9.語らいと思い出

 ついに悲願のサルファ剤が完成し、ルリの治療は成功した。彼女を蝕んでいた毒の正体は肺炎。人類がその叡智と執念により突破口を開いた病の一つだった。
 彼女は投薬を続け、日に日に顔色を回復させている。完治まであと一歩といったところで、まだ自室で安静にしているが、今夜はミカゲが泊まりに訪れ会話に花を咲かせていた。
 寝所に並んで寝転びながら、この半年間の道のりを語るミカゲの表情は明るい。ルリと同じく、心に負った傷が癒えたのだろう。長年目にすることの出来なかった何の含みも持たない笑顔を見せる親友に、ルリの胸の内は言いようのない温かさで満たされていた。

「それでね、千空とクロムったら爆発まで起こしたのよ。"よちよち歩きの子と同じように、危ないもの全部取り上げて守ってあげましょうか"って言ったら目の色変えて謝ってきたわ」
「うふふ…あはは!どうやって許してあげたんですか?」
「ええ?次がなくなる失敗だけはしないでって、それで終わったけど?」
「……ふふ」
「うん?」
「いいえ。私も…早く皆さんの輪の中に入りたいなって」
「すぐよ、もうすぐ…皆待ち望んでいるわ」
「はい」

 寝返りをうち、ルリの頬を撫で。ミカゲが起き上がった。

「お水飲む?」
「はい、下さい」

 ルリも身を起こし、しばしの一服。虫の音を聞きながら、ミカゲが窓の外を眺めている。高台に建てられた村長(むらおさ)宅。居住区を見下ろし、吊り橋の先の村境も何とか確認出来る距離だ。

(炉の煙ぐらいは見えていたのかしらね…)

 水を飲み干し、器を片付けたミカゲはルリの正面に腰を下ろした。雰囲気が少し変わり、二人は示し合わせずとも裾を正す。

「ねえルリ。千空は…あの"石神千空"と何か関係があると思う?」
「!!……覚えていたのですか」
「そりゃあね。幻のお話の存在をうっかり知ってしまったんだもの」
「懐かしいですね…」
「本当に。それでね、私はそのおかげで、あの…」
「?はい」
(……あら……?)

 ミカゲが一人首をかしげる。言うべき次の単語が唐突に頭から飛んでいってしまう、あの奇妙な感覚に似た違和感。
 人差し指を立て、先を小さく揺らしてから再開した。

「ええと、そう、私はそのおかげであの人に会ってみようと思えたのよ。それが今日に繋がって…不思議なこともあるものよね」
「そうでしたか…。…ミカゲ」
「なぁに?」
「私の病がちゃんと治ったら、皆さんにそのお話を聞かせようと思っているんです」
「えっ……いいの?」
「はい。代々巫女にだけ伝えられてきた百番目の物語…そのお役目を果たす時が来たのです」

 ミカゲがゆるくうなずく。その流れでルリに近づき、両腕を広げて抱きしめた。彼女も同じように返す。やがて背を撫でられ、抱擁の力を強める。
 大好きな家族、親友。暗い思いを持って触れることはもうない。諦めていた小さな願いがまた一つ、この手に戻ってくる。
 すん、と鼻をすする音が一度耳に届き、ミカゲは撫でていた背を小さく叩いてやった。

「楽しみだわ。結局、私も中身は聞けずじまいだったものね。本当に、あと少し…あと少しだけよ、ルリ…」
「はい…!」

 どちらからともなく笑い声が零れるまで、長い間、彼女たちは両の腕の力をゆるめなかった。

*

−ミカゲ!私ね、昨日とうとう最後のお話を教えてもらったんです!−
−すごいじゃない!おめでとうルリ。これであなたも立派な巫女様になれるね。それで、どのお話?−
−題名は"石神千空"!−
−へー、石神センクウ?聞いたことないかな…−
−……あっ!ど、どうしよう…このお話は誰にも言ってはいけないと…お、お母様が…−
−あらら……大丈夫、ちゃんと内緒にするから。だから、題名の意味だけでもこっそり教えてほしいなぁ〜…−
−……−
−駄目?−
−……二人だけの秘密ですよ、ミカゲ…−
−もちろん!約束するわ−
−…"千空"…それは、遥か遠く遠くに生きていた、ある一人の男の子…−
−ああ…名前なの。この村のご先祖様なのかな…−
−さあ、どうでしょう…−
−分かってる、これ以上は聞かないから。…頑張ってね、ルリ。私がいつでも力になるからね…!−



  

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