119、雪山の冒険


 ドルトンにお肉を分けてもらい、三つほど胃の中に収め、残りをサンジのリュックに詰め込むとルフィはご機嫌に笑みを浮かべて外に出た。

 そうして、大切なナミさんを放っておけるわけもなく「おれも行く!」と迷うことなく決意を決めたサンジがナミをお姫様抱っこをして追って出て、ルフィの背中にそっと乗せる。外はやはり雪国特有の凍てつく風が吹いていて、全身をびゅうと駆け抜けた。

「ナミ…本当に大丈夫…?」
「いいか? ルフィ。一度でも転べばナミは死ぬと思え」
「え〜一度でもか?」
「そうよ、ルフィくん。ナミにとってはほんの僅かな衝撃でも吸収はその何倍になって帰ってくるの」
「んー、分かった」
「ルフィさん、動かないで。ちゃんと縛っとかなきゃ…」

 背中でぐったりと眠っているナミと、ウソップとアリエラの忠告に難しい顔をしているルフィを布でぐるぐるに巻いて、ビビはしゃがみこんでキツく結んだ。

「よし、これでいいわ。じゃあ、私は待たせてもらうわ、かえって足引っ張っちゃうし」
「おれも!」
「わたしも行きたい気持ちは山々だけど…ルフィくんとサンジくんに迷惑をかけちゃいそうだから…何もできないでごめんね、ナミ」

 ルフィの背中に近づいて、アリエラはそっと柳眉を下げた。苦しそうに荒い息を吐いている仲間の、親友の苦しみを取り除くことはもちろん、病院に付き添うこともできないなんて。ただ見ていることしかできない自分が悔しくて下唇を噛むと、低い声が頭上で弾けた。

「アリエラちゃん。ナミさんはおれとルフィに任せな」
「サンジくん」
「大丈夫。絶対に医者に診てもらうからさ。そんな悲しい顔しないで帰りを待っててくれたら嬉しいな。きっとナミさんもそう望んでるぜ?」
「…ふふ、うん!」
「うん、やっぱりアリエラちゃんは笑顔が一番だな」
「えへへ、ありがとう。サンジくん」

 声をかける前、アリエラの小さな肩にぽん、と手を置こうとしたけれどすぐに引っ込めたのはあまりの恋しさに火傷してしまいそうだったから。ああ、もう戻れないほどに彼女に落ちてしまっている。

「じゃあ、行ってくる!  ナミ、しっかり掴んどけよ」

 背中のナミに声をかけるが、何も言わない。体力が限界で意識を保つことができないようだ。ただ熱い息をこぼすだけで、きっと自分が今どんな状況にいるのかも理解していないだろう。そんな重病なナミの様子と、行く気満々なルフィの様子を交互見ていたドルトンは重たそうに唇を開けた。

「…本気で行くのなら止めないが、せめて反対側の山から行くといい。ここからのコースには“ラパーン”がいる」
「ラパーン?」
「うさぎさん…?」
「ただのうさぎじゃない。肉食の凶暴なうさぎだ。集団に出くわしたら命はないだろう」
「「ええっ!」」

 雪山は未知で険しく、寒さを凌ぐために筋力を蓄えた生き物も生息しているとよく聞くが、そんなにも凶暴な動物がいるなんて。想定外の話にアリエラとウソップとビビはあんぐりと大きな口を開けて肩を震わせたが、ルフィとサンジはふーんとお気軽に捉えていた。

「反対の山って遠いだろ。急いでんだ。平気だろ?  なあ、サンジ」
「あァ。蹴る!」
「け、蹴るってバカな…っ、死にに行くようなもんだぞ!?」
「ふふ。ドルトンさん、強〜〜いサンジくんがいるから平気です。ね、ルフィくん、サンジくん!」
「もっちろんさ、アリエラちゃん。おれは死んでもナミさんをお守りするぜ!」
「おう! じゃあ行くか、サンジ!  ナミが死ぬ前に〜♪」
「てめェ!  縁起でもねェこと言うな、クソ野郎!!」

 ナミを背負ったままにこやかに走り出したルフィの後ろを、サンジは怒りを浮かべながら駆けていく。二人が選んだのは、このまま真っ直ぐ山道へと行ける直線ルート。ラパーンを物ともせずに走っている二人の背中をドルトンは呆然と見つめ、残った三人に心配そうな瞳を向けた。

「本当に大丈夫かね…?」
「ええ。ルフィくんとサンジくんは絶対に大丈夫…」
「あァ。二人は心配いらねェんだが…」
「問題はナミさんの体力がついていくか…。無事だといいけど…」
「…ナミ、どうか無事でいて…」

 彼らの遠のいていく背中を焼き付けて、アリエラは目を閉じ胸の前でぎゅっと手を組んだ。あの頂上までナミの体力が持ちますように。ナミの命が助かりますように。長いまつ毛を伏せているアリエラに倣い、ウソップとビビも手を合わせて祈りを向けた。

 その様子をドルトンはじっと見つめている。三人とも寒さに鼻と耳が真っ赤だ。今日は特別冷える日で、このまま外にいさせるわけもいなく、ドルトンは踵を返して自宅のドアをそっと開いた。だが、お祈りを終わらせた三人はこちらの音に反応を見せずにじっともう見えなくなってしまった三人の背中を見つめたままだ。

「どうした、キミたち。外は冷える。中に入りたまえ」
「あ、いいです。私は…外にいたから」
「おれも!」
「わたしも。彼らが必死な中、ぬくもっていられないわ」

 足を引っ張ってしまうから一緒には行けない彼ら。本当はナミを医者に送りたい気持ちでいっぱいなのだ。強い絆がひしひしと伝わってきて、相手は海賊なのにドルトンの胸を熱くさせた。ふっと笑みを浮かべた彼はがちゃんとドアを閉めて三人の後ろ、雪絨毯の上にどかっと腰をおろす。重たい音に惹かれて視線を這わせてみれば、優しい笑みを浮かべてこちらを見つめている彼と目があった。

「え…?」
「私も付き合おう」
「…ふふっ」

 たった一時間前に会った、海賊のために寒さを我慢して一緒に待ってくれるなんて。やっぱり“罪深い男”には言えなくて、ビビは首を傾げた。これは悪事を働いたという意味ではなく、聖人すぎる意味なのかと思ったが、そうだとしたら自分で口にはしないだろう。

「身体の芯まで冷えるわねぇ」
「ああ…、ううっ、シロップ村は年中春の気温だったから堪えるなァ…」
「…昔はいたんだよ」

 考え事をしながらなんとなく隣二人の会話を耳に挟んでいると、ボンヤリとドラムロッキーを眺めていたドルトンが脈絡なしに冷え切った空気に低音をこぼした。そこには怒りに似た憂いが重なって見えて、ビビは思考を解き目を見張る。

「医者さ。訳あって全員いなくなったんだ。どれも優秀な医者ばかりだった…。実際医療先進国と言われていたくらいだからな」
「まあ、そんなにも優秀なお医者様がいらしたのね」
「それが…なぜ?」
「…この国はほんの数ヶ月前に一度滅びている…。海賊の手によって」
「「ええッ!?」」

 訪れた町はここ、ビッグホーンだけだがどの家もしっかりと綺麗なまま立っていて一つの荒れも見受けられなかった。だけれど、最初の海賊への異常な敵視はそういうことだったのかと頷きさせる点も確かにある。

「それでおれ達にあんなに過敏に…」
「そうだ。みんな、まだ海賊と聞くとどうもね。キミ達にはすまなかった…」
「いいえ、海賊ですもの。ドルトンさん達に何にも非はないです。けど、一体どんな海賊に襲われたんですか?」
「…たった五人の海賊だった」
「ご、五人!?」
「船長は黒ひげと名乗り、我らにとって絶望的な力でこの国を瞬く間に滅ぼしていった…」
「うそでしょ…」
「黒ひげ…」
「聞いたことのないお名前ね…。そんなにも強い海賊なら手配書で見たことあるはずだけど…」

 たった五人の海賊が国を滅亡にまねくなんて…余程一人一人の戦闘能力が高いとほぼ不可能な事実。ここは偉大なる航路だということをいやでも実感してしまう。船長は海賊王を目指しているから、きっと対峙することだってこの先あるだろう…。寒さと恐怖が入り混じり、ウソップは身体をブルリと震わせた。

「だが、この国の者はそれでよかったという者もいるんだよ」
「え…っ、国が潰れて…いいわけないじゃない!」

 今、まさにその運命を背負っているビビはそこに過剰に反応してしまい両拳を作って腹から声を出したところではっとした。優しい瞳をこちらに向けているドルトンが不思議そうな顔をしたから。アラバスタの王女だとバレてはならないから、ビビはあ…、と小さく声をこぼして瞳を伏せる。そこから何かを察した彼は「ありがとう」と呟き、微笑むだけで何も追求はしなかった。

 ビビの隣でアリエラは正反対のことを考えている。
 これまでエトワールとしてあらゆる国と政治を見てきた。ビビのように国を愛している王族はどちらかと言えば貴重な存在だということをアリエラは知っている。この世の宝、絶世の美女と暮らすために国をも差し出す王族がいたのは一人ではない。当然、一人の少女に国を明け渡すような王室が治める王政は目も当てられないようなものだった。

「…この国の王様がまともな政治をしていなかったのね」
「…あァ、そうだ…。それまでの国の王政が国民にとってあまりにも悲惨なものだった…。元の国の名は“ドラム王国”…国王の名は“ワポル”! 最低の国王だった…ッ!」
「「ええ…ッ!?」」

 ワポル。その名はつい最近耳にしたものだったから三人の脳はすぐにその名と人物を結びつけてくれた。まさか、あの船を食べ始めたおかしな人が国王だったとは──。
 大きく口を開けて驚きを見せるアリエラとウソップに隣で、ビビはもっともっと古い記憶の追憶に成功して、かっと大きな目を見開かせた。

「そうだ、あの人! 思い出した…!」
「ワポル…」
「ね、おかしな方だったものね」

 隣のビビの顔に視線を向けると、彼女は驚愕を湛えていて。アリエラはきょとりと青い瞳を回して首を傾げた。


   ◇ ◇ ◇




「寒くなってきたな。風が出てきた」
「あァ。標高が高ェから登に連れてグッと冷え込むぞ」

 坂になっている雪の山道を走りながら、ルフィは同じペースで走っているサンジに告げた。腕を大きく動かしながらサンジはちらりと船長の衣装を横目見る。流石に上はコートを着込んでいるが下はいつもと同じみの膝丈ジーンズに草履に裸足だ。足は雪を踏みつけているから悴んでいるだろう。煙草を揺らして、サンジは難しそうな表情を作った。

「…何でお前裸足なんだよ。見てるこっちが痛ェ」
「それはおれのポリスーだからだ!」
「ポリスーってなんだよ!  ポリシーだろ!」
「そうなんだよ〜」

 けらりと笑うルフィは痛みも何も感じていないみたいで楽しそうだ。プレーントゥを履いているサンジの足はもう冷え切っているというのに、凍傷しないか心配が過ったがま、ゴムだしな。と全心配を推しであるナミさんに切り替えた。
 颯爽と走る二人の姿を見ている白い影がずっと上の木々の茂みでのぞいているが、二人は気づいていないのか足を緩めることはない。

「それよりサンジ知ってるか?  雪国の人は寝ねェんだ」
「あ?  何で」
「だって、寝たら死ぬもん」
「バカ言え!  そんな寝ねェ人間がいるかよ!」
「本当だよ、人から聞いたんだ」

 昔い聞いた話を脳裏で手繰りながら話すルフィに耳を傾けていると、二人の真横の茂みからシロクマのような大きなもこもこの動物が飛び出てきてサンジを襲ったが、ひょいと頭を下げられてキックを入れることは失敗に終わった。

「ウソップか?」
「違ェ!  酒場のおっさんからだ!」
「じゃあ、なんでドルトンってやつの家にベッドがあるんだよ?」
「ああ、それもそうだな!」

 もう一度、今度はルフィ目掛けて突撃してきたが話に笑みを浮かべながらまたひょいと綺麗に避ける。ナミにも負担はかかっていないだろう。

「うーん…死んだ時のために置いてんだろ」
「そんなわけねェだろ!」

 またこの船長は素っ頓狂なことを言いやがる。と声を荒げたサンジはその勢いのまま飛び交う巨大ウサギを蹴り飛ばし、大人しくさせる。ふわりと着地すると同時に、雪国という単語の糸に引かれる話が脳裏を揺蕩った。これは確か、幼い頃コック達に聞いた話だ。

「じゃあ、お前これ知ってるか?」
「なに?」
「雪国の女は肌がすべすべなんだ」
「なんで?」
「そりゃあ決まってんだろ。寒いとこう…肌を擦り合わせるからじゃねェか? それですべすべになっちまうんだ。透き通るような白い肌、それが雪国の女さ」
「へえ。白いのはなんでだろうな?」
「それは勿論、雪が肌に染み込んじまうからよ」
「へえ〜〜」

 少し前を行くルフィは不思議そうに短い返事をしたが、やっぱり腑に落ちなかったのだろう。

「お前って結構バカなんだな」
「てめェにだけは言われたくねェよ!!」

 雪国の女の子を思い浮かべてご機嫌だったサンジに、言葉のナイフが突き刺さり、しかも相手が相手だけに抉られて一瞬で頭に血が上り幸せ空想をぶち破った。これまでに出会ってきた人の中でトップ3に君臨しているルフィ。本当にてめェにだけは言われたくねェ!と怒りをぶつけるように煙草に火を付ける。サンジをここまでイラつかせるのにもう一つの理由があって──。
 またびゅん、と空を飛び交い強烈なパンチを撃ち込もうとする白いうさぎ。

「それに……さっきから鬱陶しいんだよ!!」
「なんだろうなぁ、あいつ」

 サンジに蹴り飛ばされたうさぎは綺麗に宙を舞ってきらーんと星を輝かせながら遠くへと飛んでいってしまった。あまり興味がないのか、ルフィはぼんやりと空を飛ぶふわふわを眺めている。そんな遭遇をしつつ、ドラムロッキーの麓へと続く山道の中間地点にまでたった10分で上り詰めることができた。
 やはり、標高が高くなるに連れて雪も険しさを増していく。町付近には見えなかった吹雪も時折吹くようだ。

「ナミさん、しっかり気を持つんだぜ。ちゃんと医者に連れていくからよ」
「しかし雪積もってんなあ〜」
「おい、ルフィそっと走れ。ナミさんの体にさわるだろ」

 雪の層も厚く、地面の深さがわからないからルフィはつい激しく足を動かしていてサンジの咎めにはっとし、持ち直した。大体、深さの感覚を掴めたから転けないようにもう一度走り出したところ、目の前に立ち塞がる大きな影にサンジとともに足を止めてゆっくりと顔を持ち上げた。


「何だよ、こいつら」
「白くてでけェからシロクマだ!  間違いねェ」

 真っ白な空気の中、ふう…と吐き出された紫煙は風に乗ってルフィの言うシロクマの元へと揺蕩っていく。まあ…シロクマみてェだよな。とサンジも胸のうちでうなずくが、間違いない。この何匹もいる大きなうさぎがドルトンの言っていた凶暴生物ラパーンなのだろう。 

 一体どのくらい凶暴なのだろうか。雪国に住む動物は身体を温めるため筋力が発達しているから危険性は必然と高くなるが、これまで海上レストランであらゆる客を相手にしてきたサンジにとっては屁でもないだろう。ナミに負担をかけさせないよう、ルフィの一歩前に出て、もう一度白い息とともに紫煙を吐き出した。

 それを威嚇と見做したラパーンたちは、ぴゅんと空を飛び、二人に攻撃を仕掛けてくる。

「うわ、飛んだ!」
「嘘だろ…!  何だ、この動きは…! ゴリラかよ!?」
「違う! シロクマだ!」
「ウサギだよ!」
「お前、今ゴリラって言ったじゃん」
「これがドルトンの言ってたラパーンに違ェねェ! で、この数かよ…!」

 襲いかかってきた二匹を除いても、まだ上には8匹近くいてサンジは短くなった煙草のフィルターをぎりっと噛んだ。こいつらに足止めされている暇は1秒もないのだ。一刻も早くあの山を登って医者にナミを診せなくては──。



 

TO BE CONTINUED 原作133話-80話




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