158、ちいさなハプニング


エースと別れた翌日。

今日もクルーは元気に砂漠を渡っていたのだが──。いま姿が見えるのはたったの数人。
先頭を歩いているのはゾロで、その後ろにアリエラが、その隣を大型になったチョッパーが並んでザクザク砂を踏みしめて歩いていた。チョッパーの肩にはルフィがだらんと垂れている。意識はなく、寝息だけがこの四人の空気を揺らしていた。

しばらくこうして歩いているうちに、もぞりとルフィが動き、チョッパーは「あ、」と短い声をこぼした。ゾロとアリエラも足を緩めて船長の方を見遣る。

「ん、んん…?」
「よかった。気がついたみたいだな、ルフィ」
「ん……あれ??」

薄っすらとまぶたを開けると、ホッとした面持ちのチョッパーが見えてルフィはこてりと首を傾げる。くるりと周りを流し見るけれど、飛び込んでくるのはむっすりと眉根を寄せているゾロと困ったように八の字に柳眉を下げているアリエラだけで、ルフィは不思議そうにまばたきを繰り返した。

「…やっと正気に戻ったか。いい気なもんだぜ」
「あれみんなは?」
「さァな」
「さァなって知らねェのか?」
「正確には“分からねェ”だ」
「またなんで」
「ハッハッハッハ」
「笑ってる場合じゃねェぞ!」
「そーだな」

また歩き進めながらゾロは背中でルフィの疑問に淡々と返し、最後には笑い声をあげてしまったが、そこに不信感を抱いたルフィがむっと眉を持ち上げた。
そのやりとりをアリエラとチョッパーは口を噤み、汗を浮かべて耳を傾けている。そんな二人をチラリと見た船長は、フウ…と呆れまじりの吐息をこぼした。

「なァんでまた迷ってんだよ」
「お前のせいだよッ!!!」
「あ、あれェ??」
「もう…」

チョッパーの肩に身体を預けたまま、咎めるように口にしたルフィにゾロとチョッパーの怒りがぶつかった。まったく身に覚えのないルフィは汗を浮かべてきょとりと首を傾げ、助けを求めるよう彼女に目を向けるが、アリエラもぷっくり頬を膨らませている。

事の発端は数時間前──。

昼食を終えた一行はマツゲに乗ったナミとビビを先頭にし、そのうしろについて歩いていた。
今日は記録的な猛暑日で、特に正午を過ぎたあたりからはもう脳みそが溶けてしまいそうなほどのじわじわとした嫌な熱さに当てられていた。そんな中、目をぐるぐる回したルフィが突然奇声をあげて走り出したのだ。

「な、なに…?」
「え、何なのあいつ。なに騒いでんの?」

びくっと反応を見せたビビとナミは目を点にしてルフィを見つめたが、一度この光景を目にしたことのある男性陣とアリエラはまたか…。と言いたげな表情で船長に視線を流した。

「また変なサボテン食ったのか? ルフィ
「ううん、この辺にあのサボテンはなかったわ。きっと暑さにやられちゃったのよ」
「ああ、空飛んでる」
「もー…騒ぎを起こさないと気が済まないのかしら? チョッパー!」

呆れているウソップとアリエラの後ろで、サンジは空を飛んでるルフィに感心じみた声を出している。その間も、ルフィは「おい来るならきてみろ! おれはゴム人間なんだぞ!!」と叫び、腕をぐるぐる回しては砂に向かってパンチを打ち込んでいる。
唇を捲れさせたナミが船医を呼んだが、彼はゾロの引いている荷台の上でヘロリと舌を出し目を回していて、「無理だと思うぜ」とゾロがナミにをすると、彼女はにんまーり小悪魔の笑みを浮かべた。

「じゃあ、ゾロ。頼んだわよ」
「あァ? なんでおれが…」
「また借金のこと言われたいの?」
「う、ぐ…ッ、」

むっすりとした表情をナミに向けたゾロだったが、またもや“約束”を突き出されてしまって言い返すこともできず、悔しさに奥歯を噛み締めたまま荷台を引っ張ってズカズカとルフィの元へと歩いていく。

「てめェ、地獄に落ちなかったらおれが叩き落とす!!」
「あら楽しみにしてるわ

憎まれ口にもひらりひらりと笑いながらかわしたナミは、ぶつくさ言いながらも素直に止めに行くゾロの後ろ姿に満足してマツゲに進むように声をかける。

「あっ、待ってゾロくんッ!」
「アリエラちゃん?」

彼らを無視して歩き始めたマツゲに合わせ、アリエラ達もむぎゅっと砂を踏みしめたとき。
彼の引いている荷台にリュックを預けていたことを思い出して、喉がちょうど乾いてしまったアリエラは走って彼の背中を追っていく。
その小さな後ろ姿にサンジが手を伸ばすが、ふわりと空を切るだけ。彼女はゾロを追いかけて小さな砂丘を登っていってしまった。

「ああ、アリエラちゃん…」
「大丈夫よ、サンジ君。ゾロがいるんだし…って、それがあれかもしれないけど、サンジ君はここに残っててちょうだい」
「は、ハイッ! んナミすわァん もしかして、」
「もしかしなくてもあんたに気があるとかそんなんじゃないから。また何か変な生き物が出てきた時、私たちだけじゃ太刀打ちできないでしょ? だからボディーガード、よろしく」
「はァァいッ! ナミさんとビビちゃんはおれがお守りいたします!!」
「サンジくぅん、おれも、」
「お前は知らん」

ゾロとアリエラが二人きりになることに対して胸がすこし軋むけれど、ナミの言葉にすぐに明朗全開となったサンジはご機嫌に二人の乗るマツゲの後ろを歩き始めた。ウソップは杖をつき、しんどそうに彼に助けを求めたが、冷たくスルーされてくたりと首を下げた。

「さあ、先に行きましょ」
「え、アリエラさんたちを待ってなくていいの?」
「足跡辿れば大丈夫よ」
「アリエラちゃんがすんげェ心配だが…まあ、ゾロの野郎がいるからな」

砂丘の上にいる彼女を見遣り、サンジはたばこに火をつける。
彼の言い分にナミも共感しているようで彼女に心配を馳せる気配もなく、マツゲの手綱をしっかりと握りしめた。

「適当に穴場を見つけてそこで休憩してましょ」
「さ、さんせえ

ナミの提案にウソップが声を震わせて、一同はまた歩き進めていく。
サンジはちょっと心配げにアリエラを見つめているが、ナミに言われたとはいえ自らがそこへ向かわないということは、彼らのことを信じている証拠なのだろう。
けれど、砂漠の怖さを知っているビビは楽観することができずに「本当に大丈夫かしら…」と四人への不安をこころの中でそっとこぼした。



「待ってえ、ゾロくんっ!」
「ん…? なんだ、お前も来たのか」
「うん。わたしのリュック預けてたから。喉が乾いちゃって」
「ああ」

チョッパーが寝そべっている荷台の取手に紐をかけ、固定されているサーモンピンク色のリュックをちらりと見つめ、ゾロは小さく頷いた。駆け寄ってきた彼女が水筒を取り出して、ごくごくお水を喉に通していくのをじっと見つめる。

「ん。なあに?」
「いや……、まずはお前よりもルフィだな」

ここにきてくれたことにちょっぴり喜びを抱いたゾロだったが、今はその歓喜をしまって、まだ砂丘の上で騒いでいる船長をじっと見つめた。
目はぐるぐる回っていて息も激しく切れているのにも関わらず、からだは元気に動いている。けれど、脳が勝手に指令を送っているだけで本当はからだも休みたいのだろう。足元は可哀想なほどにふらついていた。

「早く目ェ醒ませ!!」
「ルフィくんッ!! おおい!」

ゾロに続きアリエラも大声で呼びかけてみるが、ルフィには届かない。
「うおおおおーー! クロコダイルッ!!」と激しい咆哮が返ってきた。

「あのバカッ! おい、チョッパー! 早ェとこ注射でも何でもぶっ刺してやれ!」
「はあ、はあ…うん、やるよ」
「トニーくん。あなたも大丈夫?」
「ったくどいつもこいつも…」

チッと舌打ちをするゾロにアリエラはぱちりと目を丸めた。
イライラしてるゾロくんひさしぶりに見た。と言ったらまた怒られるだろうか。そんなことを思っていると、ゾロの険しい瞳とばっちりぶつかって、ぴゃっと声が漏れた。
やっぱり、眉を釣り上げられたが──。遠くで聞こえてくる「クーローコーダーイールッ!!」の声に意識は現実へと引き戻される。

「見つけたぞォォォオオ!!」
「えっ、」
「はッ!?」

くるりとルフィの方を見れば、彼はどうやらゾロのことをクロコダイルだと思ったらしく、ツンと瞳を尖らせて唸り声をあげた。目の当たりにしたふたりはぎょっとして目を見開き、数歩後ずさる。

「オイ、クロコダイル!!」
「な、何言ってやがんだ、てめェは!」
「やっと見つけたぞォォォオオ!!」
「ちょっとルフィくん! クロコダイルじゃないわ、よく見て! 怖いお顔してるけどゾロくんよ!」
「怖い顔ってな…」

動揺に揺れた声を出す二人に、ルフィはがるるる…と唸りをあげるだけだ。元々野生的な彼は理性をなくすとこうまで獣化するらしい。それは、ウイスキーピークの時にゾロもその身で味わったから、やれやれと観念してやや後ろにいるアリエラの小さな体をもっと後ろへと押しやった。

「ゾロくん?」
「危ねェから下がってろ。…ったく、おいルフィ!! さっさと目醒ま──…、」
「うおおぉぉおおぉぉ!!!」
「…醒ませてやる──!!」

聞く耳持たずに肩をぐんぐん回すルフィは、咆哮を砂漠いっぱいに響きわたらせた。ピシっと額に血管を浮かべたゾロもやる気に刈られ、大きく体を構えた時。左頬にガツンと衝撃が走った。波紋を生むようにじわりじわり痛みが広がり、脳をゆらす。
ああ、こりゃそうとうイってやがんな…。
殴られたことを次いで察知したゾロは、もう呆れにへっと笑い声をこぼし、血の混じった唾を吐いた。アリエラの揺れた声が鼓膜に届いたが、今はそれよりも目前のルフィをどうにかせねば。

「ったく…毎度毎度のことと言え…。トチ狂ったあいつを止めるのは骨が折れるぜ…ったくよ、」

刀に手をかけたが逡巡して、ため息をこぼすとともに離した。ここは戦闘モードになっては負けだ。拳で船長の目を醒させなくては。砂丘の下、窪んでいる部分の真ん中に立って息を切らしているルフィ目掛けてゾロも走り降っていき、彼にパンチをふるった。
う、と呻きをこぼしよろけたが、これだけで我に返るワケない。反撃を喰らい、またゾロの脳がじいんと揺れる。

 ──なんでおれはこんな船長に着いてきちまったんだろうな

ファイティングポーズを取り、ルフィと距離を詰めながらそんなことを口の中で転がしたゾロの表情はどこか愉快そう。
目をぐるりと回したルフィが「うあーーッ!」と真っ直ぐにパンチを撃ってくるから、ふわりと避けたが、片方から伸びてくるこぶしを回避するには厳しい態勢で、せめてもの見舞いだとゾロもぐっと強く握り拳を作って自分の頬でパンチを受けるのと同時に、船長の頬にも同じ力を加えたそれをぶつけた。

「ゾロくん! ルフィくん!!」

二重にぼやける視界、ガンガン鳴る頭で上で響くアリエラの声をキャッチするけれど反応する気力もない。お互いの頬から拳を離せないでいる、そんなとき。悪運なことに凪いでいた砂漠に巨大な砂嵐が生まれてこの一帯を襲った。
ばちばちと肌に砂があたり、脳がより眩んでいく。アリエラの悲鳴が高い場所で聞こえるが、意識を向けた瞬間、大量の砂に埋もれてしまったゾロとルフィはそのまま気を失ってしまった。


砂の表面を、微風がさらりと撫でる音だけが静寂の一帯に響いている。
砂嵐は完全に消え去った。大量に運ばれた砂のせいで、さっきまで靴まで剥き出しに立っていたルフィとゾロは今や胸から下は埋まっていて、それでもお互いの頬にはお互いの拳がめり込んでいるままだ。

二人の付近には、アリエラとチョッパーの姿がちょこんと転がっている。
この大砂嵐に呑まれ、気を失っているようだ。時たま風が運んでくる砂がばちばち肌を掠め、その刺激にまずはチョッパーが目を覚ました。

「え…、ええっ!?」

むくりと体を起こしてみる。目に映るのは隣で伸びているアリエラと、やや下方で砂に埋まってるルフィとゾロだけ。あれ、他のみんなは?と思い、鼻を動かしてみるがナミのつけている香水は付近には感じられなかった。

「ん…あ! アリエラ! おーいっ」
「ん、は…っ! 天使がわたしを呼んでる!!」

立ち上がり、可愛い足音を鳴らしてアリエラの元へ駆けつけると彼女はすぐにまぶたを開けて勢いよく上半身を起こした。心配そうに覗き込むチョッパーにぱあっと表情を明るくするが、口の中に広がる無数の砂にブルリと身震いをして咳き込みながらそれを吐き捨てる。

「うう、とんだ災難だわ」
「大丈夫か? アリエラ」
「うん、ありがとう。トニーくんは?」
「おれも平気だ。でも、」

大きな丸い目が不安そうに下部の方へと流される。それに沿って、アリエラも視線を動かしてみると「きゃ」と小さな悲鳴を上げた。

「二人ともさっき殴り合いをしていたの、大丈夫かしら!」
「急ごう!」

リュックを広い、チョッパーは勢いよく砂を降って二人の元へと降りていく。

「おい、ゾロ! おおーいッ!」
「ゾロくんッ!!」

やや遅れてアリエラも続くと、ゾロの前に座り込んで彼の頬を両手で包み、ぺちぺち叩きつけていく。すると恋のパワーのおかげか、すっかり気を失っていたゾロだが「ん、」と低く呻きをこぼしてうっすらとまぶたを持ち上げた。

「ゾロぉ!!」
「よかった、目を覚ましたのね!」
「ああ……サンキュー…」

目を覚ますとともに、頬の痛みがジンジン広がっていくからすぐに状況を察知し、ゾロは砂から抜け出て咳き込み口の中の砂を全部逃す。
その間、チョッパーは不思議そうにルフィを見つめていて、命に別状がないことを図るとほっと安堵のため息をこぼした。

「なんでお前らこんなことになってんだ?」
「ああ…っ、色々とな…、」
「ルフィくんどうしよう…起きる気配がないわ」
「もうしばらくほっとけ。また暴れられちゃ面倒だ」
「そうね」

ツンツンと頬を指で突いてみても、ルフィはピクリともしないからゾロの言う通りに諦めて、すっくと立ち上がる。
同じようにゾロも体を起こし、さっきとは変わってしまった地形を確かめるように流しみて、「こりゃずいぶんとでけェ嵐が来たんだな」と独りごちた。

「おい、他の連中は?」
「気づいた時にはもういなかったけど…」
「薄情な奴らめ……」

どこを見渡しても仲間の姿はなく、目の前にいるチョッパーに聞いてみると予想してた答えが返ってきて深々とため息をこぼした。アリエラがいるのにあのコックが早々と行っちまうなんざ、と思いつつも、砂に埋もれていたリュックを掘り起こして背負う。

「ねえ、どうやって先に進みましょうか」
「足跡辿って行きゃ合流できるだろ」
「足跡って……??」
「……」

可愛らしい声がふたつ重なり、ゾロは嫌な予感を感じてゴクリと唾を飲み込む。
誘われるように今度は真剣に足跡を目で追ってみるが、さっきの巨大な砂嵐のせいで彼らが残してくれていたはずの足跡はどこにも見当たらなかった。


TO BE CONTINUED 102話



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