21.それを無力と名付けるにはまだ早い

 千空が次に求めたものは、外洋に進出するための大型船だった。
 目的地は百夜たちが地球帰還後定住した孤島。千空はそこに彼らの置き土産が眠り続けていると睨んでいた。
 大型船ともなれば、専門の知識を持つ船乗りが必須である。貴重な復活液の使用先として選ばれたのは、七海財閥の御曹司にして稀代の道楽家、七海龍水だった。彼は世間の評判通り度を越す強欲な価値観と行動理念の持ち主だったが、彼本人と交流を持つ者から大変慕われる快男児でもあり、この石の世界でもあっという間に存在感抜群の中心人物へと登り詰めた。

*

「来たか、千空」
「おっは〜」

 司令本部、とでも呼ぶべき第一会議室。日課の朝礼のため顔を出した千空を迎えたのは龍水とゲンだった。

「今日はこんだけか?」
「先に貴様に通達があってな」
「何だ?」
「千空、貴様は本日休暇とする!以上だ、解散!」
「待て待て待て何の話だ!?」
「龍水ちゃん、説明。すっ飛んでる過程」

 苦笑するゲンが割って入る。

「まあ理由もあってないようなもんだけどさ。皆順番にお休み取ってたでしょ。千空ちゃんの番が来たってなだけ」
「聞いてねえよ」
「言ってないもーん。今日はどこ行ってもお仕事もらえないからそこんとこもシクヨロ」
「…龍水、テメーは?」
「俺か?多少先になるが検討済みだ。平等に調整してこその組織だ、違うか?」
「……」

 小指を耳に突っ込みぐうの音も出ない表情を作った千空。ゲンが拝む仕草を見せて続く。

「てかさー、ぶっちゃけると今日は視察に専念してほしいってのが魂胆なんだけど、いーい?」
「視察だぁ?」
「そそ。一応千空ちゃんが新生科学王国のリーダーな訳だけど、この先も造船方面にかかりっきりになっちゃうじゃん?だから今のうちに、他の方面を軽くでも把握しといてほしいんだよね」
「そういうことか。分ーったよ」
「メンゴね〜」

 ふ、と付いてもいない指先のごみを吹き飛ばし。彼はにいと唇の端に力を入れた。

「出された膳をおありがたく食ってやるよ」
「…へーえ、言うようになったじゃん。なら、いつか毒盛ったげるから覚悟しといてよねえ」
「ククク、おっかねえおっかねえ」

 黒い笑みの千空が退室し、同じ顔を作っていたゲンは彼の背が消えた瞬間すんと姿勢を正していた。

「フゥン、ああいった応酬も出来るのか」
「ねぇ〜、どこで覚えてきたんだか。もうちょっとぐらい俺の手管を見せたかったのにな〜」
「はっはー!高みの見物ならこの上なく楽しめそうだ!」
「龍水ちゃんも大概頭いいのに、なーんで千空ちゃんの100億倍丸め込ませやすいんだろねえ…」
「何か言ったか?」
「時間巻いたからお茶でも淹れよっかなーって」
「なるほど、さぞや濃い濁り茶だろうな」
「げぇーっ、座布団一枚。俺今日絶不調じゃん。帰っていい?」
「満足そうだが?」
「そりゃそうよ。こういう遊びが成立したのは3700年とちょっとぶりだもん」

*

 ゲンのお膳立てを正面きって受け止めた理由は一つ。千空も前々から各所の様子を知りたいと考えていたからだ。気分転換も兼ねた有意義な一日になることを期待して、まずは製紙場へ赴く。ここの取りまとめ役はルリだった。

「おはようございます、千空さん」
「おはようなんだよ!」
「よう。……ガキらは全員ここにいんのか?」
「そうですね。午前中に一緒に草刈りをして、あとはそれぞれ遊んだり興味のある仕事を手伝ったりしていますよ」

 乾燥時に使う石の管理を除けば比較的軽い作業のため、年少者と保護者の女手、そして子ども好きの復活者で形成されているようだった。それでも、可能な限り大きく作った鍋が並んで火にくべられる様は壮観であり、皆汗を垂らして忙しなく動いている。

「紙はあればあるだけおありがてえ。任せたぜ」
「はい、頑張ります」

 それから千空は半日歩き通した。
 朝礼で使った会議室には、羽京を代表とした復活者数名とコクヨウ、ジャスパーがおり、"学校"という機関の説明に熱心に耳を傾けていた。医務室では村人が薬の煎じ方を、復活者が救命措置の手順を教え合っていた。狩猟や採集では村人の技術が一歩上を行き、調理では復活者の知識が少しばかり幅広かった。
 カセキのために造られた工房には志願した弟子たちが何人も出入りし、カセキは気安い態度こそ崩さないが、後進の育成という新たな責務に真摯に取り組む様が見て取れた。鍛錬場で紅一点のコハクが無双していたのは流石と言うべきだろうか。
 戸惑いや混乱はすでに片がつき、誰もが新たな環境が楽しくてたまらないといった様子だった。特に、復活者は一つの分野に秀でた人材が多く、実力を発揮出来る場を与えられ、率先して人々を集めまとめ上げていた。
 そうして一人一人が生きる姿を順に眺め、千空は満足して静かに笑う。たった独りの目覚めから無我夢中で進んだこの道は、先人が切り拓いた"人類史"と何一つ違っていなかったと確信して。
 いつしか彼の歩みにはもう一つの目的が生まれていた。休日の一面、個人的な願い。

(あいつ…何の仕事してんだ、今は…?)

 単調作業は避けたいと苦笑した彼女。それでもどの作業も一通り会得し指南出来る彼女。それ故仕事の進捗や必要な人員を把握する力に長けた彼女。彼を助け、欲せば自覚出来ていなかったものですら必ず差し出してくれたはずの彼女。

(……ミカゲ……)

 今彼に足りないものは彼女自身だと、本人は知る由もない。巧妙に、そして狡猾に、お役目を各人へ託した上で遠ざかってしまったのだから。結局彼女を引き抜く好機は訪れず、彼はその度理由を作って自らを言い聞かせる羽目になっていた。
 疲れた両足を引きずって、千空が始めの場所、製紙場まで戻ってくる。西日が赤へと変わろうとする時刻だった。
 散らばるくず片を掃くルリが気づき、声を掛けた。

「おかえりなさい。収穫はありましたか?」
「あ゙ぁ」
「それは何よりです。……そうだ、ちょうど時間ですし、たまにはきれいな夕焼けを眺めるのはいかがですか?」
「ん?」
「あそこの道を上っていった先に、少しだけ開けた場所があるんです」
「ほーん?」
「さあ、急がないとすぐ沈んじゃいますよ?」

 悪くない反応を示した彼に、ルリはすかさず促した。片手を上げて礼とし、彼が再び去っていく。その背中を見送って。

「……あの子が好きなんですよ、夕焼けは」

*

 額の位置にある枝を手でよけると、ルリが言った通り視界が晴れた。製紙場から数分。気軽に行ける距離だが、道を定めて進まないと辿り着けない狭い穴場だった。
 千空が最後の段差を踏みしめ顔を上げた。そこには先客がいた。ミカゲだった。

「!!」

 物音を聞き、その人物が千空だと知り、彼がこちらを認識するまで黙って見つめていた彼女がかすかに笑う。

「…あなたも見に来たの?」
「あ、ああ…」

 腰を下ろした剥き出しの木の根。彼女は詰めて場所を空け、彼はためらった後その誘いを受けた。

「……」
「……」

 遮るものが一切無い場所は限られており、地平線はここから臨めない。だから夕日はあっという間に消え、世界はまだ茜色のまま。そもそも彼がその両目に収めたいと思った対象は取り替わっていて。
 疲労で痺れる足裏。顔に当たるぬるい風。彼女の何故か鋭い眼差し、横顔。耳に入る息づかい。共に過ごす小さな小さな空間。
 不意にミカゲが動き、視線がばちりとぶつかった。見られていると理解しない訳がない距離。間に合うはずのない回避。千空がばつ悪そうに表情を歪めた。

「どうかした?」
「いや……別に、しばらくテメーの顔を拝んでねえと思っただけだ」
「!」

 橙に染まったミカゲが動揺し、何度も目を泳がせた後わずかにうつむいた。少しの間を開け、そろりと千空を見上げてくる。そうしてまた、唇を真一文字に結び、太陽のいなくなった空を眺めに戻る。
 ころころと、素材の分からない鈴の音が胸の奥で響いていた。

「……」
「……」
「…何か、あったのか?」
「えっ?」
「目、いつもと違ぇ」
「……そう、かしら」
「テメーにゃ散々頼ってきたんだ…今ぐらい力にならせろ」
「……」
「……」
「……」
「言えねえのか、俺には」
「言えないっていうか…私の問題、だから」
「だったら」
「誰かに話して、何とかなるものじゃないのよ。あなたの気持ちは嬉しいけど、そっとしておいてくれるともっと嬉しいわ」
「……んだよ、それ」

 ずいと一気に距離を縮められ、ミカゲが驚いて体ごと彼と対峙する形になる。理不尽に睨みを利かされて。

「俺は冷血な野郎だから共感出来るはずもねえってか?」
「千空…?」
「ゲンにならテメーは話すのか?ここに来たのが俺じゃなくてあいつなら…!」
「千空、そんなことない、違うの」
「何がだよ!テメーん中の俺は打ち明ける価値もねえ男な」
「違う!」
「っ」

 突き上がる衝動に委ねるまま言葉を継いでいた千空が息を呑んだ。これ以上は耐えられないと、ミカゲの両目は今にも溢れそうな涙で満たされていた。

「あなたを拒むために言ったんじゃない……信じて…」

 表面張力が破られ、雫が次々に零れていく。我に返り、千空の全身から血の気が引いた。

「あ……悪り…」
「っ…」
「悪かった…泣くなよ…」
「〜〜っ、ごめんな、さ…!」
「だから、泣かせたのは俺だろうが!何でテメーが!」

 大きく首を振り、彼女は両手で顔を覆い、逃げるように背を丸めて屈み込んでしまった。
 どんな言葉をかけてやるのが正解かまるで導き出せず、彼は激しくうろたえる。彼女の嗚咽が漏れ出る度に一筋刃を入れられる気分になって、無意味に辺りを見回しては心の中で己を責めた。
 やがて。
 どの器官が結論づけたのだろう。千空は半端な決意のまま、それでもまっすぐそこを目指して腕を伸ばしていた。
 背中に灯る温もり。びく、とミカゲの全身が跳ねた。しかし温もりは逃げるどころか逃がすまいと力を加えてくる。
 彼の手の平。正体を理解すると同時にぶわりと悪寒が駆け抜けた。

「っんぅ…!」

 吐息と異なるものが出ていくのを防ごうと、彼女はとっさに唇を塞いでいた。

「嫌ならとっとと振りほどけ」
「っ…!」
「…ん…」

 表情は一切見えず、気の毒な程身を震わせているというのに、彼女は否定の意を示していた。本来なら理解が及ばないはずの相反する行為。何の障害もなく信じられた理由は、とても言葉で説明出来そうにない。
 千空はそれきり黙り、彼女の小さな背を撫で続けた。
 いつしか夜が訪れ、二人の姿が本人ですら認識出来なくなっていく。時間にして何分だろうか。彼の脳は回答を拒否していた。
 そしてミカゲが唐突に身を起こし、温もりは空中に投げ出されることになった。

「……」
「…気、変わんねえか」
「……一人で…やり遂げなければいけないことなの。あなたにも、あるでしょう…?」
「……」
「気遣ってくれてありがとう…」

 空気が揺れる。彼女が立ち上がり、彼の前を横切る。足音が少しずつ遠ざかっていく。

「……」

 片脚を引き寄せ、膝に腕を回して固定し。紫の空に浮かび始めた星たちを今だけは無視して茂みの奥のどこかを睨む。
 やがて千空は先程までの彼女と同じように背中を丸め、細く息をはき続け、そのまま止めた。



  

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