28.HELLO NEW DAYS

 秋がいよいよ深まったその頃。千空たちはついに油田を発見し、大規模な石油採掘が始まった。
 気球による探索の功績は他にも多く、新たな狩場や上質な木材が植わる林、そして人類の歴史に常に在った主食、小麦が相次いで見つかっていた。小麦はすぐさま本陣へ届けられ、150人を養う畑を開墾し、すでに初めての収穫を終えていた。
 千空たち復活者がまず思い浮かべた小麦料理はパンだった。彼らは知識を頼りに再現を試みたが、結果は散々なものであり、本職の料理人を起こす運びになった。かつて龍水に仕えたフランソワという名の執事に白羽の矢が立ち、彼(なのか彼女なのか何故か公表されていない)は主人の願いを忠実に叶え、これ以降料理の質がさらに飛躍していくことになる。
 ミカゲは変わらず本陣で食に関わる仕事に携わっていた。ただし調理そのものよりその補助や雑務が主であり、あちこちの作業場に顔を出した。
 千空はそれを上手く利用し、幹部相手の日次報告と別に、時折彼女からも皆の様子を聞き出して、二人きりの時間を確保した。どちらも弁えているので個人的な語らいはわずかなものであったが、そもそもこうして互いの日々生きる様を知ることが、彼らにとって絆を確かめ合う大切な手段だった。

*

 ひとつ所に留まらないミカゲを探し出すのはそれなりの面倒ごとであったが、一流の仕事人たるフランソワは見事に成し遂げていた。

「ミカゲ様。今話しかけても大丈夫でしょうか」
「ああ、フランソワ…私にご用?」
「はい。大切なお話がございます。場所を変えてもよろしいでしょうか」
「え、ええ…」
「ありがとうございます。では…」

 恭しい彼の態度と内容の読めない話とやらに多少怯みながら、ミカゲが続く。ずいぶん歩き、二人は本陣の入り口に当たる集会広場までやって来た。そこにはルリの姿もあり、ミカゲと目を合わせて微笑みかけた。

「あの、フランソワ、話って…?」
「はい、お待たせ致しました。ミカゲ様…私はあなたをお迎えに参りました。今から私と共に石神村へ行き、拠点をそちらに移していただきたいのです」
「えっ!?」
「突然のことで申し訳ございません。しかし、確かにミカゲ様に対して召集がかけられました」
「わ、私が…!?」

 フランソワがうなずき、改めて一礼した。
 現在科学王国の幹部は村に集まっており、これまでも彼らの要請で人員の異動が何度もあった。しかし、突出した特技を持たず、大所帯の中でこそ存在感を放つようなミカゲが呼ばれることはないはずだった。それを本人もよく知り、そのためフランソワの説明に混乱してしまう。

「えっと、どうして私なのかしら…?それに、急に言われても、その、仕事がまだ片付いていないわ。だから待ってもらわないと」
「ご心配なく。皆様にはすでに話を通しております」
「そうなの!?…さっき色んな人にいってらっしゃいって言われたのはそういうこと…!?」

 なおも動揺する彼女の元へ、一つの足音が届いた。ルリだった。

「ミカゲ、あとは私たちに任せて。あなたはフランソワさんと行って下さい」
「ルリ…あなたも聞いてたの?」
「はい。ですから何も問題ありませんよ。コハクやスイカ、そして千空さんたちのこと、頼みますね」
「…でも、私…あなたと離れるのは…」

 にっこりとルリが笑顔となり、未だ不安げな親友を強く抱きしめた。

「大丈夫、いつでもまた会えますから」
「!……そう、ね、ありがとうルリ…!ええ、それじゃあ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」

 長い抱擁。それを解いた彼女たちの瞳は美しく光を反射していた。

「お待たせ、フランソワ。荷造りしてくるからもう少しだけ時間をもらえる?」
「ああ、ミカゲ、荷物ならもう積んでいますよ」
「!?」
「ごめんなさい、勝手にまとめちゃいました」
「なぁに、どこまで用意周到で急いでるの…。分かったわ、今すぐ出発なのね」
「恐れ入ります」

 フランソワが示した先には一台の自動車があった。それは"自走する船"から大きく進化を遂げ、人が座る席や荷台を備えた立派な佇まいとなっていた。
 ミカゲがルリに助けられつつそこに乗り込む。辺りを見回しながら、緊張した面持ちで座席の一つに収まると、見送りの人々が次々と集まってくる。

「ミカゲさん!お元気で!」
「ええ、あなたたちもね!ルリ、身体に気をつけるのよ!」
「ミカゲもですよ!」

 エンジンが点火され、森の茂みに阻まれるまでの短い間、彼女たちはずっと手を振り続けた。

*

 徒歩では二日近くかかるであろう距離を、自動車はたった数時間で駆け抜けた。底から振動が伝わる未知の感覚にやや疲れた様子のミカゲだったが、それ以上に目まぐるしく変わる景色に興奮し、車が停まった後も口を笑顔の形に開き、見覚えのある周りを何度も確かめていた。

「お疲れ様でした。さあどうぞ、足元にお気をつけて」

 ドアを開き、直立したフランソワが軽く腕を広げ、頭を下げた。ミカゲが注意深く地面に降り立つのを見届けてから、ゆっくりと後方へ引いていく。
 ざく、ざく、ざく。

「……!」

 懐かしい音。懐かしい人影。ミカゲがこれまでと質の異なる笑みを見せ、駆けた。

「千空!」
「よう」

 離れた間に何度も聞いた挨拶は、今が一番優しかった。

「久しぶり…元気そうで安心したわ」
「ククク…定期的に話してたんだ、変わらずお元気一杯に決まってんだろ」
「ほんと、相変わらずね。ふふ…再会ってこんなものなのね。ねえ、コハクたちは?早く皆にも会いたいわ」
「あ゙ぁ、ちーと待ちやがれ」
「?」

 ざあ、と風が吹き抜けていく。頭上の木の葉で陰った千空が両手を腰に当て、静かに見つめてくる。

「話がある」
「なぁに?」

 小首を傾げる彼女の眼差しも柔らかく、改めて彼は何にも後悔を抱いていないと実感する。
 今でも科学が一番。けれど、そこに"彼女も一番"と付け加えても、何の違和感も、何の矛盾もない。

「ミカゲ。テメーがすぐそばにいるようになっても、俺の人生、これまでと大して変わりねえと思ってる。これが最終結論だ」
「…はい」

 その意図は掴めずとも、その意味を理解し、彼女はうなずいた。
 もう一度風が吹く。枝たちが大きく揺れ、その隙間から日の光が二人を照らす。
 とても愛おしい、とても小さな、彼らのためだけの空間。

「結婚しよう」

 差し出された右手。ミカゲの両目が少しだけ幅を広げ、それから一気に細くなる。
 重なる右手。千空の長い眉が少しだけ歪む。
 不思議と衝撃を受けることはなく、彼の言葉は透き通る水になってこくりと飲み込まれ、彼女の内へ染み渡った。そして、彼女からも湧き出たそれと混じり合い、ほんの少しだけ溢れ、瞳を濡らして一筋静かに流れていった。

「はい…!」

 彼の方がよっぽど泣きそうに表情を大きく崩し、あと一歩を踏み込んだ。肘を折り曲げ、繋いだ温もりを互いで包み、千空は彼女の肩に、ミカゲは彼の腰にそれぞれ触れてから額を合わせた。
 永遠に、いいや、それはとてももったいない。だから、時が止まってほしいのはあともう少しだけ。
 そう願っていたのに。

「……うっ、うっ、うえぇ…!」
「…あ゙?」
「え?」

 覚えのない場所から覚えのある声質の呻き声が聞こえ、千空とミカゲの血の気は同時に引いていた。

「せっ、千空ぅ…ミカゲ……おっ、おめ、おめでどう…!!」
「コハク!?えっ、嘘でしょう!?」
「みーんないるんだなーこれが!」
「ゲン!?」
「マ、ジ、か、オイ…」

 まず涙と鼻水をべしょべしょとすするコハクが、次に両手をピースサインに作ったゲンが、その後も続々と各木陰から人々が姿を現した。覚悟以上の多さに二人の口角は引きつっている。クロムやカセキ、スイカに留まらず、ジャスパーにターコイズに羽京、果ては二人と一切関わりのない龍水や情報担当の元記者、南まで揃っていた。

「ゲンテメー!俺が迎えに行くっつって念押ししただろうが!」
「そうね。そんでおめでたい瞬間は皆で立ち会わなきゃ、でしょ?」
「〜〜〜!!」
「あはは、これだけ居たのにバレないものだね…」
「おぅ千空、俺は恋愛っつうのはよく分かんねえけどよ、さっきのはすっげえかっこよかったぜ!」
「そうなんだよ!ミカゲおねえちゃんもおむこさんが見つかってよかったんだよ〜!」
「オホー!まさか主があーんな情熱的にストレートに決めちゃうとはの!」
「好き勝手言ってんじゃねえぞテメーら!後で見物料徴収すっからな!」
「はっはー!任せろ、俺が祝儀としてまとめて出してやろう!ついでに式典諸々に使う燃料の石油も持っていけ!」
「ほーん、聞いたぞ」
「男に二言はない!」
「千空ちゃんナイッスゥ〜」

 やけになったのか、そもそも恥じるでもないと思い直したのか、途中から千空の態度は普段と変わりないものに戻っていた。それに引きずられ、ミカゲもこらえきれず笑い声を上げた。

「あっははは!もう、おかしくなってきちゃったわ!」
「えっと、大丈夫?ミカゲちゃん…」
「いいわよ、前の時もこんなだったんだから。千空ー!今回は離婚なんて言わないでちょうだいねー!」
「言うかバカ!!」
「ほら、十分過ぎる程幸せよ」
「うん…よかった、ご馳走様」

 羽京と笑い合い、コハクに泣きつかれ、ミカゲの瞳から本人にも気づかれず、もう一粒だけ涙が落ちていった。
 これこそが彼女の望んだ日々。途切れることはないだろう。何故なら彼女も千空も手放すつもりはさらさらなく、失わないための努力を決して怠らないはずだから。
 いよいよ収集がつかなくなりそうだったこの場を締めたのは千空の一声だった。

「あ゙ー解散だ解散!!とっとと散りやがれ!オラ来い、ミカゲ!」
「あっ、どこへ行くのだ千空!?早速話し合うことがめっぽう生まれたというのに!」
「挨拶だよ!」
「!そうか…ああ分かった、皆で待っている!」
「あと細けえことはそこのクソ詐欺メンタリストに全部やらせとけ!」
「まっかせて〜!そんで詐欺はドイヒーねえ」
「全員共犯者だよ、ゲン」
「さーてそんじゃ龍水ちゃんから搾れるだけ搾り取っちゃうとしますか」
「うんそれは間違いなく詐欺だね…」
「おっと、その前に我らが科学王国リーダーのご成婚を向こうに報せなきゃ。あー忙しい忙しい…♪」

 まだまだ好き勝手に騒ぐ一同を振り切り、ようやく千空とミカゲは本物の二人きりとなって、彼らの家族が待つ場へ急ぐ。

「あ゙ー…あそこまで全部筒抜けとはな…なっさけねえ」
「そんなことないわ。皆にずっと助けられて、ここまで来れたんだから、私たち…」
「……」
「ねえ、千空」

 ミカゲが足を緩め、止まり、彼と向かい合う。両手を取って親指の腹でひと撫でし、握った。

「ありがとう」
「あ?何がだよ」
「そうね…うーん……そう、何がって、特定出来ないわね」
「そーかい。んじゃ俺は……まあ、俺もありがとう、か」
「ふふ、そう。いい感じじゃない」
「ほーん?」
「これからも仲良くやっていきましょ。ね?」
「!ククク、ああ、だな」

 見つめ合って、並んで前を向いて、繋がる温もりを証として。
 そうして彼らはちょうど二人分の幅の道を、歩みを揃えて踏みしめていった。





あとがき



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