8.MISSION ACCOMPLISHED

 無自覚とはいえ、ミカゲが千空やクロムに対する意識を変化させたのも束の間。
 翌朝ラボを訪れた彼女は、まるで取っ組み合いの喧嘩でも起こったかのような惨状に悲鳴を上げ、薬品の調合をしくじった末の爆発が原因と知ってもう一度叫ぶ羽目になり。見物客のゲンが相変わらずで何より、と呟く程度にはこれまでと変わらない説教を食らわせた。
 昨日の御前試合のさなか、ゲンは再び千空たちの前に現れた。言葉巧みにマグマの動きを止めクロムの勝利に一役買った彼は、再会を喜ぶ間もなくクラフト作業へ駆り出される。一晩見張っていた滝下の装置から炭酸水を得、それを千空に届けた後は手が空いたようで、爆発の残骸を土に埋めるミカゲの元へやってきた。

「ミカゲちゃん、お久〜〜」
「ああゲン、やっと話せたわね…無事で本当によかった」
「何とかねー。あっそうだ、食糧を忍ばせてくれたのってミカゲちゃんでしょ?ありがとね、ジーマーで助かっちゃった」
「どういたしまして。それで?向こうで何か動きがあったの?」
「んー、その辺の話はもうちょっと後…サルファ剤が完成して落ち着いてからでもいいかな」
「そう、分かったわ」

 手分けして残りの土を被せ一段落。茶でも淹れようと腰を上げると同時にクロムが顔を出した。

「ミカゲ、千空が呼んでんぞ。ラボにいるぜ」
「私?ええと、そうね…」
「お茶は俺がやるよん。いてら〜」
「ありがとう、ゲン。道具とかはクロムに聞いてちょうだい」

 千空が彼女を指名するのはめずらしい。首を傾けながら目的地に入る。振り返った彼は口の端をついと上げていて、黙ったまま隣へ来るよう促した。
 ミカゲが机に一つ置かれたビーカーに気づく。黒に近い濃い茶色の液体。見当がつかず一度彼を見上げたが、あっと思い出し、再び液体をまじまじと眺めた。

「もしかして…これが"コーラ"?」
「ご名答。100億点やるよ」
「完成したのね!」
「あ゙ぁ、炭酸水以外はとっくに揃ってたからな」
「そうだったわね…。えっと…飲めるの、これ?」
「飲んでみな」
「え、ええ…」

 おずおずとビーカーを持ち上げ、上から覗き込む。細かな泡が弾ける様に驚き、思わずのけぞってしまう。

(…甘い…?)

 色に反して匂いは良い意味で嗅覚を刺激するものであり、彼女は隣の男を信じ、一口それを飲み込んだ。

「!!?か、からっ…!?あまっ…!?」
「いーいリアクションすんじゃねえか!」
「あっ、い、痛い、喉っ!?」
「あ゙ーすぐ収まる」
「げほっ、けほっ!……っ、ああ驚いた……ん…なんて甘いの…」

 ミカゲが自身の喉筋を指でなぞりながらうっとりと囁く。息を整え、様子を見守っていた千空に再び向いた。

「コーラ……この痛いのはない方がいいと思うんだけど…」
「いや奪うな、アイデンティティ」
「あいでん…?」
「ま、お子様用に炭酸抜いてアレンジしてもいいがな」
「もう、初めてだから驚いただけよ。…これが、ゲンの欲しかったもの…」
(危険を冒してもいいと思える…きっと大切な思い出)

 意識外に、ビーカーの側面を優しく撫で上げていた。

「あなたはすごい人だわ。誰かの望むもの…いいえ、それ以上のものを自在に作り出せる人…」
「俺は再現してるだけだ。本当にすげえのは最初に思いついた奴や再現可能になるまで考え抜いた奴らだろ」
「そう…でも、それらの知識があなたの頭の中に入っていて実践出来るんだから、あなたもとても立派よ。これまでたくさん頑張ってくれて、本当にありがとう、千空」

 にこりと笑いかけられて、彼はわずかに動きを止めた。
 純粋な賞賛と感謝。それらを手渡され、湧いた喜びは確かにあった。

「…サルファ剤もまだなのに早ぇんだよ」
「もちろん、その時はもう一度お礼を言うわ」
「いらねえ、そう何度も」
「言わせて」
「……ミカゲ」

 片手を上げた彼女が後ろの言葉を制する。その瞳はかすかに揺らめく。

「分かってる。サルファ剤でもルリが確実に治る保証はないって」
「……」
「でも、懸命に手を尽くした結果と、やったふりだけして迎えた結果が同じでも、その価値は全然違うでしょう?それも分かってるわ、皆」
「……」
「……ごめんなさい。お礼を言う以上にずっと謝りたかったの。私の想いが…きっとあなたの負担になっていたでしょうから…」
「いや1mmもなってねえが?」
「えっ?」

 間髪容れずに返されて、滲もうとしていた彼女の涙は勢いよく引っ込んだ。千空は耳に小指を突っ込み、心底面倒だと言わんばかりに盛大に顔全体を歪めている。

「人の命なんざ1mmも思い通りになんねえよ。やれることをやる。他と何も変わんねえ」
「……ありがとう」

 わずかに下がった眉のまま、ミカゲが一つうなずき両目を細めた。
 この話とこの気持ちは今終わらせよう。そう思えた。

「時間、取らせちゃったわね。行きましょうか」
「もういいのか?それ」
「ん…じゃああと一口だけ……〜〜っ!や、やっぱり痛くない方が美味しいわよ、絶対!」
「ククク、どっかのメンタリストのブチギレる顔が見れそうな台詞だなあオイ」

 彼女から取り上げたコーラを一息で流し入れ、彼は棚を漁り出す。

「テメーはねえのか、欲しいもん」
「なぁに、急に」
「隠しミッションをクリアしたんだ。となりゃ追加報酬だろ」
「あのねえ千空。何かが欲しくて引き受けたんじゃないんだから。知ってるくせに」
「…テメーにゃ借りもある」
「やだ、そんな風に思ってたの?やめてよ。そもそもお礼を用意するべきは私たちの方でしょう。あなたこそ、教えて?」
「マンパワー」
「ああ、そうね、もう少ししたらちゃんと皆に説明するわね」
「……ククク…"マジレス乙"、と言いてえとこだが…こればっかりはおありがてえ」
「?…あ、半分持つわ。ビーカーはそこに置いといて」
「おー」

 それぞれの腕に新たな器材を抱え、二人は揃ってラボを後にした。
 雫が数滴残ったビーカー。ついと一筋が流れ、彼らが力を合わせた勲章として、静かに一度煌めいた。



  

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