THE LAST BALLAD | ナノ
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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -

#04 夢

 再び人類が巨人の脅威に晒され外側の壁を巨人に奪われた845年。あれから季節は流れ846年。時間薬と言うが、父親は行方不明のまま、そして、最愛の母を亡くした少年の心の傷が癒えることは無く、時が経つにつれ次第に巨人への憎しみをより強いものにしていた。
 突如現れた鎧の巨人と超大型巨人によって人類の活動領域は更に後退することになった。人類の最先端はウォール・マリア南突出区のシガンシナ区からウォール・ローゼ南突出区トロスト区へと移行することとなったのだった。ウミ達も行き場所をなくした避難民に混じりトロスト区の避難所に身を寄せたが、一日一回の配給という満足な食事もとれず、避難所での不自由な生活はただでさえ憔悴しきった心には堪えるものがあった。
 トロスト区をはじめとするウォールローゼ内は元々の住人と避難民とで溢れ、人類は壁の中の限られた資源の中でのさらに貧窮した厳しい生活を余儀なくされることになる。
 居場所を無くし避難してきたウォール・マリアの人たちは被害のなかった者達にとっては食い扶持を減らす厄介者でしかないのだ。
 この壁の中では他人の食糧にまで気を遣う余裕など無い。皆が必死に暮らしており、活動領域が減って追い込まれた人類が増えすぎたのもあって快く歓迎されていなかった。避難民達は厄介者扱いを受けそのまま荒れ地の開拓へと回され、母親を亡くしたエレンとミカサとウミ、そしてアルミンも劣悪な環境での厳しい生活を強いられることとなった。
 ウミは考えていた。なぜ巨人は生まれたのか、何故、巨人は人を食べるのか、何故、巨人は……。

「ただいま」
「お帰り、ウミ!」

 親を亡くしたエレンとミカサの為にも自分がしっかりしなければ。ウミは2人を開拓地に残し、昼間は開拓地で畑を耕し夜はウォール・シーナのトロスト区にある酒場のウエイトレスとして就職し、生計を立てていた。泣く子も黙る調査兵団の元分隊長まで登り詰めた女がこんな所でウエイトレスをしているなど、誰も思いはしないだろう。
 唯一の家族であった母親さえも亡くし、未だにあの鎧の巨人に吹き飛ばされた傷も生々しく残っている。しかし、ウミは悲観にくれる暇を潰すように朝も夜もせかせかと忙しなく働いた。仕事をしている間は忘れられたから。カルラの最期も、壁を破壊したあの超大型巨人や鎧の巨人も。
 仕事を終え、クタクタになり帰ってきたウミを迎えるエレンとミカサ。3人での暮らしもすっかり慣れた。エレンもミカサも心の底から笑う事はまだ難しくても弱音も吐かずにウミの帰りを迎えてくれる。眠る前、ウミはいつもウォール・シーナの先にあるウォール・マリアの壁の方向を眺めて故郷・シガンシナ区を思い返していた。この壁のさらに向こうに帰る場所がある。
 いつか、また戻れる日を夢見て止まなかった。そしてトロスト区は調査兵団本部がある。ここに来ると嫌でも思い出してしまう。調査兵団で過ごした辛くも楽しかった日々のこと。今も忘れられない、心から愛した唯一の大切な人のことを。

「ねぇ、ウミ。お願いがある」
「なぁに、ミカサ?」
「今夜は一緒に寝てもいい?」
「うん。いいよ」

 共同住宅の宛てがわれた一室。エレンは年頃だからなのか、恥ずかしがって一緒に寝ようと言わないが、ミカサはたまにこうして一緒のベッドに潜り込んでくることがある。元々大人びていたが年頃になりぐんとその顔立ちは自前の色彩もありより大人びて見えた。将来きっととっても綺麗な女性になるだろう。

「元気かな……?」

 一緒のベッドで眠りについたミカサのサラサラと流れるまっすぐな黒髪を撫でながら、唯一、肌身離さず身に付け首から下げていたチェーンを胸元から取り出し、その中心に輝く銀色の曲線を描く指輪をぼんやり眺め、はめ込まれたアクアマリンの石を胸元に宛ててウミは瞳を閉じる。

「きっと、恨んでるだろうね」

 その独り言は誰に聞かれることもなく。しかし、自分が彼を思うのはもう許されはしないのだ。繋いだ手を絶対に離したらいけない優しい手を自分は離したのだから。しかし、その優しさから逃げた自分を追いかけてこないというのはきっと見切られてしまったからだとウミは思っていた。きっと自分はそれだけの存在だったのだ。自分から振りほどいた、あの力強い手をもう握り返す事は出来ない。臆病だから自分は逃げたのだ。思い出が怖くて、いつか壊れる幸せから逃げてしまった。愛し方さえも分からないままに。どうしてこんな切ない気持ちになるのだろう。ああ、もうすぐ自分が間違いなく死ぬからだとウミは実感していた。何故ならば。

「ウォール・マリア奪還作戦か」

 溢れかえる避難民を開拓地に送ってもそれでも食糧難は避けられず、中央政府はウォール・マリア奪還作戦を行うと、壁内の住人達に通達した。
 奪還作戦とは聞こえはいいが、実際はふたつになってしまった壁では限られた食糧に対してあまりにも住人が多すぎるのだ。次第に食糧不足が悪化し、食糧争いが勃発するのは目に見えている。政府は自分たちが食糧に困らないためにウォールマリアから溢れた壁の中の人口を減らすためにはどうしたらいいか考えた末に奪還作戦とは名ばかりの誰の手も汚さずに穏便に食い扶持を減らすために政府が打ち出したのだ。
 そこに大量のウォールマリアからの避難民を作戦に投入すれば…。王の為に、自分たちの故郷のために今こそ立ち上がれと大々的に報道し、健康な成人以上の老若男女、故郷を奪われ巨人に恨みを持つ多くの者が立ち上がり志願してゆく。ウミもまたそのひとりとして死地に赴くのだ。
 あの日、救えなかった命。巨人を殺す術を持ちながら甚大な損害を人類に与えたあの鎧の巨人、果ては超大型巨人を倒せなかった。多くの犠牲を経て生き残った罪悪感は常に足元をつきまとう。どうせ死ぬならいっそ、少しでも人類の為に巨人の数を減らして死んでやろうと思った。しかい、この作戦の意味をウミは理解していない。みすみす死に逝くものに武器など必要ないのだ。

「お前さえ傍に居てくれりゃそれで良い。他には何も望まねぇ」
「私もだよ……ずっと、傍に……あなたのとなりに、こうして一緒にいたかった」
「ウミ?」

 この心臓はあの人だけに。誰も聞くことの無い独り言を呟いたその時、突然扉を開けたエレンにウミは笑みを浮かべる。さり気なく眺めていた指輪を懐にしまい耳を傾けると何やら恥ずかしそうに俯くその姿に思わず幼い頃のあどけない姿を思い出し微笑んだ。

「一緒に寝る? 今日は冷えるものね」
「べ、別に! お、オレはいいって!」
「いいじゃない、たまには誰かに甘えたって。誰にも言わないから、ね?」

 年の差もあり、たとえどんなに彼が生意気だとしても可愛いお隣の男の子のイメージはこれからも変わらないだろう。ミカサには怒られるかもしれないが。意地を張り恥ずかしがるエレンを手招きし、それでも強がっていても母を亡くし、開拓地での慣れない厳しい生活に寂しさもあるのだろう、エレンは静かにベッドの中に潜り込んできた。ウミは優しくその色素の柔らかな頭を撫でてやり、久々に甘えてきた彼を見て思った。首にかかるそれは鍵のようだった。
 いつの間にどこでそんなものを…育ち盛りのまだ幼い少年が背負った過酷な運命も知らず、今に背も体格も追い越されるだろうカルラが見ることの出来ない立派な姿を自分が代わりにこの2人を守ろう。命に変えても、彼らの母を救えなかった後悔が今も消えはしないのなら、せめてこの子たちの帰る場所を奪い返そう。
 どうして今になって、走馬灯のように過去のことばかり思い出すのだろうか。しかし、どうしても鮮烈に焼き付いて離れてはくれない。流した涙も、焼けつくような痛みも、あんな経験は、もう二度と無い、しなくていい。人生できっと一度きりの感情。この先心から誰かを思うことなど無いだろう。
 いや、この先もう無くていい。自分の心を占めるもの、必死に生きようと足掻いていたあの頃が今は懐かしくて恋しくていとおしくてたまらない。
 夢を見ていた。流れる血が点々と辿る先、息を乱し、刃物を握りしめていた手は赤く染まっている。どこからか聞こえる怒号から隠れるように木箱の影に凭れ、とうにこの瞳は正気を無くしている。掃き溜めのゴミのようなこの街は穢い。人も、世界も。こんな汚い世界の終わりで自分は死んでゆくのだろうか。
「助けて、誰か」とそう一言呟いた声なき声は震えていた。ひどく寒いのだ。ああ、自分はこんな汚いごみの掃き溜めの掃き溜めのような世界で誰にも看取られることなく一人寂しくこの世界を呪いながら死んでゆくのだろうか。
 そんな最期など、迎えたくなかった。しかし、もう動けない。理解して汚い泥まみれの地面に横たわると不思議と安からな気待ちになれた。自分はもうすぐ神様の元へ向かうのだと、いつからだろう。
 最後にもう一度だけ望むのなら。握握りしめたりしめたボロボロに欠けた刃も手から離れてゆく。

「誰だ……お前」
「助けて……」

 誰かのために生きたいと願ったあの日が始まり。誰かのために生きてこそ。絶望に彩られたこの世界が一気に色付いた瞬間だった。

「もう……さよなら、だね」

 その年の846年。ウォール・マリア奪還作戦に投入されたその数は25万人。人口の2割に相当した人類を投入した無謀な作戦の末に生き残ったのはわずか数百人だった。結局失敗として終わったのだった。しかし、その犠牲のおかげで残された壁内人類の食糧不足は次第に改善を果たした。

「ウミ!」

 一度は覚悟したがウミは帰ってきてくれた。駆け寄る幼い三人を抱きしめ傷ついたウミは再会を喜んだ。アルミンの手に握られた心優しい祖父の帽子に全てを悟る。
 辛うじて生き残ったウミは巨人に支配され逃げ惑う人の群れの中いるはずの背中に自由の翼を掲げたその姿がないことで確信し、この政策を企画した真犯人を死に際に呪った。投入された人達はあまりにも無力で、巨人たちは容赦なく住人たちを食い尽くしていった。全てを理解しウミは死体に紛れ込むことで諦めた命を死に物狂いで生き残りこの真実を焼き付けた。自分たちに与えられたのは巨人には到底効き目のない武器ばかりだった。立体機動装置もないのに人類が巨人に立ち向かえる筈が無いのはわかりきっているのに。そうしてこの作戦の意味を理解し帰還した。
 すべてが終わった後そこには調査兵団の精鋭たちの姿は何処にも見当たらなかったことですべてを悟るのだった。これは調査兵団が起こした作戦ではない、と。
 政府が食い扶持を減らすために起こした政策だと。そして、この作戦を皮切りにある噂が広まるのだった。
 自由自在に宙を飛び回る鳥のように巨人を駆逐してゆく正体不明の女の存在。傷つきながらも生還を果たしたウミの姿、自分たちの為に立ち向かい犠牲となった祖父の存在を思い涙するアルミンを横目にエレンは決意するのだった。

「全部巨人のせいだ、あいつらさえ叩き潰せばオレたちの居場所だって取り戻せる。そうだろ? ウミ」
「エレン……」

 決意したようにエレンはそれぞれの目を見つめて言葉を解き放った。

「アルミン、俺は来年訓練兵に志願する。巨人と戦う力をつける」
「僕も、」
「アルミン!?」
「僕も……!!」

 祖父の無念を、人類が受けた屈辱を晴らす為に臆病でいつもいじめられっこにいじめられてエレンやミカサに助けられていたアルミンの決意。横目に見やりミカサも静かに黒曜石の澄んだ瞳の先に決意するのだった。

「私も行こう」
「ミカサ!? お前まで無理しなくていいんだぞ!お前はウミと一緒に開拓地に残れよ……生き延びることが大事って言ってただろう」
「そう、生き延びることが大事。だからあなたを死なせないために行く」
「わかった。じゃあ三人で。行こう」

 いつも三人で一緒にいたエレンたちはまるでどこかに遊びに行くような雰囲気で訓練兵を志願したようにウミには感じられ慌てて引き留めようとした。訓練兵の訓練はまさに命がけ、自分は経験していないがその過酷さはよく聞いている。自分も過去に訓練兵団への監督者として講義をしたことがあるが訓練の厳しさに驚いたものだ。そこまでやっても挫折どころかただの訓練で死んでしまう者までいたというのに…それだけ厳しい訓練を経なければ巨人には勝てないからだ。
 まして訓練兵団で鍛錬を積んだからと言って憲兵団以外の兵団に入れば間違いなく巨人と戦うことになる。今までおびただしい数の人々が捕食されてゆくのを見てきたからこそ三人を死地に行かせたくはなかった。ましてカルラにあんなに反対されていた訓練兵に志願するなんて。ウミは血相を変えて静止の言葉を投げかけた。

「ダメよ、行かせられない……!! あなた達は分かってない。1年前に巨人がどれだけ恐ろしいのか感じたでしょう? 分かったでしょう!? 私の母親も父親もみんな巨人に食われて犠牲になった。まして、私がどうして調査兵団を辞めたのか分かるでしょう? お願い!! あなた達まで巨人の犠牲になるなんて!! あなたたちを死地に追いやるためにカルラさんやおじいさんは犠牲になったんじゃないのよ!!」
「そんなの分かってる! だけど、こんなとこで死ぬまで石拾いや草むしりをするなんて冗談じゃねぇよ!! オレは調査兵団に入って巨人を全員駆逐するって決めたんだ!!」
「それに、僕達は巨人と戦う力をつけたいだけじゃない、子供のころ話した壁の外の世界をこの目で確かめに行きたいんだ。それに、開拓地に残ったところで僕達はいつまでも壁の中に囚われたままだ」
「エレン、アルミン…」
「ウミは巨人が憎くねぇのかよ!?」

 みんなで壁の外の世界へ、それは幼少の頃からのアルミンの夢だ。不自由を強いられて並々ならぬ憎悪に満ちていたエレンの顔つきにウミは戸惑いを抱きながらもまっすぐ向けられてエレンの巨人に対する並々ならぬ憤りに目を背けていたことを思い起こさせた。
 こんなにまだ幼い子供たちが訓練兵に志願する。巨人を倒す力を身につけるために。この壁に支配された外の世界を見に行くために。
 大切な人を守るために。3人のまっすぐな瞳に臆病に負けて逃げ出したウミは思わず目を反らしてしまうほど、3人の純粋な思いをひしひしと感じ取り、保護者代わりとして引き止めなければいけないのにエレンの言葉に打ちひしがれ言葉選ではどうにも止めることが出来なかった。
 しかし、ウミの訓練兵志願に反対を唱える言葉は時代とともに変わっていった。昔は危険だ無謀だと言われ少なかった訓練兵への志願者、しかし、ウォールマリア陥落以降は人類か再び活動領域を取り戻し再起するためによほどの事情がない限り訓練兵団を志すのは健康な子供たちの間では当たり前となっており、志願しないものは臆病者と蔑まれた。

 訓練兵となり、その中で上位になった者達だけが権限を与えられる内地の安全な暮らしが保証される憲兵団へ志願したいと望む者たちもこぞって訓練兵を志願し、エレン達が入団する頃には訓練兵の場所へ向かう馬車は人で溢れかえっていたのだった。
 もう兵団には二度と戻らない。戻れないとあんなに決意したのに。この三人は救えなかった後悔として守らねばならない。相反する二つの気持ちにウミは頭を抱えるのだった。

 
To be continue…

2019.06.17
2021.01.03加筆修正
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