129、ゆめのはじまり


チョッパーにソリを引いてもらい、背景に幻想を映しながら、一味は新しい仲間を先頭にメリー号に帰船した。ルフィとサンジで帆を張り、ゾロがイカリを上げて、船は月明かりが反射しキラキラ輝く海を漕いで出た。

大きな光の桜はまだはっきりと聳えていて、ルフィがそれをバックに新しい仲間のための宴をやろう!と提案したため、サンジも張り切ってキッチンへと向かっていった。
それから30分後、少し遠のいたがあれほどに大きく輝く桜はまだはっきりと肉眼で見えてうっとりする。

その間チョッパーはずっと右舷から名もなき国と桜を見つめていた。ずらりと並んだ料理に目を輝かせたクルーもフイと顔を持ち上げて、彼の小さな背中とその先に映る幻想的な美しい島をじっと見つめる。

「うっひょ! まだまだ見えるなァ」
「綺麗!」
「うん」
「桜かァ」
「ほんと素敵
「アリエラちゃんこっち来てみな。よく見えるぜ」
「わあ、ありがとう」

端にいたサンジと場所を変わってもらい目を輝かせたアリエラは、お部屋から取ってきたスケッチブックと鉛筆であたりをとっていく。
大まかに完成させると鉛筆を置いて、この空気と温度からクルーの声までを肌で、景色や色どりを目で、情景やにおいを鼻で感じ取り、全身を使って自分に記憶させる。
ゆっくり瞬きするたびにフィルムとして脳に送られていくため、大きな目をじっと凝らして真剣に見つめている彼女をゾロとサンジは隣で見つめていた。

あの奇跡の桜を大切なクルーと惚れた女の子の隣で望める喜びを噛み締めながらも、息が止まってしまいそうな程の集中力をこのざわめきの中で発揮している彼女に今の感情を全て奪われてしまいそうだった。
剣士としてもコックとしても集中力というものは必ず必須となる材料で、その重ねて培ったものと、あとは桜の光に照らされる美しい横顔に憧憬を抱いたのちに陶酔してしまう。

「おい、チョッパーの奴大丈夫か?」

こそっと耳に届いたウソップの声にサンジははっと、蕩けていた脳を正常に戻した。それはライバルであるゾロも同じようで、マッチを探すふりして目線を向ければフンと鼻を鳴らされた。
 ──うっわァー腹立つ!
ムッとしてマッチを擦ると「今はそっとしときましょ」、と大好きなナミの声が鼓膜を揺さぶりサンジの怒りは鎮まっていく。

「…あァ、奴は今男の旅立ちってもんを体験してんのさ」
「生まれてから一度も海に出たことない島を今出ようとしているんだもの」

なんでもないように紫煙と共につぶやいたサンジにビビが続けると、みんな頷きもう一度チョッパーの小さな背中を見つめた。さっきよりもすっと伸ばされていて、頼もしくなった背中からひしりと強い思いが伝わってくる。

「(行ってきますドクター、ドクトリーヌ。今はじまるんだ、おれの冒険が…!)」

空想で描く不安は海に出てみるとそれほどに感じなく、むしろ今はウキウキワクワクした気持ちがそろりと胸を撫でている。ドクターから教わってから広げ続けた夢が今ようやくスタートを切ったのだ。


旅立ちを胸の中で投げたチョッパーは、仲間に誘われるように輪の中に入っていく。
骨つき肉がこんもり盛られた大皿に湯気が立ってるポテトグラタン。温野菜サラダにチーズやローストビーフ、スモークサーモンが乗ったカナッペ、あつあつのミネストローネとかぼちゃのチーズポタージュ、桜の形をしたおにぎりと他にもたっぷり並べられた料理にお腹がぐううっと鳴った。

遠慮せずに食えよ、とサンジにホットミルクを手渡されて、恐る恐る口にする。絶妙な加減で蜂蜜が溶けていて、じんわりとチョッパーの舌を包み込んだ。
こんな美味しいホットミルク飲んだの初めてだ!と目を輝かせて、でも輪にはまだ溶け込めずにいると、それに気づいたサンジに背中を押されて、ルフィとウソップの元へとちょこちょこ歩み寄っていく。

「チョッパー! サンジのメシはうんめェぞ!」
「あ、チョッパー! 飲めよ」
「え?」
「そして歌え!」
「ええっ」

ウソップをぐいっと押しのけたサンジが肩を包み込むような温かな笑顔を向けて、あわあわする。
これまで深く接してきた人間はドクターとドクトリーヌのみだったためこんなにも賑やかな食事は初めてで、緊張と恐怖が交互に襲っていたのだけれど、サンジが背中を押してくれてそれに気がついたルフィたちも来いよ、と笑ってくれてその固まった心は徐々にほぐれていくのを感じた。

「さあ、お前も鼻割り箸やってみろ!」
「え、?」

ルフィにぽんと手渡された短い割り箸にキョトンとしていると、ルフィはもう目の前からいなくなっていた。お肉をもりもり口に頬張っていて、ウソップは一人で何かを話していて、ゾロとサンジは仲良くお酒を飲み交わしている。鼻割り箸ってなんだ? ぽつんと立って、すっかり自由を満喫しているみんなを見つめていると、みかんと薔薇の匂いを鼻がキャッチした。

「うわっ!」
「うふふ」
「びっくりした?」

そう思った瞬間、肩に二つの手がそっと乗せられてビクッと身体を震わせながら振り返ると金色とオレンジの髪の毛がふわりと揺れた。笑顔を向けるアリエラとナミに連れられ、チョッパーは数歩後ろに下がり、船端に背を預けてナミとアリエラの真ん中にちょこんと座った。

「わたしはアリエラっていうの。よろしくね、トニートニー・チョッパー…トニーくん」
「う、うん。アリエラ、」
「ええ、そう呼んでね」
「あんたも大変な奴らの仲間になったわね」
「仲間…?」
「そうよ? うるさい奴らだけど仲間だから慣れないとね」
「毎日こんな感じで賑やかなのよ」

仲間…、その言葉が嬉しくって嬉しくってチョッパーは青い鼻をぴくぴく動かして照れている。
その姿があまりにも可愛くって、アリエラはぐーにした二つの手をあごに置いてきゅるんとした目を彼に向けている。
「わたし、幸せ…」とこぼすアリエラに「あんた絶対この子好きになると思ったわ」とナミは嬉しそうな笑顔を向けている。まるでテディベアのように可愛らしい彼は女の子からみるともう愛くるしくってたまらないのだ。

「カルーッ!! あなたどうして川の中で凍っていたりしたの!?」

その時、ビビの声が空気をつんざいてチョッパーは思考を閉じた。声のした方を見やると、寒さにぶるぶる震えているカルーがたっぷりの毛布に包まれてビビに抱きしめられていて、気になって彼の方にちょこちょこ歩んでいく。

「ハハッ! おおかた足でも滑らせたんだろ。ドジな奴め!」
「黙ってMr.ブシドー!!」

隣のサンジと共に仲良く笑いながらゾロはぐびっとお酒を呷る。

「…うん」
「どうしたの? トニーくん」

カルーに耳を傾けて大きく頷いた彼にアリエラが訊ねると、チョッパーは全て理解してからそっと口を開いた。

「ゾロって奴が川で泳いでていなくなったから大変だと思って川に飛び込んだら凍っちまったんだって」
「あんたのせいじゃないのよッ!!」
「いッッ!!」

ナミの強烈な拳がゾロの脳天にガツンと落ちてチョッパーはびくっと肩を震わせた。すごい音が響いた。ぐわんぐわん揺れる頭を押さえているゾロが心配でアリエラは背中をさする。

「大丈夫? ゾロくん!」
「あの…女…ッ、」
「…あ、アリエラちゃん。手そのままじゃ寒いだろ? 手袋したらどうかな?」
「うん。手袋があると食べにくくて、サンジくんのごはんはご機嫌に食べたいもの」
「そっか。じゃあ、キミにあつあつのスープを注ぎましょう」
「わあ、かぼちゃの飲みたいわ」
「かしこまりました。グリューワインもおかわり注ぐね」
「ありがと

ゾロの背中に小さな手が添えられているのにモヤっとして、にこっと笑みを描いたサンジがすぐさま反応を示した。彼の背中についていく姿がとても気に食わなくてゾロはアリエラをそのまま引っ張り、そばに置いておきたいと思ったがこの痛みに手を伸ばすことはできなかった。

サンジの様子にナミは何か感じ取ったみたいで、パチリと瞬きをしてから考えるよりも先に「なんかごめん」と謝ってしまった。なんだか同情してるみたいではっとしたが、ゾロは「別に」と一言低くこぼしただけだった。

「…トニー君。カルーの言葉わかるの?」

カルーの身体を温めるように撫でていたビビは、そういえば不思議に思って、白湯を持ってきた隣のチョッパーに目線を配ると彼は「ゆっくり飲むんだぞ」と医者としてカルーに手渡しながらこくんと頷いた。

「おれは元々動物だからね。動物と話せるんだ」
「すごいわ、トニー君!」
「医術に加えてそんな能力持ってるなんて!」
「おまけにこんなにも可愛いなんて
「そ、そんなに褒められても嬉しくねェぞ、コノヤロー!!」
「「…嬉しそうだな」」

にへらって小躍りしているチョッパーに、ルフィとウソップのぼそりとしたツッコミが入る。ナミの呟いた医者という単語にゾロはジョッキから口を離して彼女に視線を向けた。

「ところでナミ。医者って何のことだ?」
「チョッパーは医者なのよ。Dr.くれはに叩き込まれた超一流のね」
「「何ぃぃぃぃっ!!??」」

とんでも事実に男性陣はぎょっと立ち上がってチョッパーを見やる。アリエラも「すごいっ!」って驚いているから、新たな仲間が船医だという情報を今ナミの言葉から知ったのだろう。そんな彼らにナミは腕を組んでじっとり呆れ目を向ける。特に、執拗に勧誘していたルフィに。

「呆れた。何者のつもりで勧誘したのよ?」
「七変化面白トナカイ」
「非常食」
「えええーッ!!??」
「もう、いやよサンジくん! こんな可愛い子を非常食だなんて!」
「はっ! アリエラちゃんが嫌なことは死んでもしねェ! 仲良くしよーな、チョッパー
「ひっ、う、うん、」

ガバっと抱きつかれて満面の笑みを向けられる。とんでもない変わりようにチョッパーはびくっと肩を震わせてこくこく頷く。その様子にアリエラはほっとしたようで、にっこりと二人に笑みを送った。

「あ…っ! おれ慌てて来たから医療道具忘れてきちゃった…!」
「え? じゃあこれは?」

しまったと顔を持ち上げたチョッパーは病み上がりのナミがいるのに、と忽ち全身に焦りを浮かべたが、ナミの明朗な声に誘われくるりと目を向けると彼女に手には子供用ほどのサイズの青いリュックがあった。それを確認した途端、チョッパーの瞳はみるみる見開かれ輝きを煌めかせていく。

「おれのリュック…!」
「ソリに積んでたわよ?」
「え…なんで?」
「なんでって…自分で支度したんじゃないの?」

このリュックはギャスタから帰った時、確かに自分のデスクにかけたままにしていたのだけれど…。と回想してはっとする。このリュックがチョッパーのもので、中に医療道具が入っていると知っているのはドクトリーヌただ一人。それをチョッパーが気づかないうちにソリに乗せていたのだろう。
それも、彼がドクトリーヌに報告をするよりも前に──…。

「…結局あんたの考えてること全部見透かされちゃったわけだ。素敵な人ね」
「うん…、」

じわじわ涙の膜が大きな瞳を覆っていく。鼻の奥がツーンとして、ぽろりと一筋の涙がたっぷり愛の詰まったリュックの上にこぼれ落ちた。

「…本当に素敵なお医者様だったのね、ドクトリーヌ様は」
「アリエラ」
「…うん、」

ぐずっと涙で濡れた声と一緒にチョッパーはこくりと頷く。
今は彼をそっとしてあげたくって、ナミはフイとアリエラを見上げた。

「スープ、美味しい?」
「んっもうとおっても!」
「サンジ君のだもんね。聞くまでもないか」
「ナミも飲む?」
「うん、後でもらうつもり」
「わたしも次はミネストローネを飲もうかしら」
「あんた見かけによらずほんとよく食べるわよね。前菜に加えてグラタンとパン二人分くらいたっぷり食べていたのに。ま、食べることはいいことなんだけどね」
「えへへ、どうしてか動いたらすぐお腹が空くのよわたし」

チョッパーの隣に腰を下ろしてスープを飲むアリエラの鼻は赤くなっている。寒さとあつあつが交互に肌に触れるから、鼻水を啜りながらほう…と真っ白な息を吐いて笑う。
そんな愛しき彼女の姿を、ルフィとウソップの芸にゲラゲラ笑いつつもゾロもサンジもちらりと見つめていた。

サンジはナミの視線にすぐに気がついて、「ナミさんがおれのこと見てるーーッ!?」ってデレっとした後に彼女の視線の意図に気がついて、照れたようにでも隠さずにへへっと少し頬を染めて笑うからナミもここで気づいてしまった。彼の中で何か辺境があったのだと。

「…スープ、もらってこようかしら」
「うん、ナミは病み上がりなんだもの。たくさん食べて栄養つけなきゃ」

サンジ君から話を聞きたいな。と思って、アリエラにぽつりとこぼしたとき、宴はたけなわに差し掛かった。

「よぉし、てめェら注目! 新しい仲間を紹介する! 船医“トニートニー・チョッパー”だ!」

ウソップがメガホン越しに声を響かせたが、ゾロとサンジはルフィの鼻割り箸に大爆笑でお腹を抱えて笑っているし、腰をあげかけたナミもアリエラもそれを見てくすくす笑っているから「聞けよ、てめェら!」とウソップはむっと眉を持ち上げた。
だが、ウソップはすぐにルフィに促されて鼻に割り箸を装備しどじょうすくいをしながらチョッパーの方へとそろそろ近づいていく。

「「アッハッハハハ! ういヒョッハーおええおやうあ!!」」
「うふふ、何言ってるの?」
「うっさいお前ら!!」

唇と舌を動かせない状態でモゴモゴ話すから聞き取れなかったアリエラはくすくす笑い、ナミは怒号を飛ばすが、チョッパーには彼らの勧誘が届いたようでさっき渡された割り箸を握ったままだったことに気がつく。
これを鼻に刺して下唇で支えるのか…。

「もーほんっとうるさい連中でしょ、チョッパー…ってすな!!」
「きゃあっトニーくんっ!」

呆れてチョッパーに視線を下げると、彼は見様見真似に鼻割り箸を披露してナミから初ツッコミをもらった。アリエラは「そんな姿でも可愛いなんてぇ」とメロメロだ。

それから次第にゾロとサンジは喧嘩に入るし、ルフィとウソップは好きに芸をはじめるし、ビビはカルーの隣でそれを見て手を叩いて笑い声を響かせていて。宴はさらに熱を帯びてゆく。
隣に座っているナミとアリエラの笑い声にチョッパーはすっと俯いて瞬きを繰り返す。

「カルー! あなた飲み過ぎよ!」
「くえ、」
「オイ、クソコック。もっとつまみ持ってこい」
「おォ!? 今何つった!? おれをアゴで使おうとはいい度胸だ!」
「サンジ! もう恐竜の肉はねェのか!? いっぱい積んだだろ!?」
「え! 紹介に預かりましたキャプテン・ウソップです!」

それぞれが自由に楽しむ声がチョッパーの鼓膜を揺さぶる。鼻に割り箸を刺したまま、くりっとした瞳に広がる水の膜。

「……おれさ、」
「うん?」
「おれ…、こんなに楽しいの生まれて初めてだ…!」
「うん!」
「これからみんなと楽しい日々を過ごしましょうね、トニーくん!」

涙をぽろりとこぼしながら両腕を高く掲げて笑顔を見せるチョッパーに、ナミとアリエラは優しくにっこり微笑みを浮かべて頷いた。これまでひとりぼっちな人生を送ってきたチョッパーの初めての仲間、初めての夢が彼の心に温もりを広げていった。


TO BE CONTINUED 原作154話-91話



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