160、国という形


仲間とチームワークという普段しないような価値観のおはなしをして、三人それぞれ胸にほっこりしたものを抱き歩いていると、さっきからあとかうとかうめき声をこぼしていたルフィが「あっ!」と覇気のある色を上げたから、ゾロたちは驚いて足を止めた。

数メートル後ろにぽつんと立っているルフィはゾロたちの先を見据えていて、きらりと目を輝かせた。

「日陰見つけたァ!!」
「え、日陰…」
「“ゴムゴムのォ”!!」

待ち焦がれた日陰というオアシスに船長の心はすっかり奪われてしまっている。こうなったら誰も彼を止められない。
固まって横並びになっている三人を取り巻くようにぐゥん、と腕を数メートル先の岩場に伸ばし、「岩掴み!」の掛け声と共に、案の定三人を腕の中に巻き込んでロケットのごとく瞬くスピードで岩場へと飛び込んだ。

三人の悲鳴と共に、岩が崩れる音が一帯に響き渡る。
無理矢理岩場に突っ込んだせいでゾロの背中が犠牲になってしまったらしい。激しく咳き込みながらゾロは砂の上に寝転んだ。
アリエラは運よく冷たい砂の上にズザザっと倒れる形で着地できたが、それでも擦りむいた顔や足がジンジン痛む。ここにサンジがいたらルフィは地の果てまで蹴り飛ばされていただろう。

「いやああっはっはっは、涼しいィッ」
「ぶった斬ってやるッ!!」
「いやァ悪ィ悪ィ。アリエラ大丈夫か?」
「大丈夫なわけ、ないでしょう!?」

むくりと体を持ち上げたアリエラのおでこは血で濡れている。それを見たルフィは「怪我したのか?」とキョトンと首を傾げるから、誰のせいよ!とアリエラの中に怒りがぷんすこ溜まっていく。

「あれ、チョッパーは?」
「あ、そういえばいないね…」

このまま怒ってみようかなと思ったけど、可愛がっている彼の姿がこの岩場に見当たらず、アリエラも怒りをしまってルフィに促されるまま視線を滑らせると、「あ! いた!」とすぐに船長の声が鼓膜を揺さぶった。

みやれば、チョッパーは途中で振り落とされたらしく、この場所から少し離れた先、炎天下の砂の上でぐったりとうつ伏せになっていた。

「きゃあっ、トニーくん!!」
「なァんであんなとこに! ウケ狙ってんのか??」

些か不思議そうに眉を曲げてチョッパーを見つめるルフィの言葉にイラッときたゾロが、ついに刀を抜いて彼の細い首にぴとりと冷たい刃を添えたため、状況を察知したルフィはゾッと顔を青く変えて「ハイ、私のせいです」と震えた声で謝罪をする。
それに満足したゾロは、刀をおさめながら熱のこもったため息を深くこぼし、腰でも下そうと砂の中から頭をのぞかせている岩の下へと足を向けた。

「ったく…さっきまでの会話は何だった──ウワッ!!」
「ん?」
「きゃ!」

真面目な話をしたばかりだというのに、やっぱり船長に振り回されていることにむっすりしつつ、どかっと腰をおろしたらゾロは吸い込まれるようにして砂の下へと消えていった。
元々地盤の緩んでいた場所だったのだろう。さっきの衝撃でより緩くなりゾロの体重を支えきれなかったみたいだ。けれど、吸い込まれていくゾロと砂を見つめルフィはのほほんと「ギャグいった覚えはねェぞ?」と穴に向かって叫んでいる。それに対し、「ズッコケたわけじゃねェよ!!」と反響した声が返ってきた。
ゾロくんのそういうとこ好き。と言葉を口の中で転がして、くすりと笑う。このピンチっぽい状況で笑いに変えてしまうのも麦わらの一味という明るい海賊団に馴染んだためだろう。

一方、砂の下に落っこちたゾロはまたもや激しく尾骨を打ったみたいで「チクショーめ…いってェな、クソ…」苛立ちを込めて舌打ちを鳴らし、よれた頭巾を元の位置に戻しつつ立ち上がる。
今気づいたが、ここはずいぶんと涼しいようでひんやりと洗練された空気が剥き出しの肌を撫でた。それもそのはずだ。ところどころ砂の穴から陽光は差し込んでいるが、ここは地の中なのだ。けれど、一歩足を動かすとコツ、と音が鳴って疑問を抱いた。

「何なんだ、ここは…」

ここが本当に緩んだ地盤の下ならばこんな無機質な音はならないはずだ。フイと足許に視線を転ずると、夜目に石畳の床が飛び込んできて眉根を寄せる。作りを確かめるようにブーツのヒールを鳴らして歩いてみると、朽ちた瓦礫が転がっているのを見つけた。かつては柱だったであろう白い瓦礫を跨ぎ、数歩歩き進めるともう行き止まりに当たってしまった。

「ん…? こりゃ…なんでこんなものが…」
「地下にあるんだ??」
「ッ!!」

行き止まりの壁だと思われたそれは、斜めの状態でほぼ半分砂に埋まっていた。おそらく黒色の石板で表面には記号のような見たことのない文字がびっしりと羅列している。そっと触れてみてそのまま疑問を口に出したゾロだったが、遮られた声にハッとして後ろを振り返ると、ルフィとアリエラが目をぱちくりさせながらこちらを見つめ立っていた。

「おい、何でてめェら降りてきたんだ!?」
「手で降りてきた! な、アリエラ」
「うん。ルフィくんにおぶってもらったの」
「理由を聞いてんだよッ!!」
「そりゃ何となくだよ、何となく」
「ゾロくんを助けるためにきたのよ」
「……」

嘘つけよ。口に出すか迷ったが、何よ。とむっすりされてしまいそうだったから舌の上で転がしとどめた。ハア、と冷たい石の上にため息をこぼし、能天気な顔してるふたりをじっとり見つめる。

「あのな。誰か上にいねェとチョッパーと逸れちまって本当にビビたちと合流できなくなっちまうぞ」
「ああ、それはだいじょーび!」
「なんで」
「チョッパーも落ちかけてたから」

ルフィがそう呟いた途端、ナイスタイミングで後方の天井から光が差し込んできた。この地下に吸い込まれるように砂が落ちてくると同時に見覚えのある大きな身体がどさりと床に打ち付けられ、悲鳴が反響する。
なるほどな。と観念したゾロは怒りを収めて、彼の下へと足を向けていく。その後ろをアリエラが追いかける。

「よう、チョッパー」
「トニーくん大丈夫…!?」
「いててて……ああ、ゾロにアリエラ…ルフィも! あれ、みんな落っこちちゃったのか?」
「そうなのよ、うふふ」
「…嘘つけ」

誤魔化すように笑みを浮かべたアリエラに今度はしっかりとツッコミを入れて、おまけに小さく肘で小突いてもやった。いた、とこぼし摩りながら「えへへ」と可愛らしく笑うアリエラに胸がうわずって、チッと舌を鳴らしてしまう。

「ここは?」
「…さァな、さっぱり分からねェ。ここが地下だってことしかな」
「地下…?」
「おれァだいぶ目が慣れてきた。よく見りゃありゃ行き止まりじゃねェな…」

さっきの石板も暗さに慣れてきた目で確認してみると、思ってたよりも小さくて、まだ奥行きがあることが見て取れた。けれど、勘違いしてしまうのも無理もないくらい、石板の奥は柱や倒壊しているブロックなどがくたりと生をなくして散らばっていて、進めても足場はあまりなさそうだ。所々欠損していてよくわからないが、どれにも繊細な彫刻が彫られていて、まるで神殿のそれらのような印象を受ける。

「こりゃあ…よくみりゃ巨大なドームの中だな」
「うん。ロストアイランド探索で訪れた孤島にもこんな感じのドームあったわね」
「ああ、懐かしいなあ

あたりをきょろりと見回しながらぽつんと呟いたアリエラにルフィもそういえば、とこぼしながらどかりと腰を下ろした。外とは打って変わったこの地下の冷たさにご満悦な表情を浮かべている。

「これ…人の手によって作られたドームだよ…」
「あ? 何でそんなことが分かる?」
「ほら、あれ。あの石板に文字みたいなのがぎっしり書き込まれてるだろ? 前に本か何かで見たことあるんだ。大昔の文字だぞ、コレ…」
「何だか地下神殿や地下祭殿みたいな雰囲気ね」

文字を見るなり驚いた表情を浮かべたチョッパーは駆け足で駆け寄り、丁寧に刻まれている凸凹を確かめるように手のひらで撫でる。彼の大きな後ろ姿をやや後ろで見つめているゾロは「ふうん、これがねェ…」とあまり関心のないような具合で言った。

「でも、すごいのよこの文字。読める人はもうこの世にいないって噂も聞くくらいだもの。今は世界で共通文字を使用してるけど…きゃッ!」
「えッ!」
「なにっ、」
「んっ?」

チョッパーに続き、アリエラも女学院の図書館でみたことのある文字列だったことを思い出していた。古書に載るほどの歴史的産物を肉眼で確認できることに好奇心が疼き、愛でるように小さな手を石板に滑らせたとき。
触発されたかのようにアリエラの手のひらから光が生まれ、黒石板はその色を一瞬金に染めたが、パチリと光を閉じ込めるようにすぐに元の色に戻った。暗がりの中での強い光に四人は強く瞑っていた瞼をゆっくりと持ち上げて、瞼ごしに焼き付けた光の残像を飛ばすようにぱちぱち瞬きを繰り返す。

「あひゃひゃ! ウソップの手榴弾くらったみてェに眩しかったな!」
「大丈夫か? アリエラ」
「うん。ごめんね、みんな。わたし変なとこ触っちゃったのかしら……」
「能力使っちまったんじゃねェか? お前、光も出せるだろ」
「それはないと思うけど…うん…」

ゾロに言われてみて自分の手のひらをまじまじと見つめるが、能力を出した感触はまったくない。ただ変な場所に触れてしまったのか、それとも何か──。
エースの言葉がふと脳裏で反響する。
『オヤジ…白ひげ曰くそいつは“ワケアリ”の実のひとつらしい。政府側の人間には言わねェ方が利口だな』
もしかしたら、ゾロの言う通り能力…この実に何か関係があるのでは…。この石板に綴られた先人の手記も今は政府が関与しているという話も聞くし。すこし引っかかりを感じて、そっと目を逸らすと不安や恐怖に似た感情が胸の奥でふわりと生まれる。
サンジにああ言ってもらって安堵したばかりだというのに。

アリエラの表情からゾロは彼女の憂慮を感じ取って、その小さな頭をぽんぽんと宥めるように撫でてやる。

「バァカ。変なこと気にすんな。コックにも言われてんだろうが」
「え、ゾロくんお話聞いてたの…?」
「聞いちゃいねェが察しはつくよ。あいつは…女を放っちゃおけねェ性分だしな」

危うく惚れた女、と言いかけてしまったことに焦りつつ、けれどそれを彼女に感じさせないように自然にかわし続けると、やはり気にかけなかったアリエラはそっかあ。とふわりと安堵の表情をかんばせに広げていく。
ゾロくんも気にかけてくれてたんだ。そう思うと、彼の優しさに胸の奥がじんわりと温かくなっていって生まれた蟠りも霧散していく。

「やっぱりお兄様方はすごいわ。なんだか不思議なパワーを持っているみたい」
「前から思ってたがなんだ、そのお兄様方ってのは」
「同い年で仲良しの二人だからまとめて呼んだようがいいかしら?って」
「あァ? アホいうな。なァにが仲良しだ」
「あははっ」
「でも仲良く見えるけどな、ゾロとサンジ…」
「チョッパーてめェまで…」
「仲良しだよな」
「おいルフィ!」

にししっと太陽のような笑い声を夜のようなドームを照らしていく。ルフィの笑顔を見ているとほっと心も安らぐから、彼の明朗さはアリエラを筆頭にクルーのことをなんだかんだで包み込んでいるのだ。それを今チョッパーもしんみりと感じ取って、さっきの話にやんわりと相槌を打つ。

「つーか、これが何にしろおれたちには関係ねェし、ここで立ち止まってるヒマはねェんだ。今しなきゃいけねェことはとっととここから出ることだ。そうだろ? 船長」

アリエラの思考を飛ばすように、仲良しだという話をそらすように、ゾロは寝転がっているルフィに投げるが、それを受けた本人はみのむしのようにコンパクトに畳んだ身体を左右にゴロゴロさせながら、唇を尖らせた。

「やだやだやだッ。もう少しここにいようぜ! 外は暑ィもんッ」

まるでおもちゃを買ってもらいたい子供のような拗ね方にゾロは怒りをぶちっと弾けさせて、否応無しに彼の頭を拳でぶん殴った。いつものような手加減さはなく、今回は結構本気の力具合にぐわん、と脳みそが揺れて、その痛みと恐怖からルフィの思考回路はゾロの意思へとズリズリ引っ張られていく。

「さァって行くか! ビビ達と早く合流しねェとな!」

帽子がふくらむほどのたんこぶをさすりながら元気よく声を響かせたルフィは、頭上を見上げた。こう首を擡げると、感じているよりもずっと高いところに天井は伸びている。
やや左方に視線をずらすと、ぽっかりと空いた穴を見つけた。そこから差すように光が溢れている。

「あれがゾロがずっこけた穴か」
「うるせェよ!」
「うふふっ、ずいぶん高いところから落ちちゃったのね」

にしし、と笑い、肩をぐんぐん回しながらルフィは数歩後ずさる。あの穴目掛けてゴムゴムの銃を撃ち込んだのだが、的を外してしまい緩かった天井の瓦礫は崩れてルフィの頭上にこぼれ落ちてきた。

「いってて…」
「…何がしてェんだ、君」
「大丈夫? ルフィくん…」
「クソッ 的が小せェから狙いにくい! よぉしッ、」

もう一度。肩を回し、勢いをつけてから腕を伸ばしてみるがまたもや失敗に終わった。今度は天井を突き抜けてつらら岩をも壊し、大きな穴を作ってしまった。たくさん落ちてきた瓦礫や岩にルフィは押しつぶされてしまっている。

「きゃっ、大丈夫!?」
「だから何がしてェんだ!? 穴の上にある岩を掴みゃいいだろ!」
「あーッもめんどくせェな!!」

山になった瓦礫の中からむっすりと顔を出し、ルフィは両足を大きく開かせ、またもや天井に向かって今度は“ゴムゴムの銃乱打”をうらららとぶつけていく。その衝撃にドームは揺れ、あちこちに瓦礫が降ってくるからゾロ達は伏せて身を守る。

「きゃあっ、も何してるの!?」
「ルフィ!?」
「ったくあのバカ…ッ、」

がん、ごん、嫌な音を立てて降ってくる瓦礫は奇跡的に体にぶつかることはなかったが、目の前に落ちてきてチョッパーはぶるりと身を震わせた。
やっとおさまったパンチと揺れに、ゾロは勢いよく身体を起こして頭上を見上げると太陽を望めるほどぱっくり天井は開き、掴みになりそうだったつらら岩さえも渾然としていた。

「おい、ルフィ! 上の岩まで砕いちまったら何に捕まんだよ!?」
「だいじょぶ。ちゃんと考えてるから」

背中にぶつかるゾロの糾弾をひらりと交わし、ルフィはそのまま前方へと進んでいく。
石板のあるこちら側よりも広い向こう側はものが少ない。この中では比較的綺麗に立っている柱を何度か叩き、頷いた。

「チョッパーは小さくなってた方がいいな」
「へ、?」
「あ…そういうことか…」
「えっ、うそお…」
「何だ何だ?」
「諦めろ。それしかねェ」

腕がちぎれてしまうのではないかと言うほど何度もぐるぐると柱に腕を巻きつけるルフィの姿と言葉にゾロとアリエラは察しがついたようだ。呆れのため息をこぼすゾロの隣の青い瞳には、じわじわ涙が溜まっていく。チョッパーはまだ意図をつかんでいなく、ふたりを交互に見つめては不安そうに体を元のサイズに戻した。

ゾロとアリエラがルフィの元まで寄ると、彼の華奢よりな体にしっかりと抱きついた。おんぶの形をとっているアリエラに、胴に腕を回ししがみついているゾロ。少し迷い、ルフィの右肩にチョッパーもひっつくと、ルフィは「しっかり捕まってろよ」と三人に忠告を投げた。

「“ゴムゴムのゼンマイ”!!」

ドームの中に反響するルフィの声、柱に巻きつけた腕を解いていくたびに四人の体は反時計回りに回転していく。遠心力がかかり柱からどんどん離れていくと、ルフィが最後のひと踏ん張りをつけた。タイミングを見測り、腕が柱から外れた瞬間に足で柱を押して、より反動をつけてロケットのように四人揃ってドームから脱出成功を果たした。

孕んだ力は天井を突き抜けた今も作用し、四人は互いに固まった状態で空の旅を続けている。おそらく時速100キロは出ているはずだ。このまま突き進めばビビちゃんのとこまで5分もかからずにたどり着けちゃう!なんて、アリエラが恐怖からの自衛本能でそんなことを閃いた矢先。

「あっ、」
「きゃあああ!!」
「うッ、」
「わああああッ!」

燃費切れしまった一行の空の旅は突如終了してしまった。ロケットの部品が分解していくようにゾロとチョッパーは高いところから振り落とされ、ルフィと背にしがみついたままのアリエラはずざざざと砂の地へスライディングしてしまった。

「あひゃひゃひゃ! ああ面白かった!」
「面白かった!じゃないわよ! 死ぬとこだったわ!」
「う……、やっぱ、おれ…。乗る船間違えたかも…、」
「今日は、気が合うな……、おれもそう思ってたとこだ」

砂の上に横たわり、目を回したチョッパーとゾロは、ルフィの笑い声とアリエラの怒り声を聞きながらそんなことを呟いていた。


あちこちにできた傷の痛みも、日が暮れてきた頃にはもう治っていた。
ごうごうと燃える音が聞こえてきそうなほどに烈火を孕んだ夕焼けは今日も大きく、砂漠を安泰に包み込んでいる。
ルフィを追いかけて行ったゾロたちと逸れてからもう6時間経過していた。ビビの、国への見解を聞いた一行は居ても立っても居られなくなり、あのあとすぐに出発してずうっと歩き詰めだったため、ウソップの足はもう限界を訴えていた。
杖代わりの木の棒を突き刺して、凭れかかりながらも懸命に歩く後ろ姿をサンジはタバコを吹かしながら見つめている。

「頑張るんじゃなかったのか?」
「う、うるせェ…。もう、足が限界なんだよお、」

酷使しているために筋肉が痙攣し、ブルブル震えているウソップの下半身を、マツゲの背中から見下ろしたナミは「まったく情けないわねえ」と眦を垂らしてこぼした。フイっと背後に向けた視線は真後ろのビビの表情を捉え、ナミは数度瞬きを繰り返す。もうしばらく彼女の声を聞いていないことに気がつき、その顔にやっぱりね。と最早慣れ切ってしまった感想を胸のうちで転がしてまった。

「…まだ心配?」
「えっ…、」
「顔に書いてあるわよ」
「……あ、」

悲痛そうに歪められた綺麗な顔は、あちこちにシワができていた。ナミの声にハッと顔を持ち上げたビビは、自分がそんな顔をしていることに今初めて気がついたように目を丸めて、そして彼女から視線を逸らし、薄い唇を開いた。

「…信じていないわけじゃないのけど、でも…アリエラさんの体力のことも心配で」
「もほんっとあんたは心配性なんだから。大丈夫よ。アリエラだって普通の女の子よりもずっと体力あるし、ゾロ達もついてんのよ? だから心配はいらないの」

柳眉を釣り上げて口を尖らせたナミに、ビビはほうっと息を吐いて、驚いた目をオレンジ色に向けた。ちらりとサンジを横目見てみる。彼もまた、意中のあの子が帰ってくるのをそわりと待っている様子だけれど、口元は緩められているからそこからは“心配”という素振りは一切拾えなくて、ビビの心をより驚愕させる。

「…あなた達って不思議」
「え?」
「リトルガーデンの時もそうだったけど、どうしてそんなにまで仲間を信じることができるの?」
「どうしてって…、うーん…特に意識なんてしてないわ。考えたこともないし」
「それがすごいのよ! 無条件で仲間を信じられるなんて、そうできることじゃないわ」

何気なく返した言葉だけれど、大きな目がさらに見開かれていく様子にナミは驚きつつも、彼女が真剣に聞いていることを察して、自分たちの、考えたことのなかった信頼や絆を得た経緯を振り返ってみる。
ん。と頭を捻ってみると、記憶の海から浮かび上がってきた鮮明な映像にあ、と心のうちで声をこぼす。そうだ、私は──。

「みんな、自分にできることを精一杯やるから、かな?」
「…え?」
「前にさ、私のいた村であいつ言ったことあるのよ」

──おれは剣術を使えねェんだ、この野郎! 航海術も持ってないし、絵も描けねェ! 料理も作れねェし、ウソもつけねェ!
──おれは、助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!

アーロンに向かって、心の底から吐いたあのことばをナミは一度たりとも忘れたことがなかった。自分の内側に深く眠っていた仲間という重くて憎かったものを震わせてくれた、考え方を洗い流してくれた。
あの頃のことを思い出し、ぎゅうっとマツゲの手綱を掴む手に力がこもった。アーロンたちに対する嫌悪ではない、彼らに出会えた喜びを今改めてひしひしと感じたのだ。

その短い顛末をビビに話すと、彼女も思うことがあるみたいで、短く吐息を吐いた。

「あの言葉、よく覚えてる。ああ、これがこの海賊団なんだって、そう思った。一人の力って限度があるでしょ? どんだけやりたいことがあっても一人じゃ無理だわ…」
「…ええ」
「仲間がいる。でも、その仲間が出来ることをやってくれないんじゃ、話になんないもんね」

ふと黙りこくったビビの反応が気になって、ちらりと彼女に視線を流してみると、ビビは膝の上で指を組んでいて、それをじいっと見つめて何かを深く考え込んでいるようだった。

「アレごめん、答えになってない? 」
「ううん…ありがとう」
「こう暑いと頭がまとまんないわ。あははははっ」

こめかみに汗を浮かべているナミは、困ったように目尻を垂らして笑い飛ばした。明朗でキラキラしてる笑い声と、その表情にビビの不安だった心は次第に安らいでいく。

「(…十分答えになってる。そうね、これも一つの国の形なのかもしれないわ)」

 ──良いか、ビビ。国とは人なのだ。

父の気高き言葉を胸のうちで反芻する。
ええ、パパ。私もようやくその意味をこの目で見たような気がするわ。
そうね、何も“アラバスタ”という名が。この砂漠の土地が。“アラバスタ王国”なわけではない。ここから人がいなくなれば、たとえ王家が残っていようともここは国ではなくなってしまう。ただの砂漠の土地だ。

何かを作り上げるのは人であって、それぞれの得意分野を集め、自分にできることを精一杯行い築いた先に生まれるのが強い信頼と強い絆。きっとそのことを“国”と呼ぶのだろう。

少し見解が見えてきて、ビビはふっと肩の力を抜く。ナミのオレンジの髪を透かした目先に映るのは、茜色に照らされた広大な大地。後ろではサンジの軽やかな足取りと、ウソップの気の抜けた声が響いている。
さっきまで抱いていた不安は拭われて、今のこの状況も信じる心があれば心地が良いとさえ思えてきた。


「おいっ、早く来いよッ!」
「ふふふっ! 待ってルフィくん!」
「ったく…涼しくなった途端元気になりやがって」

太陽が陰ると、熱を孕んだ砂は徐々に体温を失っていく。
夕陽が沈み始めた頃にはもうひんやりとした風が肌を掠めるほどとなって、ルフィはさっきとは別人のような浮いた足取りでみんなの先頭を切って歩いていた。
その様子にゾロはやれやれとため息をこぼし、首を振ると、隣を歩いていたチョッパーが足を止めたことに気がついた。

「どうした、チョッパー」
「ん…風向きが変わった気がする…」
「なに?」
「ナミの香水の匂いがする……こっちの方角だ!」
「出来した、チョッパー!」

ぴくぴく青い鼻を動かすと、鼻腔を刺激するあのきついシトラスを感じてうっと表情を顰めたチョッパーは、その匂いのした方向。夕陽側を指を差した。
ルフィとアリエラは反対方向を行っていて、それに疑わずゾロとチョッパーもついて行っていたから危うくこのまま逸れてしまうところだった。

「ルフィ、アリエラ! ナミ達がいるぞ! 夕日の方向だ!」
「ん?」
「わあ、ほんと!?」

くるりとこちらに顔を向けたふたりは嬉々として表情を柔らかく広げていく。

「アリエラ、いくぞ!」
「ルフィくん、わたしもう走れないおんぶ」

そのままアリエラの手を取って走ろうとしたルフィだが、もう6時間ぶっ通しで歩き続けていたアリエラの足は限界を迎えていて走る気力は残っていなかった。彼におねだりをすると、「しっかりつかまってろよ」と告げられ、ひょいっとおんぶされると、ルフィはびゅんと夕日の方向へと走っていく。

「おい! みんなァ!!」
「おい!」
「おいコラ! 突っ走ってくんじゃねェ! また逸れちまうぞ!」

重なっている二人の背中に怒号を投げたゾロだが、それで止まるはずもない。逸れてしまわぬように残された二人も足を動かし、追いかけていくと遠くの方に練り歩く人々の姿が浮かんできた。間違いない、仲間たちの姿だ。

砂丘を降っていき、おい!おい!とルフィとアリエラの声が重なると、瞬時にサンジが反応を見せた。彼女の無事の姿にホッと安堵して満面の笑みを広げていくと、ビビもはっと気がついて、ナミの肩を優しく叩き彼らの帰還を知らせる。
ルフィたちのピンピンした様子に、ナミは笑って、ビビに「ね?」とウインクを送った。彼女の言いたいことを汲み取り、弱々しくこっくりと頷く。

「(…一緒にいると見えてくる…。答えはこの人たちが持っているのかもしれないわ)」

無法者とされ、船長は世界が懸賞金をかけているほどの男で。そんな彼らから“国の心”を教わっていたなんて。どこかおかしくて、そして尊くて。ビビはスッキリとした気持ちでマツゲから降りて、ルフィにおんぶしてもらっていたアリエラに乗るように勧めた。


TO BE CONTINUED




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