22.TIME LIMIT

 新しい生活も軌道に乗り、ミカゲは食糧庫の管理者の一人に任ぜられた。この世界で3700年を生き抜いた石神村の知識を持つことに加え、それなりに複雑な算術まで学んでいることから選出された経緯があり、面倒見のよい性格と人々を取りまとめる経験が相まって、早くも支持を集めていた。
 食事の場が各所に散るようになったため、配膳もひと仕事である。ただ彼女の性に合っているようで、常にあちこちを巡っては叱咤激励を飛ばしている。表立ってもそうでなくても、母のようだ、姐さんなどと言われ、本人もまんざらでもない様子だった。

「ただいまー」
「あっ、お疲れ様っす」
「早速悪いんだけど、これ洗うのお願いしていいかしら?」
「了解っす!」
「ありがとう、助かるわ」
「ミカゲさーん、新しいお椀、頼んだ数きっちり届きましたよー!」
「はーい!じゃあ行くわね」
「ミカゲさんすいませーん!」
「はいはいなぁにー!?」

 息つく暇なく呼び立てられ、それでも彼女の表情は明るかった。
 最後に声を上げた男の元、事務作業用の小屋まで急ぐ。

「えっと、ミカゲさんに用があるそうで」
「誰か来ているの?」

 一歩中に進むと、そこにはスイカが立っていた。慣れない場所のせいか、やや不安げに胸の前で荷物をしっかと抱きしめている。

「あらスイカ!どうしたの、一人でこんなところまで」

 ミカゲが目の前でしゃがみ込むと、スイカは安心したようで口元を綻ばせた。

「カ、カセキからおとどけものなんだよ!」
「カセキ?ええと、何だったかしら…開けるわね。……ああはいはい、確かこれ、"そろばん"っていうのよね」

 立ち上がり、外の男を呼ぶ。大元の依頼主は彼であり、出来上がった品を一目見るなり歓声を上げた。珍しいもの見たさにわらわらと人が集まってくる。

「これで合ってる?」
「はい!……うわぁ…あのままだ……」
「ほら見てスイカ、すごいわね」
「何につかうんだよ…?」
「そうだなあ、たくさんの種類の食材を素早く数える、とかかな。150人分の蓄えが毎日出たり入ったり、目まぐるしいからね」
「じゃあそれがあれば千空みたいになれるんだよ!?」
「いや〜流石にあそこまでは難しいかな…」
「……」

 ミカゲがスイカの手を取った。

「おつかいご苦労様。お駄賃あげるわ。私も少し休憩してくるわね」
「いってらっしゃい」

 食糧庫の中にスイカを連れ入れ、干した果物を少量分けてもらう。それから裏手に回り、壁を背に並んで腰を下ろした。

「はいどうぞ」
「ありがとうなんだよ」

 甘味に無邪気に笑う彼女を見守り、ミカゲは優しく目尻を下げていた。

「…そういえば、もしかして長く待たせてしまったかしら。さっきまでずっと出ていたから」
「ううん、待ったのはちょっとだけなんだよ。でも、ここに来るまでにいろんなとこさがしたんだよ」
「あら…それは余計にごめんなさいだわ」
「ミカゲおねえちゃん、ずっと千空のおてつだいしてたのにもうやめちゃったの?」
「!!……そう、ね。今のあの人のお仕事は船の難しいことばかりでしょう?私では役に立てそうにないもの」
「?ゲンやコハクができてるから、ミカゲおねえちゃんもだいじょうぶだとスイカは思うんだよ?」
「……」

 分厚いレンズの奥から純真な眼差しが届く。考え込むふりをして、逃げてしまった。
 全てに理由をつけて、ゆっくりとゆっくりと離れていったから、不自然な行動にはなり得ない。それでもやはり、最初期の仲間たちには違和感を与えてしまうのだろう。
 それも今のうち。もうまもなく、日常の一つとして流れていくはず。

「…そう。まあ…私はその…色んな人と会ってお話ししなくちゃいけないの。あの人のところにばかりいたら出来ないからね。だから新しいお仕事に就いたのよ」
「おはなし?」

 すう、と一つ吸って、長く息を止めた。

「そろそろお婿さんを探さないと」
「えっ!?ミカゲおねえちゃん、結婚するの!?」
「そうね、今すぐじゃないけど。元司帝国の仲間もたくさん増えたから…誰が私と合いそうか、自分でちゃんと見つけなくちゃ」

 どれだけの衝撃だったのだろう。スイカがぶるぶると全身を震わせている。それを見たミカゲが苦笑する。

「スイカにはまだちょっと早かったかしら」
「う、ううん!でも…でも結婚って、どうやってするんだよ…?」
「ねえ…?分からないわ、私にも…」
(だって…本来なら、親がほんのわずかな選択肢に指を差して終わりなんだもの…)

 おしゃべりは終わり。そういった意味を込めてミカゲが動いた。スイカも手を引いて立たせ、最後に言った。

「さあ、もう一つおつかいよ。カセキにお礼を伝えてくれる?」
「う、うん…」
「皆にもよろしくね」

 加減を誤ったのかもしれない。背を押されたスイカが一歩よろめき振り返る。ミカゲはぴたりと黙ったまま微笑んでいたので、彼女も何も言えず、一つうなずいて駆け出した。

「………はぁ」

 ため息と一緒に気力が抜けた。たまらず膝を曲げてへたり込んでしまう。
 とうとう口に出してしまった。とうとう他人に聞かせてしまった。ようやく正しい道へ一歩踏み出せたはずなのに、身体の内側が悲鳴を上げていた。
 叫んでいるのは恋心という名の種。粉々に砕かなければならないと、何度も何度も覚悟も決めないまま拳を振り上げては後ずさり、顔を覆っていなくなってくれたと思い込んだ。そうして種は深く奥へ逃げていき、しかし芽吹くことは許されず、みるみる腐って彼女を蝕んだ。

(あの雪の日からずいぶん経つのに、私は何も出来なかった。この気持ちを捨てたくないと思ってしまった。一番大切なあの人より自分を優先してしまった…!だって…だってっ…あの人が私の目を見てくれることが…幸せでたまらないんだもの…!!)

 一緒に笑ってくれた。頼ってくれた。見つめて、案じて、触れてくれた。
 その度に毒を孕んだまま生きてもいいと、何のためらいもなく思えたから。
 けれど。

(千空、あなたが好き。本当はあなたと家族になりたい。でも…私には時間がない。いつかあなたが妻を迎えるべき時にはきっと……私は子を産めなくなっているわ。私は父様と母様から授かった命を何としても繋がなければならないの…!このままじゃ、この先たくさんの人を傷つけてしまう…だから…!)

 必ず訪れる期限の前に、決めなければならないのに。

(あぁ……いや…傷つけるのはいや…あの人が他の誰かの目を見るのはいや…幸せを今すぐ終わらせるのはいや…あの人に拒まれるのは…いや…!全部、全部っ…いや……!!)

 そうして彼女はまた背を丸める。目の前の景色を黒にしたところで、何かを成した気にすらならないというのに。

「最低だわ……私……もうすぐ全部がっ…駄目になってしまうのに!どうして選ばないの!?どうしてっ……どうして………うう、ううぅ、ああぁ……!!」

 一歩踏み出して、立ち尽くしただけ。その道以外の分岐点を自ら封じておいて、やりたくなかったのにと身勝手に泣き喚く。
 終わりに向かって、時だけが正確に無慈悲に刻まれていく。



  

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