THE LAST BALLAD | ナノ
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#62 私の「」を返して

 今まで彼ら密やかに王の快刀として、その正義の名のもとに静かに遂行していた。そして、生まれては行けない外の人間の忌まわしき血を引き継いだその命の灯火は吹き消された。儚い命として。
 全ては王の為に、この壁の中に築いた楽園を少しでも長く繁栄させる為。
 例えそれが、いつか悪魔によって終わりを迎える偽りのかりそめの楽園だとしても、

――朝日の美しい冬の終わり、春の始まりの日に生まれたのは春の季節によく似合う可憐な女の子だった。
 待てなくて赤ちゃんの方から勝手に出てきて驚いたけど、と女は嬉しそうに笑っていた。
 産まれたとの知らせを受け、立ち会う予定だったが立ち会えなかった図体の大きな男は急いで馬を走らせ、駆け込んできてその姿を見てむせび泣いていた。
 見つめればその姿はとても小さくて、目を離したらこの子はそのまま死んでしまうのではないかと何度も何度も寝てる可愛らしい泣き声で母乳を求めてはか細い声で泣く女児の呼吸を確認した。
 彼女は誰が見ても温厚な性格に陽だまりのような笑顔を浮かべる父親似だった。

「あの悪人面じゃない……間違いなく、この子は、あなたの子よ、」
「俺の子か……ああ、可愛いな、本当に……よく頑張ったな、産んでくれてありがとう、俺の子だ、俺の…!!」
「将来どんな人のお嫁さんになるのかしらね?」
「は?? 嫁?? ふっざけんな! そんな男なんか要らねぇ! この子に近づく男共はみんな削ぐ!」
「はああああ、気が早すぎ……まだ生まれたばかりじゃない、バッカじゃないの?」
「そ、そうだよな……ああ、でも……この子は、俺に似てしまった。俺の存在をいつか恨む日が来るかもしれないな」
「仕方ないわよ、私たちの子だから、」
「俺たちは書類では家族にはなれねぇ、だけど、お前は世界で一番幸せになって欲しい、」

 子が生まれ、そうして世界は一気に色づき、そうしてようやく自身の生まれた意味を知る。
 親として最初に抱く感情。愛おしさ、無償の思い。誰よりも大切な存在、世界一特別な存在。子を思わない親はいない。だからこそ、誰よりも人一倍の愛を込める。

――「ウミ! オラ! 立て! まだ終わっちゃいねぇぞ!」
「やだ! やだよぉ! おとうさんやめてっ! わたし、もうこんなことしたくない! おはなつみしたい、おままごともしたい、おにんぎょうさんであそびたい!」
「いいからやれ! やるんだ! お前にはそんなもの要らねぇんだ。相手に悪いとか申し訳ないとか一切思うな! 相手は巨人だ!」
「ちょっと! アンタ、可愛い娘に何してるのよ!? アンタ馬鹿じゃないの!?」
「止めるな、これは簡単なトレーニングだ。可愛いからこそ、やるんだよ」

 調査兵団が巨人に対抗すべく編み出した武器。「立体機動装置」の剣を手にビルのように大きな男はまだ幼い少女の髪を頭皮が剥がれる勢いで掴んで立ち上がらせようとしていた。
 少女は泣きながら愛らしい瞳に、涙をたっぷり浮かべて土まみれになって泣いていた。
 お気に入りのワンピースを着ることも友達と遊ぶことは愚か、自由に遊ぶことも許されず、しぶしぶ薄汚れた団服を着て日夜鍛錬に明け暮れた。
 時に嫌がり逃げ出す少女を、男は恫喝にも似た叱咤で奮い立たせ、花のような少女は無理矢理外へ連れ出され、朝から晩までウミが泣いて傷だらけになるまで付き添いで鍛えた。
 最初は娘も抵抗したし、母親もその姿を見て泣いていたが父親は心を鬼にしてウミに接していた。
 生きている限り、いつ巨人がこの壁を破壊してやってくるのかわからない、調査兵団で生きる自分はこのままこの楽園で死ぬかもしれない。
 「悪魔の末裔」この世界ではきっと永遠に生きることなど出来ない。この先この島の住人たちには死よりも更に過酷で、辛い日々が待っているのかもしれないのだから…。
 しかし、やはり流れる血のお陰なのか、父親の英才教育の賜物なのか、嫌がりながらも日に日に少女は元々の才能を発揮し、調査兵団の一員としてめきめきと頭角を現していた。
 しかし、母親は娘の流れるその血を敢えて拒んだ。 その血に頼る事が無いように、少女には危険とは無縁の世界でごく普通に育ち、ごく普通の少女として、普通に恋をして、普通に誰かの花嫁としてこの壁の中の楽園でかりそめの楽園でもいいから幸せに生きていて欲しかった。
 それなのに、希望は脆くも散る事になる。



 突然爪を剥がされるかと思いきや指を折られた音、駆け抜けた予期せぬ痛みに叫んだ男の悲痛な叫び声は重厚に閉ざされたドアを突き抜け、階段を駆け抜け、ドア越しに別室で待機する新リヴァイ班のメンバー達にもそれははっきり届いた。

「ついに始まったか……」

 ジャンは聞きたくもない同じ生き血の通う兵士であり、壁内で暮らす人間の悲痛な声に苦悩するように頭を抱えている。

「まったくよぉ……俺は巨人と殺し合ってるつもりだったんだが。いつの間にか敵が何なのかわかんなくなっちまってる。なぜ俺達はこんなことに手を染めてんだ?」
「しょうがねぇだろ……ここでしくじりゃ人類みんな巨人に食われて終わりだ。オレ達はクーデターやってんだよ……あの時の……団長の計画通りにな…まだこんなもんじゃ済まねぇよ……多分」

 それはそうだ。何故自分達は今巨人殺しをせず、同じ兵士の人間を拷問しているのか。
 ジャンはうなだれ、エレンの隣でコニーは聞きたくないと言わんばかりに両手で耳を塞ぎ、そのジャンの隣ではサシャが青ざめている。

「私達って……もう反逆者なんですね。失敗したらどうなりますか?」
「そりゃ吊るされんだろ……広場とかで」
「えええっ!? そんな、私達お肉じゃないですよ!?」
「仕方ないよ……サシャ、100年以上続いてる体制を変えようっていうんだからね……。前例は無いけど……民衆を味方にすることに力を注ぐのはどうだろう……?度重なる巨人の襲撃によるこの混乱状態を利用するんだ。それを王政の責任に転嫁して民衆を煽ることができれば…上手くいくかもしれない。ただ、その場合は民衆にも銃が向けられて様々な悲劇を生むことになるだろうけど……人類全体のことを思えばそれも仕方ないのかも……何か象徴的な事件でもでっち上げてそのすべてを王政か憲兵がやったことにすればいい。そこで調査兵団が救世主のように登場し民衆の味方は調査兵団しかいないと強く印象付ければいい。きっと民衆は騙されやすくて――」

 突然今まで先ほどの替え玉作戦でヒストリアの替え玉を逃れられたアルミンが饒舌に新しく思いついた作戦について提案にも似た考えを自ら長々と語り始めた。さすが参謀としての才能を持つ頭脳明晰な彼だ。その作戦は誰も思いつかなかった。
 しかし、アルミンの顔は陰湿な考えを口にしていたが、その顔は時に姑息で下衆な考えをする時に浮かべるゲスミンと呼ばれているその表情に変わっていた。

「なぁぁんちゃってね……」
「お前……調査兵団に入ってからすっかり汚れちまったな……」

 普段とは変わり果てたその顔つきを見て同期たちはドン引きしていた。
 しかし、そんな彼の性格を幼少期から知るエレンは普通に受け答えしている。
 ヒストリアも下から聞こえるただらなぬ声に驚きはするがそこまで怯えてもいないようだった。

「いや、ゲスミンが陰湿で姑息なこと考えるのが得意なのは昔からだ。そうやって自分をいじめてた相手にどうやり返すか考えてたしな、」
「私とウミはアルミンをゲスミンに育てた覚えは無い」
「僕はアルミンだよ……。ああ……でも、僕らはもう犯罪者だよ。今相手にしている敵は僕らを食べようとしてくるから殺すわけじゃない。考え方が違うから敵なんだ…もしくは所属が違うってだけかもしれない……この先そんな理由で……人の命を奪うことになるかもしれない……。僕らはもう、良い人じゃないよ」

――「あんたさ……私がそんなに良い人に見えるの?」
――「……良い人……それは……その言い方は、あまり好きじゃないんだ。だってそれって…自分にとって都合の良い人のことをそう呼んでいるだけのような気がするから……すべての人にとって都合の良い人なんていないと思う。だから……アニがこの話に乗ってくれなかったら……アニは僕にとって、悪い人になるね……」
――「アルミン……私があんたの…良い人でよかったね。ひとまずあんたは賭けに勝った。でも、私が賭けたのは、ここからだから!!」

 かつてアニとストヘス区で対峙し、会話したことを思い出す。思えばあれが最後の対話だった。
 アルミンはもう自分たちはいい人ではないと告げ、そしてため息をつくのだった。



「ぎぃゃぁぁぁぁああ!!!」

 上の階で今回新たに加わったリヴァイ班の待機組が下で今起きて事、そしてこれから自分たちに迫る危機を覚悟して落単する中で、地下ではリヴァイとハンジとウミによる拷問は続いていた。
 バキッ、ボキッ!!痛みに絶叫し、悶絶しているサネスの髪を引っつかんで、ウミは立ち上がろうとする彼を無理やり椅子にくっつけるように押さえつけ、その横をリヴァイの左ストレートが命中した。
 蝋燭の頼りない灯りの下で行われる残虐な行為。煉瓦造りの床がリヴァイが振るう拳に跳ね返るサネスから流れる血で次第に赤く染まってゆく。
 ハンジがサネスの爪をまた一枚ベロリと剥がして几帳面に皿に並べると、リヴァイの拳が加減なく殴りつけたその顔面は醜く変形していた。
 鮮やかな鮮血が吹き出し、血生臭い匂いが瞬く間に部屋中を占めていく。ボキッ、バキッ、と容赦なく彼を殴る音がウミの頭の中で響いていた。
 其処に誰も感情は無い、調査兵団として巨人を殺してきた自分達がクーデターの為に今は同じ壁の中の人間を残虐なまでにあらゆる手段で拷問して痛めつけている。
 リヴァイもハンジもモブリットも、誰も喋らない。ただ地下に響くはサネスの断末魔のような悲鳴と終わらない苦痛。
 今度は何をされるのか、自分が散々今まで闇の中で遂行してきた仕事を今度は自分が味わいながら。

「オイ、モブリット。お前は椅子を押さえろ、ぶっ飛んじまって殴るのに狙いづらいし、死んだら困るからな……手は使いたくねぇが、ニックの受けた事をそのままお返ししてやらねぇとな」
「は、はいっ」

 モブリットはリヴァイの指示を受け、動じることなく椅子を押えた。ウミはもう何も考えずに無心で居た。
 蝋燭に浮かび上がる自身の頬に生ぬるい何かが付着しており、さっと顔色が青ざめた。
 鼻腔から吸い込まず口呼吸しても脳髄にまで染み込むような消えない血の匂いに、今にも倒れてしまいそうだと言うのに。
 もし今気を抜いたら間違いなく自分達が今繰り返しているこの非現実じみた暴力行為を見て卒倒しそうだ。
 まさか、今の今まで生きてきて調査兵団が、リヴァイ自らがこんな風に同じ兵士を自白させるために暴行するなんて、思いもしなかった。
 たとえ彼らがニック司祭をこんな風に痛めつけて暴行して殺したとしても。椅子が浮かないように上背のあるモブリットはそれを押さえ込み、身長は男性としては小柄な部類に入るのに骨格が良くその全身は筋肉の鎧に覆われ、骨密度が高く、鋼のような肉体で体重は65キロ近くあり、筋肉を纏う強靭な重さを持つリヴァイの拳が命中した。
 彼は自らの手で選んだのだ、本当は誰よりも人の痛みに敏感な彼が再び調査兵団の為にその手を赤に染めることを。
 ゴッ!バキイッ!と右、左、順々に繰り出される彼の手袋をした拳にはサネスの血がべっとりと付着した。
 骨の砕けるような嫌な音がする中で、人類最強に強かに殴られたサネスの顔面には容赦なく手袋をしたリヴァイの拳が次々と打ち込まれていた。
 潔癖症であるリヴァイは手を汚すことを嫌い、殴るのをとにかく嫌がった。普段蹴りが主体の彼がその手を汚すのを誰よりも嫌っている。それでも自ら悪役を演じてその手を染めた。

「リヴァイ……」

 ウミが静かに差し出した真っ白のタオルを受け取りながらリヴァイはサネスを殴ったことで血が滲んた手袋の血を拭った。
 一瞬目が合うと彼の血走ったような目に当てられ思わず硬直した。血の香りに当てられた彼は過去の出会った頃の彼に戻ってしまったかのような不安感を抱いた。
 やはりエプロンをして正解だった。身体に他人の血の匂いがつくのは生理的にも嫌だし、それよりもこの血の匂いが鼻腔をつくたびに男は一種の興奮作用を齎すのか先程から酷く心が猛ぶっている。

「……ニックが受けたメニューってのはこんなところか」
「サネス、どうだい? 見てくれ。いや〜〜……なかなか難しかったよ やってるうちにコツを掴めてきたんだけど……ごめん……サネスほど上手くは剥がせなくて……一体何枚剥がせばあんなに上手くなれるの?」

 リヴァイには暴行を受け、ハンジはその間にコツを掴んだのかあっという間にサネスの指にくっついた爪を全て剥がしてしまっていた。
 モブリットもウミも暴力とは無縁の残酷な世界で生きてきた中でサネスが徹底的に暴行されているその光景を見て顔を歪める。
 そもそも、リヴァイは自分一人でこの拷問をすると最初はそう、決めていたのだ。全員上で待機しろと命令した。
 巨人だけを相手に戦ってきた自分達が直面した危機。調査兵団の誰にもこんな汚れ役を背負わせる訳にはいかない。
 ましてこの手を、こんな姿を、ウミに見せたくは無かった。兵団の中で異質な経緯を経て入団した自分。
 唯一、地下街という暗黒の中、劣悪な環境で育った人間の血を見ない日は無かったし、日夜暴力にさらされ慣れ親しんだ自身が自ら悪役を買って出たのには明確な理由があった。
 しかし、リヴァイだけがその手を赤に染めること、それをウミはとても嫌がり、そしてハンジはわざわざその伝令を受けて自ら乗り込んできた。
 リヴァイだけにこんな汚れ仕事はさせられない、それに…血の匂いは人の本能を掻き立てる。
 幾ら今は地上でウミと幸せに過ごしているとしても、人の記憶は香りと結びついているから、その血の匂いを嗅いだ拍子に彼は思い出してしまうかもしれない。かつて暴力にさらされていた記憶を。
 ハンジもウミもモブリットも、誰も悪役を一人に押し付けることを拒んだ。 だからリヴァイは非情に徹することが出来た。
 ハンジの質問を受けながら力なくぼそりと殴られ腫れた唇を震わせながらサネスは答えた。

「数えきれないな……一人につき何枚爪が生えてると思ってんだ……爪だって皮だって…何枚も…剥がしたさ……。そいつに嫁がいようが生まれたばかりのガキが……いようが……関係ねぇ……この壁の平和を守るためだからな」

 その言葉を黙って聞きながらハンジたちは無言で顔を合わせていた。

「うっ……」

 その時、突然ウミが腹部を押さえ、手で口元を覆うとその場にしゃがみ込み、嗚咽を繰り返したのだ。
 吐きそうなのか、慌ててハンジが駆け寄りその華奢な背に手を当ててさするもウミは気持ち悪そうに浅く呼吸をしながら苦しげに顔を歪める。

「ウミ! 大丈夫かい? 吐きそうなの?」
「っ……へ、いき……」
「ウミ、顔色が悪いぞ……後は俺達がやるから無理はしない方がいい」
「ごめん、大丈夫、食あたりかな」
「朝から何も食ってないでしょ……」

 ウミは口元を押さえて床に膝をついて蹲るも、蝋燭の炎に浮かぶ顔色は青ざめているし、今にもその場で嘔吐してしまいそうだ。
 今朝方のリヴァイがウミを乱暴しようとした男への報復をした光景がフラッシュバックしたのだろうか。
 目の前で愛する者の手による想像を絶する拷問で精神的に疲弊したのか、リヴァイはその光景を見て「だから言った」のだと、ウミの背中を冷めた目で見つめていると静かに三人に退出を告げた。

「……ハンジ、モブリット、お前らも後は下がれ、残りは俺がやる」
「リヴァイ!?」
「リヴァイ、駄目、いいの。私は大丈夫だから……」

 しかし、そんな真っ青な顔で大丈夫なわけがない。ウミは必死に立ち上がろうとするもすぐによろけてしまう。
 無理もない。愛する人間が他の男を一日に二度も見ればショックだろう、それに、リヴァイ自身もウミに見られながらの暴行は落ち着かず、上官として部下を引っ張る立場の男が非情にならなければならないのに、中途半端な感情に支配されてフラストレーションばかりがたまっていく。
 出来るならばリヴァイもウミの前でこの手を汚す行為などしたくない、しかし、今はこうしなければ情報は得られない。このままでは調査兵団は追い詰められて本当に終わってしまう。
 ニック司祭はもっとこれ以上の苦痛を味わったのだ、彼を苦しめた元凶、そして自分達からエレンとヒストリアを狙っているのはこの男達。
 そして、リヴァイにはもう一つ確かめたいことがあったのだ。

「オイ、ウミ。てめぇここをゲロまみれにする気か。そもそも俺一人でコイツを自白させるつもりだった、後はもう十分だ……ハンジ、お前は手加減を知らねぇからうっかり殺しちまう可能性もあるだろう、」
「わ、わかったよ……」
「さっさと出ろ、具合悪いなら最初から無理してんじゃねぇよ……」
「ごめんなさい……」

 リヴァイはもうウミを見ることはなかった。ただならぬ雰囲気を纏うリヴァイの氷のような冷たい目に促されながらしょんぼり落ち込んだウミを引き連れ、ハンジは部屋を後にしたのだった。



「うっ……! ゲホッ、ゴホッ……!!」
「ウミ、大丈夫?」

 そのまま急ぎ彼女をトイレまで連れて行くと、ウミはすぐ便器の前に座り込み、苦し気に何度も何度も嘔吐した。
 苦しいのか小さな背中は震え、先ほどから食欲もなく何も口にしていない為に胃液しか出ない。ハンジは小さな背中をさすりながら介助すると思いつめたように静かにウミに問いかけた。

「ねぇ、もしかして……違ったらだけど」

 ハンジは嘔吐するウミの背中をさすりながらリヴァイから離れた5年間の空白の中で、彼と改めてこうして手を取り合い、仲睦まじい様子で過ごしているし、彼がウミを何としても自身の班に招き入れたことも、そして、何よりもこの状況下で婚約したことに対してもしかして、と確信が持てないままその言葉を口にする前にウミは静かにそれは違うと首を振っていた。

「ハンジ、」

 青白い顔に繰り返し嘔吐したことでその瞳には涙が浮かんでいる。それは吐いた事でその苦しみから流れた生理的な涙ではない。当事者であるし、一度経験して、そして淘汰された命があるからわかる。

「それは違うよ、それならすぐわかる」
「じゃあ……本当に具合が悪いのかい?」

 まして、自分は……。

「私、……もうずっと来てない。止まってる」

 何がだなんて野暮なことはハンジは聞けなかった。兵士という職業はとにかく不規則だ。いつどうなるかわからないし、女で調査兵団を志す者は滅多にいない。
 それだけかなりの激務であるし、壁外調査となれば風呂も入れない劣悪な環境が続く。周期が重ならないようにわざと薬でずらしたりする者も居る。
 特に今は環境の変化が多い。女性としてホルモンバランスが崩れればそのホルモンバランスの乱れをどうにかこうにか直そうにも多忙なためなかなかそうそううまくはいかない、まともな食事もロクに取れず仕舞いで次の任務に行かなければならないこともある。
 それに、

「リヴァイはその事を知って「お願い、これは私とハンジだけの秘密にして。今は、女としての幸せを考えている状況じゃないでしょう……?」

 リヴァイの本心は故郷を取り戻す為に戦うウミには普通の家庭環境で暮らす事を望んでいる。それにきっと二人の子供を遅かれ早かれ望んでいるはずだ。
 しかし、ウミは悲しげに首を横に振るばかりだった。

「ねぇ、ウミは…もし、ウォールマリアを奪還したらどうするつもりなの……?」
「あの人は人類最強と呼ばれている……地下街で辛い生活をしてきた彼は今は地上で済む権利を得て、そして輝かしい脚光と名声と功績を浴びている。人類最強の遺伝子を持つ子供を、と、沢山の人がそれを望むでしょう? 私は……そんな彼に相応しいかどうか……そもそも、私はもう女として終わってるの……彼の望むものを私は与えてあげられない」

 静かに立ち上がりながらウミは自嘲するように力なく項垂れた。

「それなのに……リヴァイは…私を抱くんだよ……私、もう子供の出来ないかもしれない、女として終わってる……不完全な劣悪品なのに……兵士としての私でしか彼の傍に居られないのに……それなのにヒストリアの替え玉もろくに出来ない。兵士としてもブランクを取り戻せていないし、それに今はミカサの戦力の方が私よりも上……」
「そんなこと……確かにミカサはリヴァイと同等くらいになれるくらい強いけどまだ兵士としての年齢や経験ならウミの方が……」
「ミカサはすぐに追いつくよ……あの子は強いから、すぐに立派な兵士になって兵団の戦力になる。私は同じ兵士を拷問するだけで吐いてしまう。それなのに、リヴァイは…それでもいい……子どもが出来なくても、傍に居てくれっ……って、」
「ウミ……」

 ハンジは嘆いた。2人が望む未来を、どうしてこの世界は与えてくれないのだろう。 堕胎した代償をその身に受け傷つくのはどうして女ばかりなのだろう。

「私、この世界を取り戻したら……」
「ウミ」

 その先を言うなと言いかけたハンジより先にウミは決意していた。

「私、リヴァイの前から……、消えようと思う……永遠に」
「駄目だ、そんな事……」
「私はリヴァイに相応しくない……わかってよ、まして、私は壁の破壊をもくろむライナー達と同じ側の人間の娘……そんな人間が人類最強と呼ばれる彼と一緒になっていい筈が無い……許されないの。もう……あの人がいつか、私以外の女性を愛する瞬間を知らない場所で生きていきたい」

 力なく項垂れウミはこらえきれずに彼以外の前で流さないと誓った涙を親友であるハンジの前で流した。
 ハンジはただ悲しい決意をするウミの悲しみに寄り添い同じように涙を流すことしか出来なかった。
 その小さな身体に抱えた苦悩を誰にも口にせずそうやって生きてきた、何故この世界はこんなにも残酷でしかないのか、ただ、その小さな身体をただ、抱き締める事しか出来なかった。



「なぁ、リヴァイ……」
「何だ、まだ喋れんじゃねぇか……」
「考えてみろ、このせめぇ壁の中で……なぜ……今まで戦争が起きなかったかわかるか? お前らが……当たり前のように享受しているこの……平和は……誰が築き上げていたのか知ってたか? 俺達第一憲兵がこの汚ぇ手で守ってきたんだよ。火種がどこかで生まれる度に一つずつ消していった。下手に利口な教師から……王を脅かすような銃を作ってやがったじじい共も……空を飛ぼうとした馬鹿な夫婦も……田舎の牧場にいた売女も……俺たち同胞を裏切りやがったあの魔女のガキも……」

 その言葉にリヴァイは先ほどまでここに居たウミの事をすぐ連想した。

「ああそうだよ! あのガキにまさか巡り巡って拷問される未来が来るなんてな!! あの素性の知れない訳の分からない男とあの女のガキだ、消すに限るだろ。地下に売ってもう二度と陽の光も浴びれず、あの一家全員に地獄を見せてやろうとした! 全部俺達が消したら……人類は今までやってこられた!! それもこれも全部俺達第一憲兵のおかげだろうが!! 感謝しろよ!!」
「てめぇ……まさか……」
「巨人に食われて死ぬと思ったがまさか生きながらえるとはな……あの女も不幸だな! もう二度とガキも残せねぇ……この先生きてても仕方ねぇのにな……」

 力なくしゃべるサネスの言葉にリヴァイの脳内でウミの笑顔が浮かんでは消えた。冷酷に振舞いながらもその心情は次第にどす黒い感情に瞬く間に蝕まれ、そして合点がいく。点と点が線でつながる。

「そうか、てめぇがウミの……そうか……そういう事か……俺たちのガキを殺したのか……!!!!」
「ぐぅううううっ!!!!」

 リヴァイは自分の不注意で子供を殺したと悔やんでいたウミのその笑顔の裏でまさかそんな陰謀が絡んでいたなど、どうかただの偶然出会ってほしいと思っていた。ウミは黙秘されていたのか、中央第一憲兵から、王から、その存在を。
 調査兵団に居れば勝手に死ぬと思って、かつて壁外調査で奇行種に食われて死んだ父親や、足が不自由で巨人が襲来して逃げることも出来ずに死んだ母親のように、いずれ死ぬと。
 リヴァイは怒りに目をひん剥いて思いきりサネスを蹴り飛ばした。このまま蹴り殺す勢いで、顔面の原形が留まらなくなればいいとさえ思った。

「そうだ……お前の血を受け継ぐ跡継ぎを根絶やしにする為にな。あのガキが壁の外という世界を証明する揺るぎねぇ証拠だ、この世界の為にも、消えてもらう必要がある、だが、どうせ消すなら俺達の元でその身を使って活動してもらおうと思ってな」
「そうか、だからあいつを攫って殺そうとしたのか」
「あ……? 何を、言ってやがる」
「数日前、あいつはお前らに攫われかけたんだがまさか知らねぇとでも言うのか」
「何の事だ……?」

 しかし、リヴァイが求めていた答えは返ってくることはない、それどころか、サネスは衝撃的な事実を述べた。

「あのガキはこっち側の人間だ。残念だったなリヴァイ……」

 この五年間の間に起きた事件、痛み、血に染まった手を嘆いていた背中を見ていたミカサ。
 そうか。ウミはこの五年間自分の想像以上に過酷な日々を過ごしていたのか。それを自分に隠して全て、いや、自分は知らなかった。ちゃんと確かめなかった。どうして彼女の口からではなく、こんな奴から聞かされるまで。
 その時重厚な扉が開かれるとウミを介抱していたハンジが戻ってきてその今の一部始終の会話を全て聞いて理解したのか静かにそう呟いていた。

「やっぱりか。技術の発展からこの世界を守ってくれたんだね、本当にありがとう」
「……調査兵団……おまえらこそ初期の段階で消されるべきだった……。勝手に壁の外に出て死ぬもんだと思われていたんだろうが……今じゃこの壁の平和を脅かす一番の病原菌だ」
「そうか……大変だったな。お前らはお前らなりに……頑張った。それはよくわかった」

 低く、抑揚のない声でそう告げたリヴァイがサネスの鼻の根元をガッチリ掴んでいきなり予告なく彼の鼻をひん曲げたのだ。
 ウミがライナー達に鼻を折られた時よりももっと酷く。
 原形をとどめる事が無い位の角度に変形した鼻にサネスは突然の激痛に悶絶した。

「ッ〜〜〜!! クッ〜〜!!」

 その折れた鼻からビュ――と噴出した鼻血がリヴァイのエプロンを染めた。出血が止まらないサネスにリヴァイは先ほどの冷酷な表情に戻っていた。

「無駄話はいい……。そろそろ拷問を始めよう。いいか? 質問に正確に答えなければおしおきだ。レイス家とは何だ?」

 見上げたリヴァイの顔つきにサネスはこいつは底なしの化け物だと戦慄した。

「公には王家との繋がりは浅いとされるどこの田舎にもある貴族家の一つ、そんな一家系になぜ――壁の中の巨人やらを公表する権限がある? ウォール教を使って民間から壁を遠ざけてんのもレイス家の意志か? そんなことをなぜ王家でなくレイス家がやっている?知ってることをすべて言え」
「はッ……お前らほど――」
「待った」
「ッ……!?」
「答えるのが遅かったよ。おしおきだ」

 ギギギと鈍い音を立ててペンチを口に突っ込むとそのまま前歯の横の歯を狙って力を込めて一気にペンチをひねるとそのまま引っこ抜いたのだ。

「虫歯じゃないヤツが抜きたいな。これか?」
「ッ〜〜〜ガッ!!」
「ごめん、よくわかんないや」
「オイ……喋れなくなっちまうだろうが。あまり抜くなよ」
「爪は10枚だけど歯ならまだいっぱいあるだろ」
「お前らほど!! 楽しそうに人を痛めつける奴は見たことがねぇ!! やれよ!! もっと!! お前の大好きな拷問を続けろ!! 暴力が好きなんだろ!? 俺もそうだ!!抵抗できない奴をいたぶると興奮する!! もっと俺で楽しんでくれ!! お前らは正義の味方なんだから遠慮する必要は無いんだぜ!? お前の言った通りだハンジ!! 仕方ないんだ!!
 正義のためだ!! そう思えりゃすべてが楽だ!! 自分がすごい人間になれたと思えて気分が高揚するだろ!? お前ら化け物だ!! 巨人なんかかわいいもんだ!! でも……俺は怖くねぇんだよ!! 俺は……! 俺には……王がいる……何年も……仲間と一緒に王を守ってきたんだ…俺は、この壁の安泰と…王を…信じてる…俺達のやってきたことは……間違っていないと……信じたい……けど……こんなに痛かったんだな……」

 椅子に凭れ乍らサネスは静かに一筋の涙を流して懇願した。

「俺を嬲り殺しにしてくれ……リヴァイ。あんた好いたの女の分までな。それが……俺の……血に染まった…人生のすべてだ」



 リヴァイは拷問着のエプロンと手袋を脱ぎ捨て浴室で何度も何度も血に染まっていないのに幾度も暴力に晒されて血に染まっている、その血なま臭さの抜けない自身の身体を洗い抜いていた。
 ウミは何の為にここまで生きてきたのだろうか。彼女はあの二人の間の娘として生まれたからこんな過酷な仕打ちを受けたと言うのか。幸せにしたいと思った、今度こそ、しかし。ハンジは涙ぐみながらリヴァイに問いかけた。
――「あの子は不幸になるために生まれてきたの?」
 否定することは出来なかった。ああ、彼女は、ウミは、こんな末路を迎えるためだけに生まれて死ぬと言うのか。
 自分達の奪われた命。大切に守りたかった。しかし、もうその笑顔が見れることは無いのだと。
 それでもこの身体は血と暴力に晒されて酷く猛っていた。その矛先は…。

「リヴァイ……ごめんなさい、私……」
「うるせぇ、喋るな。俺に構わず消えろ、さもねぇとどうなるか分からねぇぞ」

 浴室から出てきたリヴァイに声をかけてきたのは今度はウミ。しかし、その華奢な腕はリヴァイの逞しい腕に力強く掴まれ、そのままドンとバスルームの冷たい壁に背中を押し付けられた。

「リヴァイ……?」

 その感情が見えない顔は、今は何を思って何を感じているのか。リヴァイは普段と何も変わらないはずなのに、やけに興奮した様子でウミの唇を塞いだ。
 それはまるで飢えた獣のように。突然唇に噛み付かれ、柔らかい舌が彼女の口内を犯す、強く吸われ、それは何度も何度も繰り返された。

「お前……本当にどうしようもないな」
「いいよ、あなたの気が済むのなら、幾らでも……好きにすればいい」

 破きかねない勢いで着ていた服を脱がされたウミはそのまま彼の部屋に連れていかれると、そのまま部屋から出てくることは無かった。
 そのままなし崩しに先程慈しむように抱いてくれた時とは全く違う手つきで抱かれても、今朝の出来事を思い出しても、リヴァイに包まれ、ウミはそれを拒むことは無かった。
 何度も何度も求めるように、まるでこの胸の苦しさをお互いの虚無を分かち合うように深く抱きあった。
 仄暗い地下の血なまぐさい世界から束の間でも解き放たれ、温かな温もりを求め、途切れそうな意識の中、気を失えばまた深く突き上げられ無理矢理揺さぶられて起こされた。
 深く舌を絡めてくるリヴァイの灰色の瞳に一瞬だけ涙が見えた気がした。

To be continue…

2020.02.01
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