19.決戦前夜

 雪解けが終わり、人々の装いも薄物へと移り、そして自動車が完成した。と言っても復活者が思い浮かべる姿とはかけ離れた原始的な造りであり、いつかミカゲが予想した"自走する船"の形でほぼ正解だった。
 千空による展望は全科学王国民の進軍。しかし隠居たちはこの提案を拒み、幼子と共に村で待つと言った。それは自動車により多くの荷を載せるため。彼らの想いを汲んだ千空たちは勝利を誓い、科学王国は二手に分かれることになった。
 司帝国の根城が視認出来る丘に陣を構え、クロム奪還に向けての作戦が練られた。ところが彼は己の力に加え、第三者の助力を得て脱獄を成功させることになる。追手すら撃退し、無事陣営へと合流を果たし、士気は最高潮に達した。
 最後の戦力である、司の下に留まり千空を遠く離れた地から支え続けた友、大樹と杠。彼らはケータイを守りながら"声"を復活者たちに届け、幾人かを味方に引き込んでいた。
 硝酸を生み出す最重要地、通称"奇跡の洞窟"争奪作戦決行をついに明日と定め、千空たちはケータイを前に綿密な打ち合わせを行った。電話口の向こうでは、大樹や杠の他にも協力者数名が耳を傾けているらしい。物陰から盗み聞くミカゲに詳細の把握は出来ず、風に乗って届く普段通りの千空の声色に様々な意味で胸を締めつけられた。

(長く離ればなれだった大切な人との会話が…思い出の語らいじゃなくて戦いの手はずだなんて。明日が来なければ誰も傷つかなくてすむ……でも、明日が来ないとあの人は二人に再会出来ないんだわ…)

*

 夜も深まり、ほとんどの者は寝静まっていた。その中で、千空が音を立てないよう慎重にテントから抜け出し夜空を見上げる。目が冴えていた。
 闇夜に揺れる小さな炎に気づき、彼は吸い寄せられるようにそこを目指す。火の番は一人、見知った女性。

(…ミカゲ)

 口に出さず立ち止まったのは、彼女が瞳を閉じてこくりこくりと何度も傾いていたから。声を掛けて起こしても、嫌な顔をせず微笑んでくれるだろうか。それとも、やはり眉を上げ早く寝なさいと叱るのだろうか。
 眠りを破るのが忍びなかったのかもしれない。どちらの反応を取るか知りたくなかったのかもしれない。千空は長い時間、ただ黙って彼女の寝顔を見つめ続けていた。
 やがて気が済んだのか、一歩後ずさり、身を反転させた。じゃり、と砂を混ぜる音が鳴って、それを聞いたミカゲの意識が一気に浮き上がった。

「…千空…?」
「!」
「どうしたの…?眠れない?」
「…んなとこだ」
「隣、来る?」

 衣擦れ。身を包んでいた防寒具を脱いだのだろう。それでも彼は振り返らず、両手を腰に当てうつむいていた。

「…?」
「ミカゲ」
「はい」
「頼みがある」
「私に出来ることなら、何でも」

 一呼吸。

「あん時みてえに……背中を押してくれねえか」

 ぱちん。
 とても間が良く、あるいは悪く。炎の中の枝が一本爆ぜた。
 背後の空気が動く。ぱさりと衣を下げる音が静まり返った空間に響き渡る。
 彼女の気配が真後ろに到達する。

「任せて」

 二つの温もりが千空の背に灯っていた。それはじっと留まっている。彼がまぶたを閉じる。

「大丈夫よ…あなたは一人じゃない。あなたもそれをよく知ってる。私たちには科学の力と心の力のどちらも揃ってる。だから絶対に負けたりしないわ」

 ぐ、と温もりの力が増し、それに応えるよう全身で押し返す。まぶたを開き、視界の全てを無数の星々で満たす。

「勝ちなさい千空。勝って、司を止めなさい」

 生成される興奮物質。武者震いの類。それらを手先に集め、強く強く握り込む。高らかに吼える戦士たちの情緒を初めて理解し、しかしぐっと耐え代わりに拳をほんのわずかだけ掲げていた。
 二つの温もりが、ついといくらか下ってから離れていった。千空の唇が不敵な笑みの形になった。
 なんて頼もしいのだろう。彼女は望んだ通り、いや、それ以上の力を与えてくれた。そして、頼もしいと感じたことも、与えられたものも、余すところなくすぐさま受け取りたい。ただ純粋にそう認められた。

「…あ゙ー……ガラにもなく気合入っちまったわ。やっぱ演説の才能でもあんじゃねえか、ミカゲテメーはよ」

 これまでの彼なら、目線だけ寄越してやっていたことだろう。しかし、今の彼の足は彼女と同じ方向ではなく突き合う形で。
 そうしてもったいぶって顔を上げた瞬間、全てが止まっていた。
 この女性は、今しがた彼を鼓舞した人物と本当に同一なのか。
 両の頬を紅潮させ。あらゆる感情をせき止め眉を歪め。やっとのことで微笑みを作り。まるで目の前が眩しくて仕方がないと言わんばかりに潤んだ瞳を細くして、それでも彼を見つめている。両手を握り胸に置く立ち姿は、そばの炎に呑まれ幻と化してしまいそうな程儚かった。
 このミカゲの、どこが、彼を奮い立たせたのだろう。

「っ…!?」

 電流が心臓を貫き信号を送っていた。忠実に従い鼓動が跳ね上がっていた。温められた血流が全身を巡っていた。同時に"何か"が全身から集結し、喉元目がけて昇ってくる。"それ"は辿り着いた先で留まり呼吸をひどく妨げた。
 彼の右手は反射的に動き、外から"それ"を掻き出せやしないかと、首筋に爪を立てていた。

「……あの時のこと…借りだって思われてなくて、とても、嬉しいわ」
「!」

 ミカゲが、痛いとすら表現出来る微笑みをさらに深めていく。

「とても…本当に…」
「……」
「どうか気をつけてね、千空…」

 先程の激励とは全く異なる、よっぽど今の姿に見合った囁き。彼はうなずき返すのがやっとのことで、黙ったまま踵を返し、足早に逃げ去ってしまった。
 ざく、ざく、ざく。荒い大股の足音。喉を包んでいた右手は下り、灼熱を放つ内臓の位置できつく布地に縋る。

(なんて顔…しやがんだ…!)

 耳まで熱い。沸騰する血液で脳が茹だる。

(…違う…)

 違わない。

(違ぇっ…!)

 "心"を否定したことはない。

(違ぇって…あ゙ぁ゙クソ……クソッ…!!)

 形すら崩れそうな脳が、それでも一瞬で仮説と事例をかき集めて結論付ける。
 どの知識を以てしても解析不能であるはずのそれを。
 衝動の正体を。



  

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