120、王と海賊


「キミたちワポルを知ってるのかね?」
「知ってるも何も、おれ達の船を襲ってきた海賊の名だ!」
「ナイフや木材をばくばく食べていたからお顔もとってもよく覚えているの」
「変わった奴だったよな。まあ、おれが追い払ってやったが! だが、今思い出して見ればドラム王国がどうとか言ってたよな」
「ええ。聞いたことのない国だったからスルーしちゃったけど…」
「…間違いないわ! 今はっきりと思い出した」

 顔を見合わせているアリエラとウソップの隣でずっと顎に手を置いて考え事をしていたビビは、徐に顔を持ち上げて眉根を寄せた。

「どうしたの? ビビちゃん」
「子どもの頃、連れられて行った王たちの会議で一度彼と会ってるの」
「まあ、もしかしてレヴェリーで? わたしもお勉強がてらに参加したことがあるの」
「え、そうなの? アリエラさんとも会ってるかもしれないのね。その年、少しトラブルを起こした王を覚えていない? 私、その時に──」
「…王たちの会議?」

 世界会議通称レヴェリーは4年に一度、国際統治機関“世界政府”に加盟している170カ国のうちから50カ国が参加し、さまざまな問題を話し合う会議のことである。参加できるのは原則的に王族のみだが、特別枠を設けられていてそこに入れる者は莫大な資産家かエルバート女学院のもう100年以上も空席だった花形の下に着くプルミエの4人の生徒たちだけなのだが…。海賊であるビビとアリエラが何故、そのような会議に同行できたのだろう。不思議そうにポツリとこぼしたドルトンにビビの心臓はドキンと飛び跳ねた。

「あ…っ、いや、その…っ、…! えっと、とにかく会いました! ワポルに!」
「え、ええ。ちょうど昨日の今頃の時間だったわね」
「昨日…!?」

 分厚いコートをめくって、黒い手袋のレースをそっと避けて腕時計に目を落とし、自然に空気を変えたつもりだったがドルトンはすごい勢いで食いついて、目を見開かせた。少し肩を震わせて、雪をぼうっと見つめている。

「…でも、どういうこと? 彼は王ではなく海賊を名乗ってたわ」
「まさか、海賊であり王様でもあるのかしら?  そんなお話をどこかの国で聞いたことがあるわ」
「…海賊などカモフラージュだろう…。ワポルはこの国に帰ろうとして海を彷徨っているに過ぎない…ッ、」
「じゃあ、あの船に乗っていた人たちはこの国を襲った黒ひげ海賊団に敵わず島を追われたのね…」

 ぎゅうっと胸の前で手を組んだビビの言葉に、ドルトンはぴくりと反応を示した。恨むように、何かを睨みつけるように瞳を尖らせて、ぎりっと奥歯を噛み締める。

「…敵わない…違う…!」
「え、?」
「あの時、ワポルの軍勢は戦おうとすらしなかった…! こともあろうに、海賊たちの強さを知った途端、あっさりと国を捨てたのだ!誰よりも早くワポルは逃げ出しのだ…っ、!」
「……っ」
「そんな…仮にも彼は王様だったのでしょう…!? 上に立つものが人々を見捨てるなんて…」
「そんなものだったのだ…奴にとって国とは。あれには国中が失望した…っ、これが一国の──」
「それが一国の王がやることなの!? 王が国を捨てるなんて……っ」

 ドルトンの悲痛を遮って、たまらなくなったビビは冷たい空気を切り裂くように怒りを吐露した。小さな肩は震え、吐く息は荒く、表情はきつく顰めている。彼女の熱い想いにアリエラとウソップも「ビビちゃん、ビビ…」と吐息とともにしんとした空気に綺麗な名をこぼし、ドルトンも驚いた瞳で少女を見つめた。国を想う心。ポニーテールの水色の髪。霧がかかった記憶の湖にふわりと風に押されて気高き幼き女の子が浮かび上がった。もしや、彼女は──。

「…その通りだ。だが、とにかくもうワポルの悪政は終わった。この島の国民は団結して新しい国を作ろうとしているのだ。だから、一番恐れているのはワポルの帰還に王政の復活。人々は今、それだけは避けねばならん。この島に平和な国を作るために…!」
「…きっとワポルは王の座を利用して不遜な行動ばかりしていたのね」

 そのような王に苦しめられている人々をこれまで幾多と見てきた。生まれた時から高い地位を持つ人はその地位に満足し、高みを目指そうとしない人が顕著に目立つ場合がある。そんな不遜を働く者は、その王のマントを脱いだら何にも持ってない人間ばかり。偉いのだと思い込んで何もしてこなかったからこそ、横暴で人の心を共鳴できないのだ。自由を失い、人権をも剥奪され、虐げられた人々は一体どのくらいいるだろうか。そういう人がいたら、エトワールのドレスをかぶって救いたいと卒業した今でも強く願うし、その人たちを一人残らず救うというのがもう一つのアリエラの密かな夢だった。

 長いまつ毛を伏せるアリエラにドルトンもまたビビに対するように思うことはある。先程の世界会議の発言、金髪碧眼のこの美貌。以前、ワポルが陶酔していたエトワールに違いない。と強く確信した。金銭的、海域的な問題で彼女に会うことはできなかったが、ワポルのために新聞などで見聞していたから彼女がしてきた行為はそれなりに知っている。エトワールが関わった王族貴族、大きいと国が悉く悪事を働いていたことを吹聴させられ、破滅に追いやられていたから、エトワールはそれを見切り、弱い者を救うために金を巻き上げていたのでは…?と感心の目を向けたこともあった。
 傾国と呼ばれ、絶するほどに美しいが裏の顔は致死量の毒を持つ夾竹桃の花のようだと比喩されていたエトワールが、こんなにも柔らかくて穏やかな人だとは。海賊になっていたとは…。ドルトンはほう…、と息をこぼし、ビビとアリエラを交互見た。



 そんな悪の噂をしていたそのとき、名もなき国から少し離れた海面に巨大な奇船が漂っていた。

「ワポル様!」
「何だ。麦わらの船を見つけたか?」
「違います。我が国を確認しました!」
「本当か!?」
「本当です!」

 それはメリー号を襲ったブリキング号だった。その中で、水平線を覗いていたチェスが巨大な山をたたえる島を発見し、王のワポルと共に歓喜の声をあげたのだった。


   ◇ ◇ ◇


「ん……」

 ドラムロッキーの麓で、ラパーンの群れと遭遇したルフィとサンジは互いに睨み合いながら対峙していた。グルル…と唸りに混じり、ルフィの背中で熱い吐息が溢れて、二人ははっとする。

「ナミ?」
「ナミさん?」
「…早く…、アラ…、バスタへ……」

 高熱にうなされ、意識が遠のいても尚、ナミはビビの心配をしていたみたいでこぼされた熱い言葉にルフィもサンジもぎょっとした。そんな時まで他人のことを考えられるなんて──。

「いいからお前は寝てろ。他のこと考えるな」
「自分の命が危ねェってのに……、ナミさんもう少しの辛抱だ」

 ナミのその心にサンジの胸は火がついて、口角を浮かべながらルフィの前に立ちはだかる。より、一刻も早くラパーンを支配しなければならなくなった。新しい煙草を取り出して、マッチをすると気分も引き締まる。一口大きく煙草を吸い込むと、サンジはぎろりと奴らをねめつけた。

「おれたちはあの城に行かなきゃならねェ。どけ、クソウサギ」
「来るぞ!」
「おう!」

 人間の言葉がわかるのだろうか。サンジの言葉に耳をぴくっとさせて、ラパーンは怒りに瞳を光らせた。さっきのジャンプ力を見ても、彼らは相当な体重を持っているだろう。その攻撃を受け止めたら背中のナミには相当な負荷がかかる。

「いいか、ルフィ。絶対にお前は手出すなよ」
「なんで?」
「バーカ。お前が攻撃をしたとしても受けたとしても、衝撃は全てナミさんにまで響いちまうだろ……ナミさん、死んじまうぜ…」
「ん…分かった、戦わねェ!」

 やはり、言葉がわかるのかラパーンはサンジではなく無抵抗のルフィにパンチを振るいはじめた。

「うわっ、でもこれどうやって避ければいいんだ!?」
「とにかく避け続けろ! でも引くな!」
「難しいぞ、それ!」

 ルフィを諦め、サンジの背後に隙ありと寄ってきたラパーン。瞬時に気配を察知したサンジは、後ろに影が忍び寄ったと同時に「“腹肉(フランシェ)シュート”」をお見舞いしたが、威力はいつもより若干落ちている。

「くそ、いちいち雪に足取られてちゃろくな蹴り入れられねェな」

 眉根を寄せて足についた雪を払うサンジに、仲間意識の高いラパーンはかちんときたようだ。奥からも出てきた6匹も足されて大きな数となった彼らは赤い瞳を尖らせて目下を睨みつける。

「…、とりあえず逃げるぞ!」
「来たァ! 一気に!!」
「とにかく森へ逃げろ! 援護する!」
「おう!」

 一斉に飛びかかってきたラパーンを片付けられるわけもなく、サンジはルフィの後ろについて森へと駆けて行くがやはり雪が邪魔してスムーズに走れない。

「何とか振り切るんだ、こいつらと戦ってたら日が暮れちまう!」
「うわ!」

 こちらに向かってパンチを振るうラパーンを避けていたら、ルフィは短く声をあげた。キックを入れてきたラパーンに向けて反射的に蹴り避けようとしたところ、瞬時に自分の前のラパーンを蹴り飛ばしたサンジの手に伸ばした足を押さえつけられた。

「おいバカ野郎! 攻撃すんなって言っただろうが!」
「ごめーん…」
「こりゃ冗談じゃねェんだぞ!」

 ルフィの代わりにラパーンを蹴り飛ばしたサンジに急かされ、ルフィはただ走ってひたすら山を目指す。

「サンジ! 上行ってるぞ!」
「よし、先登れ!」

 襲いかかってくる三匹を瞬時に器用に蹴り飛ばして、サンジは残った数匹を残したまま走り続けるルフィの後ろを追っていく。が、それをラパーンが許すわけがなく二人の後を追って猛ダッシュしてきた。

「来たーーっ!」
「とにかく逃げろ! 頂上に!」

 もうこうなれば逃げの一手だ。いちいち相手していたらキリがない。大きく腕を動かし、二人は避けるだけの相手をしながらただひたすら上を目指して疾走していく。


   ◇ ◇ ◇


 さっきよりもひとつまみ、ややあってふたつまみほど雪が降りはじめてぴゅうと吹き抜ける風は身体の芯から冷えていく。ウソップは寒さにぶるりと身を震わせて自分を包み込んだ。

「さっきよりもすげェな」
「ええ。またグッと冷え込んだわね。ナミは無事かしら…ナミ…」
「…ナミさん、どうか無事でいて…」

 長いまつ毛を伏せて腕を組むアリエラとビビの祈りは風に乗って、ルフィとサンジの元に届けられる。やはり、海賊と称するには違和感のあるメンバーにドルトンの疑問は拭えなく、隠そうとしているビビには触れずにアリエラに顔を向けてそっと口を開いた。

「…不快な質問だったら答えなくて構わないが、キミは…エルバート女学院のエトワールではないか?」
「え…? ええ、そうですわ」

 鼓膜を揺らした低い声に、アリエラは祈りをやめてあぐらをかいている彼に目を向ける。相手が名前も知らない堅気や貴族や王族に世界政府だったら秘密にしておきたい事項だが、相手は誠意を持っているドルトンだ。アリエラは迷わずにこくりと頷いた。

「やはり…。命があって何よりだ。私はてっきり…その、言い方が悪いが命を取られてしまったのかと…」
「ふふ、ご心配をおかけしちゃったかしら。それにしても、わたしがエトワールだとよく…」
「ああ…人よりもそういった世界に触れる機会が多かったものでな」
「そりゃそうだ、アリエラ。金髪碧眼にその顔。バレねェ方が無理あるぜ」
「お化粧も声のトーンもかなり変えていたから分からないと思うのになあ…」

 うん、と難しい顔をして口元に人差し指を置くアリエラとウソップを交互見て、やはり思うことはある。彼らは全くと言っていいほど悪になりきれていない。そもそも、海賊という肩書きが浮いているほどに潔白というものを感じてしまう。

「…君たちは一体何者なんだね?」
「何者って?」
「船医もいずにたった7人でグランドラインを渡ってるって…あまりにも無謀だ」
「おれ達は海賊さ。だからあんたらも銃を向けたんだろ。まあ、人数は少ないけどよ。この勇敢なるウソップ様がいれば問題はない!」
「うふふっ、ウソップ様さすがだわ!」
「ほお、そうか」
「でも、確かに医者は欲しいなぁ。必要な分野だもんな」
「ええ。うちには怪我する人がいっぱいいるから」
「それが山の魔女一人とはなァ…」

 困ったように眉を下げてお互い顔を見合わせるアリエラとウソップ。
 もしアラバスタに船医になってくれる者が現れたら…と考えても、一国の王女が海賊と関わりを持っていたなんて国民に知らせるわけにもいかないし、海賊を隠して勧誘するのは脅迫と一緒だ。そんなせこいこと船長が許さないだろう。

 ──不思議な組み合わせだ。どうも私たちが想像する海賊とは違うようだ。

 まだ幼さの残る青年に世の宝と称される花形と気高き王女の悩んでいる姿にやっぱり違和感という文字がドルトンの中で渦巻いていた。仲間であるルフィとサンジにもそれは感じるもので、世にはいろんな海賊がいるもんだ、と無理矢理結論付けようとすると、ずっしりと雪の踏む音が背後で響いた。

「ドルトンさん!」
「うわっ、一礼!」
「またウソップったら…彼女はレディーよ」

 にこやかな笑顔を浮かべてやってきたのは、さっき顔を合わせた買い物帰りの主婦だった。またハイキングベアと勘違いしたウソップは綺麗に頭を下げている。それにアリエラは失礼よ、と呆れ顔だ。

「あなた、Dr.くれはを探しているんですって?」
「ええ、その通りですが…病人はもう」
「ちょうど今、隣町のココアウィードに来ているらしいのよ」
「「……なんですとーーッ!?」」

 あの背の高いドラムロッキーを目指してナミはルフィに背負われて行ったというのに…。あまりの事実に四人とも目が点になっている。このまま城に向かってもナミはすぐに診てもらえないだろう。

「それじゃ入れ違いかよおーっ!」
「今回は運がないわね、わたしたち」

 激しく眉を下げてる二人の悲痛を耳に入れるとドルトンはすぐに立ち上がり、雪羊が引いてくれるソリを出してアリエラたちを後ろに乗せ、ココアウィードに続く行き道を走らせていく。よく乗っていた馬車とはまた随分乗り心地が違って、アリエラは滑るように進むスピードに飛ばされないようぎゅうっと前席を掴む。そこに座り、雪羊を操っているドルトンの面持ちは険しく、後ろの海賊達を横目で見つめてボソリとこぼす。

「……すまん。私のミスだ」
「え?」
「昨日、ドクトリーヌが山から降りてきたという情報があったのだ。それでもう数日は下山しないと見込んでいたのだが…」
「気にすんな。あんたのせいじゃねェ」
「そうですわ、ドルトンさん」

 出会ったばかりの海賊に対して、自分にはどうにもできなかったミスを素直に詫びるなんて、なんて責任感のある人だろう。とビビは彼の大きな後ろ姿を見つめていた。誰にでもできることじゃない。彼は人の上に立つべき人物だ。王女としても強くそう思い、ビビの王女心を締め付ける。

「問題はあの二人の異常な体力だ。 おれ達が今から雪山へ向かったところでとても追いつけねェよ」
「ええ。きっともう麓にたどり着いた頃だわ。わたし達がそこへ着いた時にはもうお城に入っているはずだもの」
「だからそのココアウィードっていう町に魔女がいるなら頼んで急いで城へ帰ってもらおう!」
「そうね、それ以外の方法はないわ!」

 これがナミを医者に診せる最短ルートだろう。
 三人頷きあって、魔女がいるという町である前方を見渡すとドルトンがゆったりと頭を下げた。引いているロープは力強く、怒りをぶつけるように握られている。

「……許してくれ…」

 苦渋の色に濡れた言葉は、思いも寄らないもので三人はくるりと瞳を丸めた。背中で不思議を含んだ空気を感じ取ったドルトンは乾燥し切った唇をきつく結び、解くと、重たい声を冷えた空気に落とす。

「医者もままならないこの国を…」
「そんな、別にドルトンさんが謝ることじゃないわ!」
「そうだぜ!」
「ドルトンさん、あなたのせいじゃないです。謝らないでください」

 背中を撫でる温かな声に、ドルトンはやはり…。と思う。彼らは海賊と名乗るには違和感を覚えるほどに人が良すぎるのだ。これじゃあ、つい最近まで王座に鎮座していたあいつの方がよっぽど海賊だ。苦いものを噛み締めながら、雪羊にロープを打つと二匹はさらにスピードをあげてくれた。

「…急ごう!」

 隣にココアウィードの目印看板が見えた。このまま飛ばせば10分ほどで到着する旨を三人に告げると、彼らはほっとしたように口角を持ち上げた。まだお昼過ぎ、魔女は買い出しにでているかもしれないしお城は留守だった可能性は極めて高い。そう思えば、医者がすぐ近くにいるという位置情報はありがたいものだ。


 
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