154、偽反乱軍


ルフィたちが無事に材木を運び追えた頃には夕陽もすっかり顔を隠し、満天には燦々と星が散りばめられていた。もう遅いからと砂漠に降りるのを引き止められ、砂族の船で一夜を過ごしたけれど、それでもエースの姿はどこにも見当たらなかった。

泊めてくれたお礼に。とサンジが夜に引き続き朝食も振る舞い、砂族一同、薄靄のかかる早朝からほっぺたを落としていたとき。一味は旅立つ準備を整え終えていた。また、燃えつくような陽光に照らされるまでにある程度砂漠を渡らなければならないのだ。

バルバロッサもそれを汲み、すこし船を先に進めてからいかりを下ろすよう部下に告げた。
ぐさっと砂の奥へと突き刺さる錨は海に浮かぶものと何の変わりもなく、本当に大海原を走っているような気分になる。心なしか、潮風も肌に感じるようだ。

「この辺りでいいだろう、ルフィ」
「ああ。ありがとな」

ゆらっと大きく揺れて船が止まると、バルバロッサは船首甲板で朝日をともに眺めていたルフィに視線を配る。こくりと大きく頷く麦わら帽子を見て、ふいっと前を向き直した。

「あそこ。ほら、地平線にぼやけた影が見えるだろ? あそこに“イド”って町がある。あそこなら水や食料を手に入れることができる。まだ人の住む数少ないオアシスだ」
「へえ。お前たちは行かねェのか?」
「こっから先は砂族は入らねェ。おれたちはこの地で生まれて死んでいく…。何代もの人々が暮らした砂漠だからな」
「そういうもんか?」
「ああ。砂漠は自由の地だ! しかし、厳しい砂漠じゃ生きていけねェモンもいる。この先の村はそういう人たちがやっとこさ暮らしてる村なのさ」

バルバロッサの凛々しい眉の下で切長の目がそっとすがめられた。砂漠の中でも極めて危険とされるこの地区の数キロ先には平和の鐘の鳴る村がある。この船の停まっている一歩先には、見えない境界線があるようで、ここから出ないこと、入らないことをお互いの黙約として生きてきたのだろう。

ビビもそのことはうっすら聞いたことはあるが、でも実際に砂族を目にしたのははじめてだった。子どもの頃は悪い人たちだと思っていたが、町や村を襲った事件を今までに一度も聞いたことがなく、今ではアラバスタという土地で生きている砂の国の人々。という認識が強くなった。
彼らはこの国でいう無法者に値するけれど、でも見捨てるつもりはない。彼らも含め、そう…ラサも含め、この国人々みんなに笑顔が戻ったら。と胸のなかの気持ちがどんどん大きくなっていく。

昨日の一件からラサとは顔を合わせなかった。彼女は帰宅後すぐに部屋にこもってしまったのだ。さっきようやく出てきたけれど、サンジのメロリン攻撃をうざったそうに交わし、スープを数口啜っただけで今はマストのシュラウドにのぼり、甲板で時たま靡く水色に目を据えたりしている。


「お前たちはこれからどうすんだ?」
「どうもしねェよ。おれ達は自由な砂漠の海で気ままに暮らすだけさ」
「ハハハッ、そりゃおれ達と一緒だな!」
「そうか、そりゃ良いことだ!」

薄っすら静寂に包まれている朝の砂漠にふたりの豪快な笑い声だけが生き生きと響いている。ケラケラ笑うバルバロッサに作用して頭の傘がぽんっと開いた。
それをじっと眠たそうにアリエラが見つめていて、「あはは、アリエラちゃん眠てェな」とサンジが愛おしそうに横目で眺めている。

サンジの声にアリエラもへにゃっと冴えてない顔で笑って、ルフィが飛び降りたのを合図にゾロたちも砂族の船から砂漠へと足を付け、無事に返してもらったマツゲにナミとビビが乗り(ビビが眠たそうなアリエラに乗るように促したが、眠気を覚ましたいから。とアリエラは歩くことを選んだ)、一行はまずイドの村に向かって歩き出した。

「じゃあーーーなあッ!!」
「は、…お世話になりましたあ!! みなさん、本当にありがとう!」

とろんと眦を下げていたアリエラは、ルフィの大声にはっと顔を持ち上げて、くるりと後ろを向き、バルバル団のみんなに手を振る。ついさっきまで眠そうにしていたのに、ぱきっと表情に光を入れてお礼を投げる彼女にゾロはくくっと喉で笑う。

「え、なあに?」
「いや? 律儀なもんだなってな」
「え? ああ、ふふ。だって一日お世話になったんだからしっかりご挨拶しなくちゃ」
「それも“レディーの嗜み”ってやつか?」
「うん。そう」

ふっと笑って皮肉のように口にしたゾロにアリエラもおかしそうにこっくり頷く。最近は口にしていなかったけれど、よく覚えてるなあ。と口角が緩み、目も次第に冴えてきた。
もう一度くるりと後ろをふりかえる。遠く遠く離れていく甲板の人かげは、もう顔の区別もつかないほどぼんやりとしている。
そこで、高い場所でゆらゆら揺れる影に気がつき、目を見開かせながらビビに顔を向けた。

ビビもその影に気付いているようで、大きく目を開けて、メインマストの見張り台で長い腕が左右にぶんぶん振られているのを凝視している。すっと下に視線を下げると、黒いボブがさらりと靡き、高い場所にいるから輪郭も今度はしっかりと見てとれた。
強気な表情のまま、けれどやんわりとやさしい笑みを描き、ビビに向けて目一杯手を振るラサの姿に目の奥にじーんと熱がこもるのを感じた。鼻の奥がツンとして、視界がぼやける。

「…──っ!」

茶色の瞳を濡らして、ビビはそっと腰を持ち上げて大きく手を振りかえす。
国を救おうとすべくバルバル団の船を降りた王女の想いがすこし通じたのか、ラサはもっともっと強く腕をふり返した。きっと彼女の美しい瞳も涙で滲んでいるだろう。

「…よかったね、ビビちゃん」
「! …ええ」

アリエラの小さな声にビビははっとして涙を隠し、こっくり嬉しそうに頷いた。その姿にアリエラの胸はまたずきりと痛むが、これが彼女の性格なのだろうか。もやもやと消化しない不安が胸の中に落ちていく。
後ろで小声で話しているビビとアリエラの様子に気づいていたが、踏み込むのは野暮だと、サンジは新しいタバコを咥えたまま喉を震わせた。

「ところで、お前の兄貴はどこ行ったんだろうな」
「さァな。だけど、エースなら大丈夫だ。心配いらねェよ」
「またそんな根拠のないことを…」

にししっと笑って頭の後ろで腕を組むルフィの様子に、ナミはじっとりとした視線を向ける。

「まあ、それよりもよ。早くウドって町に行かねェとな」
「“イド”な」
「ああ、そうだそうだ」
「そうよ、“イド”よ」

また曖昧に覚えているルフィにウソップが正して、でも適当に相槌を打つからナミがもう一度背中を押すと、ルフィは「イドなイド」と今度はしっかり反復した。

体力温存のために口を閉ざして歩き続けているうちに、どんどんおひさまも顔をのぞかせ、砂漠には温風が吹きはじめた。太陽が全身を見せると移動をするのが早いもので、10時を過ぎた頃には晒している顔がじりじり痛みを覚えてくる。
さっきまで元気だったルフィはへろりと舌を出して、最前を歩いていたウソップとチョッパーも今は最後尾ではあはあ言っている。

「あぢィい
「まぁたはじまった…」
「アリエラさん、代わりましょうか?」
「ううん、わたしまだまだ平気よ」
「ほんと頼もしいわね、あんたは」

手をうちわ代わりに仰いでいるナミに感心の目を向けられて、えへ、と笑顔を浮かべる。バレエや歌もやってきたから体力も女の子の平均の倍はあるはずだ。きっと、泥棒をしていたナミも自然と人並み以上の体力は持ち合わせているだろうが、マツゲはナミにメロメロだし、しっかりものなナミの判断力を失いたくはないし、元々歩くのは大好きだからここは楽しく歩き続けよう。
ぎゅっとリュックの紐も握りしめたとき、イドの町のある方角から人の声が聞こえてきた。

「おおーーいッ!」

聞き覚えのある穏やかな声に、一同は同時に顔を持ち上げる。
移した視界に飛び込んできたのは紫色のカメレオン。体長は2メートル近くあり、二足歩行でこちらに走ってきている。まさか、あのカメレオンが声を出したのだろうか?と首を傾げたが、ひょこっと後ろでオレンジ色のハットが揺れて、ルフィが「あ!」と目を輝かせた。

「エース!!」

さっきまでへたばっていたのに、兄の姿を認めると急激に元気を取り戻してびゅんと走り出すから微笑ましくてアリエラはくすっと笑い声をこぼす。

「ははっ、なァんだ。そんなところにいたのか!」
「なんだ、砂族ってのはおまえ達のことだったのか」
「ん?」

どうしてエースが砂族のことを知っていて、それをちょうどこのタイミングで口に出したのだろうか。飛ばされそうになった帽子を押さえながら、ルフィは不思議そうに兄の顔をじっと見つめる。

「砂族ならさっき別れたけど?」
「へえそっか、まあいいや。それよりルフィ喜べ! 水と食料たっぷりもらってきたぜ」
「おおおーーッ! 水ッ!」
「なにっ水!?」

カメレオンの尻尾にくくりつけられているロープの先には木製の荷台があって、その上に水がたっぷり入った巨大樽や、果物に野菜、干し肉にパンや米などがどっさり詰まった木箱がどっかりと乗っていた。
目を輝かせてルフィとチョッパーは駆け寄り、「わたしも!」とアリエラもしゃがみ込んでお水をごくごく喉に通していく。

「おお、こりゃあありがてェなァ。当分の間飲み食いに困らねェよ」

アリエラに続き、サンジもカメレオンの後ろに回って荷台を確認してみると、数日分の食料と水が飛び込んで、ぱあっと青い瞳を輝かせた。ごきゅごきゅ、美味しそうに喉を鳴らして水を飲むルフィたち三人は一気に健康的な顔色を取り戻し、ぷはー、と満足気なため息をついた。

「すげェ奴だな、エースって」
「ほーんと。どっかの弟とは大違いね」
「言えてる」

水でぷっくり頬を膨らませているルフィとは対照的な性格をしているエースを見て、ウソップははあ。とすこし憧憬している。マツゲから降りつつ、ナミもウソップに同調し、物言いたげな目を船長に向けた彼女にまたウソップもまぶたを落として頷いた。
これまでの航海中、船長のせいで食糧危機に陥ったことは何度あったことか。サンジが来てから頻度はぐっと減ったけれど、最初の頃はまあ酷かったものだ。最長で一週間も固形物を食べられなかったのだから。

ナミとウソップもお水をもらって喉に通して、このありがたさを噛み締めているとき、不安げなビビは躊躇った後に、マツゲから降りてみんなの元に近づいていく。
彼女の足取りに気がついたサンジがビビ用の水筒を手にしてふいっと顔を持ち上げるが、彼女は憂いた表情をしていてその水筒を渡せなかった。

「…エースさん」
「ん?」
「この量を取り替えるほどの金銭を持っていないはず…。まさか、あの村から盗んできたんじゃ…」

彼はルフィの兄であるけれど一応名高い海賊なのだ。海賊みんながルフィと同じ価値観を持っているわけではないし、先入観だが横暴をするのが海賊だとも思っている。だから──。
不安そうにぎゅっとコートを握りしめるビビにエースは慌てた様子で「とんでもねェ!」と手を振った。

「こりゃ反乱軍からもらったのさ」
「は、反乱軍から!?」
「ま、どっからどう見ても偽物だったがな。そいつら砂族ってのが怖ェらしくってな。おれが代わりにどうにかしてやるから食料や水分けてくれねェか?って頼んだだけさ」

聞くに、その“反乱軍”たちは国王軍と敵対しているその名を借りているため、てっきり強者だと思い込んだイドの村の村長に気に入られ、用心棒として雇われているようだ。満足のいく衣食住を振る舞う引き換えに、村を襲う敵をやっつけるのが彼らの中で結ばれた誓約らしい。
そこまで短く話すと、ビビはかすかに肩を震わせて瞳を足元に落とした。反乱軍。その名にズキリとこめかみが痛む。

「村の連中はありがたがってすっかり騙されてたぜ。正体はただのごろつきだけどな」
「…!」

アラバスタ王国国王軍と対峙している反乱軍。その二つがぶつかり合って今、アラバスタ全土で紛争が起こっている。反乱軍は決してごろつきなどではない。彼らが生まれた大きなきっかけはあのダンスパウダー事件だった。
クロコダイルを英雄だと思っているこの国の人々はまさか奴がダンスパウダーを操り、ネフェルタリ家を、この国を陥れようとしているなんて夢にも思っていなく、また、宮殿でそれらが見つかってしまったこともあって他に疑いの余地もないために、目で見たものを事実として受け取った。
悪事を働く国王側を制圧し、この国を良い方に変えようと旗を掲げた彼らもまた、国を愛して行動を起こしているのだ。

ぎゅっと下唇を噛んで、ビビはこもった息を吐く。

「そんなんで用心棒になるの?」
「すぐに化けの皮が剥がれちゃいそうだけど」
「反乱軍と名乗れば何もせずにただ盗賊は逃げ出すらしいぜ」

黙ったままのビビに視線を配りつつも、ナミとアリエラは気になったことをエースに問うと、彼はテンガロンハットを片手で軽くおさえ、ふっと呆れたように笑みを描いた。

「便利なもんさ。食い口も名誉も勝手に転がり込んでくるんだからな」
「……反乱軍はごろつきでもないし、勲章の代わりでもないわ…」

声を震わせて下を向くビビに、ごくごく水を飲んでいたルフィもまばたきを繰り返しながらすっと立ち上がる。さっきから怒りから悲しみからか、震えている小さなからだを後ろから見つめていたサンジがたばこを指で挟み、長く紫煙を吐き出してやさしく声を低くした。

「ビビちゃん。そいつらちょっとおれ達がシメてやろうか?」
「まあ、村人の連中をカモにしてるってのは盗賊も偽反乱軍も似たようなモンだがな。少なくとも、あの村は連中がいることで平和に暮らしていけてるみたいだぜ。それでも行くかい?」
「でもな、お兄さんよ。ビビちゃんの気持ちにもなってみろよ。そんな奴ら…ぶちのめしたくもなるだろうがよ」
「別に好きにすりゃあいいさ。おれはおれの考えを言ったまでだ」

サンジが代弁してくれた通りだ。
国を変えようと命をかけて戦っている反乱軍を自分の盾や名誉のために名乗っていて、おまけに偽の名誉で少ないであろう食料も献上してもらい、贅沢な暮らしをしている彼らにはかっと頭に血がのぼる思いを抱くけれど、でもエースの意見を聞くと戸惑いがビビの胸のうちで塒を巻く。
小さな村にも悪意が伸びてきている今、どう名乗っていようが多くの命を救えた方が賢明ではないのだろうか。と。

ふと、ラサの顔が脳裏を過ぎる。
『言い訳なんか聞きたくないよ…。この広い砂漠の真ん中で私はたった一人で待ってたんだ!』
もう、彼女のような国の犠牲者を出したくない。国が秩序を乱している今、各地に派遣していた国王軍も今はほとんどが紛争に駆り出て、それぞれの村を守るほどの余裕をすっかり無くしてしまっている。そんななか、ただでさえ危険の潜む砂漠で盾も鎧もないままどう悪と戦えばいいのだろう。

「そんなクソ野郎どもを庇うことねェよ」
「庇っちゃいねェさ。おれはあんたらが先を急ぐって言うから」

意識をこちらに戻すと、サンジの柔らかな糾弾とそれに戸惑っているエースの声がビビの鼓膜を揺さぶった。ぎゅっと握りしめていたこぶしをほどき、喉元まで込み上げていた怒りや迷いを鎮める。

「国が…、隅々まで目を配れない今、村々の自治で治安を守ることができるのならそれに越したことはありません」
「じゃあ、ビビ…」
「いいえ。まず、彼らを試してみたいの」
「試す??」

先ほどとは打って変わった凛とした顔を持ち上げたビビに、ナミが口を開いたが、彼女の言いかけた言葉をすぐに拾って首を振った。そしてビビの口から出たものに、アリエラとチョッパーはこてりと首をかしげる。サンジも不思議そうに目を丸めて、たばこを咥えた。

「試すって? ビビちゃん」
「ええ。その偽反乱軍の人たちに村人達を守ろうという気持ちが本当にあるのなら、何を名乗っていようが関係ないと思うの」
「奴らの心を確かめようってわけか」
「でも、本当にいいの? ビビちゃん」
「いいの。何を名乗ろうと、命を守れるならいいことだと思うわ」

にっこり笑みを浮かべるビビにアリエラはほう、っと頬を赤めた。彼女の笑顔が美しいというのももちろんあるが、その心の持ち方に感動を抱いたのだ。

「そこで、みさなんには悪いんですが…やってもらいたいことがあります」
「お安い御用だ、ビビちゃん!」
「ニヒッ、よっしゃーっ! なぁんか面白いことになってきたなァ!」
「えっ、おもしろいことなのか!?」
「ちょっとルフィ! 遊ぶに行くんじゃないのよ?」
「分かってるよ。要はさ、その偽物をぶっ飛ばしゃいいんだろ?」
「だああっ、なァんも分かっちゃいねェよこいつ」

にししっ、と楽しそうに両腕をあげるルフィにチョッパーが驚いたからナミが言い聞かせるように強く口にしたのだが、その返事は期待できるものではなくってウソップががっくしと肩を落とした。またトラブルを生んでしまったら収集のつかないことになってしまいそうだ。砂族と違って、イドの村は国政の通ずる場所なために、変な報告でもされてしまったら作戦も一巻の終わりである。
ナミとウソップで口酸っぱく言い聞かせると、ルフィはむぎゅっと難しい顔をして「分かった」とこっくり頷いたから、ようやくゴーサインを出せる。しっかり者のゾロとサンジもいることだし、何かあったらどうにか対処してくれるだろう。

そうして、ナミとビビ以外のメンバーは偽反乱軍の心意気を確かめにイドの村へと足を進めて行った。


TO BE CONTINUED 99話



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