11.嵐の敵襲

 喧騒がやんだ、ように思う。
 ミカゲはぐずる子どもの背を撫でながら、隣の老夫婦と顔を見合わせた。
 宴の中、ゲンが千空に伝えた内容。それは司帝国の本格的な侵攻の始まりだった。彼は時間を稼ぐため、そしてこの情報を伝えるため、先行して村に帰ってきたという。役目を果たすと同時に敵襲を知らせる銀狼が駆け込み、村は一瞬にして緊張に包まれた。
 ミカゲは千空たちと別れ、幼子を集めて休ませていた家に留まった。騒ぎに気付き目を覚ます子らを順にあやしながら、同じく避難した隠居や女たちと共に息を潜めた。時折夜に似つかわしくない大きな音が上がったが、その内容までは届かない。

「……戻ってきたぞ!」

 外を守る男の声を聞き、ミカゲが家から飛び出す。コクヨウを始めとした村人たちの表情は明らかに落ち着いたものであり、それで賊を退けられたと知るが、科学王国の面々がこの場にいない。彼女は皆の進行方向と逆に走った。

「…コハク!」
「おおミカゲ、今から向かおうとしていたところだ」
「他の人は…!?」
「金狼が腹に傷を負ったが命に別状はない、安心してくれ。敵も退いたが…終わりではない」
「っ…」
「明朝から村をあげて迎え撃つ準備だ。今夜は休もう」
「…分かったわ。お疲れ様、コハク…」

 橋の上でコハクとスイカに迎えられ、ほっと胸を撫で下ろす。しゃがみこんでスイカを抱きしめ、それから両手を取った。

「スイカ、駄目じゃない、ついていくなんて…」
「ス、スイカもお役に立ちたいんだよ…!」
「役に立てる場所はそれぞれ違うの。私やあなたは戦いの場じゃないわ、分かるでしょう…?」
「…うん…」
「明日から忙しくなるわ。村の皆のほとんどはクラフト作業をしたことがないから、あなたが色々教えてあげてね」
「はいなんだよ」
「いい子…さ、帰りましょう」

 そのまま手を引いて彼女は歩き出す。橋を渡りきると、次に振り返ってコハクの右手も握った。コハクは驚き照れた反応を見せたが、すぐに満面の笑みとなり、三人並んで短い帰路についた。

*

(…風が強くなってきた。そんな…もうこの日が来るなんて…!)

 びゅう、と突風が吹きすさび、ミカゲは舞った髪に視界を遮られながら空を仰いだ。
 次の敵襲は嵐に乗じるだろうと予測が立てられ、石神村は迎撃の準備に全ての力を注ぎ込んだ。予備として保存していた炉も稼働させ、千空たちは鉄の刃、"日本刀"を作り上げた。
 ミカゲは新たに加わった人々の指南役を担い、詳細な指示を下す暇のない千空に代わって各作業に必要な人数を伝えて回った。その後は監督業をコクヨウに引き継ぎ、経験ある戦力として都度手の足りない穴を埋めた。
 "この日"は数えて三日目だった。あっという間に雲が空を覆い、辺りが薄暗くなっていく。前線の戦闘員と千空を残し、村人たちは籠城態勢となった。

「……ねえ、本当に大丈夫かな…?」

 続く沈黙に耐えかねたのか、少女の一人がぽつりと零す。すかさずミカゲが肩を抱いてやる。

「大丈夫、皆強いもの。信じましょう」
「うん…」

 ミカゲは女たちが集まる家屋の入り口前で待機していた。時々外を覗き、周りに変化がないか確認する。守りにつく男たちは幼子やその母親、老人のいる家の方面に集中しており、ここのすぐ外にはクロムが立っていた。

(!始まった!)

 届く怒号。身を半分乗り出し、橋付近の様子をうかがう。コハクたち戦闘員の小さな背中がかろうじて分かる。しかし、どちらの陣営が有利であるかは判断出来ない。やがて戦場は橋からより遠ざかった平地へ移っていき、一旦騒ぎが収まった。

「…ふぅ…。クロム、どう?そこからなら見える?」
「いや、ダメだ。科学倉庫の方まで行っちまったみてえだぜ」
「そう…」
「……ん?」
「…?ねえ、何か臭いが…」
「ヤベーー!!火事だーーーッ!!」
「!!?」

 クロムの絶叫。男たちとミカゲの視線が一ヶ所に集まる。炎を噴き上げる食糧庫の屋根。ぞっと全身の血の気が引いた。

「外…っ!外に出て!皆家から出て!!」

 静寂が一転、村は火攻めにより未曽有の危機に陥っていた。

「家から出てぇ!!……あぁ!」

 つい今まで立てこもっていた家屋にも次々と火が移っていく。逃げ惑う人々の悲鳴を破り、さらに大きな声が届く。村境の橋まで戻ったコクヨウだった。

「こっちへ逃げろ!!居住区はもう駄目だ!!」
「コクヨウ様!………よし、行け!子どもを連れて走れーーっ!!」

 まず男二人が先陣を切り、コクヨウと一言二言交わして逃げる先を指し示す。そちらへ向かって人々が雪崩れていく。女たちは幼子を抱え、男たちが老人を背負い、自力で動ける者が後に続く。その中でミカゲがクロムを呼び止め言った。

「クロム!備品置き場の汲めるもの全部貯水庫へ!」
「おうよ!」
「あなたたちもクロムと行って!」
「分かった!」
「ミカゲ、早く逃げろ!俺たちがしんがりだ!」
「ええ…!」

 ミカゲが唇を噛み、炎を睨みつける。明らかに人為的な放火。犯人の姿はついに捉えられなかったが、警備のいない倉庫を一番始めに狙ったのは作戦か温情か。
 彼女は男たちと共に駆けた。

*

 帝国の実力者筆頭である槍使い、氷月とその部下たちは、スイカの機転により温泉地帯へ誘導されそのまま撤退していった。単身飛び出したスイカを追いかけたのは千空とコハクであり、無事合流を果たしていた。

「スイカ、よくやった…怖かっただろう」
「……ミカゲおねえちゃん、怒ってるかな…?」
「ハ!心配するな、叱られるのは私たちだけだ!なあ千空」
「あ゙ぁ」
「ス、スイカもちゃんといっしょなんだよ…!」
「そうか、それは頼もしいな…」

 スイカを抱き上げた腕にもう少し力を込め、コハクは微笑んだ。
 科学倉庫やラボ周辺にも火は放たれていたが、すでに消し止められたようだった。帰還したコハクたちを見つけ、まずはカセキがやって来る。

「おお無事じゃったか…全く無茶しよるわい…」
「皆の方は?」
「だーれも死んどらんよ、安心せい」
「スイカ!!」
「あっ…」

 人ごみの向こうから声が上がり、すぐさまミカゲが現れた。コハクがとっさにスイカをかばう。

「ミカゲ、その、スイカはだな…!」
「っ…!」

 体当たりに近い抱擁。スイカを抱えたコハクごと腕を回し、彼女は嗚咽交じりに言葉を絞り出す。

「よかった…無事で…よかった…っ!」
「ミカゲおねえちゃん…」
「うっ、ううぅ…!」
「ごめんなさいなんだよ…」

 首を振り、さらにしがみつく。スイカの仮面の下から、ぽろりと一粒涙が落ちた。

「……!」

 唐突に"それ"に気づいたのは、ここまで彼女たちを後方から見守っていた千空だった。
 彼はほとんど反射で動き、ミカゲの腕を鷲掴む。驚く三人。思わずコハクが離れ、場を彼に譲る形となる。

「あ…せっ、千空、あなたも…」
「何だよ、これ」
「えっ?」

 全員の注目がミカゲの右腕、肩口に近い箇所に巻かれた包帯に集まった。彼女はやや間を置いて質問を理解し、ほんの少しだけ苦く笑って答えた。

「ああ…ちょっと火の粉が飛んできただけよ」
「!!」
「あなたたちの方こそ怪我はない?どこか痛いところは?」
「我々は何ともない。今は君こそだろう、ミカゲ…!」

 コハクと連動するように千空の力が増す。びく、とミカゲの両肩が跳ねた。それで彼女は彼に見つめられ続けていることとろくに涙を拭えていないことを思い出し、慌てて顔を伏せた。

「……あの、千空…そろそろ離して…」
「っ、痛むか!?」
「それは大丈夫だから。あなたも無事で本当に安心したわ…」

 飛びのいた彼に歩み寄り、両の手をそれぞれ取って親指の腹でひと撫で。そっと離れ、息をついた。

「さあ、私は片付けに戻るから。あなたたちはどうか休んで。お願いよ」
「しかし…!」
「あなたたちの今日の出番は終わったの。ね…?」

 痛々しさすら含まれた微笑みを見せつけられ、一同は押し黙ってしまう。ミカゲはそのまま去ってしまった。
 呆けた三人のそばに、さらに外から見届けていたカセキが寄った。

「主らの出番はもうちっとだけあるぞい。コクヨウに顛末を説明せんとな」
「あ、ああそうだな。すまないカセキ…後を頼んでもよいか?」
「モチのロンよ」
「行こう、千空…今我々がミカゲのために出来るのは、彼女の指示に従うことだけだ…」
「……」

 ぐ、ぐ、と彼の拳にますます爪が食い込んでいく。
 その場に縫い留めようとしてくる、内側からせり上がる無力感。一度叫べばどこかへ追いやれたのかもしれない。しかしそれは叶わず、彼は自らの身体を引きずるような思いで方向を反転させた。



  

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