わせている。けれど、一同の動揺をよそに彼は続ける。きっと訳ありなのだと察してくれたのだろう。

「たった今、この町に砂嵐がやってきたがそれは今にはじまったことではない。三年前から……日照り続きで砂漠が乾ききっているんだ。それから、この町は頻繁に砂嵐に襲われるようになった。少しずつ少しずつ飲まれて…、過去のオアシスもこの有り様さ」

耳を傾けながら、アリエラは双眸をくるりとあたりに移してみる。
町のあらゆるところで山を作っている砂は人工的なものではない。巨大な砂嵐に何度も襲われてきた証拠だ。山盛りの砂とは変わって、入り口付近に設備されている井戸からは水の気配を感じない。緩やかに吹く風に押されてコロコロと転がっていくタンブルウィード、くすんだ木の色を見せ首を折るように顔を垂らしている椰子の葉、かつてオアシスだった大きな穴のそばにはきっと家畜だった牛の骨が横たわっている。まるで、肉体を砂嵐に吸い取られてしまったみたいにその骨は綺麗に牛の形を作っていた。

「物資の流通もなくなったこの町では反乱の持久戦もままならない。反乱軍は“カトレア”に本拠地を移したのだ」
「えっ、カトレア……!?」
「なんだビビ。カトレアってとこ近いのか?」
「ナノハナの、隣にあるオアシスよ……、」

さっき以上に驚きを見せて、はっと息を飲み込んだビビにルフィはきょとりとした目を向けた。名を口にしてしまったことをクルーは誰一人気づいていないが、男性はぴたりとスコップを持つ手を止めて、固まった。
ビビ、…? 口の中で転がして、こくりと唾を飲み込む。
男性と同じように聞き覚えのある名を脳裏で反芻していたチョッパーは、ピンとくるものがあって「あ!」と短く声を張り上げた。

「カトレアっておれが迷い込んでマツゲと出会った町じゃないか!」
「ええっ、そうなの? トニーくん」
「ん? うん、うん。『おれを助けた時?』……えッ、そのときマツゲは反乱軍の荷物をカトレアに運んでるところだったんだって!!」
「なんだとォ!?」

チョッパーの翻訳にぶちっときたルフィとサンジと目を覚ましたウソップは、マツゲを囲ってまたもやぼこぼこにしていくが、いくら殴られてもマツゲは「知るか」フン、と一点張りだから頭に血が上った三人はより乱暴に殴る蹴るの暴行を与えていると、背後で縋るような足音が聞こえて、ふっと手を止めた。
見やると、穴の中にいた男性がこちらに登ってきていて、信じられないものを見る目でビビのことを凝視していた。意志の強い瞳は揺れ、小さく細い肩は震えている。

「……ビビ…。今、ビビ、と──……」
「あーッ! 違ェぞおっさん!! ビビは王女じゃねェぞ!!」
「言うなバカッ!!」
「ぶへッ、」

彼女を隠すようにビビの前に立ったルフィだが、隠し事や嘘が大の苦手であり下手なため墓穴を掘ってしまって。ゾロが思い切り後頭部を殴ったがもう遅かった。
男性はそもそもルフィの声を耳に入れていなかったようで、目の前に現れた懐かしい少女の姿にただただ夢を感じていた。幻か、夢か、幻想か。そんな単語が頭の中でぐるりと回しながら、ビビに近づいていく。
彼女は不思議そうに、ぼうっと男性を見つめていて、気がついたら両肩を掴まれていた。

「ああ……、ビビちゃんなのか……? そうなのか……?」
「え……?」
「よかった……ああよかった…っ。生きてたんだなあ……」

手のひらにしっかり感じる肉体とぬくもりに、男性は小刻みに体を揺らして、濡れた声を喉の奥から絞り出すようにこぼした。見覚えのないビビは、彼の細い手首を見つめながら困惑の表情を浮かべている。
「私がわかるかい?」
やさしく訊ねられたが、ビビの脳裏に目前の彼と誰かが重なる影はなくそっと首を振る。王女のことを“ちゃん”付けで呼ぶ人物は限られているのに、痩せ細っている彼はやはり知らない人だ。

「はは無理もないな、すこし…痩せたからなぁ」
「……! トト……おじさん…、?」
「ああ、そうさ。ビビちゃん」
「うそ……っ、」

穏やかな口調、強い意志の宿る瞳は確かに見覚えのあるもの。脳裏の奥でぼんやりと浮かんでいた白い靄は、痩せた、とほろっと笑った彼の表情から一気に鮮明なものへと形成していった。
感情が湧き出るように震えた唇で名をつぶやくと、彼、トトおじさんは今度は嬉しそうに弛ませてこっくりと細い首を揺らした。


それは、ビビにとっては幼き日の思い出。
首都アルバーナに住む子どもたちで『砂砂団』という自治体のような組織を結成し、ビビも王女ではなく町の子どもの一人としてまざり遊んでいた頃のこと。
砂砂団に王女であるビビが加入したのも、ひょんなことからそこのリーダーであるコーザという少年と喧嘩をはじめたのがきっかけだった。二度目の喧嘩で根性と実力を認められ、コーザにも気に入られたビビは砂砂団の加入とともに副リーダーになったのだ。

そのコーザの父が彼、トトおじさんだった。
アルバーナで商いを開き生計を立てていた彼は、息子の口から王女であるビビと喧嘩し、怪我をさせた。と聞き、自害用の包丁を手にし、宮殿へと駆けつけたことが二度ある。王座の前で土下座をし、王女を傷つけてしまった。と涙を流しながら自分の首元に包丁を当てて詫びる姿に、アラバスタの王でありビビの父でもあるコブラは拳を振るって「命を粗末にするな」と、ビビを傷つけたことではなく、トトの間違った行為への叱りをぶつけていた。
その様子をビビも王室で見ていて、自分の口から喧嘩の真相を告げるとまたもや頭を下げられてしまったが結果、コーザの父親ということもあり、自然と仲が深まっていっていた。

それから一年ほど経ったころ。
トトの誠実さとコーザの国を想う心に感銘を受けていたコブラが、無人のオアシス『ユバ』に町を開いてみないか。と提案を持ちかけ、強く賛同した二人はアルバーナを離れることとなった。それと同時に砂砂団も解散となり、ビビも王女としての教育をみっちり受けなくてはならない年齢に差し掛かったためにそれっきり。トトにもコーザにも一度も会えていない状況が続いていたまま、アラバスタはクロコダイルの手のひらに包まれてしまったのだ。

最後に彼らと見たあの夕日のことはいまだに鮮明に覚えている。
『町が潤ったらまた遊びにおいで、ビビちゃん。きっと、ユバがこの国を潤してくれるよ』
『じゃあな、ビビ。お前は立派な王女になれよ』
オレンジ色の夕日に照らされた二人の友人の姿に、ビビは小さな手をふりながら笑顔で頷いていた。
豊かな体を揺らして夕日に向かって歩きはじめたトトを追い、コーザもビビに手をふり続けながら、アルバーナを後にした──。


大きくて朗らかで豊かだったトトの今の姿は、目を叛きたくなるほどくすみ、剥がれていた。
どれほど体を動かし続けていたのだろう。どれほどこの国を背負って戦ってくれていたのだろう。
そっと手の甲に触れてみる。薄い皮で覆われた手のひらはつめたく、細い骨がつるりと手のひらを撫でた。

「私はね、ビビちゃん。国王様を信じているんだよ。あの人は国民を裏切るような人じゃない……! なあ、そうだろう……?」
「……っ」

すがるように王女にしがみついていたトトは、ビビの震える瞳をしばし見つめ、嗚咽をこぼしながら硬い砂の上へと崩れ落ちた。彼の重さが肩から剥がれ、ビビはぎゅうっと下唇を噛み締める。もう、国民が悲しい目に合うのはたくさんだ。もうこれ以上、傷つく姿を見たくない。
目を逸らしたい、みたくない。もうたくさんよ。
喉の奥がかっと熱くなって顔を覆いたくなったけれど、それをぐっと堪えてビビは膝を折り、トトの小さな肩に手をそっと添えた。
黒ずんでいる砂の上にぽたぽたと濃いシミを作っていく。すこしだけ潤いを取り戻した土は、けれど、すぐに風に吹き消されてしまった。

儚く消えゆくものをじいっと見つめ、ビビは彼に視線を戻す。虹彩はひどく揺れていて、はあ、とやりきれないようなため息を落とした。

「反乱なんて馬鹿げてる! あのバカ共…ッ……、たかだか三年雨が降らないからなんだ。私は国王様を信じてる……。まだまだ国の大半はそうさ。何度もね、何度も止めたんだ。だけど、何を言っても無駄だった…反乱は止まらない。奴らの体力ももう限界なんだよ。次の攻撃で、決着をつける腹さ……」

 もう、追い詰められてるんだ。

ぽつりと、乾き切った唇が悲しみを紡ぐ。
ぽたりぽたり、止めどなくこぼれて砂に染みを作っていくトトの涙をルフィはビビの後ろでじっと見つめている。

「……あいつらは…、反乱軍は……死ぬ気なんだ!!」
「……!」
「頼む、ビビちゃん! あのバカ共を止めてくれ……ッ、」

がつんと頭を殴られるような衝撃にビビもまぶたを震わせて、ただ呆然とトトの姿を見ていた。
う、う、と嗚咽を漏らしながら涙を流すトトの拳は怒りや悲しみに震えていて千切れてしまいそうだった。
雨のように降り注ぐ涙は、砂をすこしだけ潤すけれど、それでも何も変わらない。
小さな場所にだけ恵みの雨を降らせても根本的なことは何も解決しないのだと、ビビはどこか冷静にそう思った。
そして、今自分がしようとしていることがそうなのではないか、とじくじく心臓を突き刺していく。

ここ2年ほど、何度も同じ夢を見てきた。日常の中でもことあるごとにふと思い出しては白昼夢に耽ることもある。
立派な王女になれよ。ふと、また鮮明に脳裏に語りかけてくる。
その言葉を今、コーザがビビに求めているような気がしてならないのだ。

“あの国王”を前にお前は立派な王女になれたのか? この国を想う気持ちが本当にあるのか?
王家には失望した。王を倒し、その上に立ち、この国をおれ達がより良い形に取り戻して行かねェとならねェんだ。
そんな、反乱軍のリーダーである彼の、元リーダーの囁き声が聞こえてくるようだった。

私はこの国の王女、リーダーとして父とともに人の上に立つ存在。この国のことを、人々のことを心の底から愛している。だから──。

改めた決心をぐっと胸の奥で固めて、ビビはふっと肩の力を抜く。
肩を大きく震わせているトトの顔の前に柔らかく、白いハンカチを差し出した。ひかりを思わせるような白さに、トトは息を飲み、彼女を見上げる。

「トトおじさん、心配しないで」
「…ビビちゃん、」
「反乱はきっと、止めるから」
「ああ……っ、ありがとう……、」

にっこり笑みを作ったビビはこの国の救世主であり女神のように、トトの瞳に映った。
ようやく見えてきた一縷の希望に声を殺して泣く彼の、小さくなった体をそっと抱きしめているビビの背中をクルーはただ黙って、険しい表情を浮かべて、見つめていた。

励ますようなことばをやさしく紡いでいる王女の背中はもう、ひかりを失っていた。


TO BE CONTINUED 原作165話-103話



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