THE LAST BALLAD | ナノ
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#61 あの人は優しい人

 そう、人類最強と呼ばれる男にも弱点が存在した。それは目の前のウミの存在だ。もし、今度こそ彼女を失えば、彼女の愛を失ったら。男はただ戦うだけの生きた屍になる。

――ガチャガチャ、バタン!! という音と共にウミとイザベルはリヴァイとファーランに抱えられ、周囲から隠されるように柔らかな布にくるまれてアジトへと戻ってきた。

「早く、リヴァイ!」
「問題ねぇ、ここなら誰も来ねぇ」
「ちくしょう……昨日の奴らか……よくも……ウミとイザベルを」

 無理やり破り捨てられた、ほとんどぼろ切れを纏っただけの身体にウミもイザベルも髪をざっくり切られ何よりも、酷い暴行を受け、全身泥まみれでだった。

「ウミ……」

 リヴァイはその瞳に激しい怒りを抱いていた。初めて抱いた身を焦がすような憎悪が全身を支配する。
 瞳の奥が痛い、寒くもないのに酷く身体が震えた。鼻息が小さな肢体をかき抱き、リヴァイは唇を噛み締めた。

「ごめんね、リヴァイ……ごめんねファーラン、ごめんねイザベル……守ってあげられなくて」
「ウミ姉は悪くねぇよ……オレが悪いんだ……」



 地下街で、起きた悲劇は今も忘れられそうにない。ウミは自分が男たちに集団で襲われて酷い目にあったことよりも、自分が上手くイザベルを守ってやれなかったせいでリヴァイ達を悲しませ、深く傷つけてしまった事をただ悲しんでいた。
 ウミとイザベルをやった犯人は見当がつく。リヴァイは傷ついた二人をファーランに託してそのまま姿を消した。
 そして戻って来た彼は返り血に染まったナイフを手にしていたことでウミは悟るのだった。
 リヴァイは改めて誓った。もう二度と、ウミをこんな危険な目には遭わせないと、彼女を悲しませないと約束をした。
 ウミは幾度もうなされ苦しみながらそれでもリヴァイに支えられ過去を克服した。
 それはリヴァイの愛があったから。時間はかかったが長く共に過ごした2人の時間は確かに彼女の心を癒したのだった。幾度も刻み込まれた傷跡は全てリヴァイが包み込んでくれた。悪夢にうなされ叫ぶウミを抱き締めて繰り返し繰り返し大丈夫だと、そう言って優しく頭を撫でてくれた。しかし、癒えた筈だった、あの悪夢は身体が覚えていて、そしてまた、記憶の淵に沈めた悪夢は再びその職種を伸ばして、そしてまた、繰り返されたのだ。

 人類最強と呼ばれるリヴァイが見せた慈悲にも似た交換条件。彼の漢気に惹かれたリーブス商会の頭であるディモを引き連れ、トロスト区から外れた場所にある新たな隠れ家へと移動を終えたウミ達。
 追っ手を掻い潜りながらトロスト区を後に辿り着いたのは、先日まで潜伏していた山小屋よりもかなり質素で冷たい煉瓦造りの見張りの塔もついている古びた一軒の小屋だった。
 一件関所にある何の変哲もない建物に見えるが、いざドアを開けると見張り塔の地下に続く階段があり、その先には罪人を閉じ込めたりする牢屋や拷問道具の揃えられた拷問部屋まで用意されている。
 果たして何のためにこのいかにも怪しい山小屋を用意したのだろうか。
 自分達は巨人と戦い奪われた地平を取り戻す為に進撃する調査兵団だと言うのに、いつから敵が壁内の人間になったのだろう。
 この地下の部屋がそういう意味を持って用意されたのなら、誰がそれをやるのだと言うのだ。
 これから中央第一憲兵達にエレン達を引き渡す。まるでこれからここを使うためにここに移動したのだと言わんばかりの空気。
 新兵たちは先程のリヴァイのただならぬ様子を見て震え上がる。自分達は巨人と戦うために三年間地獄のような訓練を乗り越えてきたと言うのに、人間に暴力を振るうために、調査兵団に入ったわけじゃない。正義感の強いジャンはマルコの言葉を思い返していた。自分達は暴力の為に調査兵団で戦うと決めたわけじゃない、自分が今何をすべきか、正しく理解している。
 自分はあの時燃えカスになった仲間たち、その一人でもあるマルコに恥じない為に。たとえ彼の愛すべきウミが犯されかけたとしても、それでも自分達を狙う民間人を暴力で制裁を与えた上官に果たしてこのままついて行っていいのか。
 ミカサは相変わらずリヴァイへ然るべき報いのことばかり考えているが、まだ彼のことをよく知らないジャンやコニーやサシャはリヴァイに対して不信感を抱き、その信頼は迷いを持ち始めていた。
 そして、それはウミに対しても。
 どうして見た目も中身も粗暴で口調もよろしくない、まして育ちも…地下街と言う無法地帯で生きてきたこのアウトローな男が調査兵団の兵士長なのだろう。



 シャワーの湯に打たれながら一糸まとわぬ姿で湯を浴びるウミの後ろ姿があった。
 肩まで切り落とされた緩やかな髪、何人も穢す事の出来ない美しい白い素肌を流れ落ちる雫を垂らし雨を受け続けるウミの背中があった。
 エルヴィン団長からの直々の指名を受け、そして自らの意志で任務を終えた疲れを癒しまた新たな任務に備える。
 しかし、その首には生々しい痣のような華がいくつも刻まれている。
 透けるような青々とした流れる血管が美しい色白の肌は今は剥き出しの肌を赤く染める痣で痛々しかった。

「っ、消えろ、消えてよ……!」

 ガリ、ガリ、と短い爪で傷つけても内出血の痣はそう簡単には消えない。深く強くあの唇で吸い付かれたのだ。時間が経過して紫色に変色しており、色白の肌に浮き上がり、痛々しくて消えない傷跡に見えた。
 リヴァイが戯れに着けることはあったが、それはきちんと自分を配慮してくれるものだったし、彼の唇に愛されるのは、自分は決して嫌ではなかった。
 普段感情を表に出さない彼の愛が見えなくて不安だらけだったころ、言葉が拙いだけだと恥ずかしそうに俯いてそれでも行動で彼は自分に愛を示そうとしてくれていた。躊躇いながらその痕をつけたことを覚えている。
 これは愛の証。娼館にいた時に客に恋をしていた娼婦がそれを嬉しそうに見せびらかすのを見ていたのを覚えている。
 それは愛する者が自分のものだと証明するために着けるのだと。不器用な彼が静かに笑う顔を見た時、初めて彼の笑顔が見れた事が、彼が心を開いてくれたことが嬉しくて、たまらなくて、これが愛おしいと言う感情なんだと、ひしひしと噛み締めていた。
 流れる涙が止まらなくて、そう、涙のダムが一気に崩壊したのを覚えている。あれから月日が流れ、互いに落ち着いた年代になった今も鮮明に…。自分は自分のものだと言う所有印のようなものだ。
 しかし、今のウミにとっては見知らぬ下品な男に触れられた忌々しい痣でしかない。
 それは爪を突き立てても消えることはないそれを立体機動の支障にならないために深く切りそろえた爪でがりがりと引っ掻くようにウミは忌々し気にそれを鏡越しに見つめていた。
 恐らく首元が窄まった服を着てもうなじの部分は隠しきれないだろう、執拗に舐め回され、胸も触られた。今も瞳を閉じるとあの男の生々しい息遣いが耳に焼き付いて消えない。
 これからも任務は続くのに、これが消えるまで醜い痣を消えるまで晒し続けろと言う事なのだろうか。
 本当にとんでもない一日だった。こうなった原因を作ったのもすべて。
作戦は成功した、自身の身を差し出した意味は確かにあったのに。
 自分に残ったのはただ、過去の苦い記憶ー今も残るトラウマを呼び起こされただけだった。
 しかし、自分はもう戻れない場所まで来た。リヴァイに本当の事を打ち明ける時が来たのだ。
 まだその勇気がなかった。彼は調査兵団でも有名な潔癖症で、他の男に穢された自分を知れば彼はきっと自分を見限ると、そう思っていた。だけど、彼はこんな自分を労わるように優しく触れてくれたのだ。
 彼の優しさは紛れもなく本物だ。新兵達はきっと今回の件で大きく彼の事を誤解している。
 彼は手段の為なら自ら悪役になる事もこの壁の世界を調査兵団を守る為ならその手を幾度も赤に染める。
 躊躇いは無い、もう既に自分達はかつて人間だった巨人たちを殺した人殺しなのだから。
 このままでは溝は深まるばかりで調査兵団の部下と上官の信頼関係が壊れるようなことなどあってはいけない。
 自分が彼らと彼を繋ぐ橋にならなければ。
 もう泣くのは止そう、この痣も永遠に消えないわけではない、そう言い聞かせてウミはシャワーの熱で火照った肌を冷やすかのように鏡に縋りつくように自らを奮い立たせた。
 あの日、エレンを奪うためにこの手を赤く染める決意をしたかつてのアニのように。誰かがこの手を赤く染めなければならないと泣いていたベルトルトのように。
 目的は違えど自分達よりも若い彼らも見知らぬこの壁の世界でエレンを奪うために必死に襲って来るだろう。
 もう迷いは無い、何としても故郷を取り戻す、その為にはこの状況をひっくり返す為に自分達はクーデターを起こすのだ。
 これは通過点に過ぎない、本当の闘いはこれから、彼らとの決戦の時は迫ってきているのだ。
 エルヴィン団長からの直々の指名を受け、そして自らの意志でその作戦を受け入れヒストリアに成りすましたウミ。
 次の作戦は何だ。女としてではなく、今は兵士として彼の傍に居たい。濡れた身体を拭こうとタオルを手に浴室を出た時、

「随分長かったが……終わったか」

 ドアの隣の壁に凭れて待っていたのは紛れもなく他の誰でもないリヴァイだった。

「リヴァイ……」

 首元から見える綺麗で誰にも穢す事の出来な白い肌にまざまざと浮かびあがるその醜い紫色に変色したその痣を見たリヴァイは無言でウミの腕を掴むとそのまま自分の部屋へと連れて行った。
 普段は良くしゃべる方のリヴァイは何も言葉にしない、大丈夫かとは聞かなかった。ウミの大丈夫が大丈夫だった事なんて今まで一度もなかったからだ。
 ベッドに座らせながらリヴァイが用意した新しい着替えは首元まですっぽり隠れる色白の肌に映える黒のタートルネックだった。
 それでもうなじまでの隠しきれない痣に用意した絆創膏。リヴァイは無言でウミを抱き締めて震えていた。安堵させるように全く平気じゃない中でウミは努めて明るく振舞っていた。

「ふふ、大丈夫だよ、リヴァイ、あなたはちゃんと助けてくれた。それに……これはただの怪我みたいなものだよ……だから、平気、あなたが気に病むことはないからね」

 傷ついて落ち込んでいるのはウミなのに…まるでウミの痛みをそのまま受け止めるようなリヴァイの姿がそこにはあった。
 きっと、こんな風にいつも兵士長として冷静な眼差しをし、凛とした彼が弱々しい姿を見せることが出来る限られた存在はきっと目の前の彼女だけだ。
 自分に生き方を、処世術を施した男がそんなリヴァイの弱った姿を女に平気で見せて甘えるその光景を見れば間違いなく殴るだろう。
 決して誰にも弱みを見せるな、生き抜くためなら女は欲を散らす為だけの使い捨ての道具だと思え、情は残すな。愛を捨てた男はそう言い放ったのに、リヴァイは今現にこうして唯一の愛する存在に自身を託している。
 愛を失ったからこそ自身にもそう説き伏せたのだろうか。失う苦しみを知りたくないのなら愛を知るな。と。
 しかし、リヴァイは愛を知ったことで余計この世界から巨人を抹殺すると言う揺るぎない目的が出来、その為に今こうして自らの手を汚すことを選択した。
 まさか、もし死ぬのが巨人だったと思っていた中で、巨人ではなく同じ人間に今殺されようとしている。
 作戦とは言え兵士長としての立場に立たされて男としての自身を殺し、目の前で愛する女が助けてくれと叫んでいるのに助けに行けないもどかしさは男を何よりも苦しませた。
 それを証拠に握り締めた拳からは赤が滲んでいるのを見たウミがやるせなそうにその手を握り締めそっと口づけた。
 傷ついたその背中をいつも癒してくれたのはウミの優しさと温かな口づけ。ほんのり桃色に染まる花のような鮮やかな唇の色、
 ウミが今回の作戦の為に犠牲になったことで作戦は成功し、リーブス商会を味方につけることが出来たが、彼女には大きなトラウマを呼び起こさせてしまったことをリヴァイはこれからも悔やむだろう。

「リヴァイ、あんまり、見ないで。暫くは消えない……こんな醜いの……あなたに見せたくない……」

 元々色素が薄く肌も色白でほんのり薄桃色に染まる肌が美しいからこそ余計にこの作戦で男に良いように嬲られた所為で浮かび上がる痣が痛々しくもあり紫色に変色して禍々しい。

「無理に擦りやがって……余計な痕が残っちまうだろうが」

 その痣を消そうと爪で引っ掻いたのだろう、リヴァイは顔を悲痛に歪めながら無言でその胸元に、項に顔をうずめた。

「やっ、んんンっ……!」

 内出血の痣はそう簡単には消えない、しかもこんな風に生々しく深く吸い付かれたのなら、リヴァイはその醜い痣を刻み込まれて本心は怖くて怖くてたまらない彼女の痣を優しく撫でる。
 そうしてリヴァイはウミの肩下まで切り落とした髪に触れうなじを露わにするとそのまま耳の後ろにキスをした。

「んあっ……!」
「ウミ、……作戦の為にお前を犠牲にした俺を幾らでも憎んで構わねぇ……だが、忘れるな、俺はお前を誰よりも愛している……」

 耳元でぼそりと低い声で囁かれた彼からの愛の言葉を受けてウミは思わず肩を跳ね上げ過敏に反応していた。

「相変わらず敏感だな、」
「っ、そ、うだよ……リヴァイのせいだよ、感じたくないのに、リヴァイが…」
「俺が? 俺のせいか……思い当たる節がないんだが、」
「っ…い、わない……で」
「お前を女にしたのは紛れもなくこの世界で俺だけだ……耳元で俺が声出せばすぐ、……こうだ。俺がそうした、お前の望むように」
「っ……あ……っ」

 リヴァイにこうして後ろから抱き締められて長身が多い調査兵団の幹部の中でも頭一つ分小柄ながらも鍛え抜かれた力強いその腕の中に包まれると力が抜けて何も言えなくなってしまうのだ。

「リヴァイ……っ、もう、いいから……!」
「お前が良くても俺が駄目だ、他に何処を触られたのかちゃんと教えろ」
「そ、それは……」

 膝の上にそのまま抱き上げられ、完全に後ろからホールドされ逃れることが出来ない。ウミは戸惑いながらも振りほどけないその力強さに先程感じた恐怖を一瞬で消し去る普段見せない彼の甘い言葉、労わる様なその眼差しに当てれらて力がカクリと抜け落ちた。
 それを視界の端に収め、リヴァイはそのまま項に噛みつくようなキスを何度も何度も繰り返すとウミは耐えきれずに甘い吐息を漏らしながら仰け反っていた。
 うなじから、今度は肩にかけてしなやかなラインを辿る。元々骨格が細いのか女性らしい華奢な肩、露わになる胸に触れると、ウミはびくりと震える。胸も触られたのだろうか。五年前よりも柔らかく感じるその感触を確かめながらリヴァイの目つきが変わる、あの男への怒りがまた蘇るようだ。しかし、殺してはいけない、あの時もし彼女が止めなかったら間違いなくウミの身体を見たあの男の目を潰していたかもしれない。

「お前だけは……何としても、さいごまで生き延びろ……」
「うん……」
「その為なら……俺は……」
「え?」

 遠のく意識の中でウミはリヴァイの温もりの中で微睡みながら夢のような世界に浸っていた。
 これは覚めない夢なのか、自分が埋めようかと思えば思う程。彼と104期のまだ若い小年少女の間に走る現上官である彼への不信感、亀裂が、今もどんどん広がっている事に。
 彼を新兵達は暴力で従わせる人類最強と呼ばれる名の通り冷酷で恐ろしい人間だと、そう誤解している、違う、そうじゃない。
 彼が人類最強と名のとおりの人間ならばあのまま自分を放っておいた、それなのに今の彼はまるで自分に触れた男の生々しい感覚を消し去るように執拗に触れ、トラウマに震えていた身体はあっという間に彼の優しい手によって蕩けた。
 彼は確かに出会う前はその手を暴力に晒して今まで生きてきた。仕方ない、そうすることでしかあの世界は生きていけなかった。
 明日をも知れぬ身で狂った世界で奪われぬ為に懸命に生きてきた彼の処世術、「この世界で一番偉いのは一番強いヤツ」が彼の矜恃。確かにそうだ、自分もだからこそ今まで巨人が蔓延るこの世界で生きてこれたのだ。
 お互い境遇は違えど死地を駆けていたのは一緒だ。やがて交錯した思いに見据えた地平の先は同じ場所に辿り着くと信じて。
 忘れては行けない。この世界の理を。敗者=死だ。彼らは今自分達に迫る危機に対してもっと危機感を覚えなければ駄目だ。
 そうでないと、本当に自分達は本来の目的を果たせないまま、巨人ではない同じ人間に殺される。
 巨人殺しの達人集団が人間に殺されそうになっているなんてかつてともに戦い志半ばで殺されていった彼らが知れば何と思うだろう。
 遠のく意識の中でウミは密やかに願った。
 この壁がいつまたあいつらに破られるのかわからない。もし、彼がこの世界を巨人に食い尽くされる未来が永劫来ない為にどんな手段でも使うのなら。自分はー…。
 ウミはリヴァイを抱き締めながらこれからここで始まるであろう次の作戦へ思い馳せる。
 仕方ない事だとしても、今自分に触れるこの手を離さずにいたかった。



 月が浮かんだ夜の山奥の林道を一台の馬車が走る。
 それを走らせるのは頭まで雨具を被ったディモ・リーブス。そして、その隣では同じく雨具を被ったミカサ。猟銃を隠し持ち彼の隣に座って周囲に部外者の人間がいないか警戒を強めていた。
 その荷台に乗っているのは中央第一憲兵、エレンとヒストリアを攫おうと企み、そしてニック司祭を激しい暴行、拷問の末に殺した、サネスとラルフ。

「オイ! リーブス! 本当にこんな辺鄙なところにエレンとクリスタ達が居るのか?」
「はい!居ますよ。憲兵の旦那! 協力するって約束で、何とか解放されてきたんです、急ぎましょう!」

 山の天気は気候が不安定で変わりやすい。次第に降り出した豪雨の中、中央憲兵サネスとラルフを馬車に乗せ 山道を進むリーブス。
 山道は足元が悪く雨のせいで余計に視界が悪い、その振動でガタガタガタと激しく揺れる馬車、突然後輪を踏み外し、そのまま馬車が大きく傾いたのだ。

「おい、なんだ!?」
「うああああああああ!!」

 馬車はバランスを崩して転倒すると、その馬車もろとも濁流する川底へそのまま落下して行ってしまった。投げ出されてしまったのだった。

「悪いね、旦那たち」

 リーブスは静かにその光景を崖の上から見つめていた。サネスとラルフは落下の衝撃で気を失っており、その対岸の崖では立体機動装置を利用してリヴァイ達がサネスとラルフを抱え去っていく姿を確認していた。
 リヴァイと目配せしながらリーブスたちも馬に乗ると先ほどの小屋へと急ぎ向かった。

「(ひとまずは……上手く行ったかも知れんが……これは時間稼ぎにしかならねぇ。これからだ……途方もねぇ戦いになる)」

 その言葉通りだ。リーブスはこれがまだ始まりに過ぎないと確信していた。

「なぁ、親父……これで本当に俺達助かるのかよ……?」
「そんな保証はねぇよ、」
「そんな……じゃ、何で!?」

 フレーゲルは不安そうに父親に問いかけると、リーブスはその頭をペシンと勢いよく叩いた。

「いいか、フレーゲル。俺達商人に重要なのは嗅覚だ。目の前の金だけじゃねぇ。将来を含めて、得する方を嗅ぎ分ける。嗅ぎ分けたら…腹くくって食らいつくんだ。いいな、覚えておけ」

 跡継ぎでもある彼に商人の何たるかを示しながらリーブス達はこれから起きる事には関与しなくていい、とリヴァイに言われた通り、外で馬車の中で共に待機していた。



 馬車から落ちた衝撃で気絶したままのラルフとサネスを周囲から見つからないようにと慎重に小屋の中に運び込んでラルフを牢屋にぶち込んだ。

「ウミ、お前も上で待機だ」
「けど……」
「後は俺がやる」

 情けなく気絶したサネスをゆっくりと頑丈な椅子に座らせると、抵抗して逃げられたりしないように上半身と両手両足を縄で椅子の肘掛と椅子の脚にぎっちり固定したのを確認していた。そして、これから起きる出来事。
 ロウソクの頼りない灯りの中で誰もがこの冷たい空間で流れる血を思い浮かべていた。
 リヴァイは普段よりも厳しい顔つきで返り血を浴びない為に用意したエプロンと肘まで覆うくらいの長さを持つ手袋を嵌めて準備していた。
 これから起こることは出来れば新兵に見せたくないし、聞かせたくもない。そして、ウミにも。
 将来を約束した愛する恋人が、いくら仕方ないとは言えどこうして無抵抗の他人を拷問する瞬間なんて、その手を汚す瞬間を見せたくはないだろう。
 自身は穢れている、それでもウミはそんな自分を綺麗だと微笑んで、いつもそばに居て、誰よりも綺麗な笑顔で穢れのない心で見つめてくれた、愛してくれた。これでウミに幻滅をされて、愛を失ったらきっと自分は。
 これはリヴァイなりの気遣い、優しさだ。彼は誰よりも言葉数は少ないが思いやりの深い慈愛に溢れた人間である。
 その優しさ故に今必死に部下達の為に率先して上司として非情であろうと努めている。
 リヴァイ自身も拷問をした経験など地下にいた時から今までひとつもない。しかし、誰かがこの手を血に染めなければならないのなら。
 それは自分の役目だ。これから始まる血なまぐさい光景をまさかまだ若い新兵をいきなり巻き込んで拷問の片棒を担がせるわけにはいかない。
 リヴァイの心の片隅にはウミと出会った事で生まれた純粋な人への思い、その感情が芽生えた。
 しかし、何を言い繕ってもこの手はもうとっくに赤く染まっているのだ。
 自分たちが成そうとしている事を、邪魔立てしようと企む人間たちの所為で自分たちはこの狭い壁の中を何故コソコソ逃げ回る必要がある。目的の為ならばこの手を再び赤く染めることなど厭わない。
 本来の目的、人類の尊厳を、奪われた地平を取り戻すのだ。これから自白させるべく始まる拷問の声が届かないように。せめてこの場所を選んだ。

「あなたに、汚れ役は似合わない……」
「あ?」
「あなただけに、こんなこと……させない」

 それは小さくて掻き消えそうな声で。ウミはリヴァイの仮にも上官である男からの指示に聞こえないふりをした。

「全員出ろ、ハンジがまだ来てねぇがそろそろ始める」

 用意した拷問道具一式をずらりと木製の小さなテーブルへと並べ替えていたウミの腕を掴んで部屋から追い出そうとした。しかし、

「ジャン、ミカサ、ここまで運ぶの手伝ってくれて、ありがとう。
 後はもしあのクソッタレ憲兵の二人のどっちかが逃げだした時のために皆は上で待機しててね、お湯も沸かしてあるし、少し休憩でもして、」
「ウミ、」
「行って、大丈夫」

 するりと、ウミはいとも簡単に掴もうとしたリヴァイのその手からするりと抜けると、そのままリヴァイに向き直りつつ後ろ手にドアを閉めた。
 それはウミの決意でもあった。どんな時も傍に居る。そう決めたのだ。リヴァイは今から行う行為をウミに見せたくないと敢えて新兵達と共に上に行けと指示したが、ウミはそれに反して重厚な扉は閉められた。
 拷問と言う雰囲気には似つかわしくないウミの笑顔にジャンは心配そうだった。
 彼は間近で幾度もウミの巨人の返り血を浴びて戦う姿を見てきているのに、まだウミの秘められた現役当時の恐ろしさを知らない。

「ウミ、あいつどんだけ兵長と一緒に居てぇんだよ」
「……私には、わからない……」
「これから拷問するのに、オレは考えられねぇ、何であそこまでベッタリなんだ? 拷問するような悪趣味なヤローにウミは何で……あいつはなんでもやるのか? リヴァイ兵長がやれって言ったらウミは人も殺すし、死ねって言われたらその場で死ぬのか? 俺たちは調査兵団だぞ? まぁ、お前もエレンの事しか考えてねぇし? 似たようなもんか……」
「知らなくていい…ウミも、きっと、そうだ。同じことを言うだろう」

 サネスたちを運んだジャンとミカサにお礼を述べながら、ドアを閉めたウミが見せた彼女の纏う柔らかな雰囲気にはとても似合わない拷問の道具が握られていた。
 ウミが手にしていたのは生爪を剥ぐペンチのようなもの。
 拷問や血なまぐさい環境とはまるで無縁そうに見える、誰にでも優しくて、清楚な雰囲気をまとうウミが、あれを使うなんてジャンには到底想像出来なかった。
 くるりと振り返りながら微笑んだウミは先程のシャワーの後にリヴァイが用意した首元まで完全に覆われたタートルネックを身に纏い、どうしても服でも隠しきれない部分の痣は絆創膏や包帯で隠して、リヴァイの隣に並んだ。

「オイ、なんのマネだ。お前も上で新兵と待機してろ」
「いいえ、」
「ウミ……これは上官命令だ」
「私は大丈夫、だから、」
「ウミ、てめぇいい加減にしろよ」

 遠回しにお前にだけは見られたくないと、リヴァイは言うがウミは聞かない。一見大人しくて素直に命令を聞きそうに見えるくせに、いざその中身を見てみればそんな非力そうな見た目に見えても調査兵団の分隊長までかつて登り詰めた精鋭、一度決めた決意はぶれず、芯の強さが目立つ。
 その重い沈黙が占める部屋の中でリヴァイからはもう先程の優しい眼差しは感じられなかった。今はこれから始まる状況で気を張っているのが見て分かる。
 彼は言葉にするのが不器用だからその繊細な眼差しで感じ取る。その時、勢いよくドアが開かれた。

「お待たせ!! もう終わってないだろうね!!」
「あぁ、俺も慣れてなくてね……」

 ドアを開けてやってきたのはニック司祭の殺害現場を目撃したハンジとモブリットだった。 この場に似つかわしくないくらいの大きさで話すハンジは怒りにも似た興奮を抑えきれずにいる。静かに目を覚ましたサネスは自身がニック司祭にそうしたように、椅子に括り付けられ、目の前に光る拷問用の道具を見て全てを悟る。
 どれもこれも新品同様で、誰も使ったことがないそれは鈍い光を放っていた。

「オイ!? 待て!! 目的を言え!!」
「うるさい!! サネス、私も人間の拷問は初心者なんだが……よろしく頼むよっ!!」
「待て! とにかく目的を言え!! 何も聞かずに爪を剥がす奴があるか!!」
「黙ってろ!! 全部剥がしてからが本番だ!」
「あ!」

 ハンジがウミから爪を剥がすペンチのようなものを受け取るとそのままいきなり人差し指の爪を剥がそうと掴むが、上手く剥がれず、しかもボキッ!っと鈍い音を立てて真逆のありえない方向に人差し指が折れ曲がり、サネスの人差し指ごと折ってしまったのだ。

「あああぁああぁああああああぁ――」

 その瞬間、突然指を折り曲げられたあまりの激痛にサネスは大絶叫した。今まで色んな人間を拷問してきた男。まさか生きているこの間に自分が拷問されるなど考えた事などなかっただろう。

To be continue…

2020.01.24
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