5.働く者食うべからず

 千空が次に手にした物および人は、透明な砂を溶かし固めた"ガラス"と、村が誇る老齢の職人、カセキだった。彼は五十年に及ぶ技の経験値を持ち、初見のガラス細工を難なくこなし、あっという間に千空が注文した器の数々を作り上げた。
 同時期、クロムの科学倉庫のすぐそばに各容器の収納庫兼作業所が建てられ、千空によって"ラボ"と名付けられた。広い机、壁一面の器具、適度に外界を遮断する出入り口の幕。集中するための申し分ない環境が完成され、千空とクロムがそこに籠る頻度も少しずつ上がっていった。
 これに頭を抱えたのはミカゲである。彼らは食欲旺盛な男子にも関わらず、ラボ内での作業を優先しがちだった。食事は皆で取るものという持論および村の常識に則り、彼女はなるべく同じ時間帯に調理を済ませるのだが、男たちは学習しない。きりが悪いから、今いいところだから、そうやって言い訳を並べ呼びかけを拒む。食事と就寝時間を最優先した上で日々の科学クラフトに励みます、とついこの間彼女の前で誓ったというのに。

「千空ーー!クロムーー!ご飯よーー!」

 椀に鍋の中身を掬い入れながら、ミカゲが三度目の大声を上げた。しかし返事はない。
 言い訳すら返ってこなくなり、彼女の堪忍袋の緒はとうとうぷちりと切れた。

「……あぁもうあったま来た!先に食べててちょうだい!」
「は、はいなんだよ…!」

 頭から湯気を出さんばかりに怒りを露わにし、のしのしと足音を荒げる彼女を見送り、コハクが一言。

「ああなったミカゲはしばらく収まらんぞ…」

 ぴゃんと肩を震わせ、スイカが隣のカセキと怒りの背中を見比べた。

「あわわわわ…千空たち大丈夫なんだよ…?」
「ええんじゃよスイカ。期限を守ってこその仕事っちゅうのをあいつらは分かっとらんからの」
「おおカセキ、流石年季とはこのことだな」
「それにワシ、ミカゲちゃん怖いもーん」
「何だ、どっちなんだ…」

 話し込む千空とクロムの元にミカゲが到達する。すぐ背後に迫っていることに気づく様子のない二人がまた彼女の怒りを買う。
 両指、両腕を大きく広げ。それぞれの逆立つ髪をものともせず、ミカゲが彼らの後頭部を鷲掴んだ。

「!!?」
「ご、は、ん、よ!!」
「ヒィ!」
「いい加減にして!時間配分もろくに出来ないあなたたちの!一体どこが合理的なのかしらぁ!?」
「いででででで!」
「食いっぱぐれたくなければ今すぐ片付けを始めることね!…返事!」
「はいっ!」

 ぶんと乱暴に振りほどき、元来た道を再びのしのしと踏みしめていく。振り返り、その姿を眺める彼らの表情は呆然としたもので。クロムは加えて涙目になっていた。

「ヤベー…おっかねえ…」
「……」
「マジで飯抜きもありえっからな…行こうぜ千空」
「…あ゙ぁ」

 その後、土下座する勢いで滑り込み、何とか食事にありつくことを許されたクロムと千空だったが、片や興奮冷めやらぬ様子でミカゲに突っかかり、片や一切喋らず黙々と咀嚼を繰り返していた。

「…ったく、あんな急に掴みかかんなよな、ミカゲ!何か触ってたらヤベーことになるとこだぜ!」
「あら、私が悪者?何回も呼んだのに無視したのはあなたたちだし、さっきも言ったけど時間の使い方が下手なだけでしょう」
「ぐっ…」
「ほらおかわりは?」
「いる!ありがとうございます!」
「カセキもどう?」
「ちょこっとだけお願いするかの」
「ええ。…まだ少し残るわね。コハク、入れてもいい?」
「大丈夫だ」
「スイカはごちそうさまなんだよ!」
「ふふ、多めによそったのに全部食べてくれたのね、嬉しいわ。千空は…」

 かたり。静かに食器を下ろした千空に全員が注目した。
 ミカゲを射抜く細く重い眼差し。それは彼女の機嫌を今一度損ねかねないもので。

「ミカゲ」
「…なによ?」

 低い返事を意に介さず、彼は眼光を緩めないまま続けた。

「今回は全面的に俺らが悪かった。ただ、この先マジで危険なもんを扱うことが増える。だから作業中の俺らにいきなり触んのは今後一切やめてくれ」
「!」

 謝罪と、懇願とも取れそうな程の真剣な要請。初めて見る態度、物言いだった。
 自分の行動が軽はずみであったことを悟り、ミカゲは息を呑んでたまらずうつむいてしまう。

「……ごめんなさい、大人げないことをしてしまって。よく覚えておくから…」
「あ゙ぁ…俺らもどうしても間に合わねえ時はあらかじめ報告する」
「そうね、そうしてちょうだい…」
「……」
「……」

 沈黙。それを唐突に終わらせたのは、場違いに明るく出されたカセキの一声だった。

「さーて、それじゃ冷めちゃう前にいただくとするかの!」
「…うむ、そうだな!」
「ミカゲ」
「は、はい」
「……おかわり」
「…ええ、たくさん食べてね…」

*

 時はまた少し進み、ミカゲはカセキと共に川辺で食器を洗っていた。平らな岩の上に並べ、水気が切れるまでしばらく会話を交わす。

「カセキ…さっきはごめんなさいね」
「なんのなんの。悪いのはあいつらじゃない」
「まあ、それはそうなんだけど…。取り返しのつかないことになっていたかもって考えて…何も言えなくなってしまったから」
「あいつらもミカゲちゃんもアホじゃないからもうだーいじょぶよ。ほらほら、カワイ子ちゃんが台無しじゃぞい」
「そういうこと言う相手は私じゃないでしょう」
「笑顔の女の子はみーんなカワイ子ちゃんじゃもん」
「もう。……ありがとう、カセキ」
「惚れちゃってもいいんよ?」
「今ならげんこつ落としても大丈夫なのよねえ」
「オホー、ミカゲちゃんが一番手厳しいのを忘れとったわい」
「はいはい。後は私一人でやれるから…これだけ向こうに持っていって休んでちょうだい」

 器の半分を持たせて送り出し、ぺたりとその場に座り込んでため息。千空の真摯な言葉がまだ胸に刺さったままで、何とも言えない気分が続いていた。
 本当に危険なもの。眩しいだけの光で腰を抜かしてしまった苦い思い出と共に、その一単語が棘の正体だと理解する。この先さらに加速していくだろう日々の速さについていく自信があると言えば嘘になる。

(…だめだめ、皆を信じるって最初に決めたじゃない。あの子たちは何も知らない子どもじゃない…リスクのある物事にどう向き合うべきか、ちゃんと分かっているわ。私が信じなくちゃいけないのはそこなのよ…!)

 加速するということは、それだけ皆がそれぞれ成長するということ。スイカは口数が増え、ガラスの瞳、"眼鏡"を授けられてからより一層活動的になった。クロムは独りよがりな行動が減り、足並みを揃えられるようになった。コハクも思いつめる姿を見せなくなり、昔のように甘えてくる一方率先して作業に取り組む頼もしさがあった。

(私も置いてかれないようにしなくちゃ。そして皆で…ルリを救うの。誰かがじゃない。皆で…!)

 六人の半分、三組の椀。一つに重ねながらふと思う。
 千空はどうなのだろう。彼もクロムやコハクと同じ歳の少年だ。幼少期を知らないため気づけないだけで、きっと成長、変化を繰り返しているはず。付き合いが浅いという理由だけでそれらを見逃してしまうのはもったいない気がしていた。それだけすでに彼の存在は大きなものとなっていた。

(もっと知ってみたいわ…出来れば、内側の部分まで…)

 夜の鳥がほうと一鳴きし、ミカゲの意識が引き戻る。彼女は黒く口を開ける森の入り口を一瞥し、炎の明かりが灯る帰るべき住処を目指して歩んでいった。



  

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