128、奇跡の桜


ルフィの勧誘に涙を雪の上にこぼし、泣き声を夜空に響かせていたチョッパーは手を差し伸べる船長に頷いて、晴れて晴れて麦わらの一味のクルーとなった。新しい仲間に気を失っているサンジ以外のみんながにっこり笑みを浮かべているため、チョッパーも安堵してちょこちょこ雪を踏みしめた。

あとは、ドクトリーヌに話をしてくる。とお城の中に戻っていったチョッパーが戻ってきたら、一味はいよいよアラバスタを目指して針路を取る。彼らの涙ありの別れの時間をみんなは外で待っていた。

「えへへ、どう?」
「「すげェッ!!」」

暇つぶしに、芸術家であるアリエラにすげェもん作ってくれ!と頼んだルフィとウソップの想いに応えたアリエラは、たったの15分で見事なかまくらを作り上げた。空洞になった中に入ってご機嫌なルフィとウソップをにこにこ見守って、アリエラは伸びているサンジの元に向かっていく。

「サンジくん、まだ起きないの?」
「ええ。すっかり気を失っているみたい」

そばでサンジを見つめていたビビに話しかけると、彼女は頷いて眉を下げた。気は楽にしているようだが、それでも心配性なビビは目を覚さないサンジが気がかりなのだろう。

「はやく起きないかしら、サンジくん」
「ええ、本当に。仲間が増えたものね」
「…うん」

とんでも痛かったのだろう。女の子が声をかけても起きないなんて彼にとっては相当な問題だ。
新しい仲間が増えたものね。そのビビの言葉にはっとするものがあった。そうだ、心配だから。チョッパーが仲間になったから。そういった理由で目を覚ましてほしいはずのに、サンジくんがいないと寂しいから。なんて、どうしてかそんなことを思った自分がいて途端に恥ずかしくなった。そんな思考をしてしまった自分と、どうして彼がいないと寂しいのかしら、という複雑な感情が次いでアリエラを襲う。

そんな彼女の後ろ姿を、少し離れた場所でゾロがじっと見つめていた。

「ナミ、身体の方は大丈夫なのか?」
「平気! バッチリよ」

かまくらの隣に雪だるまを置こうと、雪玉を転がしながら訊ねたウソップにナミはにっこり笑みを浮かべてオッケーサインを顔の隣で作る。一番の心配もようやく拭えて、麦わらの一味に笑顔が戻ったようだ。

「よし、おれも挨拶に行こう! 医者のばあさんとどんぐりのおっさんによ」
「ばかね。ドクトリーヌと二人っきりにしてあげなさいよ。六年間も二人で生活していたのよ? きっと涙のお別れになるわ」
「そっかぁ

かまくらの中から顔を出したルフィに腕を組んだナミが咎めて、彼は一理あると思ったのだろう。大人しく引っ込んで、うさぎ型の雪をそろりと持ち上げた。

「じゃあ、おれ達は本当にこのまま行くんだな? ナミ」
「もちろんよ。チョッパーが来たら山をくだってすぐに出るわ、アラバスタへ! これでビビも納得でしょ?」
「ええ。医者がついて来てくれるなら」
「あんなに可愛いのにお医者様って素敵ね
「ん? 医者?」

誰が?とキョトンと首を傾げたルフィは、けれど気には止めずにそのままアリエラを呼んで、でっけェ雪だるま作ってくれ!とキラキラした目を向けた。


「ドクトリーヌ、許してくれるかな?」

その頃、トナカイに変化したチョッパーはスピードを飛ばしてドクトリーヌのお部屋に向かっていっていた。あかりの灯る部屋の中を覗くと、彼女の姿があってチョッパーは弾む胸のまま「ドクトリーヌ! ドクトリーヌ!」と声をゆらす。

「ん?」
「話があるんだ!」
「チョッパー、どこにいってたんだい? 下に降りてお前も大砲運び手伝いな」
「聞いてよ、ドクトリーヌ! おれ海賊になるんだ、あいつらと一緒におれ行くよ!」
「…何だって?」

元の姿に戻ってはあはあ、切らした息を静謐な部屋に響かせながら吐き出された決意にドクトリーヌはひどく形相を変えて振り返った。笑顔だったチョッパーはその顔を見てびくりと肩を震わせる。

「海に出るんだ! 船医としてあいつらの仲間になって世界を旅するんだ!」
「バカ言うんじゃないよ!!」
「…っ!」

響いた後にしんと壁に吸収されたドクトリーヌの怒号に、チョッパーは黒い虹彩を震わせて、こくりと息を飲み込む。

「いいかい!? あんたはあたしのたった一人の助手だよ。誰があんたに医術を教えてやったと思ってんだい!? それともあたしに何の恩も感じてないとでも言うのかい?」
「そ、そんなことないさ、ドクトリーヌには感謝してるよ! ドクターやドクトリーヌと出会えたこの地がおれも大好きさ!」
「ふん、だったらここに残るといい。こんな立派なお城に住むなんて、どこに行ってもできることじゃないよ」
「ん…」
「海賊なんてロクなもんじゃないよ。あっという間にしかばねになるのがオチさね」
「それでもいいんだ!」

とくりと揺らしたお酒を豪快に流し込むドクトリーヌに、それでも折れない決意を向けると彼女はかっと目を見開いて、ドンと強くボトルをテーブルに叩きつけた。

「生意気言うんじゃないよ! たかだがトナカイが海に出る何て話、聞いたことないね!」
「そうだよ、トナカイだよ! でも男だ!!」
「……!」

まっすぐ逸らすことなくこちらを見つめ、強く突きつけられた言葉にドクトリーヌはぐっと息を飲んだ。揺らぐ自分の瞳を感じながら、フンと鼻を鳴らす。

「言うじゃないか。でもね、とにかくあたしは許さないよ! そんなに出て行きたきゃあたしを踏み倒してから行きな!!」
「え、ええっー!?」

瞠目した次の瞬間には大きな斧が飛んできて、チョッパーの足元に強く落ちた。
恐る恐る見上げてみると、壁にかけてある槍に手を伸ばした彼女が伺えて全身の毛を逆立たせた。

「お前みたいな泣き虫が男だって!? 笑わせるんじゃないよ!」
「だって、だって、ドクトリーヌ! あいつら…行こうって…!」
「うるさァーい! 勝手な真似は絶対に許さないよ!!」
「ぎゃあああーーッ!!」

槍から始まり、ついに部屋中の武器を手に取りはじめたドクトリーヌにチョッパーは身の危機を感じて、両手をあげてお部屋の中から出て行く。ルフィとサンジを追いかけたときにそうだったように、これが彼女の怒り方だった。それもかなり頭に血が上っている時の衝動だ。

「うおおおおーッ!!」
「コラァー! チョッパー!!」
「うわぁぁぁああ!!」
「待ちな、チョッパーッ!!」

悲鳴を上げながら、チョッパーはお城の外まであたふたと逃げていく。トナカイに変化した方が速いのだが、そんなことをしている時間さえなくって。もう必死で足を動かし続ける。下の階にいた男性たちも二人の命懸けの鬼ごっこに大変驚愕して、巻き添えにならないよう低い悲鳴をあげるから、その騒動はお城の外にまで届いていた。

「なんだ? 城の中が騒がしいぞ」

その声に真っ先に気がついたゾロが、ウソップの作った雪だるまを足でつんつんしながら首を傾げた。そっと耳を澄ませてみると、わあわあざわめく声がナミの鼓膜に届いて、彼女はそっと眉根を寄せて腕を組んだ。

「全く野暮なんだから。なんで静かに別れさせてあげられないのかしら?」
「でも、歓声じゃないみたいね。どうしたのかしら?」

ナミの隣で雪うさぎを作ってゾロの座っている岩に乗せていたアリエラが不思議そうに、お城の方へと目を向けるがまだチョッパーが出てくる気配はなかった。

その頃、彼は何とか逃げつつ倉庫までたどり着いていた。見つけたのは、いつもドクトリーヌと使っていたソリだ。ロープウェイに乗る時間はないから、これを引いてみんなを拾って海に出よう。その作戦を瞬時に閃き、トナカイに変化して何とかセットし外へ走りだす。


「ごめん、ドクトリーヌ! でも、おれ世界を見たいんだ!!」

呟きながら走っていると、後ろで足音が響いてはっと振り向く。
クリーム色の髪の毛をなびかせながら、武器を振り回しつつこちらを目掛けている恩師姿にひっと喉から悲鳴が漏れた。

「お前なんかが海へ出て何の役に立つって言うんだい!? あのヤブ医者のように幻想に生きるのかい!?」

──違う…! 幻想じゃないさ、ドクターの研究は完成してたんだ!!

胸の中で強く強く叫びながら、チョッパーはひたすらに城外に向かって走り続けると待っている仲間の姿が近く濃くなっていく。こちらに向かって走ってきているチョッパーの姿に気づくのは、やはり普段から気を張っている剣士であるゾロだった。

「おい、来たぞあいつ…?」
「ええっ!? どういうこと…!?」

ゾロの声に続き、ビビも息を飲んだからみんなフイっと導かれるようにそこに視線を向けると、頭上でボーラを振り回しているドクトリーヌに追いかけられているチョッパーが必死にこちらに走ってきているのが伺えてナミもアリエラも、ルフィたちも目を見開かせた。

これじゃあ、しんみりとした涙のお別れのはずが、恐怖のお別れだ。
ぶんぶん振り回している鉄球は空気をたっぷり含んでいるだろう。あれを投げられたらひとたまりもない。

「みんな、ソリに乗って!! 山を下るぞ!」
「おりゃああ!!」
「「何ぃぃぃ!!??」」

脅しではなく本当に鉄球を振り投げたものだからみんな大層驚いて立ち上がる。
伸びているサンジはそれでも目を覚さないから、アリエラは彼を持ち上げてソリに乗せようと黒いコートを掴んだところ、まるで雪を持ち上げるような軽さでひょいとサンジは体を浮かせた。

「ゾロくん…!」
「こいつはひょろいが…お前には無理だ。まあ置いて行ってもいいんだがな」
「ありがとう、ゾロくん」
「…別にお前じゃねぇんだ。礼はいいだろ」
「あ、そうね。ふふ、変なの」
「ミスんなよ、アリエラ」
「ええ、もちろん」

何だかサンジとどんどん親密になっていっている気がして、それを飛ばすようにすぐにアリエラに次の言葉をかけたところで、スピードをあげたソリが目の前に向かってきてた。
アリエラとサンジを抱えたゾロが最初にひょいと飛び乗って、次にビビとウソップが、最後にルフィとナミが器用に乗ると、チョッパーは後ろを振り返ることなくよりスピードを上げてこのドラムロッキーをあとにした。

自分の体とそしてソリをちょんと乗せたのは、ドラムロッキーの頂上からギャスタ郊外に張っているロープウェイの太い線。バランス感覚に優れているチョッパーは強い風が吹いても臆することなく、そのまま標高5000メートルを走って駆け降りていく。

「わあ、すごい! 月がこんなにも近いなんて初めてだわ!」
「あァ」

目を輝かせるアリエラに落ちるなよ、と声をかけながらゾロもこの光景を楽しんでいる。
「きれい」とこぼすナミにビビも大きくうなずいて、いつもよりもずっと大きくて明るい月を見上げて笑みを浮かべた。
これまで、チョッパーはドクトリーヌを乗せて幾度も町に降りていた。地上から5000mも離れていればそこにロープが張られているのは目に見えなくて、だから人々はこの空を駆けるドクトリーヌとチョッパーを見て魔女と称したのだ。
まさに今も、外に出ていた人々が宙を浮くソリ姿を見て「魔女だ…!」と息を飲んでいる。

「うっひょっ!! きもちいーなァ!」
「おいルフィ落ちんぞ!」
「きゃあ、サンジくんも落ちちゃいそうだわ!」

この風にけらけら笑っているルフィはウソップに掴まれたまま、ソリの後ろから飛び出た状態でふわふわ飛行を楽しんでいる。端に乗せられたサンジも勢いよく飛ばされてしまいそうで、アリエラの悲鳴を聞いたナミとビビがすぐ側で寝転がっているサンジが飛ばされてしまわないように両腕でぎゅうっと包み込んでいる。この光景を見たらきっとサンジは嬉しさに舞い上がるだろう。

みんなぎゃいぎゃいしているなか、チョッパーは走りながらしんと思いを馳せていた。

──ドクター! 幻想じゃないよね? あの時…ドクターの研究は完成していたんだろう? それともあれも嘘だったの!?

『これだ…! この反応を待っていた! 30年間…待ち続けた…! やったぞチョッパー! おれの研究は成功した!!』

──そう言わないまま死んだらおれが悲しむから…? ドクロを掲げた男に不可能はない。もう一度そう言ってよ、ドクター!

ぎゅうっと目を瞑り、心の中でドクターにずっと問い続けるが当然答えは返ってくることはなかった。焼きついて離れないドクターの表情は優しい笑みを浮かべていて、とてもウソをついているようには見えない。

ドクターの言っていた研究の成果が今見れたらいいのにな。彼が亡くなってからぷつんと途絶えてしまった計画は、昏い海の中に葬られたまま浮上することはない。あの研究で得た物も今はどこにあるのか、チョッパーには分からないほどに遠くに消えてしまっていた。


その頃、5000メートル頭上でひっそりと見守る影が月明かりによって伸ばされていた。
ずむっと雪が重く踏まれた音が背後で鳴って、影…ドクトリーヌはピクリと肩を揺らした。

「…あんな別れ方でよかったので?」

この声はドルトンだ。振り向かないで、ドクトリーヌは腕を組み魔女のような笑い声を響かせた。

「預かってたペットが一匹貰われて行くだけさね! ──…湿っぽいのはキライでね」
「……」

じわりと大きな涙を浮かべて、チョッパーを見送っているドクトリーヌの心の優しさに、ドルトンは顔を見ずとも涙しているのを察してふっと微笑みを浮かべた。
遠く離れていく故郷に気を配らせないように、何も気にしないで海に出られるように。心なく冒険ができるように。不器用に見せかけて、ドクトリーヌは気付かれないようにチョッパーの背中を優しくどんと押したのだ。

「さあ、あんたも来な!」
「いたっ、」
「船出ってのは派手でなきゃいけないよ!」

涙を見られたお返しに、怪我をした逞しい胸をどんと叩いてドクトリーヌはくるりとお城の方へと帰っていく。すらりとした後ろ姿を眺めながら、そういえば何故あれほどの数の大砲を並べているのだろうか。ドルトンは不思議に思いながら、彼女の後ろをついていった。

その大砲には大きな意味があるのだが、ドクトリーヌの意図に気付くことができなかったチョッパーが、一刻もはやく港に着けるように必死で速度を上げて地上に足をつけたころ。

「気持ちよかったなァっ! もう一回やろうぜ! なあ、アリエラ!」
「うん、すっごく楽しかったからまたやりたい!」
「酒がありゃもっと味があったな」
「バカね、もう出航するわよ!」
「し、死ぬかと思っだ…っ」
「…はっ、え…? おれは何を…、ここはどこだ…?」
「あっ、サンジさん目が覚めた?」

ロープから地にソリをつける時どん、と大きく揺れた衝撃にサンジはようやく目を覚ましたようだ。そばにいたビビは安堵の笑みを浮かべていて、え…天使?と目を擦りながら身体を起こす。

脅威の回復力を持つサンジは、随分と寝たからという理由でもう普通に起きれるようになったみたいだ。片目をくるりと見回すと、あのトナカイが仲間を全員乗せたソリを引いて、猛スピードで雪道を駆けていて、何だ何だ?と目をぱちぱちさせたところで聡明な彼はすぐに状況を飲み込んだ。その時──。

ドォン、と低音が轟き地を張った。
お腹を抉るような振動にソリは揺れてチョッパーは足を止める。地震か?誰もがそう思ったけれど、随分高い場所でピンク色に光る巨大な影が背中を刺して、クルーもチョッパーもはっとして振り返った。

頭上5000メートル先に伸びるドラムロッキー。光に導かれるように顔を上げてみると、お城があったそこは大きな大きなピンク色の光に包まれていた。巨大なひかりを閉じ込め、まあるく膨張させた頭の部分から下に伸びるドラムロッキーはまるでそう……巨大な桜だった。

「すっげェっ!!」
「まあ…っなんって美しいの…!」
「あァ…」
「綺麗…」
「ええ…、」

この世のものとは思えないほどに神々しく咲く桜は、傷が深く残った名もなき国を優しく抱きしめるように包み込んでいく。何度も何度もフラスコの中で夢を見た光景。チョッパーは小さく体を戻して、ふらふらとソリの後ろの方へと歩み寄り、誰よりも近くでその桜を遠望する。

『これがおれの30年をかけて出した答えさ!』
『いいか…!? この赤い塵はな ただの塵じゃねェ! 大気中で白い雪に付着して…そりゃあもう鮮やかな ピンク色の雪を降らせるのさ!』

冬島に咲く奇跡の桜を真下で見ていたドクトリーヌは、彼の最期の記憶を思い出していた。
死を迎えに行く前に手渡されたのが“この国の治療薬”だった。包みに入ったものを手に乗せられたとき、なんであたしがこんなものを受け継がなきゃならないんだい?と酷く眉根を寄せたけれど…。
長生きはしてみるもんだね、とサングラスの中でじわりと涙を浮かべて桜を仰ぐ。

「ヒッヒッヒッヒ、あのバカの考えてることは理解できないよ…」
「なんて幻想的な…!」

ひらひら舞うひかりにそっと触れてみる。遠くでチョッパーの泣き声が聞こえてきた。
海賊になるってのに、やっぱりお前は泣き虫じゃないか。悪態つきながらも、ドクトリーヌもポロリと涙をこぼして鼻を啜る。ウオオオオオ、か細く聞こえる泣き声は止む気配を認められない。
この桜が咲いているうちに出航しちまいな。ドクトリーヌはそんな思いを抱きフッと笑みを描いた。

「行っといで、バカ息子…」


TO BE CONTINUED 原作153話-91話



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