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舌の先ににじむ


※2024バレンタイン


 赤、ピンク、ブラウン。そういうカラーリングの文字や装飾がここ数週間で急増した。理由は流石に知っている、バレンタインだ。今日はデパートへ、康一くんが遊びに来た時のための菓子を買いに来ただけだというのに、店員が完璧な笑顔でにじり寄って来る。

「最近はお客様みたいに、逆チョコを用意される方も多いんですよ」

 何が楽しいのか、にこにこと笑いながら、何故かぼくがバレンタインの為にチョコレートを仕入れに来たのだと疑わない。

「……逆チョコだって?」
「ええ、そうですね、男性からじょ……」
「きみたち、他国の行事にあやかって菓子を売ってるくせに何も知らないのかい?」

 チョコレートを贈るのは日本くらいのものだし、バレンタインが定着している国では男性から女性にカードや花を贈るのが殆どだ。それを逆、とは。

「逆っていうならこの国で作られたイベントの方さ、……まあ、それを無視してキャッチ―な言葉を使う方が盛り上がるっていうのは理解できるがね」
「は、はあ、……は、博識なんですねえ」

 店員は唇を僅かに引きつらせてそう絞り出すと、すぐに気を取り直したように完璧な笑顔を浮かべ「本日は何をお探しですか?」と流れるような口調で言った。

「このクッキーを一つ」
「かしこまりました」
「……ああ、それと、これも一箱ください」

 クッキーの隣に当然のように並んでいた箱に指先を向ける。いや、別になんとなくだ。この店員が冒頭であんなことを言うから少し買ってみてやろうかという気になっただけで、別に行事に合わせて贈り物をする気はこれっぽっちもないのだ。ただ明日彼女が家に来ると言うだけで、それはなんら特別なことはないわけだし。
 店員はもう一切戸惑うことも無く、そのチョコレートの箱に綺麗に指先を揃えた掌を丁寧に向けた。

「はい、かしこまりました。……パッケージ、限定のものと二種類ご用意しておりますが」

 限定、という言葉と一緒に掌が横にずれると、あからさまな赤色のパッケージがある。それに「普通の、いつものでいい、普通ので」と返すとひょいと黒色の紙に包まれた箱がレジ横へと置かれた。



△△△


 二月十四日、午後二時。彼女は来た。

「いらっしゃい」
「おじゃまします。あ、これあげる」

 ひょいと渡されたのは近所のカフェの紙袋で、その中には珈琲豆と紅茶の茶葉の入った缶が並んでいた。ちらり、となまえの腕に目を向けたが、その紙袋以外には小さなハンドバックしか持っていない。

「ここの紅茶美味しいよねえ、さっそく淹れようよ」
「……ああ」
「ん? なに、」

 別に。そう返す。本当に何でもないのだ。ただイベント事が好きらしい彼女のことだからどうせ頼んでもいないチョコレートを買ってきてぼくに渡し、「美味しそうでしょ、半分こしよ」なんて言うかと思っていたので拍子抜けしただけだ。そう、拍子抜けだ。これは。
 キッチンに向かえば、荷物を置いた彼女が後からついてきた。

「今日は寒いねー」

 そんなことを言いながらテキパキと湯を沸かす準備をしているのを脇目に、キッチンの棚を開ける。……紙袋がポツンとあって、正直かなり迷った。
 迷ったが、買ったことには変わらないので、とりあえず袋から箱を取り出して、なまえの前に置く。僅かな音に彼女が顔を向けて、とろりと綻ばせた。

「わ、今日のお菓子チョコレート?」
「そうだよ、」
「これ、もしかして貰い物とか? バレンタインの」

 ぎくり、とした。なまえの唇からバレンタインという単語が出たからだ。なんだよ、知っているんじゃあないか。それなのに手ぶらで来たのか? 仮にも恋人の家に来るんだぞ、普段からイベントには喧しい癖にぼくには菓子の一つも持ってこないっていうのか?
 悶々とするぼくの隣で、彼女は箱を開けて「おいしそ」なんて呑気な声を出している。

「でもいいの?」
「何がだよ」
「人からのバレンタインチョコ、わたしが食べちゃって」
「はあ? これはき……いいんだよ、ぼくは食べないし」
「ふうん」

 彼女は暫くの間じっとチョコレートをじっと見つめていたが、やかんから湯気が噴き出ると指先でチョコレートを掴んでぱくりと一粒口へ放り込んだ。もぐもぐ、と口を動かして「おいしー」と間延びした声を出すと、紅茶の準備を始めている。

「それだけかい?」
「え、何が?」
「感想だよ、味の!」
「美味しいって言ったよ……?」

 普段は何食べてももっとリアクションが大きい癖にぼくがわざわざ買ってきたチョコレートはボケっとした顔で「おいしい」の一言だけなんて、あっていいだろうか。
 ぼくの言葉になまえは眉間に皴を寄せ「ええ……?」と首を傾けている。

「なんか、濃厚で、美味しい」
「なんか?!」
「えー、あー、シックな味」
「なんだいそれ」

 馬鹿らしくなってきた。彼女が神妙な顔のままで、唇を舐めとる。もういい。
 沸けたお湯をティーポットに注ぐ。大抵彼女は「いい匂い」なんて小学生みたいな語彙で感想を言うのにそれもない。
 なまえはもう一度チョコレートへ手を伸ばしたが、しかし一粒も掴まずにキッチン台の縁に触れた。あー、だかうー、だか数回唸って、置かれた箱へ指を指す。

「ねー、やっぱ、これ露伴が食べた方がいいんじゃない?」
「はぁ?」
「これ、バレンタインのチョコなんでしょ? 結構高そうだし、わたしが全部食べちゃうってのは……これ、大分本命っぽいし……」
「な……?!」

 美味しいっていうなら食べればいいだろ。そう言っても彼女の表情は曇るばかりで、当初のぼくが予想していた満面の笑みとは程遠い。なまえ好みの味しか入ってないってのになんの文句があるというのか。

「ていうか今日はもう帰ろうかな」
「はぁ?! 来たばかりだろうが!」
「いやあ、でもさあ……」

 もごもご、と音にならない声を口の中で繰り返している姿にカチンときた。この岸部露伴が目の前のこいつの為だけに買ったチョコレートをあんな顔で食べておいて、しかも辞退するっていうのか。信じられる筈も無い。
 ぼくはチョコレートの一粒をかっさらい、彼女の唇に無理やりに押し付けた。真っ赤な色をしたラズベリーのフレーバーだ。

「ぼくがきみの為にわざわざ選んでやったんだぜ?! 普通食べるだろう!」
「……ん?」
「大体、きみいつもイベントだどうだって喧しくしてこの家に謎の物持ち込んでくるくせに、」
「これ、露伴が買ったの?」
「そうだよ!」

 ぽけ、となまえが間抜けな顔で瞳を瞬かせ、そうして「マジ?」なんて口を半開きにしている。暫くの間、その表情でもぐ、と口に押し込まれたチョコレートを咀嚼していたが、飲み込んだところで、ふ、と息を漏らして蕩けるように表情を綻ばせた。……いや、これはニヤつきに近い。
 ふうん、と間延びした声にもどこか揶揄うような色があるのは気のせいだろうか。ふふふ、と鼻の奥で楽しそうに笑うと、なまえはチョコレートをまた一粒、指先で摘み上げた。

「そっかあ、わたしのために買ったんだ」
「……なんだい、その顔」
「嬉しい」

 ありがとう。幸せいっぱいの顔で彼女が笑う。当初予想していた表情に他ならなかった。
 彼女がティーカップに紅茶を注ぎながら、「でも意外」なんてにやつきながら言う。ぼくはもうこのやり取りで疲れ切ってしまったので、傍の椅子に腰かけた。

「露伴って、聖バレンタインのこと知りもしないくせによく盛り上がれるよなぁ! とか、大体こうやってチョコレートを一方的に配るような国、ここくらいだろうとか言うと思ってたからさあ」
「ぼくのことなんだと思ってるんだ?」
「ごめんごめん」

 なまえがチョコレートを摘み上げ、ぼくの唇に軽く押し付ける。

「一緒に食べよ」

 僅かに唇を開くと、ほのかに苦みのあるチョコレートが舌先で溶けていった。残りは数個なんだし、きみが食べなよ、と言っても彼女は「一緒に食べたいの」なんて言って、ぼくに淹れたての紅茶を差し出している。
 テーブルを挟んで向かい合う。彼女は未だににやつきながら、ぼくがティーカップに口をつけるのを見ている。そうしてふと、今食べたチョコレートとは別の、カカオの香りがすることに気が付いた。

「これ、チョコレートティーか」
「そう! いえーいハッピーバレンタイン」
「……」
「ちょっと、そんな嫌な顔しないでよ」

 やっぱりイベントには喧しい人間で間違いなかったようだ。なまえはチョコレートを口に放りこんで、今度こそぼくが想像したあの笑みを浮かべている。



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